カテゴリー「scenery (過ぎてゆく眺め)」の73件の記事

2017年11月 8日 (水)

2000kmの非日常(4/4) 東へと向かう 道すがら

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気がつくと周囲を走るクルマのナンバーが、大阪・なにわから京都へと変わり、目的の蒸留所が近い事を教えてくれる。
日常的にウヰスキーという飲み物を愛してやまない僕は、通過経路の近くにそれがあると必ず引力の影響を被ってしまうのは言わば仕方のない事なのだろう。これまでにほぼ地元とも言える宮城峡、富士山麓の広大な森の中にある御殿場、フェリーから陸揚げされた小樽の隣に位置する余市の各蒸留所を巡ってきた。あと一般見学できる蒸留所といえば山梨の白州、明石の江井ヶ嶋酒造、長野の信州マルスぐらいだろう。ウヰスキーの製造過程はどこもそんなに大きくは変わらない事を知って以来、工場の見学ツアーには参加することはなくなってしまった。それよりも蒸留所自体の風体、立地条件や沿革、また創業者のひととなりの方に興味が湧いてくる。

 

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創業者の選んだこの地は桂川、宇治川、木津川が合流して淀川となる場所だった。
海に近いわけでもなく、深い森が辺りを取り囲むわけでもない。まさに市街地の端っこに建っているようなこの場所は、水温の異なる河川が合流するので、きっと霧の出やすい湿潤な気候をもたらしてくれているのだろう。
 
施設には必ずと言っていいほど付属している有料試飲コーナー。
いつもの事ながらメニューを見てため息が出てしまう。あの憧れのラベルがワンショットずつ格安で飲み比べができるのだから。きっと僕ならずともクルマで旅するウヰスキー党にとっては、ここは間違いなく拷問場に違いないだろう。
数ある試飲テーブルの中に一つだけ細く外光が差し込む場所を見つけた。
僕は割と日差しの中でウヰスキーを愉しむ機会が多いので、それがもたらすこの琥珀色の透過光の美しさを知っている。そんな訳で飲めもしないのについ購入してしまったワンショット。記念として絵に収めた後は・・・と、最初は思案していたけれどその必要はなかった。きっと僕の奇行の一部始終を見ていたであろう隣の夫妻と目が合い、遠慮がちにこのショットの行く末を託してみると、グラス持参で快くこの光のテーブルに引っ越してきてくれたのだった。

 

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僕は若い頃からベクトルという概念を自分の移動に使ってきた。
ナビなんてない大昔の頃からだから、地図をパッと見て直線の方角と実距離を大まかに把握するだけなのだけど、これが理数系の悪癖だと知るのはずっと後の事になる。この目的地までの方向と実距離を一度掴んででしまえば途中の寄り道は可能か、不可能かをも含めて自由に扱える。この日の目的地は伊豆の温泉宿にある富士山の見える部屋で、真東に400kmというベクトルを持って大阪を後にした。
 
 
クルマで気ままに移動する者にとっては、天気というファクターは小さくはないものだろう。
大阪は昨日来の雨が止まず、早朝の近畿地方の予報でもルートの変更を余儀なくされた。それと言うのも本来は亀山市から伊勢湾沿いに伊勢市に入り、伊勢志摩スカイラインというワインディングロードを堪能後、フェリーで愛知県に入る予定だったから。ガスで視界の利かないワインディング程つまらないものはない。しかしモノは考えようで、本来の東へのベクトルとは関係ないこの南の要素分が、時間的余裕として組み込まれたきたのだった。

 

今回の二ヶ所はまた関西圏にまた来るのだという、根拠のない自信みたいなものがあって、実は”また今度!”と封をしてしまった場所だった。
もう半世紀近く前にテレビで見た太陽の塔。実物をようやく目にする事が出来たし、三波春夫のテーマソングもメロディーが鮮明に浮かんでくる。公園内も綺麗に整備されていたし、幼稚園の遠足だろうか子供たちがたくさん遊んでいた。当時の英知を集めて開催された大阪万博。以来ずっとそこに立っていた太陽の塔。そこにこれからの日本を担う子供たちの歓声が聞こえてくる、というのも実に気持ちの良い光景なのだ。

 

 

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大津での遅い昼メシの時は見たこともない琵琶湖の姿と会う事ができた。
レストランでそれも偶然に空いた窓際角の特等席にて、湖を眺めながら到着は五時だなと思ったけれど、伊豆の宿へは午後四時到着と連絡していたのをすっかり忘れていた。伊豆縦貫道で何度か鳴った電話は、宿が心配して掛けてきてくれたのだ。
肝心の富士山側の部屋は翌朝からの雨を知ってか知らずか、頂上まで雲で覆われる事なく待っていてくれたようだった。

 

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2017年10月30日 (月)

2000kmの非日常(3/4) この街の印象

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誰が言ったか忘れたけれど、”見知らぬ土地でたった一人目を覚ますのは、この世で最も心地良い感覚の一つである”というのがあった。
僕もこの感覚がわりと好きで見慣れぬ天井を少し眺めたあと、カーテンか障子なりを開け、空模様をうかがいながら、本日の予定を変更の選択肢も含め再考してみる時間がいい。それからやおら出かけるのが、旅先での楽しみというか習慣である朝の散歩なのだ。などと言ってしまえばカッコいいのだけど、何のことはなくて地図を片手に、ほとんど彷徨いに近いものなのだ。
 
まだ人通りのほとんどない早朝の見知らぬ街を歩く気分は、まさにエトランゼの気分で、大通りもいいのだけどやはり路地裏が楽しい。なぜならばそこには住む人たちの生活感があり、いろいろなおもしろい物や人に出会えるから。もう二度と訪れることもないかも知れない路地や、人々の生活感との一期一会を愉しむ時間。僕のように毎日同じ環境の中で暮らし続けていると、とかく陥りそうな自分の狭い価値観とケチな思い込み。そんな井の蛙へ世の中といふ空気を送り込んでくれる、唯一のそして良い機会だったりするのだ。
 
昨夜はあれほどの賑わいを見せていた宿の前の新世界通りは、二十四時間営業の串カツ屋と釣り堀に明かりがともっている程度で人影も少なくしんとしていた。
すぐ近くには戦前から続くJyan・Jyan横丁というアーケード街がある事は知っていた。早朝という事もあり、おそらく人影もないであろう薄暗い横丁を想像していたけれどそれはまったく違っていた。ホルモン焼きのような、焼き鳥のような何かのいい匂いが漂い、そちこちに点在している立ち飲み屋の多くが営業してるのだ。通りすがりにのぞいてみると客の入りも上々で、朝メシかと思いきや、皆ちゃんとアルコールを楽しんでいる。時計を見るとまだ七時廻ったばかりの時間だった。この光景を目の当たりにして、この歴史ある横丁が一番賑わうであろう、夕方の表情にものすごく興味を惹かれてしまった。

 

宿の窓から目の前に見えていたこの日本一高いというビル。
多くのご諸兄方が知っての通り、僕は高い所はあまり得意ではないから、もちろん最初は昇ってみようなどとは思ってもいなかった。けれどもその姿を数回見ているうちに、淡いグリーンの摩天楼に見えてくるのだから、旅のという非日常のもたらす感覚も不思議なものだ。まっすぐに歩いていけば十五分程だろうけれど、筋向いに古いアーケード街を見つけてしまい結局、小一時間ほどかけてたどり着く事になってしまった。
   
この展望台は天井から床まで全面ガラス張りで、下の街並みがジオラマ模型のように見てとれる。 
それにしても慣れという脳の機能は素晴らしい。最初は怖くて窓から2m程離れて歩いていたけれど、360°の眺望を一周する頃には窓の手すりに触れるようになってきていた。

 

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58階にはこじんまりとしたCaféがあって、数人が珈琲のかをりの中で会話を楽しんでいる。
純粋なCaféかと思いきや、メニューの中に二種類のビールがあった。先程の寄り道で少し喉が渇いていた僕はその二種類ともチョイス。昨夜訪れた梅田のビル街を遠くに望みながら、本日のオオサカ・テーマを考えていた。天気も雨が降っていることだし、昨日行きそびれてしまったとん堀界隈を彷徨いながら、”粉もんで呑む”というのがどうやら正解のようだ。

 

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なんば駅が最寄り駅となる道頓堀へは大通へと通じるアーケードが三本ほどあり雨の日の散策には好都合だった。
中でも一番の賑わいを見せるのは法善寺横丁に通じる千日前だろう。新世界と同じように派手な看板が立ち並び、眺めながら歩くだけでも楽しい。さすがは大阪の観光地、平日というのに通りは人でごった返し、有名店には長蛇の列といった具合だ。最初はお好み焼きにするか、たこ焼きにするかと迷いながら歩いたけど、その選択肢よりも待ち時間の少なそうな店という選択肢しかないようだった。偶然見つけた空いてそうなお好み焼きの店。芳ばしいソースのかをりとふんわりとした食感、それに冷たいビールが歩き疲れた体に沁みわたる。
 
この日はまだ明るい夕方早くに新世界へと戻ってきた。
今朝ほど歩いたJyan・Jyan横丁。夕暮れ時には一体どんな表情をしているのだろうかと逸る心を抑えてゆっくりと歩いてみる。床屋に始まり、レトロなゲームセンター、囲碁将棋クラブ、喫茶店、駄菓子屋、たばこ店、衣料品店などが飲食店と渾然と一体化し、昭和三十年台から時が止まったような佇まいを呈しているのだ。
店の雰囲気を眺めるだけでも楽しくて結局、二往復もしてしまった。そして粉もんの仕上げに選んだのはこの横丁で唯一のたこ焼きの店だった。主はまだ四十代と思しき若い人だけど気さくな人で、新世界界隈に始まりとん堀の事や阿倍野筋の昔からのいろんな事を教えてくれる。今朝ほどこの横丁で見た光景を話すと、それが大阪で言うモーニングなのだと聞いてビックリしてしまった。また、そんな店は閉店も早くて午後八時頃には閉まってしまう事や、梅田もそうだったけどとん堀などでもほとんど大阪弁が聞こえてこない訳も教えてくれた。大阪弁を耳からのあてにしてカリ・トロうまいたこ焼きに、冷えたビールをお代りしながら過ごしたこの店が、一番大阪を満喫した時間のような気がする。

 

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初めての大阪。
宿に向かいながらまたいつか、この通りをこうして歩くような気がしていた。昨日行ったいわゆるキタは近代的で洗練された表情をしていたし、とん堀界隈のミナミはまさにザ・大阪とでもいえる場所だった。そしてこの新世界も不思議な街。下町ディープな昭和三十年台の表情もみせれば、通天閣というシンボルも持ち合わせ、とん堀にまけないサインもある。Jyan・Jyan横丁の手前の路地で見つけた近所の常連専用のような軒下の飲み屋や喫茶店。いまもレスカは健在だし、関西ではアイスコーヒーを冷コー(レイコー)と言うのをいつかラヂオで耳にした事を思い出していた。

 

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2017年10月27日 (金)

2000kmの非日常(2/4) キタ と ミナミ と 新世界

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大坂へ向かった一番の理由は大阪城でもなく、ましてやUSJなどでもなくて、ベタコテと言われるなにわの世界を体験してみたかったから。
その為に確保した宿は今回、僕の行動半径の一番南側に位置する新世界。通天閣すぐ近くというそのキャッチフレーズが気に入った宿だった。大通りから宿のある路地に入るとすぐに目に飛び込んできたのは、大坂ならではのど派手な看板群だった。それらはきっと初めて見る者を圧倒し、そしてようやく大坂にやってきたのだという実感を与えてくれる。そんな通りにずらっと並ぶ看板群に暫し目を取られつつ、ふと視線を右に向けると洒落た洋館風のビルがあった。隣の串カツ屋や向かいの寿司屋の看板の中で、そこだけ異空間という雰囲気を醸し出すそのビル。エントランスの壁に掲げられた、なんとも控え目に見えてしまったサインを見て、初めてここが二泊の宿なのだと気がついた。
宿にクルマと荷物を預け、新世界という初めての世界をブラついてみる。
それにしても、目の前にそびえ立つ通天閣とマッチする派手な看板群だなと、妙に感心してしまった。ちょうど日曜日の昼時ということもあるのだろうか、人通りもかなり多く客引きが声を張り上げその光景は僕にとっては、”あらまぁ・・・”というような活気を呈していた。多くの店が店先のショーウインドーに串カツのネタが所狭しと飾ってある。ネタとそれを揚げた串カツをビフォー・アフターのように並べていたり、上に鏡を仕込んでまるでテーブル席からみたようにしてある店など、それぞれの工夫を見て歩くのも楽しいものだ。そんな中で見つけた昔懐かしい赤いウインナーのある店。僕はフラリとその暖簾をくぐり、串カツとビールの昼飯で大阪二日間のスタートを切った。

 

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今回の大阪で一番楽しみにしていた場所は”nanba-grando-kagetu”という吉本の劇場だった。
なんとなく大阪の宿を漁り始めたのは六月頃の事。その時頭に浮かんでいたのは、せっかく大阪にいくのだから本場のお笑いを体験してみたいという事だ。ところがHPの公演スケジュールは八月までで、九月以降はまだ先の話だなぐらいにしか思っていなかった。夏ごろにフェリーの50%OFFチケットをようやく手に入れ、目当ての公演予定を見てみるとまさかの、年末近くまで改修工事の為に休館という文字。”おでかけ”というのもやっているようだけど、その劇場の雰囲気も味わいたかったので結局止めてしまった。代替案として思いついたのが梅キタでの晩飯の途中で立ち寄れる大阪城や中之島公園、造幣局などを川から巡る水上バスだ。これがまた実に楽しい体験だった。傍で見るよりも喫水線がずっと高く、もし窓が開いたなら座席に座ったままで水に触れることが出来るだろう。
それにしても、さすが水の都大阪だ。
中之島公園はもちろんのこと、川辺の殆どの店にテラス席があり、カップルにせよグループにせよみな様々なスタイルで日曜の午後を楽しんでいた。土地柄というか気質なのだろうか、新世界でも思ったのだけど、Alcを楽しんでいる人達の多いこと。そして水上バスで通りすぎる観光客に気軽に手を振ってくれる。僕もちょうど船内販売で手に入れた缶ビールで岸辺からの乾杯に応えたのは言うまでもない。けれどこの大阪という土地柄の本当の凄さを知るのは翌朝の散歩の時となる。

 

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僕はクルマで旅することが殆どなのでその土地の公共交通機関を利用するということはあまりない。
だから知らない土地で行き先の地名(駅名)だけで乗り物に乗るというのもわくわくする体験だった。幾つかある路線の中で主に利用したのが御堂筋線という地下鉄だ。この路線は観光客にとっても、キタ~新世界までを行き来するのに非常に便利な駅構成になっていて、今回の行動半径最北の梅田と最南の天王寺までは二十分程で移動できる。この日の晩メシは、実に広大なと言えば簡単だけど、三~四回程度では迷子になるのが必至と思われる梅田駅地下街を抜けたアーケード街の一軒を目ざしていた。
 
その後は夜のとん堀でも歩いてみようかと考えていたけれど、数時間前に初めて出会った新世界という大阪の第一印象が強烈でそのまま宿まで戻ってしまった。
案の定、昼とは全く違う表情を見せる新世界。ライトアップされた通天閣と灯りの点った看板達は、下から見上げても展望台から見下ろしても不思議な感覚にさせてくれる。
それはまるで宮崎アニメの湯屋街のような、あたかもこの世からフェイドアウトされた別の世界の光景に見えた。

 

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2017年10月14日 (土)

2000kmの非日常(1/4) 洋上の海風

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『来月、大阪に行こうと思っている』、こう話を切り出したのは友人達との宴席での事だった。
案の定みなの反応は距離を勘案してのことだろう、仙台から飛べば一時間とか、新幹線でも半日で着くな・・・というものだ。そこで仙台港からフェリーにクルマを積み込み名古屋港で陸揚げ、そこから陸路で大阪入りの予定なのだと手短に往程を説明した。
それっていったい何時間かかる?とみなが口をそろえる。船が二十二時間で名古屋から大阪まで二時間だから、ちょうど二十四時間をかけて約一千㎞の移動をするのだと答えた。
 
 
昨年のちょうど今頃は北海道への旅だった。
いま思い返してみると何のことはない日本海と太平洋の船旅を愉しみたかったと言うのが本音に違いなかった。往路は新潟~小樽、復路は苫小牧~仙台という天候にも恵まれた最高の船旅だった。そんな事を思い返しても北海道では天候にも恵まれなかったし、ただ目的地の苫小牧に向けて札幌~旭川~美瑛~富良野をただ駆け抜けたという感が否めないだろう。
ちょうど一年まえ、苫小牧から仙台まで僕ら運んでくれたこの”いしかり”という船。
午前十時に仙台港入港後、三時間程で今度は名古屋へ向けての出港となる。昨年はここで下船したのだけど、今回はこれからの行程の起点となる。

 

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福島県小名浜沖あたりで船内アナウンスが流れる。
昨夜七時に名古屋港を出港し、仙台港へと向かう姉妹船と間もなくすれ違うのだという。両船とも汽笛を鳴らし合い、乗客同士が手を振り合うのも船旅ならではの光景だろう。これを反航ということも今回初めて知ったのだった。
クルマで旅をする者にとって長距離フェリーの船倉はまさに宿の駐車場。それこそエンジンを切ればまさに本日の業務終了といった具合なのだ。前回この船に乗り込んだのは夜だったから、満天の星空と左舷の水平線から昇る太陽を堪能したものだった。この船で初めて体験する午後の微睡のような、ゆっくりと流れる何もしないという贅沢な時間。柔らかな日差しとピアノとヴァイオリンの音色が心地良い。時折、スカイデッキに出てみれば刻々と変わる水平線の表情や、そこを渡ってきた海風が酔った頬をクールダウンしてくれる。さまざまな出会いもあり、まさに日没まで過ごしたこの右舷のラウンジは最高の場所だった。

 

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琵琶湖よりも西に行ったことのない僕にとっては、名古屋という上陸地点も魅力的だった。
今回の行程で京都をスルーしたのは、またこの航路でここに来るという根拠のない確信のようなものもあったから。関西への拠点としてはもちろんの事、少し足を延ばせば淡路島を渡り午後二時頃には四国に入り、大鳴門橋から鳴門の渦潮を見下ろす事も可能なのだから。それにこの二十二時間の船旅がセットとなれば、僕にとっては文句のつけようがない基準ルートなのだ。

 

 

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僕がフェリーに憑かれたのはちょうど二年前。
静岡のロダン美術館から伊豆の宿へと向かう途中だった。三保松原は時間がないのでパスするにしても、清水港は通過点に選択した場所のひとつ。宿のある伊豆・土肥港までのフェリー路線があるのは知っていたけれど、乗る気もなかったので時間などは調べもしていなかった。けれど埠頭にいた大きな白い船体はなぜか魅力的に僕の目に映ってしまった。駐車場の係員の人に予約をしていないが、乗れるのだろうか?と訊いてみると出向10分前だから大至急乗船手続きするようにと言われた。
慌ただしく船倉にクルマを積み込みデッキに出ると同時に船が動き出す。少しづつ離れてゆくターミナルを眺めながら途中のコンビニでコーヒーでも、と考えた事を思い出していた。如何せん内陸育ちの腑性からだろうか、折角だから海を見ながら飲みたいと思ったことがいまこうしてデッキで全身に海風を浴びることになっている。旅先でのこんな些細なタイミングというのも面白い。土肥港までの僅か一時間程。この初めての光景がフェリーに憑かれた原点になっている。左を見れば富士山、右を見れば駿河湾を経て太平洋、そしてずっと見とれていたのが、船尾に沈む夕日と航跡に煌くみなもだった。港からわずか数分程度、宿の駐車場で先ほどの光景を思い出していた。当たり前の事だけど土肥港に到着してエンヂンのスタートボタンを押せば、清水港で聴いていたアルバムが途中から演奏されていたし、S・Aにでも立寄ったのと何も変わらなかったのかもしれない。ただ一つ、ナビの通過点の履歴が駿河湾上で途切れていることを除いては。

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2017年8月27日 (日)

夏の幻影 - 2017

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連休が明けて暫くする頃にラヂオから流れてきた夏予報は、例年の猛暑という言葉を上回る酷暑というランク付けのものだった。
暑さが苦手な僕はそれを聞いてまるで蜃気楼のような陽炎の中を歩いている、ふた月先の自分を一瞬想像してしまった。ところが天気というのは実に気まぐれなもの。フタを開けてみればいつもの通りに、全く違う夏の感触が待っていた。特に東日本、僕の住む東北地方は梅雨入りの知らせと共に、猛暑日が十日間程あった程度のカラ梅雨だった。早すぎる猛暑日にこの夏は、大変なことになりそうだと嘆いていた御諸兄方も多かった。そして本来の梅雨明けの頃から始まったのが、太平洋側に住む人にとっては実に悩ましい、いわゆる”やませ”という低温の海風の影響だった。その冷たく湿った空気は東北地方を南北に走る、脊梁山脈(奥羽山脈)を越えられず太平洋岸にずっと停滞するから、余計にタチが悪いらしい。そして僕の住んでいる日本海側にも少なからず影響を及ぼす。それは脊梁を超えて来た残党がもたらす涼しい東風で、真夏なのに猛暑日どころか真夏日にさえ届かせない日が続いた。
 
昨日の昼、ニュースで仙台の連続降雨の話をしていた。
未明の大雨で連続36日の降雨記録を更新したこと。これは昭和9年の大冷害の記録を抜き、東北管区気象台の歴代一位となったこと。日照時間が平年の二割弱だということなどを言っていた。それを聞いて今年は青空に白く浮かぶ入道雲も4~5回しか見ていない事を思い出した。涼しい夏と暖かな冬は街で暮らす僕らにとっては実に都合が良いことかもしれない。けれど農家、特にコメ農家にとっては出穂(しゅっすい)に関わる大切な時期を、このような低温と日照不足に曝された訳で、美味しいコメの消費者として今年の作柄が心配なところだ。

 

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そういえば、今年の夏の涼しさは仙台で過ごした”やませの夏”の記憶を再び引き上げて来た。
真夏なのに20℃に届かない日が続き、半袖のワイシャツなぞとても着ていられるものではなかった。忘れもしない7月31の夜の事。帰り道のブンチョウ(国分町)界隈を歩きながら頭に浮かんだのは湯豆腐と熱燗だったから。
   
ずっと昔のことだけど、そう僕が子供のころの梅雨といえば、しとしとと静かな雨降りが何日か続いたものだけど、近年の梅雨は雨の降り方すら変わってしまったようだ。新海監督のアニメを見てその雨の描写に、何かしら懐かしさと美しさを覚えたのはきっと僕だけではないだろう。

 

 

 

 

9月になると必ず聴きたくなるこの一曲、いままでは”優中部”で聴いているだけだった。
収録されている’78発売のアルバム”スターダスト”がソウルの大御所、ブッカー・T・ジョーンズのプロデュースにより、彼が84回目の誕生日を迎える今年世界同時発売された。もちろん、ひと月も前から予約して手に入れたのはいうまでもない。

 

September Song - Willie Nelson

 

この曲は人の一生を12ヵ月に例えたラヴソング。
明るい夏が終わる9月という変わり目に対し、人が無意識に感じる感傷を歌っているようにも思える。人生を80年と仮定すると、9月と言えばちょうど還暦の辺りにとなる。
普段は老いて益々盛んなどと壮語しているのだけど、こんな人生にもちょっぴり憧れるのは、秋というセンチメンタルな季節のせいかも知れない。

 

 

九月・・・・
解放的でめくるめく季節は過ぎ去り
これからは澄んだ空気のなかで
人にとっての想う季節の始まりだ

 自由人

 

 

 

 

 

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2017年7月15日 (土)

標高1,800mの避暑

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まだ梅雨真っ最中のはずなのに、今シーズンたぶん4度目の猛暑日の予報。
ラヂオから流れてきたその声は、休日の僕にとって高い山での涼へと誘う、女神の声のようなものだった。蔵王高原にはとてもお気に入りのロッジがある。五月と六月の境目の頃になると秋までのライブスケジュールのハガキがmamaから届く。そこには相変わらず僕が足を運ぶ事が叶わない時間帯がぎっしりと並んでいた。何時だったか、普段はとても行けない時間だからハガキはわざわざいいよと言った事があったけれど、それでも季節なるとポストにちゃんと入っている。いつしかそれが僕にとっての夏の始まりの合図であり、ライブなんていいからお昼たべにおいでよ!というサインになってしまっていた。そんな訳で毎年今頃になると、mamaの大好物である地元の温泉卵を携えたなら、蔵王温泉へのワインディングを一気に駆け上がるのが年に一度の習慣となっていた。
 
 
けれども昨年に続き今年も運に見放されてしまったようだ。
昨年はお昼は食べる事が出来たけれど運悪くmamaは留守だったし、今年はまさかの臨時休業。いつも送ってくれる手のかかった礼状には、相変わらずの元気そうなmamaのイラストが描かれてあって安心したけれど、事前に確かめる事もなく気分で出かけているのは僕の方なのだ。昔人も二度あることは三度あると言っていることだし、今年はスキーシーズンに入って忙しくなる前にもう一度訪ねてみることにしよう。

 

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夏休みにはまだ少し早くて人影もまばらな温泉街。
そこから少し離れたペンションで見つた”ランチ”の文字。ガランとした誰もいない食堂だったけれど、なんとか昼メシにありつくことが出来た。僕には変なジンクスがあって、こんな風にクルマで出かけた時の昼メシは、最初の二軒をつまらない理由でパスしてしまうと、神に見放されてしまったのかと思うほどどんどん運が悪くなっていく。僕はそのスパイラルにハマってゆく自分を、自ら昼メシ難民と呼んでいるくらいだから。
最後の砦である二軒目の見つけたが食べ時、を実感してクルマに戻る時に小洒落たブランコソファーが目に入った。木陰で乾燥した高原の風を感じながら、屋根のフリルが時折ゆれるのを暫く何気なしに眺めていた。
 
記憶というのは実に面白い。
この光景を眺めながら浮かんで来たのは、母親の実家で過ごした小学時代の四年間の記憶だった。ちょうど家の裏には大きな木があって、夏休み限定の大きなブランコベンチでいとこ達と夢中で遊んだこと。永遠に続くように思えた長い夏休み。いまよりも一日がずっとずっと長くて、いろんな遊びをはしごしながら充実した気分で眠りに就いたこと。
それらのタグは記憶の奥底から匂いさえも連れてくるもののようだ。
西日の入る寝室の日向臭さや、眠る前に皆で食べた西瓜と蚊帳の匂い、秘密基地での草いきれの匂いさえもありありと甦えらせるようだ。


高原の爽やかな空気にすっかり馴染んでしまった僕は、35℃超えの下界にはすぐには戻りたくはなくなっていた。
この温泉街の標高は確か800m程で、あと1,000mも駆け上がれば刈田岳の山頂に立てるのだ。平日という道路事情もあってタイトなワインディングロードを軽快に駆け上る。途中チラチラ目をやっていたのが外気温計で、高度が上がるにつれおもしろいように気温が下がってゆくものだ。山頂駐車場で22℃まで下がり、下界で感じたドライヤーの熱風のような風も夢の世界の出来事のような心地良さだった。
 

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帰り際に改装工事中の山頂レストハウスに寄った時、たくさん並んでいる自販機を見てあっと思った。
それはボタンの2/3がまだ赤いHOTままだったから。
ボヤいている人もいたけれど、今日はたまたま高気圧に覆われているからだという事を忘れてはならないのだ。たとえ夏山でもひとたび荒れれば気温は10℃以上も一気に下がってしまう事は珍しい事ではない事を知っている。
 
なぜならばここから西に約50km離れた、標高もほぼ同じ朝日連峰。
梅雨もカラッと明けた七月の末の事、そこを縦走中に凍死しかけたのは何を隠そうこの僕なのだから。
 
 

 

『ワインディングロード = 緩急問わずたくさんのカーブが連続する道のこと』
クルマやバイクで走るには実に楽しい道のりなのだけど、多々として人と人との心の径すじにも例えられる。緩急数多あるカーブを一つひとつこなしていくことは、どことなく人生を歩む事に似ているからなのかも知れない。

 

 

 

 

 

 

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2017年5月25日 (木)

初夏の色彩

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ゴールデンウィークも通り過ぎてしばらくすると、快適な湿度と気温を持った高気圧に長く覆われる季節がやってくる。
春の花はわりと暖色系が多いような気がするのだけど、この爽やかな空気の中で少しずつ寒色系の花が視界にはいるようになってきた。ラベンダーや紫陽花、それに菖蒲や花菖蒲はまだ咲き始めだけど、ちょうど満開の時期を迎えた花もある。それが新緑の里山でも遠目に気づくこの桐と藤の花。この地方での藤棚はうっかりしていると冬期間に雪で壊れるので、あまり見かける事は少ないという事情もある。けれども少し郊外へと足を運べば立木に巻きついて自生している藤の花をたくさん見ることができる。桐は自生しているものよりも農家の庭先植えてあるケースが多くて、どちらも僕にとっては季節が夏へと向かっていることを知らせてくれる好きな色。色の絵本にもひとえに藤色と言っても『青藤色』『薄藤色』『白藤色』などのバリエーションがある書いてあって、昔から日本女性が愛してきた伝統色なのだという事を知った。

 

上の絵は桐の木に藤蔓が巻きついているという、ありそうでなかった初めて見る組み合わせだった。
これを見ていて思ったのは桐にとってはどうにも歩が悪いだろうということだ。同じ時期に咲く藤の花はあまりにもポピュラーで、それと間違えられたり、あげくの果てに藤色などと言われたことも数多あったに違いない。それでも同時に見れば同じ色目の花でも桐と藤の違いを説明するのには好都合だ。上に向かって咲くのが桐で、下に向かって咲くが藤なのだと明確に説明できる。
この花たちをながめていて心に浮かんできたのは遠い昔の記憶だった。
それは僕がまだ紅顔の少年だった頃に、年の離れた従姉達と遊んでいた花札の事で、”こいこい”という遊びの中で出てくる役の名前だった。つい懐かしくなっていろいろと調べてみると、どうやらそれはあくまでローカルな役だったらしい。けれど子供心にも変な絵が描いてあると思っていた花札にこめられた、日本の花鳥風月を知ることができたのは実に嬉しい事だった。
   
当時は疑問すら浮かばなかった事が、どうもこの歳になるといろいろと引っかかってしまう。
それは藤が四月で桐が十二月の札だということなのだ。いろいろとリンクを回ってみると、どうやらこの国では藤よりも桐の方が遥かに格上の扱いがされてきた事を知った。桐は菊と並んで皇室の印であったり、戦国時代の天皇はその印を武将たちに下賜したりもしたらしい。その一人であった豊臣秀吉はそれを家紋にしていたり、気をつけて見てみると事実上日本政府のマークになっていて、パスポートや公式会見の演台にはちゃんと桐が入っている。十二月の札である桐は何故か三枚がカスで、最後の五光に不思議な鳥が描かれていたのはずっと記憶に残っていた。
それこそが伝説の霊鳥である鳳凰だった事を初めて知るきっかけとなった、2017-初夏の色彩だった。
 僕の仕事場の前にある河川敷にはニセアカシアの林があって、木々の間にチラホラと卯の花色の小さな房が見え始めた。
あと十日もすれば芒種をむかえる。
その頃には甘いかをりの中での散歩を愉しめるだろう。

 

 

嗚呼。
     いままでも、これからも”猪鹿蝶”と関わりのないご諸兄方、ごめんなさい。

 

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先週末から週明けにかけて各地とも五月としては記録的な暑さだったようだ。
僕の所ではまだ真夏日で済んだけれど、峠を越えた隣街では猛暑日を記録したとニュースで言っていた。そんな日が続いたかと思えば今朝の最低気温は平年並みの16℃だったりする。
まるで八百万の神様たちの中に、「来年酉年の連休明けは清々しい初夏の間に真夏を挟み込んでみるのはどうだろう」と神無月の例会で斬新なアイディアを出した若い神様がいて、うん、それもおもしろいだろうとなんとなく決議されたような具合だ。
 
近頃は「例年なみ」という言葉が通用しないほど、雨の降り方や気候が変わってきている。
昨年のような大きな気象変動が今年のリストには載っていない事を願うばかりだ。

 

 

 

 

 

 

 

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2017年2月17日 (金)

湯けむりが醸す旅情

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今までに訪れた多くの湯屋街がそうであるように、そこに集う人たちは中高年が大多数を占める。
と言った具合に、いつしか僕の中でこんな既成概念が出来ていた事にはじめて気が付いたのはこの温泉地に降り立った時だった。なんと言っても一番驚いたのは若者のカップルやグループが大勢いて、おそらく過半数は占めていると思われたこと。湯畑のすぐ傍にある土産物屋や温泉饅頭の店に若者が群がっているのを眺めていると、ここは何かのアミューズメント施設なのだろうかと錯覚しそうになるのだけど、時おり風の気まぐれで運ばれてくる湯気と硫黄の匂いがそれを打ち消してしまう。
彼らは湯畑の周りを一通り散策した後は誰が言うでもなく皆、『西の河原通り』へと吸い込まれてゆく。僕もつられてその通に入っていったのだけど、なんだかどこかで見た懐かしい通りのような気がしていた。両脇にずらっと並ぶ小洒落た店をみて思い出したのは高山市の(古い町並み)によく似ている事だった。手焼き煎餅屋の店先には”煎餅をかじりながらの散策・・・一枚からどうぞ!”などと粋な張り紙がしてあって、辛い物好きが選んだのはもちろん七味唐辛子ヴァージョンだ。
湯畑から西に歩いて10分ほど。
この『西の河原(さいのかわら)』も其処かしこからお湯が湧き出し、それが集まって湯川となり温泉街の方へと流れていた。この湯けむりで煙る河原を歩きながら思ったのはきっと日本人のDNAが人を呼ぶのではないだろうかという事だった。入浴という習慣のある民族は、きっと湯気を見ると昔なり、ふるさとなりの何らかの記憶や安堵感を呼び覚ますに違いないのだから。それが証拠にこの場所は富士山とは違い、日本語以外の会話はほとんど聞くことがなかった。
「にっぽんの温泉100選」に11年連続一位というポスターがあった。
二位と三位は湯布院と登別が交互に鬩ぎ合いをしているようだけど、この温泉街自体の取り組む姿勢が一位を継続させているように感じた。なぜならば湯畑のすぐそばに町でよく見かける数字で呼ぶコンビニやペットホテル、若人のよく集う居酒屋チェーンの店舗があった。小さな子供を連れた家族連れもたくさん見かけたけれど、これなら安心して旅行もできるだろう。

 

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話が前後してしまったけれど、湯畑の最上流部(湧き出し場所)でこんな古い木枠を見つけた。
随分と歴史のあるものだろうと解説板を探したら、柵と同じ御影石に日本語と英語で彫りこんである立派なものが柵に掲げてあることにようやく気がついた。同じ柄なので気がつくのに少し時間がかかってしまったけれど、これは御汲上げの湯枠と呼ばれるもので、歴代徳川将軍はここから汲まれた湯を樽詰めして江戸城へと運ばせていたと記されていた。この場所に来て初めて知ったのだけどここの標高1,200mほど。江戸への道のりはほとんどが下り坂だから少しは楽だったのかな、などと昔に思いを馳せながら要らぬ心配をしてしまう。この温泉を家康に紹介したのが、秀吉だとも記されていた。絵では良く分からないけれど、この木枠の中からはかつて徳川家御用達だったもの凄い量のお湯が湧き出している。きっとこれは出前温泉の元祖だったに違いない。

 

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この温泉を訪れるきっかけとなったのはいとこ会。
そんなきっかけがなければ、僕にとってはたぶん訪れることのなかった場所。”クサツヨイトコイチドハオイデ”。日本ロマンチック街道である国道292号線の道路に施されたメロディーラインがそんなタイヤとそんな旋律を奏でた事を思い出しながら確かにそうだと思った。今回は湯屋が定休日になっていて体験が叶わなかった、熱湯好きの僕にとってはたまらない時間湯。また違う季節に訪れてみたい僕のリストに入れてしまってから、あっ!と思いだしたのはあの11年連続一位というあのポスターだった。

 

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2017年1月14日 (土)

小正月といふ愉しみ

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もうかれこれ12~3年になるだろうか、毎年愛用している壁掛けカレンダーがある。
それは近所のガススタンドの人が12月のメーター検針の時にかならず置いて行ってくれるものだ。シンプルな日付だけのものだけど、その中の情報量が素晴らしくて気に入っている。大寒などの二十四節季はもちろんの事、大安などの六曜や八十八夜などの雑節、それに鏡開きなどの歳時暦などがまるで暦本のように詳細に書いてあるのだ。
大晦日の僕の恒例はすべてのカレンダーを掛け替えてたなら、その表紙を外して1月にしてしまうこと。
特にそのカレンダーでは真っ先に月15日の曜日を確認するのだけど、今年は15日の欄から小正月の文字がなぜか消えていた。成人の日を1月の第二月曜日とする改正祝日法が施行されたのは確か平成19年の事だった。そんな事を思い返しても10年も経てばカレンダーの編集する人が代替わりしてもおかしくないだろう。
1月15日=成人の日=小正月という中で長年暮らしてきた僕を含めた旧い人たちは、いまでも小正月という日が好きな人が多い。歳神様を迎えたり初詣や年始挨拶など、いろいろと気ぜわしい準備や儀式やらがある大正月よりも、より庶民的な気分で小正月という松の内最後の日を楽しめるのがその理由のようだ。
けれど昨今は豊作を願うだんご木飾りもあまり見かけなくなってしまったし、角松やしめ縄を燃やして無病息災を願うどんと焼きも、煙や場所などの問題で郊外でなければ見られなくなってしまった。

 

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ここ数年、僕の小正月の過ごし方と言えば。
しめ飾りはゴミに捨てる訳にはいかないので天気が良ければ庭でプチどんと焼きを、荒れていたなら後日神社に持っていくようにしている。食べ物にしても大正月とは違い自由なので、子供の頃から食べている大好きな郷土料理と地酒をじっくりと楽しむようにしている。
それは自分で材料を目利きして二日がかりで作るかすべ(エイ)煮と、お正月最後の日なのだと心の免罪符を以て酒屋から仕入れるちょっと高級な地元の地酒。あのゼラチン質の煮こごりと、ワインのようなフルーティーな香りを持つ日本酒とのマリアージュを愉しめば、松の内はあっという間に明けてしまうのだろう。
こんな時に思い出すのはジャネーの法則の算式。
また分母に一歳を新たに加算された数式は、これからけっこう先の長いお盆への道のりすらもあっという間にしてしまうに違いない。

 

 

 

 

 

 

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2016年9月21日 (水)

秋分の候に思ふこと

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日々の最高気温がこのぐらいになってくると急に長袖が恋しくなったりする。
いつも思うのだけど春分に比べると、この秋分のあたりは季節が急激に移り変わるような感覚がある。つい先日まであんなにぎわっていた甘味処の軒下に吊るされた四角い旗。北斎が描いたような海に浮かぶ赤い氷の文字と、昔の鰹節に描かれていたような二羽の小鳥たち。なんとも不思議なこのサインも置き去りにされてしまった夏の道具のようで、なんとなく寂しさを感じてしまう。
僕にはこの時期なると一度はやってみたくなる子供の習癖のようなものがある。
それは薄手のセーターを素肌に着て過ごすこと。まだ皮膚はあの纏わりつく付くような暑さの記憶を鮮明に覚えているから、季節の交差点を過ぎつつあることをより感じる事が出来る区切りのような気がしている。

 

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この温度計はだいぶ昔に家具量販店で手に入れたもの。
上に浮かんだ一番下のタグに記された数字を以て気温とするという、いわばデジタルの温度計とも言えるもの。なぜこんな物が気に入ってしまったのかと言えば、自身の性格というか性質に起因しているのだろう。
僕は以前、S・E(システムエンジニア)を生業としていた時期があった。勤務先は小さなソフトウエアの開発会社だったから当然プログラマも兼任しなければならなくて、クライアントとの打ち合わせ以外はほとんどが昼夜逆転のデジタルの世界に身を置いていた。そんな生活が普通に出来るぐらいだから、基本的にそんな特質が自分あったに違いない。曖昧さというか、式(コード)で表せないものが全く存在しない、0か1のその世界はとても居心地の良いものだった。そして時間が経つにつれて僕は自分の周囲の世界をもデジタル的に見るようになって行った。けれど人の気持や心などは当然だけど式で表せるものでもないし、いつもキーボードから打ち込んでいるTRUE(0)やFALSE(1)で片づけられる訳もなく、その頃からひどく窮屈さを感じるようになっていた。そんな事に嫌気がさしてデジタルの世界に別れを告げたのだけど、その後何年か続く後遺症の中でこの温度計を見かけたのだった。
きっと温度的な偶然だったのだろうけど、それは沈む訳ではなく浮き上がるでもない、中間で止まっている実に愛嬌があり、理想的なデジタルの姿に思えたものだ。
 
僕は今でもデジタル時計から数字を読んでも、アナログ時計の針を思い浮かべるヘンな癖がある。それは現在時刻というよりも、針の大まかな角度から経過時間や残り時間をパッとイメージするのに実に都合が良い。

 

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セプテンバーソング(シナトラ・ヴァージョン)

メロディーラインが秋らしくて、ずっと昔から好きだった曲
人の人生を12ヶ月に喩えた愛の曲なのだと知ったのも
この頃の事だった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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