カテゴリー「scenery (過ぎてゆく眺め)」の69件の記事

2017年8月27日 (日)

夏の幻影 - 2017

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連休が明けて暫くする頃にラヂオから流れてきた夏予報は、例年の猛暑という言葉を上回る酷暑というランク付けのものだった。
暑さが苦手な僕はそれを聞いてまるで蜃気楼のような陽炎の中を歩いている、ふた月先の自分を一瞬想像してしまった。ところが天気というのは実に気まぐれなもの。フタを開けてみればいつもの通りに、全く違う夏の感触が待っていた。特に東日本、僕の住む東北地方は梅雨入りの知らせと共に、猛暑日が十日間程あった程度のカラ梅雨だった。早すぎる猛暑日にこの夏は、大変なことになりそうだと嘆いていた御諸兄方も多かった。そして本来の梅雨明けの頃から始まったのが、太平洋側に住む人にとっては実に悩ましい、いわゆる”やませ”という低温の海風の影響だった。その冷たく湿った空気は東北地方を南北に走る、脊梁山脈(奥羽山脈)を越えられず太平洋岸にずっと停滞するから、余計にタチが悪いらしい。そして僕の住んでいる日本海側にも少なからず影響を及ぼす。それは脊梁を超えて来た残党がもたらす涼しい東風で、真夏なのに猛暑日どころか真夏日にさえ届かせない日が続いた。
 
昨日の昼、ニュースで仙台の連続降雨の話をしていた。
未明の大雨で連続36日の降雨記録を更新したこと。これは昭和9年の大冷害の記録を抜き、東北管区気象台の歴代一位となったこと。日照時間が平年の二割弱だということなどを言っていた。それを聞いて今年は青空に白く浮かぶ入道雲も4~5回しか見ていない事を思い出した。涼しい夏と暖かな冬は街で暮らす僕らにとっては実に都合が良いことかもしれない。けれど農家、特にコメ農家にとっては出穂(しゅっすい)に関わる大切な時期を、このような低温と日照不足に曝された訳で、美味しいコメの消費者として今年の作柄が心配なところだ。

 

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そういえば、今年の夏の涼しさは仙台で過ごした”やませの夏”の記憶を再び引き上げて来た。
真夏なのに20℃に届かない日が続き、半袖のワイシャツなぞとても着ていられるものではなかった。忘れもしない7月31の夜の事。帰り道のブンチョウ(国分町)界隈を歩きながら頭に浮かんだのは湯豆腐と熱燗だったから。
   
ずっと昔のことだけど、そう僕が子供のころの梅雨といえば、しとしとと静かな雨降りが何日か続いたものだけど、近年の梅雨は雨の降り方すら変わってしまったようだ。新海監督のアニメを見てその雨の描写に、何かしら懐かしさと美しさを覚えたのはきっと僕だけではないだろう。

 

 

 

 

9月になると必ず聴きたくなるこの一曲、いままでは”優中部”で聴いているだけだった。
収録されている’78発売のアルバム”スターダスト”がソウルの大御所、ブッカー・T・ジョーンズのプロデュースにより、彼が84回目の誕生日を迎える今年世界同時発売された。もちろん、ひと月も前から予約して手に入れたのはいうまでもない。

 

September Song - Willie Nelson

 

この曲は人の一生を12ヵ月に例えたラヴソング。
明るい夏が終わる9月という変わり目に対し、人が無意識に感じる感傷を歌っているようにも思える。人生を80年と仮定すると、9月と言えばちょうど還暦の辺りにとなる。
普段は老いて益々盛んなどと壮語しているのだけど、こんな人生にもちょっぴり憧れるのは、秋というセンチメンタルな季節のせいかも知れない。

 

 

九月・・・・
解放的でめくるめく季節は過ぎ去り
これからは澄んだ空気のなかで
人にとっての想う季節の始まりだ

 自由人

 

 

 

 

 

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2017年7月15日 (土)

標高1,800mの避暑

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まだ梅雨真っ最中のはずなのに、今シーズンたぶん4度目の猛暑日の予報。
ラヂオから流れてきたその声は、休日の僕にとって高い山での涼へと誘う、女神の声のようなものだった。蔵王高原にはとてもお気に入りのロッジがある。五月と六月の境目の頃になると秋までのライブスケジュールのハガキがmamaから届く。そこには相変わらず僕が足を運ぶ事が叶わない時間帯がぎっしりと並んでいた。何時だったか、普段はとても行けない時間だからハガキはわざわざいいよと言った事があったけれど、それでも季節なるとポストにちゃんと入っている。いつしかそれが僕にとっての夏の始まりの合図であり、ライブなんていいからお昼たべにおいでよ!というサインになってしまっていた。そんな訳で毎年今頃になると、mamaの大好物である地元の温泉卵を携えたなら、蔵王温泉へのワインディングを一気に駆け上がるのが年に一度の習慣となっていた。
 
 
けれども昨年に続き今年も運に見放されてしまったようだ。
昨年はお昼は食べる事が出来たけれど運悪くmamaは留守だったし、今年はまさかの臨時休業。いつも送ってくれる手のかかった礼状には、相変わらずの元気そうなmamaのイラストが描かれてあって安心したけれど、事前に確かめる事もなく気分で出かけているのは僕の方なのだ。昔人も二度あることは三度あると言っていることだし、今年はスキーシーズンに入って忙しくなる前にもう一度訪ねてみることにしよう。

 

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夏休みにはまだ少し早くて人影もまばらな温泉街。
そこから少し離れたペンションで見つた”ランチ”の文字。ガランとした誰もいない食堂だったけれど、なんとか昼メシにありつくことが出来た。僕には変なジンクスがあって、こんな風にクルマで出かけた時の昼メシは、最初の二軒をつまらない理由でパスしてしまうと、神に見放されてしまったのかと思うほどどんどん運が悪くなっていく。僕はそのスパイラルにハマってゆく自分を、自ら昼メシ難民と呼んでいるくらいだから。
最後の砦である二軒目の見つけたが食べ時、を実感してクルマに戻る時に小洒落たブランコソファーが目に入った。木陰で乾燥した高原の風を感じながら、屋根のフリルが時折ゆれるのを暫く何気なしに眺めていた。
 
記憶というのは実に面白い。
この光景を眺めながら浮かんで来たのは、母親の実家で過ごした小学時代の四年間の記憶だった。ちょうど家の裏には大きな木があって、夏休み限定の大きなブランコベンチでいとこ達と夢中で遊んだこと。永遠に続くように思えた長い夏休み。いまよりも一日がずっとずっと長くて、いろんな遊びをはしごしながら充実した気分で眠りに就いたこと。
それらのタグは記憶の奥底から匂いさえも連れてくるもののようだ。
西日の入る寝室の日向臭さや、眠る前に皆で食べた西瓜と蚊帳の匂い、秘密基地での草いきれの匂いさえもありありと甦えらせるようだ。


高原の爽やかな空気にすっかり馴染んでしまった僕は、35℃超えの下界にはすぐには戻りたくはなくなっていた。
この温泉街の標高は確か800m程で、あと1,000mも駆け上がれば刈田岳の山頂に立てるのだ。平日という道路事情もあってタイトなワインディングロードを軽快に駆け上る。途中チラチラ目をやっていたのが外気温計で、高度が上がるにつれおもしろいように気温が下がってゆくものだ。山頂駐車場で22℃まで下がり、下界で感じたドライヤーの熱風のような風も夢の世界の出来事のような心地良さだった。
 

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帰り際に改装工事中の山頂レストハウスに寄った時、たくさん並んでいる自販機を見てあっと思った。
それはボタンの2/3がまだ赤いHOTままだったから。
ボヤいている人もいたけれど、今日はたまたま高気圧に覆われているからだという事を忘れてはならないのだ。たとえ夏山でもひとたび荒れれば気温は10℃以上も一気に下がってしまう事は珍しい事ではない事を知っている。
 
なぜならばここから西に約50km離れた、標高もほぼ同じ朝日連峰。
梅雨もカラッと明けた七月の末の事、そこを縦走中に凍死しかけたのは何を隠そうこの僕なのだから。
 
 

 

『ワインディングロード = 緩急問わずたくさんのカーブが連続する道のこと』
クルマやバイクで走るには実に楽しい道のりなのだけど、多々として人と人との心の径すじにも例えられる。緩急数多あるカーブを一つひとつこなしていくことは、どことなく人生を歩む事に似ているからなのかも知れない。

 

 

 

 

 

 

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2017年5月25日 (木)

初夏の色彩

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ゴールデンウィークも通り過ぎてしばらくすると、快適な湿度と気温を持った高気圧に長く覆われる季節がやってくる。
春の花はわりと暖色系が多いような気がするのだけど、この爽やかな空気の中で少しずつ寒色系の花が視界にはいるようになってきた。ラベンダーや紫陽花、それに菖蒲や花菖蒲はまだ咲き始めだけど、ちょうど満開の時期を迎えた花もある。それが新緑の里山でも遠目に気づくこの桐と藤の花。この地方での藤棚はうっかりしていると冬期間に雪で壊れるので、あまり見かける事は少ないという事情もある。けれども少し郊外へと足を運べば立木に巻きついて自生している藤の花をたくさん見ることができる。桐は自生しているものよりも農家の庭先植えてあるケースが多くて、どちらも僕にとっては季節が夏へと向かっていることを知らせてくれる好きな色。色の絵本にもひとえに藤色と言っても『青藤色』『薄藤色』『白藤色』などのバリエーションがある書いてあって、昔から日本女性が愛してきた伝統色なのだという事を知った。

 

上の絵は桐の木に藤蔓が巻きついているという、ありそうでなかった初めて見る組み合わせだった。
これを見ていて思ったのは桐にとってはどうにも歩が悪いだろうということだ。同じ時期に咲く藤の花はあまりにもポピュラーで、それと間違えられたり、あげくの果てに藤色などと言われたことも数多あったに違いない。それでも同時に見れば同じ色目の花でも桐と藤の違いを説明するのには好都合だ。上に向かって咲くのが桐で、下に向かって咲くが藤なのだと明確に説明できる。
この花たちをながめていて心に浮かんできたのは遠い昔の記憶だった。
それは僕がまだ紅顔の少年だった頃に、年の離れた従姉達と遊んでいた花札の事で、”こいこい”という遊びの中で出てくる役の名前だった。つい懐かしくなっていろいろと調べてみると、どうやらそれはあくまでローカルな役だったらしい。けれど子供心にも変な絵が描いてあると思っていた花札にこめられた、日本の花鳥風月を知ることができたのは実に嬉しい事だった。
   
当時は疑問すら浮かばなかった事が、どうもこの歳になるといろいろと引っかかってしまう。
それは藤が四月で桐が十二月の札だということなのだ。いろいろとリンクを回ってみると、どうやらこの国では藤よりも桐の方が遥かに格上の扱いがされてきた事を知った。桐は菊と並んで皇室の印であったり、戦国時代の天皇はその印を武将たちに下賜したりもしたらしい。その一人であった豊臣秀吉はそれを家紋にしていたり、気をつけて見てみると事実上日本政府のマークになっていて、パスポートや公式会見の演台にはちゃんと桐が入っている。十二月の札である桐は何故か三枚がカスで、最後の五光に不思議な鳥が描かれていたのはずっと記憶に残っていた。
それこそが伝説の霊鳥である鳳凰だった事を初めて知るきっかけとなった、2017-初夏の色彩だった。
 僕の仕事場の前にある河川敷にはニセアカシアの林があって、木々の間にチラホラと卯の花色の小さな房が見え始めた。
あと十日もすれば芒種をむかえる。
その頃には甘いかをりの中での散歩を愉しめるだろう。

 

 

嗚呼。
     いままでも、これからも”猪鹿蝶”と関わりのないご諸兄方、ごめんなさい。

 

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先週末から週明けにかけて各地とも五月としては記録的な暑さだったようだ。
僕の所ではまだ真夏日で済んだけれど、峠を越えた隣街では猛暑日を記録したとニュースで言っていた。そんな日が続いたかと思えば今朝の最低気温は平年並みの16℃だったりする。
まるで八百万の神様たちの中に、「来年酉年の連休明けは清々しい初夏の間に真夏を挟み込んでみるのはどうだろう」と神無月の例会で斬新なアイディアを出した若い神様がいて、うん、それもおもしろいだろうとなんとなく決議されたような具合だ。
 
近頃は「例年なみ」という言葉が通用しないほど、雨の降り方や気候が変わってきている。
昨年のような大きな気象変動が今年のリストには載っていない事を願うばかりだ。

 

 

 

 

 

 

 

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2017年2月17日 (金)

湯けむりが醸す旅情

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今までに訪れた多くの湯屋街がそうであるように、そこに集う人たちは中高年が大多数を占める。
と言った具合に、いつしか僕の中でこんな既成概念が出来ていた事にはじめて気が付いたのはこの温泉地に降り立った時だった。なんと言っても一番驚いたのは若者のカップルやグループが大勢いて、おそらく過半数は占めていると思われたこと。湯畑のすぐ傍にある土産物屋や温泉饅頭の店に若者が群がっているのを眺めていると、ここは何かのアミューズメント施設なのだろうかと錯覚しそうになるのだけど、時おり風の気まぐれで運ばれてくる湯気と硫黄の匂いがそれを打ち消してしまう。
彼らは湯畑の周りを一通り散策した後は誰が言うでもなく皆、『西の河原通り』へと吸い込まれてゆく。僕もつられてその通に入っていったのだけど、なんだかどこかで見た懐かしい通りのような気がしていた。両脇にずらっと並ぶ小洒落た店をみて思い出したのは高山市の(古い町並み)によく似ている事だった。手焼き煎餅屋の店先には”煎餅をかじりながらの散策・・・一枚からどうぞ!”などと粋な張り紙がしてあって、辛い物好きが選んだのはもちろん七味唐辛子ヴァージョンだ。
湯畑から西に歩いて10分ほど。
この『西の河原(さいのかわら)』も其処かしこからお湯が湧き出し、それが集まって湯川となり温泉街の方へと流れていた。この湯けむりで煙る河原を歩きながら思ったのはきっと日本人のDNAが人を呼ぶのではないだろうかという事だった。入浴という習慣のある民族は、きっと湯気を見ると昔なり、ふるさとなりの何らかの記憶や安堵感を呼び覚ますに違いないのだから。それが証拠にこの場所は富士山とは違い、日本語以外の会話はほとんど聞くことがなかった。
「にっぽんの温泉100選」に11年連続一位というポスターがあった。
二位と三位は湯布院と登別が交互に鬩ぎ合いをしているようだけど、この温泉街自体の取り組む姿勢が一位を継続させているように感じた。なぜならば湯畑のすぐそばに町でよく見かける数字で呼ぶコンビニやペットホテル、若人のよく集う居酒屋チェーンの店舗があった。小さな子供を連れた家族連れもたくさん見かけたけれど、これなら安心して旅行もできるだろう。

 

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話が前後してしまったけれど、湯畑の最上流部(湧き出し場所)でこんな古い木枠を見つけた。
随分と歴史のあるものだろうと解説板を探したら、柵と同じ御影石に日本語と英語で彫りこんである立派なものが柵に掲げてあることにようやく気がついた。同じ柄なので気がつくのに少し時間がかかってしまったけれど、これは御汲上げの湯枠と呼ばれるもので、歴代徳川将軍はここから汲まれた湯を樽詰めして江戸城へと運ばせていたと記されていた。この場所に来て初めて知ったのだけどここの標高1,200mほど。江戸への道のりはほとんどが下り坂だから少しは楽だったのかな、などと昔に思いを馳せながら要らぬ心配をしてしまう。この温泉を家康に紹介したのが、秀吉だとも記されていた。絵では良く分からないけれど、この木枠の中からはかつて徳川家御用達だったもの凄い量のお湯が湧き出している。きっとこれは出前温泉の元祖だったに違いない。

 

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この温泉を訪れるきっかけとなったのはいとこ会。
そんなきっかけがなければ、僕にとってはたぶん訪れることのなかった場所。”クサツヨイトコイチドハオイデ”。日本ロマンチック街道である国道292号線の道路に施されたメロディーラインがそんなタイヤとそんな旋律を奏でた事を思い出しながら確かにそうだと思った。今回は湯屋が定休日になっていて体験が叶わなかった、熱湯好きの僕にとってはたまらない時間湯。また違う季節に訪れてみたい僕のリストに入れてしまってから、あっ!と思いだしたのはあの11年連続一位というあのポスターだった。

 

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2017年1月14日 (土)

小正月といふ愉しみ

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もうかれこれ12~3年になるだろうか、毎年愛用している壁掛けカレンダーがある。
それは近所のガススタンドの人が12月のメーター検針の時にかならず置いて行ってくれるものだ。シンプルな日付だけのものだけど、その中の情報量が素晴らしくて気に入っている。大寒などの二十四節季はもちろんの事、大安などの六曜や八十八夜などの雑節、それに鏡開きなどの歳時暦などがまるで暦本のように詳細に書いてあるのだ。
大晦日の僕の恒例はすべてのカレンダーを掛け替えてたなら、その表紙を外して1月にしてしまうこと。
特にそのカレンダーでは真っ先に月15日の曜日を確認するのだけど、今年は15日の欄から小正月の文字がなぜか消えていた。成人の日を1月の第二月曜日とする改正祝日法が施行されたのは確か平成19年の事だった。そんな事を思い返しても10年も経てばカレンダーの編集する人が代替わりしてもおかしくないだろう。
1月15日=成人の日=小正月という中で長年暮らしてきた僕を含めた旧い人たちは、いまでも小正月という日が好きな人が多い。歳神様を迎えたり初詣や年始挨拶など、いろいろと気ぜわしい準備や儀式やらがある大正月よりも、より庶民的な気分で小正月という松の内最後の日を楽しめるのがその理由のようだ。
けれど昨今は豊作を願うだんご木飾りもあまり見かけなくなってしまったし、角松やしめ縄を燃やして無病息災を願うどんと焼きも、煙や場所などの問題で郊外でなければ見られなくなってしまった。

 

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ここ数年、僕の小正月の過ごし方と言えば。
しめ飾りはゴミに捨てる訳にはいかないので天気が良ければ庭でプチどんと焼きを、荒れていたなら後日神社に持っていくようにしている。食べ物にしても大正月とは違い自由なので、子供の頃から食べている大好きな郷土料理と地酒をじっくりと楽しむようにしている。
それは自分で材料を目利きして二日がかりで作るかすべ(エイ)煮と、お正月最後の日なのだと心の免罪符を以て酒屋から仕入れるちょっと高級な地元の地酒。あのゼラチン質の煮こごりと、ワインのようなフルーティーな香りを持つ日本酒とのマリアージュを愉しめば、松の内はあっという間に明けてしまうのだろう。
こんな時に思い出すのはジャネーの法則の算式。
また分母に一歳を新たに加算された数式は、これからけっこう先の長いお盆への道のりすらもあっという間にしてしまうに違いない。

 

 

 

 

 

 

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2016年9月21日 (水)

秋分の候に思ふこと

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日々の最高気温がこのぐらいになってくると急に長袖が恋しくなったりする。
いつも思うのだけど春分に比べると、この秋分のあたりは季節が急激に移り変わるような感覚がある。つい先日まであんなにぎわっていた甘味処の軒下に吊るされた四角い旗。北斎が描いたような海に浮かぶ赤い氷の文字と、昔の鰹節に描かれていたような二羽の小鳥たち。なんとも不思議なこのサインも置き去りにされてしまった夏の道具のようで、なんとなく寂しさを感じてしまう。
僕にはこの時期なると一度はやってみたくなる子供の習癖のようなものがある。
それは薄手のセーターを素肌に着て過ごすこと。まだ皮膚はあの纏わりつく付くような暑さの記憶を鮮明に覚えているから、季節の交差点を過ぎつつあることをより感じる事が出来る区切りのような気がしている。

 

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この温度計はだいぶ昔に家具量販店で手に入れたもの。
上に浮かんだ一番下のタグに記された数字を以て気温とするという、いわばデジタルの温度計とも言えるもの。なぜこんな物が気に入ってしまったのかと言えば、自身の性格というか性質に起因しているのだろう。
僕は以前、S・E(システムエンジニア)を生業としていた時期があった。勤務先は小さなソフトウエアの開発会社だったから当然プログラマも兼任しなければならなくて、クライアントとの打ち合わせ以外はほとんどが昼夜逆転のデジタルの世界に身を置いていた。そんな生活が普通に出来るぐらいだから、基本的にそんな特質が自分あったに違いない。曖昧さというか、式(コード)で表せないものが全く存在しない、0か1のその世界はとても居心地の良いものだった。そして時間が経つにつれて僕は自分の周囲の世界をもデジタル的に見るようになって行った。けれど人の気持や心などは当然だけど式で表せるものでもないし、いつもキーボードから打ち込んでいるTRUE(0)やFALSE(1)で片づけられる訳もなく、その頃からひどく窮屈さを感じるようになっていた。そんな事に嫌気がさしてデジタルの世界に別れを告げたのだけど、その後何年か続く後遺症の中でこの温度計を見かけたのだった。
きっと温度的な偶然だったのだろうけど、それは沈む訳ではなく浮き上がるでもない、中間で止まっている実に愛嬌があり、理想的なデジタルの姿に思えたものだ。
 
僕は今でもデジタル時計から数字を読んでも、アナログ時計の針を思い浮かべるヘンな癖がある。それは現在時刻というよりも、針の大まかな角度から経過時間や残り時間をパッとイメージするのに実に都合が良い。

 

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セプテンバーソング(シナトラ・ヴァージョン)

メロディーラインが秋らしくて、ずっと昔から好きだった曲
人の人生を12ヶ月に喩えた愛の曲なのだと知ったのも
この頃の事だった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2016年2月26日 (金)

絹更月の記憶

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一年中で一番寒い今月も来週初めで終わりを迎える。
この街は累計積雪量が10メートルを超えるような豪雪地帯。けれども最低気温と言えば氷点下の一桁台前半に留まる程度で、きっと東北でも平均と言えるレベルなのだろう。そんな冬景色の中で1シーズンに一度か二度、しかも何の前ぶれもなくいきなり気温が氷点下20℃近くまで下がる朝がある。理由は大雪を降らせる寒気団とは無関係のようなので、きっと盆地という地形と放射冷却がもたらすもの。

そんな朝はきまって無風でぬけるような青空が広がっている。
顔を出したばかりの斜めの陽射しは、粉雪よりもさらに細かいダイヤモンドダストをキラキラと映し出す。細雪などは”降る”と表現しても違和感はないけれど、これはまさに空気中を舞う(漂う)美しい氷のダスト。太陽の方向に向かなければ見る事は出来ないから、朝の寝ぼけた体には体内時計をリセットする意味できっと良い事なのだ。

 

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この地方の方言で寒いことを”かんじる”という。
いまの季節は夕方になると急に冷え込んでくるから、その頃の挨拶言葉は”かんじてきたなぁ~”になるし、冷え込みの厳しい朝は”今朝はかんじたなぁ~”といった具合。僕は常々どんな字を書くのだろうと疑問に思っていた。普段の会話で使っている年配の人に、どんな字を宛てるのかと訊いてはみるけども誰も知らない。僕なりに推測して、(寒さを)”感じる”のかと思えばこれは違う。なぜならば夏の暑さに対しては使う言葉ではない。結局は辞書にも載っていないから勝手に当て字ではめ込めばこんな具合だろうか。

僕が北の街で郷土料理の朝飯を食べていたのは、まだ今月の初めの事。
出発まぎわに何気なく見たクルマの外気温計は、確か氷点下5℃を表示していた。そこから遙か南のこの街が氷点下19℃という、ひどく寒じた朝だった事を知ったのはその夜の事だった。予報では来週3月に入れば気温はぐんと上がり、春めいた陽気になると言っていた。どうやら今年はこの空気と光の粒に触れることなく、冬に別れを告げることになりそうだ。

 

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とても寒じた朝はこの盆地に溜まった冷気の中で、木々や街灯に付いた霧氷は昼頃までは融ける事はない。

<6/6>

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2016年1月29日 (金)

バカンスと現実逃避

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○ ○ 群 ○ 太  そ で 昔
○ ○ 青 ○ 陽  こ も は
○ ○ か ○ が  に あ 夜
 蒼 ら ○ 地  は る と
○ は  ○ 平  特 と 朝
 少 す ○ 線  別 き は
 し 墨 ○ か  な 気 つ
 ず へ  ら  隙 が な
夜 つ   顔  間 付 が
の 表 ○  を  が い っ
な 情 ○ 世 出  あ た て
ご を ○ 界 す  る  い
り 変 ○ は 直  ○ ○ る
を え ○ 蒼 前  ○ ○ と
消 な ○  ○  ○ ○ 思
し が ○  ○  ○ ○ っ
て ら ○  ○  ○ ○ て
 ○ ○  ○  ○ ○ い
 ○ ○ ○ ○  ○ ○ た

 

 

ラヂオで最近バカンスと現実逃避について書かれた本の事を知った。
著者は医師の家に生まれ、ストレス管理の第一人者という人だけあり、もちろん前向な且つポジティブ現実逃避の事だ。フランスのように、きっと習慣化しているに違いない長期に渡る特別なバカンスを取るのは、僕にとっては現実的に無理な訳でそれは期間ではなくて中身だろうと、周囲には犬の遠吠えのような負け惜しみを言っている。
自分なりに愉悦に浸る事が出来た休日効果は、舞い戻った現実社会の中でそう長く維持できるものではないことを僕自身で知っている。
本に書かれている現実逃避という意図は、休日以外のどこにもでかけられない残りの現実の中での、ほんの短時間の日常的なバカンスのススメだった。
PCの電源をオフにして、地図や通販のカタログをながめたり、日の出を見たり、木や雲や空と話をしたり、人間観察をしたり、遠回りをして帰るなどと言っていた。その話を聞いていて思ったのが、まるで僕の事を言われているような気分だったこと。
忙しい人に贈る、お金や時間をかけずにたっぷり楽しめるインスタントバカンスとも言っていた。僕はそんなに忙しい生活ではないけれど、なんにもしない『心バカンス』、自分にご褒美『美バカンス』、すきま時間に『オフィスバカンス』、ちょこっとお出かけ『自然バカンス』、お手軽だけど『ロマンティックバカンス』、ちょっと知的に『アートバカンス』などのカテゴリがあるらしい。
さぁ~てと、次はどのインスタントバカンスに出掛けようかと想いを馳せる楽しい時間だった。

 

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僕の住んでいるこの街は海から遠く離れた内陸盆地、それも広さが狭まった南端に位置している。
ここには主だった最上川の源流が四本も流れているから、無風という気象条件と暮秋の晴れた夜に特有の急激な温度勾配でこんな海が出来てしまう。これは稀な事ではなく、十月~降雪まで最低数回は愉しめる。目が覚めた時に窓の外が一面の濃い霧に覆われていると、子供のようにワクワクしてしまうのは虹の下は土砂降りだけど、この水面の上には素晴らしい青空が広がっている事を知っているから。
それにその場所までのアクセスが近いのも実に嬉しいことだ。
ライトのビームラインがはっきりと判る程に幻想的な水中の街から、水面まではわずか15分ほど。途中で何軒かある24時間営業の店で、暖かい飲み物を仕入れて来ても20分でお釣りがくる。そして暫し僕はここでのバカンスを愉しんだなら、太陽と青空に午前10時すぎの再会を約束し、そろそろ通勤のラッシュがはじまる海の底へと帰ってゆく。
  

雪に覆われるとようやく思いだすのが夏の暑さ。
昨年夏ごろの休日には夕焼けを意識的に眺めていた。ものすごく暑い日などは夕焼けも鉱物的に燃えるようで美しいかったのを覚えている。太陽がキラリという一瞬の短い瞬きを残して完全に姿を隠すとやにわに凌ぎやすくなってゆくという、この差が不思議な安らぎに連れて行ってくれるような気がしていた。ちゃんと飲み物も用意して、高い所から帰宅ラッシュで混み始めた道路と刻々と変わる空の様子を眺めたのは、まさに夏のバカンスだった。
    
僕はときどき色々な場所で、バーチャルな妄想というバカンスを楽しむという変な癖を持っている。
他にもそんな人がいるらしく、誰にも迷惑をかけずちゃんと現実世界に戻ってこれるなら大いにアリだとフォローしてくれていた。それを聞いて思ったのが、できるだけ遠くに行ってちゃんと戻ってくる。このストロークというか距離感を残りの人生の中でうんと長くしていって、ちゃんと戻ってきてやろうという企て。
バーチャルではなくて、『ここではない、どこかへ』実際に行くというのも、きっと僕にとっては立派な現実逃避なのだと今更ながら気がついた。

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2015年6月22日 (月)

まるで 昨日のことのやうに (Ⅵ) 

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Hakushuu-Kitahara

 

暖かな部屋で窓の外の雪を眺め、このみずうみに恋焦がれてから随分と時が過ぎてしまっていた。

湖面の標高が500m程である水辺を彷徨いながら感じたものは、まだ冬のなごりが色濃い冷たい湖水と、その上を吹き抜けてくるもう春を通り越したような初夏の風だった。標高の高い場所にくるといつも感じるのは季節の濃密さ。冬という凍てついた長い眠りの季節から解放されている時間が短い分、草花も生き物もうかうかしてはいられないと一斉に春と夏を同時に謳歌するのかも知れない。こんな場所での春から夏への移ろひは、平地の月という時間ではなくて、週といふ単位で過ぎてゆく。

水辺に別れを告げたならすぐ近くのからまつ林を訪ねてみる。
ここも僕の好きな場所の一つでこのからまつを別名、落葉松という事を知人に教わったのはつい数年前の事だった。この松は周囲の木同様に秋になるとちゃんと黄金色に紅葉して葉っぱが全部落ちてしまうのだけど、一昨年は実にラッキーなタイミングでその光景をこうして眺める事が出来た事を想い出した。
あの時この場所に足を踏み入れたら僕を待っていたのは小雨のように舞い降りる細長い葉っぱ達。まるで別世界のような物音ひとつしない静寂のなかで、サラサラと心地の良いその落葉の音に聞き入っていた。

 

 

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このやわらかなシェード・オーニング越しの初夏の日差しの中で、ゆったりと流れていたのはダニエル・コランのアコーディオンとクレール・エルジエールの曲。

 



Daniel Colin, Dominique Cravic and Claire Elziere        'Rendez-vous au loin du reve '

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2015年3月18日 (水)

移動手段と荷物のこと

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萩原 浩
 

このところ普段の移動は時間と目的地(経由地)の自由度からクルマで出掛ける事がほとんどとなっていた。
今回もそのつもりだったのだけど一本の電話から急きょ移動手段を新幹線に変更することになってしまった。ローカルな電車なら
年に2~3回隣町に呑みに行く交通手段として利用するのだけど新幹線に乗るのはおそらく数年振りだろう。これが乗ってみると外観はもちろんの事インテリアも相当の改良が加えられ、実に快適な移動空間となっていてビックリしてしまった。

今回は次男と二人の移動だったのだけど、昔はなかった窓下のコンセントからiPhoneとiPadに電源が供給できるので、彼はイヤホンをしたまま完全に自分の世界へと入っていた。僕はといえばいつものクルマとはまるで勝手の違う、この完全なる automatic な移動空間の中で行きつく事はただ一つ。時速300キロの中で流れる街の灯りを眺めながらチビチビと呑ることだけで。そんな手持ち無沙汰(活字が恋しい)な時に目に入ってきたのが荻原氏のエッセイだった。
  

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冒頭のものがそのタイトルでこれだけを見ると随分とシリアスなエッセイかと思いきや。

「旅の荷物は少ない方が恰好いい。
旅慣れている感じがする。
人生の上級者とも言うべき余裕がうかがえる。
対して荷物の多い人は世間なれておらずにどんくさく、バッグの大きさとは裏腹の小者感がいがめない・・・
と考えてしまうのはいつも旅の荷物が多い僕のひがみでしょうか」    と。

こんな件から始まる氏のエッセイは仕事がらみの旅行で関係者の人たちと出かける時、に網棚に載せたバックの大きさの違いに驚く事があるのだと書いていた。「なぜ僕は荷物が多いのだろう」との自問から始まり、荷物の多さを挙げる理由がまた多岐にわたっていて、
嗚呼・・・それってあるあると共感し、ニヤリとさせられそして納得させられた。
そうなのだ、あくまでも荷物とは自分で担いでゆくもので、人にもってもらうものではないのだから自分でその大きさなり、重さなりを納得できればそれで良いのだ。

 

そして氏は最後にエッセイをこんな文章で結んでいた。
「まっいいじゃないですか、小者で結構。
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し、ちゅうてな。関係ないか。というわけで重い荷物を抱えて、今日も旅に出るのだ。」

タイトルからして少し身構えて読み始めたこのエッセイ。こんな粋な終わり方をしていてなんとなくホッとさせられたし、サブタイトルである
「いまどこを走っている?」の意味や、氏のユーモアとセンスが詰まった読み応えのあるものだった。

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いままではクルマの移動が殆どだったので、荷物は詰め放題だったというか自分の生活をそのまま移動させる感覚だった。
極論を言えばトランク一つが全部旅行バックとなる。それも自分ではとうてい担げない重さだし、クルマは疲れたとか重いの文句は言わないから今回のような事は考えもしたことはなかった。今回のたった一泊二日の移動でも荷物が重いと感じたのは事実な訳で、なぜそうなるかは「一泊でも三泊でも同じバック。たくさん入るからつい入れてしまう。」という文章に集約されている気がする。そういえば今回スキマ時間で寄ったいろんな施設でも、なにかにつけてコインロッカーを探していた気がするのはそんな事だったのだ。

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