カテゴリー「好きなこと・好きなもの」の54件の記事

2017年6月14日 (水)

朝を愉しむ時節 (早起きのススメ)

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真北に開いた窓から朝日と夕日が室内に差し込んでくる。
これは夏至の日を挟んだわずかひと月ほどの間にだけのシュールな光景で、一番長くて清々しい朝を愉しめる季節がやってきた事を教えてくれる。僕の住む東(北)日本では晴れてさえいれば午前三時を廻ると空が白み始め、それから一時間もすると新しい太陽が姿を見せる。僕は仕事の都合で七時半頃までに戻ってくれば十分に間に合うので、四時に出掛けたとしてもたっぷりと三時間半、ほぼ半日に匹敵する自由時間が手に入るという具合だ。
この時間は天気が良ければほとんど近郊に出かけている事が多く、単なる朝の散歩と同じで歩くかクルマかの違いでしかない。
理由はいつもの見慣れた風景が時間と光の具合で、ハッとするような表情を一瞬だけ見せてくれる事に気がついていたから。
この光景はあの湿度や気温の気象条件と時間的なタイミングでしか出会えなかったような気がする。小鳥の声しか聞こえない静寂の中で山神の社の隅に腰をおろし、農家を営む人生の大先輩からむかし聴いた話を思い出していた。それは春になると山の神が田んぼに降りてきて田の神となり、稲刈りが終わると山に帰って山の神に戻るのだという、この地方に昔から伝わるなんとも不思議な話の事だった。
先週の金曜日は上半期最後の満月の日。
けれど天気にも予報と同様にイロイロと事情があるらしく見る事は叶わなかった。けれど翌日の土曜日には、昨日よりも一時間ほど遅れて顔を出した十六夜の月が雲間に浮かんでいた。翌朝の日の出前、天気を確かめたくて窓を開けると、明るくなってきた西の空低くで昨夜の月が少し控え目に輝いている。
初めて目の当たりにする天頂を隔てて対峙する月と太陽。
空が明るくなるにつれて本来の色を失いながら、青空の色に溶け込んでゆく十六夜の月。ぐんぐん輝きを増す太陽の光の中で、白緑色の地平線へと沈みながらフェイドアウトしてゆく様は、本当に息を呑むほどに美しく、それはほんの短い時間の出来事だった。

 

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十五年ほど昔の僕はサラリーマンという職業で、朝早くに起きるという事を最も苦手とする完全夜型の人間だった。その頃は一日の疲労感をため込みながらテレビや電話に邪魔されつつ仕事や趣味、また夜遊びにと入れ込んでいた。それがある日を以て自分の行動計画から、出勤~帰宅というルーチンが消えた頃だった。新聞で偶然目にしたなにかのコラム記事。そこには朝の一時間は夜の二時間に匹敵するいうような事が書いてあった。最初はもちろん眠かったけれど、十分に睡眠をとった朝という時間の質の高さに気がついた。更にそれがいつのまにか習慣になってしまうと、今度は夜に何かをしようという気が起きなくなってしまったのも事実なのだ。
もちろん僕の場合は朝に得るこの時間を仕事に充てるほど忙しい人間ではない。もっぱらそれは趣味やWebのメールやニュースのチェックなどの雑用に充てる時間になってしまっているだけなのだけど。

 

 


  
 
六月から七月へと移りゆく陽ざしと風
 
夏至と冬至はこの半年を振り返る光のハーフタイム
 
 
梅雨に似合うバート・バカラックを聴きながら
自由人          .           

 

 

 

 

 

 

 

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2017年3月23日 (木)

月・(祝) といふ 春の好日

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ここ数日程、雪深いこの東北の街でも急速に春の兆しがはっきりと感じられるようになってきた。
とは言っても周囲には雪が多く残りまだ桜や梅の芽は小さくて固いまま。そんな中でいちばん顕著に春を感じるのは風の肌触りと、グングン力強さを増してきた陽ざしなのかもしれない。このログをのぞいてくれているほとんどの人が知っているように、休日は仕事の都合で月曜日になっている。そんな理由から美術館という場所はなかなか足を向ける機会がない場所のひとつだった。けれどもhappy-Mondayや振替休日の施行で、今ではさまざまな選択肢があるのは実にありがたいこと。このルノワール展も期間中はこの春分の日が唯一の月曜祝日になっていて、遠くが少し霞む春らしい好天の中をモノクロームの世界からもう一つの色彩の世界に向かった。

 

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ほとんどのご諸兄がルノワールといえば、このバレリーナを思い浮かべる代表作なのだろう。
日本では過去に一度、東京と京都で展示されただけで、もちろん東北では初公開となる作品。それは四章に分かれた全54展の作品の中で後半の2/3程の所に展示されていたのだけど、その素晴らしさが頭から離れずに三度も舞い戻って見入ってしまった。
音声ガイドで何度も言っていた彼の作風全般に言えるキーワードは、『美しい色彩』『輝く光』そして『画面の隅々にまで満ち溢れた幸福感』。
モノクロームの世界からのエトラゼにはまさに春いろ絵画展だったことは言うまでもない。
   
この場所に来て初めて知ったこと。
それは新しい光や空気感を生みだすために屋外で制作されたこと。それにもう数年前になるだろうか、ここで見たモネとは画塾で知り合い生涯の友であったこと。モネとルノワール、描く対象が自然や静物と人物(女性)という違いでお互いに影響を受けたことは間違いないのだろう。
     
彼は少女と女性を最も多く題材として選んだのだと解説にあった。
そう言われれば彼の描いた女性は常に幸福に満ちた姿で表現されていて、悲しんだり絶望したりする女性の姿ではない。そのスタンスは『女性を描くことは内奥の秘密を暴くことではなく、人間が最も美しく見える部分をより美しく描くことである』という彼の姿勢に根差したものだったに違いない。

 

 

”月の光”  ドビュッシー
   
春の宵 朧月を眺めながら

 

 

 

 

 

 

 

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2016年11月18日 (金)

676海里の非日常 (5/5) 旅先の感傷

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日本海と太平洋を合わせて676海里(1,240km)の船旅も、苫小牧港を定刻19:00出港で後半が始まった。
すぐ近くが新千歳空港だからひっきりなしに頭上を飛び交う航空機を眺めながら、この北の大地での旅程を思い出していた。ここから90kmほど北にある日本海に面した小樽港に降り立ったのはわずか60時間前なのだ。そんな事を思い返していると港の明かりがゆっくりと動きだす。目の前の漆黒の闇が少しずつ広さを増して、ついさっきまで自分が居た街や港の灯りを、どこか遠くの島のような眺めのようにゆっくりと変わってゆく。
他の交通機関と違って遮るものが何もないから、どんどん小さくなって、それこそ見えなくなるまでが別れの時間なのだろう。
そんな時にふと昔の歌詞が浮かんだ。
『あなたが船を選んだのは私への思いやりだったのでしょうか 別れのテープは切れるものだとなぜ気付かなかったのでしょうか・・・』
船尾にはだいぶ小さくなった灯りをずっと眺めている人が数人程いたけれど、それぞれにドラマがあるのだろうか。
『まるで昨日と同じ海に波を残して、あなたを乗せた船が小さくなってゆく』・・・か。
この大地との別れにせよ、人との別れにせよ、船という乗り物はけして早すぎない、ちょうど良い速さで距離を空けていってくれる乗り物なのかも知れない。
やれやれ、初めて体験した夜の船出というものは旅の情緒と重なり、僕を少しだけ感傷的な気分にしてしまったようだ。

 

少し寒くなってきたのでロビーに戻って明日の天気を確かめる。
晴天が約束された今夜の航海は、翌朝午前三時に鳴り出したモーニングコールと、星座も良く分らないほどの満天の星空から第二部がスタートした。

 

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2016年11月11日 (金)

676海里の非日常 (4/5) 南の港街へ

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一般国道237号線。
この道は旭川から富良野を経て遥か襟裳岬近くまで通ずるルート。中でも旭川から美瑛を経て富良野までの区間は東に大雪山系の山々を望みながら、両側には広々とした丘陵地帯が続く。そんな中で時々道端に現れるのは、Webなり雑誌なりで見かけた有名な景勝地の案内看板だった。でも今まで何度もその場所の構図の見事な写真や絵なりを今まで何度も見ていたから、僕はもはや自分の記憶に刷り込まれているであろう同じ場所をめざす事はしなかった。そして好奇心が選んだのは旅先での普段の朝のように、何かがひっかかる知らない路へ分け入る事だった。

 

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この日の天候は今回の道中で唯一の雨降りの日だった。
かと思えば突然の陽射が差し込みエンジェルラダーや虹が見えたり、突風が吹いたりとめまぐるしく変わる空模様。こんな天気だから農作業の人が通る事も、まして観光客などいるはずもないごく普通の農道の先に広がる北の大地。風や雨の音を聴きながら眺めたその風景は、まさに横たわったヴィーナスの裸体のような嫋やかな曲線を持つものだった。

 

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途中の道すがら見かけた一両で走っている電車。
地図を見てみると富良野線と書かれてあり、それは今朝ほど旭川駅で見かけた一両と二両編成の電車に違いなかった。折角だから何か駅を見てみたいと思い、地図で探すと走ってみたい丘の路のすぐそばに素敵な名前の駅を見つけた。それは美瑛町だけど上富良野の境界付近の場所にある、美馬牛駅(びばうしえき)というものだった。いかにもこの土地らしいそのネーミング。雨の降る暗い通りを曲がるとその突き当りには、”あら、まぁ!”と呟くくらいにカラフルなペイントを施された、ちっちゃな駅舎があった。
ここから丘の路までは500m足らず。
そこに滞在したのは30分ほど。その間だけ日差しが出てくれたのは、あのカラフル屋根を見たご利益だと今でも思っている。

 

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丘の路に別れを告げて再び237号線で南下を続けると、見えてきたのが占冠村(しむかっぷ)という案内板だった。
まるでアイヌ語のようなその不思議な響きはもう道東に近い事を感じさせる。いつかWebで見た某有名リゾート会社の雲海テラスで村の名称は知っていたけれど、自分がその場所を通過することは全く気がつかなかった。思えば遠くに来たものだと独り言が出て思わず苦笑いしてしまった。ここからは道東自動車道で苫小牧港へと向かうルート。今宵の宿はきっと今頃大急ぎで出港の準備をしている太平洋フェリー。チェックインのリミットが17:00と少し慌ただしくて、この北の大地との別れに浸る暇がなかったのだけ少し残念だった。

 

 

 

 

 

 

 

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2016年10月31日 (月)

676海里の非日常 (3/5) 旅の好奇心といふ事

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公共交通機関と違ってクルマという移動手段は、時間的にせよ途中の道草にせよ実に自由度が高いものだと思っている。
僕の場合は到着地点をザックリと頭の中にイメージしたのなら、どのルートを通るかはその日の天候や気分、それに直前に見聞きした事に大きく左右される。それに興味と時間があれば鍋づるのような遠回りもいとわない好奇心探求タイプなのだ。
チェックアウトの後は坂のある港街と暫らく戯れた後、好奇心レーダーの感度を最大にしてその日の宿がある旭川方面へと向かった。河口近くの石狩川と会う為に札幌市街地を抜けた頃に、この石狩平野にはそぐわないような山が視界に入ってきた。どこか人口的なかをりのするその山容は、むかし見た宮崎アニメの1シーンのような、もっと言えば幼少期に遊んだ砂場の陽だまりのような、何となく懐かしい感覚を胸の中に湧き上がらせた。
 
程なく見つけた案内標識から中に入ってみると、そこは人口の林と広大な芝地でキチンと整備された公園だった。
人工的なモニュメントはあまりなくて、なだらかな丘やサッカーコートのような四角い芝広場や、林の際と芝生の境が織りなす美しい曲線が織りなす先には、また別の山があったりして何もないけれど飽きない場所。 遠くに見える光るパイプのようなものはなんだろう?と思って芝生の上を歩き出し、気が付けば3~400m程も平気で歩いていて、僕にとっては広さという感覚を贅沢に楽しむ公園だった。

 

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クルマで移動する者にとっても駅という施設は、とかくその土地のランドマーク的な存在なのかも知れない。
僕も旭川に入って一番最初に目指したのは駅で、それは偶然に駅の真ん前のホテルを予約していたからだった。僕はこの駅舎を遠目に見て、あっ!と思った。なぜならばその趣きはどう見ても新幹線仕様だったから。この春開業した新函館駅から400km以上も離れているこの都市に何故?という疑問が湧いた。それが大雪地ビールを飲みながらエゾ鹿ジンギスカンを食べているうちに、駅構内へ入って確かめたいという好奇心に変わっていった。

 

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僕の定番である朝メシ前に出かける散歩は、駅で入場券を購入する事から始まった。
この寒さの厳しい土地柄だろうか、木をふんだんに使った内装は温かみをかんじさせる素晴らしいものだ。改札を入ってエスカレーター手前の壁面に近づくと、何やらルーバードアのように板がはめ込んであり、おびただしい人の名前が彫ってある。僕はこれは一体何なのかを知りたくなり、改札にもどって窓口の年配の駅員に尋ねると、この駅を作るために寄付をしてくれた人たちの名前なのだと教えてくれた。それも一万人分もあるという。

この名簿の中には仕事などの事情で、もうこの土地を離れてしまった人も大勢いることだろう。
そんな人達や市民が故郷の発展を願い、街の顔である駅の建設のためにお金を出す。なんと素晴らしい郷土愛なのだろうか。そんな話を聞いたら僕はなんだかこの街に親近感を覚えたし、住んでいる人たちも好きになってしまった。

 

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僕が確かめたかったのはもちろん線路の幅だった。
新幹線と在来線ではそれが40㎝程違うことを知っていたから、エスカレータを駆け上がるとすぐにホームの下をのぞき込んでホッとした。何故ならば現在のレールの外側に新幹線用のレールを固定するためのボルトがちゃんと埋め込まれていたから。これならば新幹線の乗り入れ工事のレールの敷替えも簡単な事だろう。

 

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改札口を出ようとすると、先ほどの年配の駅員のが居たので少し詳しくこの駅について訊いてみた。
彼はこの駅が函館本線の終点であり、ここから最北端の稚内と南の富良野市を結ぶ路線の起点でもあることを教えてくれた。鉄道にまったく疎い僕でもこれを聞いてようやく納得した。200m近いホームに一両とか二両編成のローカル線が止まっていることも、この駅にとってはごく普通の日常風景でだったのだ。この駅まで新幹線が乗り入れると北や南からやってきた人々が札幌とか、もっと遠い本州へのアクセスがすごく楽になることだろう。
僕の街は福島駅から続く山形新幹線の一番最初の駅がある街。
そしてその利便性と恩恵は計り知れないものがある事は、誰もが認めるところだろう。そんな事情も知っているから、僕もこの街の人たちと同じく一日も早くレールの敷替え工事が行われる日が来ることを願って止まないのだった。

 

 

 

 

 

 

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2016年10月27日 (木)

676海里の非日常 (2/5) 坂のある港町へ

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山を控えた港町の多くがそうであるように、この街にも地元の生活にとけ込んだ坂道があった。
ようやくその事に気がついたのは翌日の朝の事。何故ならば早朝のまだ薄暗い時に一旦この街を後にして、夕方戻って来た時もすで暗くなっていたからだ。小樽埠頭で動きだしたのは午前四時半過ぎ。真夏ならばすでに太陽も出ていて、すぐさま行動開始といけるのだけど夏至を過ぎて三か月半もすれば、辺りはまだ真っ暗なままだ。ましてや知らない街では夜目が利くはずもなく、空が少し白んで来るというスタートのきっかけを慣れたコンビニの、慣れたコーヒーを飲みながら誰もいない駐車場の隅っこで待っていた。
その後はそのまま太平洋をめざして南下を続け、会いたかった湖と山を掠め、最後に辿りついたのがこの余市という町だった。

平日の午後という時間にも拘らず大型観光バスが並び、観光客でごったがえする様は宮城にあるもう一つの蒸留所とは随分と様子が違っていた。
それまではウヰスキー党の聖地でしかなかったと思われるこの蒸留所も、二年程前に放送されたドラマをきっかけに一大観光地となったことは、この町にとっても実に嬉しいことだろう。
僕が日本のウヰスキー蒸留所を訪ねるのはここで三か所目となる。
まずは御殿場蒸留所に、僕のほぼ地元と言える宮城峡蒸留所、そしてこの余市蒸留所だ。前出の二つはいずれも豊かな深い森の中にあったのだけど、この蒸留所は余市川沿いの込み合う市街地の中に入り口があった。歴史の古さから考えれば、きっと創業当時はうっそうとした森の中だったに違いない。ウヰスキーの作り方はそれほど大きく変わらないからそれは置いといて、僕がこの場所へ来た大きな理由とは創業者の人となりを確かめたかったからだ。やはりここを訪れて初めて知った事がたくさんあって、リタ・ハウスを初め幾つかの建物が国の登録有形文化財に指定された事は、ウヰスキー党の僕ならずともこの町の人々にとっても実に喜ばしい事だっただろう。
そんな事を思いながらポットスチルの下で赤く燃える石炭の火を眺めながら、ゆっくりと過ごした午後の時間だった。

 

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今朝ほど、この街を出発する前に歩いてみたまだ薄暗い運河。
道路を挟んだ街の灯りにボンヤリと照らされた倉庫群と運河の水面。人影どころか動くものすらないモノクロの世界は、現代というタイムラインからフェイドアウトされて、そこだけ明治の時代に戻ってしまったかのような景色だった。
その夜、晩メシを食べながらそんな事を思い返していた僕は、店が呼んでくれたタクシーにホテルではなく、この場所へ再び連れて行ってくれるように頼んだ。

 

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この街には名前のついた坂がたくさんあって、それそれの生活に密着しているのが窺える。
見晴らし坂とか、十間坂とか、職人坂とかいろいろあるけれど一番頷けたのは励ましの坂だった。その最大勾配はなんと24%もあり、その急峻さはクルマ2台分の約10mで実に2.4mも登る計算となる。その200m程も続く坂道を昔の人たちはきっと励まし合いならが登っていたことだろう。

冒頭の坂の絵もどこかで見たような、なぜか懐かしいような感じを受けたのは、テレビドラマや映画のロケ地になった事があるからなのかも知れない。

 

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僕は今時の電話は持っていない。
だからWebで細かく調べながら旅をすると言う事が出来ず、出発まえにザックリと外せない場所や店だけは見ておいて、あとは現地で地元の人に訊くという事が多い。これは僕のスタイルというか性格と言った方が正確かも知れない。この街にこんなステキ坂がある事を教えてくれたのは、Webで検索した観光ガイドなどではなくて、坂下にある宿のフロント係のご婦人だった。

 

 

 

 

 

 

 

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2016年10月20日 (木)

676海里の非日常 (1/5) 海風の記憶

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ことし海の日の辺りから心に沸々と湧いていた海への憧憬は、こんな形で実現することが叶った。
船路という移動手段を初めて体験したのは昨年、偶然に乗船することが出来た駿河湾フェリーでの事。洋上から富士山や陸地に沈む夕日を目にして以来、その光景は僕の心の何処かに、船底のフジツボのように付いてしまっていた気がする。駿河湾では僅か1時間程の船旅で周囲にずっと陸地も見えていたけれど、内陸に暮らす僕にとってこの360度海に囲まれるこの感覚は三年ぶりとはいえ実に新鮮なものだった。暫しの間だけど両手足をクルマの運転という作業から解放し、港に着けばまるで自宅の車庫から出かけるように船倉を抜け出し、再び陸路の旅を続ける感覚も気に入ってしまった。
そんな事を思い返してみると今回北の大地を選んだのは、それぞれのフェリー航路の北終点の地だったからなのかも知れない。
陸路でも常々往復おなじ道を通る事を好まない僕の性格。運が良ければ日本海と太平洋ルートの運行時間から、日本海では日の入りを太平洋では満天の星空と日の出を水平線と共に堪能できるという皮算用を踏んでいた。

 

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自宅から新潟港までは2時間と少しの陸路。
乗船手続きを済ませて気がついたのは、船倉の指定位置にクルマを停めてドアをロックすれば、本日の能動的業務はすべて終了という事だ。トリップメーター見ればまだ130キロ程、時計を見ればまだ午前10時。これまで体験したことのないこのシュチュエーションへの期待感が半分と、なんだか物足りない気持ち半分を抱えてフロントへのエレベータのボタンを押した。
当たり前の事だけど船とは一旦出航してしまえば、全長200mもある大きな閉塞された空間となってしまう。それはレストランやグリル、大浴場やショップや映画館などのアミューズメント施設など生活に必要なすべての備えた小さな町のようなもの。もともと知らない街の裏路地を歩きまわるのが好きな僕はくまなくパブリックスペースを歩き回り、お気に入りの眺めや場所を次々とストックしていった。
部屋に戻るとテラスに椅子を持ち出して海風を浴びると、小樽までの692㎞・18時間の船旅が始まった事を実感した。
こんなに長い時間ステアリングを握らないなら、きっと相棒が必要になるに違いないとバックに忍ばせてきたのが、明日訪れるであろう蒸留所のシングルモルト。それも今ではもう手に入らない旧ヴァージョン。テレビの影響は恐ろしいもので、一つのドラマがこのウヰスキーの品切れとWeb上では4~5倍の価格で取引される狂った事態を生み出した。それから二年程で発売された新ヴァージョンは価格も以前の倍以上だったけど僕同様、期待に満ちて試したのだけど、落胆されたご諸兄方も少なくはないと思う。他の酒類とは違いウヰスキーは五年とか六年で出来るものではないのだから、十年単位で待たねばならないだろう。
そういえば昼酒はなぜ美味しいのだろう、こんな対談をラヂオで聴いたのを思い出した。
出演していた人がおしなべて言っていたのは、”えっ、こんな時間からいいの?”という日常の行動パターンから生じる背徳感が美味しさを増幅させるらしい。僕の場合これに水平線と時おり聞こえるフェリーがかき分ける波の音、全身に感じる海風が加わり至福の時間だったことは言うまでもない。

 

ゆったりと流れる船上の時間。
海域や陽射しの加減だろうか、海というものも随分と頻繁に色の表情を変える事を初めて知った。気が向けば船内の散策に出かけ、船尾から水平線にまで伸びる航跡をボンヤリと眺める。デッキでは追い風でもないかぎり船の速度と同じ風が常に吹いているから、少し冷えてきたかと思えばカフェに行って軽食とビールを仕入れて、プロムナードから午後の光る海を眺めるというそれはそれは気ままな船旅なのだ。それでも日没1時間前ぐらいから急に雲が広がって、水平線に沈む太陽を見る事は叶わなかぅったけれど、波も静かで夕方まで好天に恵まれた事は幸運だった。

 

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午後七時近くだっただろうか。
船内アナウンスがあって30分程すると左舷側を新潟港に向かう船が通りすぎると言っていた。間際に船長からのアナウンスがあって、皆こぞって左舷デッキに繰り出すと漆黒の闇の中、11時の方向に船灯りが見える。星の灯りすら見えず空と海の区別もつかない真っ暗な中で船がどんどん近づいてくると、その船だけが不規則に揺れているような、眩暈ともつかないような奇妙な錯覚にとらわれる。じっと見つめているとその船の存在自体がこの世界のものではないような気さえしてくるのだ。
すれ違い間際にお互い挨拶のように鳴らした長い汽笛だけが唯一、現実世界の出来事のように思えた。

 

 

 

 

 

 

 

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2016年7月31日 (日)

讃酒歌

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さんしゅか。これは昨年読んだ阿川氏のエッセイの項目で、あまりにも面白かったのでそのまま借用してしまった。
alcoholというものは普通のヒトが生きてゆくのに必要不可欠なものではないので、嗜好品という範疇に分類されるものだろう。通常の必須栄養素とは46種類だと言われているけれど、僕の場合それにもうひとつ付加されて47種類という事になるようだ。

間もなく午後五時を迎える頃合・・・
自分の一生を一日の時間に換算してしまえば、今頃はきっとこんな時間帯なのだろう。これだけ酒との時間を過ごしてみて最近思うのは、以前のような量が呑めなくなってきた事だ。とりわけ若い頃などはアルコールが入っていれば酒類は問わずで、量を競い合うように味も気にしないで呑んでいた。というよりも大脳皮質がアルコールのよってマヒするあの感覚を楽しんでいたのかもしれない。ところが近年とくに正午を回ったあたりから急に酒の味(風味)に敏感になってきた。そんな中いろいろと試しながらディープにハマってしまったのがウヰスキー(アイラ系・シングルモルト)とビール(昔ながらの上面発酵)、それに白ワイン(シャルドネ系・辛口)だ。最近の呑み方としては最初の一杯をそれら少し上等なヴァージョンでゆったりと愉しみ、二杯目からは普段飲みのものに切り替えるようにしている。二杯目最初のその一口を凌げば、以後の風味のギャップはアルコールの廻った大脳新皮質が処理してくれるからやはりありがたいものだ。

 

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五時間飛んだ話がそこから更に八時間飛んで、あれは確か父親の七回忌の法要での事だった。
法要そのものに関する事は何も覚えていないのだけど、そのあと直会での事は鮮明に覚えている。それはテーブルで隣に座った
伯父のTokuさん が、まだ紅顔の少年だった僕にコップ半分程のビールを飲ませてくれた事だった。薄飴色で白い泡の浮いているその冷たい飲み物を口に含んだ時に僕は、こんなにも美味しいものが世の中にあったのかと感嘆した。いつも飲んでいるジュースや牛乳とは全くちがうその不思議な味に、未知の”オトナの世界”への誘惑というか、早く大人になってこんな旨い物を好きなだけ飲んでみたいという酒に対する憧憬が生まれた。瓶のラベルにはいわゆる創造上動物が描かれていて、あの縞馬ともつかず、ライオンでもないような動物に子供心にこれこそが、未知の大人の世界なのだと感じたものだ。
そして僕の長い酒歴がここから始まったのはまちがいない。

 

 

 

alcoholは人類最大の敵だろう。
けれど聖書は
『汝の敵を愛せ』と説いている。
フランク・シナトラ       -

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2016年7月15日 (金)

海の日間近 に想ふこと

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僕は内陸(盆地)に住んでいるからときどき海を見たいという衝動に駆られてしまう。
その衝動は最近ご無沙汰していた人に会いたいという気持ちにも似ているし、懐かしい場所に帰りたいというものにも近い。日常の生活でそんな事をいつも思っているわけではないけれど、時折フッと胸をかすめるそんな感情はちょうど満ち潮が遠くからゆっくりと時間をかけて海岸を満たすように心の中に蓄積されてゆく。

 

それがここ最近は夢にまで出てくるようになっていた。
例年ならば前半の半年で3回は出かけているのに、今年は一度も海と会っていない。いや待てよ、よくよく考えてみると次男から行きたいと言われた加茂水族館を目指し、4月に海岸沿いの国道を駆け抜けていたことを思いだした。あの時は天気も悪くクルマを停めて海岸に下りる事もなかったから、海に関する記憶-2016からきれいに抜け落ちていたのかも知れない。昨年秋の琵琶湖や柿田川でも書いたけれど、海はもちろん大きな湖や河に出会うとその水に触れてみたいという悪癖があり、同行者が居る時などは結構くやしい思いもしたりする。
僕にとって”海に行った”という事は、潮風に体を晒しながら砂浜を歩いてみたり、海水に触れたり、時には味見をして46億年という悠久時間の中で太古の海へと思いを馳せてみるという事なのかも知れない。海水浴やサーフィンは若い人達に任せるとして、寒い季節でなければ素足で海に入ってみるというのも僕にとっては楽しい遊び。波打ち際に立って波が引いてゆくときのあの倒れそうな、浮かびそうな不思議な足裏の感覚は僕にとっては幾つになっても楽しいものらしい。
そんな訳で僕の海への欲求不満は日々高まるばかりなのだけど、肝心の海の日も他の用事でもう2ヶ月前からロックされている。予定表を見る限り海との再会が叶うのは人影もまばらになった8月末の初秋の海のようだ。

 

 

この星を地球と呼ぶには 相応しくない
どうみても海球なのは明らかなのに
アーサー・チャールズ・クラーク       -

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2016年5月 4日 (水)

立夏の候

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桜花も終わると人々の注意はひととき鮮やかな新緑に向けられるようになる。
木々が芽吹いたばかりの”新緑”という色彩は、実に多彩なバリエーションをもっていて、濡れたように光る緑もあれば、白い産毛を纏ったような柔らかな緑もあるといった具合だ。最近僕の許へ舞い降りた”日本の伝統色を愉しむ”という絵本にも緑の名前が書いてある。そこにはパラパラと見ただけでも日本の伝統色として、若草色・萌木色・柳色・若竹色・山葵色などの美しい日本語が並んでいる。緑の濃さも足並みが大方そろう梅雨入りの頃までは、もう暫くは様々な色彩の緑を愉しめる季節が続きそうだ。

   
日本の四季は明確で、またそれに敏感な国民性からだろうか、季節の移り変わりを表現する日本語ならではのいろんな言い廻しがある。
おそらく明確なルールはないのだろうけれど、けっこう気を使ったりするものだ。季節の先がけを表す”はしり”や、その時期に入った事を表す”めく”などもそのひとつ。夏のはしりとか冬のはしりとかはよく言うけれど、春のはしりとか秋のはしりとかはあま聞かないない。春めくにしてもおなじように、秋めくとは言うけれど、夏めくとか冬めくとはあまり聞いた事がない。それに、季節の冒頭に接頭語的に付ける”初”とか”真”は夏と冬だけだし、”晩”は春とか秋にしか使わない。

 

梅雨という四季ではない気象現象に、"はしり"という言葉をくっつけて使う"梅雨のはしり"という表現が好きだ。
それはちょうど梅雨という時期に入ったか、まだなのか、その微妙な境目で穀雨のようにしとしとと降る、穏やかでやわらかな雨が好きになったという他愛もない理由からだったりするのだけど。これから梅雨までの期間限定で、昔人の感性が生み出した風薫という爽やかな風がシャツの袖を撫ぜ始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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