カテゴリー「きづきの扉」の32件の記事

2015年3月18日 (水)

移動手段と荷物のこと

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萩原 浩
 

このところ普段の移動は時間と目的地(経由地)の自由度からクルマで出掛ける事がほとんどとなっていた。
今回もそのつもりだったのだけど一本の電話から急きょ移動手段を新幹線に変更することになってしまった。ローカルな電車なら
年に2~3回隣町に呑みに行く交通手段として利用するのだけど新幹線に乗るのはおそらく数年振りだろう。これが乗ってみると外観はもちろんの事インテリアも相当の改良が加えられ、実に快適な移動空間となっていてビックリしてしまった。

今回は次男と二人の移動だったのだけど、昔はなかった窓下のコンセントからiPhoneとiPadに電源が供給できるので、彼はイヤホンをしたまま完全に自分の世界へと入っていた。僕はといえばいつものクルマとはまるで勝手の違う、この完全なる automatic な移動空間の中で行きつく事はただ一つ。時速300キロの中で流れる街の灯りを眺めながらチビチビと呑ることだけで。そんな手持ち無沙汰(活字が恋しい)な時に目に入ってきたのが荻原氏のエッセイだった。
  

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冒頭のものがそのタイトルでこれだけを見ると随分とシリアスなエッセイかと思いきや。

「旅の荷物は少ない方が恰好いい。
旅慣れている感じがする。
人生の上級者とも言うべき余裕がうかがえる。
対して荷物の多い人は世間なれておらずにどんくさく、バッグの大きさとは裏腹の小者感がいがめない・・・
と考えてしまうのはいつも旅の荷物が多い僕のひがみでしょうか」    と。

こんな件から始まる氏のエッセイは仕事がらみの旅行で関係者の人たちと出かける時、に網棚に載せたバックの大きさの違いに驚く事があるのだと書いていた。「なぜ僕は荷物が多いのだろう」との自問から始まり、荷物の多さを挙げる理由がまた多岐にわたっていて、
嗚呼・・・それってあるあると共感し、ニヤリとさせられそして納得させられた。
そうなのだ、あくまでも荷物とは自分で担いでゆくもので、人にもってもらうものではないのだから自分でその大きさなり、重さなりを納得できればそれで良いのだ。

 

そして氏は最後にエッセイをこんな文章で結んでいた。
「まっいいじゃないですか、小者で結構。
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し、ちゅうてな。関係ないか。というわけで重い荷物を抱えて、今日も旅に出るのだ。」

タイトルからして少し身構えて読み始めたこのエッセイ。こんな粋な終わり方をしていてなんとなくホッとさせられたし、サブタイトルである
「いまどこを走っている?」の意味や、氏のユーモアとセンスが詰まった読み応えのあるものだった。

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いままではクルマの移動が殆どだったので、荷物は詰め放題だったというか自分の生活をそのまま移動させる感覚だった。
極論を言えばトランク一つが全部旅行バックとなる。それも自分ではとうてい担げない重さだし、クルマは疲れたとか重いの文句は言わないから今回のような事は考えもしたことはなかった。今回のたった一泊二日の移動でも荷物が重いと感じたのは事実な訳で、なぜそうなるかは「一泊でも三泊でも同じバック。たくさん入るからつい入れてしまう。」という文章に集約されている気がする。そういえば今回スキマ時間で寄ったいろんな施設でも、なにかにつけてコインロッカーを探していた気がするのはそんな事だったのだ。

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2014年7月11日 (金)

粋といふ しぐさ

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このタイトルの言葉を知ったのは、3年程前の確か公共広告機構か何かのポスターだった気がする。
普段いろいろとこの類のものは目に入るのだけど、これはまだ当時僕の知らない言葉だったしその時にはさほど興味も湧かなかったので、
何時しかそれも記憶の砂漠に埋もれてしまっていた。映画のような表現をすれば『それから3年という時が流れ・・・』とでもなるのだろうか、
新聞記事で偶然に再びこの言葉と再会した。それを見て真っ先に思い浮かんだのは2年近く前に他界した僕がTameさんと愛称で呼んでいた叔父さんだった。彼はお祭り命の生粋の下町人で、自分の住む街をこよなく愛していた。僕は写真でしか見たことはないけれど、祭りと神輿担ぎにかけるTameさんの熱意は尋常ではなかったらしく、彼は本当にに”粋”が服を着て歩いているといってもいい人だった。

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昔なんかは本を探して注文するなんてことはなかなか大変な事だったけど、ネットインフラが整備された現代では容易なこと。
程なくポストに届いた冒頭の頁で目に飛び込んできたのが、この仕草とは単に動作の事だけではなくて、大勢の人たちが気持ちよく生活するための”思草”であり”志草”であり”支草”という事で、その基本とはと前置きがありそこには、この頃の僕が忘れかけていた”ハッ”とするような事柄が並んでいた。

壱) 目の前の人を仏の化身と思えること  (初めて会うひとでも先祖あるいは先祖どうしと、・・・・・人はどこかで繋がっている)
弐) 時泥棒をしない  (他人の時間を無駄にしない) 弁済不能の十両の罪と言われていたらしく、これは特に気をつけなければならない。
参) 肩書きにとらわれない  (家柄、学歴、職業などを気にしない)
四) 遊び心をもっている  (芸術文化などに関心が高く、造詣が深い)

本文には五十ほどのしぐさが図解で解説されていたけれど、たしかに道具はいらず、前もって準備もいらず、即座にその場にあった身のこなしがくせになるように自分を磨かなければと思わされた一冊。ただ、一つ残念なのはこの本をもう一週間早くオーダーしておけば良かったなぁと思ったこと。



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2014年6月27日 (金)

方言といふ language

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山の都と書いて”やまと”と讀む。
これは15年程前のことだけどこの地を初めて訪れた時に知った事で、日本語ならではの様々な読ませ方のあるなかでも、実に美しい地名だと思った事を良く覚えている。読んで字のごとくそこは山と川面が美しくて、そして蕎麦が有名な静かな山あいの町。
また5年後には同じ福島県内で仕事で14か月程通った場所が”佐倉”(さくら)という地名だった。
その現場に赴任したのはちょうど桜が咲くころの事で実に粋な地名だと思ったものだ。そういえば長野県にも僕の好きな(美しい)地名がいくつかあって、それは安曇野や小諸、それに蓼科とかの事なのだけど。これは僕だけの解釈かも知れないけれど、その土地の名前を見聞きしただけで、音楽と同様に浮かんでくるシーンがある。

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連休を過ぎた頃から . できるだけ見ている番組で耳にした .   ”方言”というキーワードが頭から離れなくなっていた。それは避難生活という特異的な環境の中での地域の結びつきに果たす大きな役割の話だった。
この土地にも同様に方言という言葉が存在しているのだけど、最近は若い人がほとんどそれを使わなくなってきているのはたぶん他の土地と同じ現象だろう。最近はその方言を”標準語で言うとこうなる”との解説書も出ているようだけど、方言だけでの会話だけが持つ
標準語には翻訳(コンパイル)しきれない、細かなニュアンスなどが失われてゆくのは仕方がない事なのかも知れない。

この地方の代表格は(おしょうしな)=”ありがとう”だろう。
それに(し)を付けて(おしょうしなっし)となればより丁寧な感謝を込めた表現になる。そんな事はもちろん解説書には書いてないし、会話を交わした当人同士だけが感じ取る微妙な解釈のニュアンスの問題なのだ。
(ぶちょうほう)は方言と言えるか分らないけれど、”ごめんなさい”とか”失礼します”とかで使うのだけど、それに(な)をつけて(ぶちょうほな)となれば、丁寧+いきなり過去形に変身したりする。例えば『このあいだは留守にして、ぶちょうほな』と言った具合だ。
それから方言が持つ大切なもの。
空気読めよなぁと同じように標準語ではニュアンスが表現しきれないものも多い。この地方でいう(さすけね)は標準語で言えば”大丈夫”と書かれているけれど、使われる意味はそれとは少し違い・・・日本語では適当な言葉が見つからない。しいて言えば英語でいう、ノープロブレム が一番近いような気がする。
これは聞いた話だけど、上京した人が都内の電車の中で他人の靴を踏んでしまい・・・思わず口からでたのは『あっ!いや、ぶじょうほう』・・・・踏まれた方も反射的に『いや、さすけね』と答えて二人で大笑いしたという微笑ましい方言の架け橋。

これと同じように僕も暮らした宮城県にも、標準語でのニュアンス表現が難しい、(いずい)という言葉がある。標準語では”しっくりこない”と訳されているらしいけれど、方言を使う人たち同士で交わされる『いずいなぁ~』とか『いずいずぅ~』の持つニュアンスはさすけね同様、会話している人たちにしか分らないものなのだ。

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2013年10月25日 (金)

好きな事 vs 仕事にする事

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これがいわゆる彼のステージネーム。
山辺町という北の町での所用を済ませ、ちょうど近くのS.AからスマートICを利用して一気に山形までの早馬を企てた時の事。
この寒河江S.Aから徒歩のみ行き来できる隣の公園で何かのフェアをやっているようだった。なんだろう?といつものごとく好奇心に操られて歩き出して間もなくのこと。目に入ったのは観客が通りすがり数人だけの少しさびしい彼のステージ。

そこで彼は汗まみれになってボールや箱のジャグリング、手品などを披露していた。
間近でそれを見ていて気がついたこと。それは彼の表情だった。もちろん僕を含めた観客も楽しんでいるのだけど、それ以上に楽しんでいるのは実は彼なのかも知れなかった。そんなステージもあっと言う間に終ってしまう。いままで見ていた観客たちも早々に立ち去ってしまって、その場には道具を片付けている彼と僕だけになってしまっていた。声をかけてみるとそれが本当に気さくな青年だった。
話を聞いてみるとやはりショーの間は楽しいと言っていた。さっきのボール4個をドライブするジャグリングも相当練習を積んだだろうと訊いてみると、小学校の時から片手で二個のやつは出来たというから、これも彼の才能という範疇なのだろう。

僕は中学校のあたりからバレーボールより小さい球技は、不得意を通り越して出来ないに近い事を自覚していた。
特にオリンピックの卓球試合(ラリー)など、あれは人間技ではないと思っているというと本気で笑われた。なぜバレーボールより小さいのは駄目なのかと訊かれて、球が小さくなればスピードは上がるしなによりもシビアなコントロール精度が要求されるからだと答える。究極のスピードと精度を要求される卓球に比べたら、サッカーの方がずっと楽しい。パスにしても相手も動いてくれるので、大体(≒)でいいだろう?・・・と余計な事を言ってまた笑われた。

彼はこの世界に入ってまだ7年だという。
新しい芸の開発と、常日頃の練習は欠かせない事も教えてくれた。でも好きなので苦ではないのだということ。それに芸だけでは食べていけない厳しさも話してくれた。
午後のステージでは場所を違えて、火を吹く芸もあるので時間があればぜひにと言われる。山形へ行く目的は帰りにお昼を食べに寄りたい高原の店があっただけなので、この日は偶さかに出会った若い大道芸人に付き合うことに。

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場内放送を聞いた人々が三々五々集まってくる。
僕は会場内をウロウロしながら、彼の為に最高の絵を切り取る場所を慎重に探した。

そして彼の命がけの演技が始まると観客たちの歓声が上がる。
けれども僕の考えていた主役は彼ではなくて、その素晴らしい大道芸を驚嘆の表情で見入る観客たち。
ベンチで見入る4人の娘さんたちの表情も想像に難くない。

  
  
ショーを終えて、口の周りを煤だらけにしている彼に絵を見せるとニコッと笑ってくれた。
来年はフェアのスケジュールをちゃんと調べてまた訪ねてみよう。

 

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2013年10月 7日 (月)

4:30.pmを少し回った頃

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盛夏の頃からだろうか、毎日が異常な速さで過ぎてゆく感覚を再び覚えるようになっていた。
それほど忙しくしている訳ではないのに一日があっという間に終わってしまい、ふと気がつくと一週間が過ぎている。そしてうかうかしているうちにいつの間にか月が変わっているという具合に。そんな事をあと2回も繰り返せば年がかわり、そして知らない間に歳をとってしまう。
この時間感覚のことは有名な心理学者が論文で発表した、年齢の逆数に比例するという数式で説明がつくらしいけれどこの時間の魔力に年々、いや月々というか毎日のように苛まれているのも僕だけではないらしい。

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子供の頃の永遠に続くように感じた夏休み。
朝起きてから寝るまでの一日という時間が果てしなく長くて、その中には新しい知識や初めての経験がぎゅうぎゅうに詰まっていた。特に学校が引けてから寝るまでのほんの数時間はきっと普通に遊んでいたのだろうけれど、今考えると毎日たいそうな充実感をかみしめて眠りについていたのだろう。

そして幼き少年が若き青年となった頃には、時間という海が目の前には洋々と広がっていた。
あの頃はあまり金はなかったけれどたっぷりとした時間だけはあった。暇をもてあそび漫然と過ぎていったあの頃の24時間を、先ほどの数式にあてはめれば現在の感覚的には、恐ろしいことにたったの9時間で過ぎてしまっている事になる。勉強や仕事の他にやりたい遊びを全てこなせた若き日々。日々やり残してしまった事を指折り数えなければならない今の日々。その頃との環境や立場=仕事量などを考えると
一概にも言えないけれど、何時頃からだろう、速さと便利さを求めて時間を金で買うようになったのは。

人の一生を一日に換算すると今はきっとこんな時間帯を過ごしているはずだろう。
そこで頭を過るのはいままで務めてきた家長としての自分ではなく、一人の人間としての生き方という事だった。つまり僕の人生の約65%以上が既に終わってしまったという動かせない事実。そんな中できっとこの時間の感覚はどんどん加速してゆくのだろうという恐怖感と、うかうかしてはいられないというような焦燥感。それと同時に何か新しい事を見つけてそれに取り組んでみたいというような、漠然とした希望とか夢みたいなものを常に抱えている。
今頃は日あしがぐんぐん短くなってゆく時期で、そんな事を考えているとずいぶんと気が滅入ってしまうのだけど、そんな夕刻にラヂオから流れた懐かしい曲。その一節にだいぶ救われた。盛夏から続くこのヘンな感覚は”それは誰にでもあるようなただの季節の変わり目の頃”だったようだ。そんなふうに考えれば全てがプラス思考へとはたらく単純なこの性格。
夏至の頃ならばこれから日没までに十分にひと仕事ができる、まんざらでもない時間帯なのだった。

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昔、天文学者を夢見た僕の大好きな相対性理論では、重力は時間を遅らせるという。
これは地球のコア(核)に近ければ近いほど時間の進み方が遅くなる訳で、理論上は1階の時計よりも2階の時計の方が早く進むことになる。海抜0mの東京湾よりも250m程高いこの街は時間の進み方がすこしだけ早いらしく、なんとなく損をしている気分だ。

 

若さとは素晴らしいものである
ガキども無駄遣いさせるには
あまりにも惜しい

  
< ジョージ・バナード・ショー >

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2013年9月 5日 (木)

休日ノ過ゴシカタ Vol.3 (職場とのスタンス)

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先の日曜日クライアントとの話で出てきたのは、休日における職場の眺めの事だった。
それは年休をとっていた日、職場に忘れ物をした事に気づいて取りに行った時の事だったらしい。なんでも職場に入った途端にそこ自体が仕事をしている同僚たちも含め、まるで別の世界の光景に見えてとっても不思議な気分だったと言っていた。どうやら自分の休日に通常稼働している職場に行ったのは初めてだったようだ。
年休日だと知らない同僚は昨日のクレームの詳細についての事や、午后の予定などを聞いてきたらしいのだけど、それらはまるで異次元の話のようだったと言っていた。それは大げさにしてもせっかくの個人的なオフなのだから、これからは職場に近づかないようにしなければね!としか言えなかったけれど、そんな話を聞きながら僕も会社員時代の事を思い出していた。

そういば休日出勤というやつは会社の空気自体がすこし違っていたような気がする。
僕は技術屋だったので休日は現場や電話に煩わされることなく、図面を引いたり計算したりのたまっている雑用を一気に片付けるのには好都合だった。しんとした環境は苦手なせいか、いつもラジオを流しながら仕事をしていたものだ。昔からやっている全国ネットのロングラン番組である『キューピー・ハートフル サンデー』。これが始まるとランチタイム60分前の合図。
”さて、本日の昼メシはと・・・”、とCPUの約30%強の仕事配分率をそれに費やしてしまうのは今も変わらない。それに以前から不思議に思っていた事があった。それは番組での選曲だった。いつも思うのだけど、それらはいずれも日曜日の昼前というシュチュエーションに相応しい、のんびりとした明るい曲やCMたちなのだ。

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会社員という職業を辞していわゆる自営業という範疇の仕事をしていると休日との境目も不明瞭になってくるし、大企業のオーナーでもないので、細かい雑用も含めてすべて自分の仕事となる。
それらは、最近流行った・・・”じゃぁ、いるやるの? 今でしょう!”のように対象が一つだけという単純なものではなくて、いかにそれらを効率的に片付けるかで、必然的に序列が決まってゆく。業務に支障がでなければ、その直前でも構わないし、休日をそれにすべて費やしてもかまわないのだから。一日は24時間という平等な法則のもと、休日の時間 - 雑用処理時間 = 自分の時間。という式の中で必然的に要領がよくなってゆくのは自然なことだ。
近年銀行にてご婦人向けの月刊誌をパラパラ捲ってすごく参考になったこと。
それは年末の大掃除に関する特集で、結論は年末の・・と銘打ってまとめてやるから大変なのだということだった。5分程度のスキマ時間も積み重なれば結構な時間になる事を学んだ。2~3年に一度のブラインドの洗濯は仕方ないにしても、以来この書斎兼仕事場の大掃除はしたことがない。

 

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2013年6月 3日 (月)

なくて七癖

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自分にでもあるであろう七癖を、立て板に水のようにスラスラと列挙できる人は、はたして何人いるのだろうか。
先月の事だったけど、知人とDeepに呑んでいるときにそんな話になった。癖と言えば一般的に個人の動作などを伴う行動を指すのだろうけど、”酒”などの接頭語がついてしまえば、誰かしら相手があることになりその評価はあまり良くない事が多い。

面白いもので他人の癖というものは、見ていてけっこうわかるものだけど、当の本人はなかなか気づいていないことがほとんどだ。
ましてやそれを七つ言えと言われると、一つ、二つ、あるいは三つ位まではなんとか言えるような気がするけれど、その先は目が宙を追ってしまう。友人達と呑んでいる時などは互いにそれ自体が、生体認証にでもなっているようなものだろう。
例えば次に彼はきっとアレをするにちがいない・・・・・ほぅらやった。と必ず当たる評判の予言者にでもなった気分の中で安心するように。
以前気づいたのだけど、癖というものも嗜好と同じように年月とともに変化するもののようだ。僕が随分昔にやっていた食べ物のにおいを嗅ぐこと。今はもうすることはないけれど、この頃次男がそれを時々やっているのを見て、妙な懐かしさを覚えた。もちろん止めるように注意したけれど、たぶんその時期が来なければやめる事はない。

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そんな僕も気づいているけれど、もう30年もなかなかやめられない癖が三つある。
一つ目はわりとノーマルにしても二つ目と三つ目は、子供の指しゃぶりと唐突的な行動のようなもので、僕の歳からすればおそらく奇癖という範疇に入ることだと思う。

一つ目は、考え事をすると手のひらでグーを作り、その穴とキッスをしたり息を吹き込んだりすること。

二つ目は、これからの半袖の時期に車内(鉄の馬)で起こる密か事。
こんなふうに書いてしまうとなんだか女性週刊誌や三面記事のようだけど、この行為はやはり人には見られたくないものだ。それは簡単に言えば手首から15cm程の前腕にある長い体毛を、唇で挟んで軽く引っ張ったりすることだけど、これがことのほか両者(唇と体毛)にとって気持ちが良かったりする。さらに距離が伸びてくれば、汗などの体臭が混じってくる訳で、長月までの情熱的な4か月間。誰もいない鉄の馬で繰り返される僕だけの密かな情事といっていいのだろう。

三つ目は、ところ構わず窓から外を覘くこと。
この件に関しては、なぜだか一階の窓にはあまり興味を示すことはなくて、高い建物ほど顕著に表れる。初めての店やオフィスビルなどでも、いきなり窓に寄っていって外を眺めたりしてしまう。そしてたぶん変な人だと思われただろうといつも後悔するのだった。

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後悔しながらその必要性を考えてみるのだけど、癖というものに理由はないのだといつもの結論で閉じてしまう。
外を見て何をしているのかと言えば、いつも自身の位置を見ているのだ。自分の街ならば既知の建物や山並みを見ると、まるで”Google earth”の衛星写真にマップピンが打たれたようなものが浮かんでくる。
知らない街の初めての建物だと、太陽の位置からその建物のエントランスと、その窓の位置関係を3Dの立体モデルが浮かんだりする。なぜそんなことをしてしまうのかはさっぱり判らなかったけれど、最近この歳になってひとつの仮説に辿りついた。
それは少年時代のボーイスカウト隊員の頃まで遡り、週末いつもやっていた方向と距離の感覚を養う訓練だった。
隊長のいるベースキャンからしょっちゅう飛んでくる、”現在位置を報告”というトランシーバーの音声に、班長だった僕は磁石と大まかな歩数から、真北とベースと自分の三角形を思い浮かべ、”2時の方向・距離250”などと答えなければならない。5つあった班の中で精度がバツグンに高いと、隊長から皆の前で褒められて子供心にすごく嬉しかったのをはっきりと覚えている。

やはり子供は褒めて育てろというのは素晴らしい教育だなと思った・・・僕の場合もう時、既に遅しだけど。



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2013年5月13日 (月)

桜の頃 (3/3)

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今年の”桜の頃”は3年ぶりの立夏の早朝に再会が叶った、この純真無垢な深山桜の絵で閉じたい。
”さくら色”という色表現。桃色よりも薄くて、ピンクよりもさらにうすく、やはりさくら色としか表現できないこの微妙な色彩。これは日本人にとって昔から、春特有の特別な色域に分類されているのは間違いない。冬というモノクロームの厳しい季節が通り過ぎ、地面に咲く草花とは違い立体感と遠近感を持った木々が、その色に染まるさまはそれこそ、日本人の機微に触れる光景なのだろう。それを遠目に眺めても、樹の下に立って見上げても、その色彩に触れると人(僕)はいつも何かを想い、そして感じる。 


  
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子供の頃からそうだった。
休日の朝は、いつもよりずっと早く目が覚めるという、おかしな習慣でそれから随分と時間を経た今でも細々と続いている。ましてや天気が良ければなおさらのこと、小学校の遠足の朝のようなワクワク感で起きる時に似ているのかも知れない。

休日であり、しかも早朝のR-113は殺風景なほどに動くものも少ない。
たまにすれ違うのはたぶん帰郷の土産品などを運ぶ長距離便が殆どだろう。ひた走る早馬の鞍に身を委ねて、普段よりずっと早い速度で流れる景色の中でボンヤリと思い出していたのは、そこを初めて訪れた日の事だった。

鉄の馬を操るお墨付きをもらってから、ずっと通り慣れていた日本海へと続くこの国道。
確かある春の日のこと。いつも通り過ぎているだけのキツイ交差点を、初めて曲がったのには訳があった。それは”夏の海”しか見えていなかった若き青年が、初めて”山”というものに目を向けた年のことだった。
そして道の奥にあったのは、初めて間近でみる飯豊連峰という万年雪のある荒々しい山容。それに季節の流れ方が普段住んでる盆地とは全く違う、深山という厳しくも美しい環境だった。

   
  

もうだいぶ昔に観た宮崎アニメ
ゲルトナー・ライアの音色を初めて知ったのも
この曲だったし・・・
それまで大好きだった無垢の青空の悲しさを知ったのも
この曲だった・・・
 
  
  

いつも何度でも
  木村 弓
 
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Appendix:桜の頃 (3/3)

  

例年より残雪の量が実に3尺程も少なかったこと

代わりに初めて靄(もや)のかかる美しい表情を見せてくれたこと

近くの湧き水でいれてみたお茶が沸点が低いにもかかわらず
思いのほか美味しかったこと


さくら色の透過光に会えたこと

そして教えられたこと・・・

   
   

  

   

   

  

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2013年4月 8日 (月)

boys be ambitious

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ずっと昔、”歳をとると言う事は夢を一つずつ失くして行く事”だという、随想みたいなものを読んだ事がある。
いったい誰が書いたのすらも覚えてない程に過去の事だけど、以来その文章がずっと心の奥にあって、何なしらの折に心に浮かんできていた。40年という時間を遡ると僕の夢は、天文学者に花火師、それからレーシングドライバー。また定番とも言える社長という職業にも憧れたのだけど、いずれも(まだ・・)実現していない。

暇があれば図書室で、天文学の本を読み漁っていたのは小学校の頃だった。
コピー機など便利なものがない時代のことだったから、内容をノートの書き写していたものだ。夜はよるで星空(あの頃はきれいだった)を眺めてながら、地表から大気圏そしてその先の宇宙という真空の空間へと思いを馳せていた。中学校になって小遣いやお年玉なんかを貯めて、ようやく屈折式の望遠鏡を手に入れた時は本当にうれしくて、夜になるのを待ちかねては肉眼では到底見る事の叶わない、遙か何万光年という星々の世界に入り浸っていた。

花火師への夢は毎年目の前の河川敷で開かれる、自宅で間近に見ていた花火大会が始まりだった。
従兄弟から火花になぜいろいろな色が作れるのかを教わったのが、そもそものきっかけだった気がする。もともと化学や物理大好き人間の僕は、その原理を知った途端、妄想の世界で自分の作った花火を打ち上げていた。
なぜ花火が好きかと言えば、自分の手を離れてしまえば(打ち上げてしまえば)全て自動的に実行される”automatic”なプロセスだからだ。想いを込めたストーリーを詰め込まれた玉の運命は、極々客観的い言ってしまえば点火と同時に遙か上空まで運ばれて、そこで何の感情も持たない割薬が事務的に星を辺りの空間にまき散らすだけの事だ。そして観客はその星の発色具合や広がり方を見て、歓喜するか落胆するかのどちらかだろう。それはすべてに対して言い訳の利かない評価の瞬間だ。
花火師にとっての打ち上げの瞬間。それはドミノ倒しの最初の一つを倒す時の気持ちに似ているのかもしれない。何故ならば自らの手を離れた瞬間から成功も失敗も含め、それを作った自分すら介入できない、結果しか持たない世界(story)が動きだすのだから。
おそらく現在世界一のレベルであろう日本の花火師たち。その精緻な技と芸を競う大曲の花火大会、きっと来年には見ておかなければならないのだろう。

それからだいぶ後になってから、レーシングドライバーを夢見たきっかけは、なんと昔のスポーツタイプの自転車だった。
昨今ではハンドルに変速装置がついているのが当たり前だけど、僕が初めて乗ったころのはサドルからハンドルまでまっすぐなフレームがあって、その真ん中あたりに変速レバーがついているタイプが主流だった。当時は物の軽量化などと言う事はお構いなしに、それこそ仮面ライダーのサイクロン号のような、加飾あふれたコンビネーションランプとウインカーまでついていた。前後のブレーキを使い分けて自転車の挙動をコントロールしながら、シフトを変える。そんな乗り方をしていた昔の記憶。それが初めてサーキットのコースを非日常的なスピードで駆け抜けた時のドーパミンの根源だったのは間違いない。
   

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昨年の連休明けの頃、高校のPTAから一本の電話があった。
三学年の男子生徒に4か月後に迫った進路の選択について、何か参考になるような話を喋ってくれないかという事だった。当時、なぜ僕のようなアウトローにこんな依頼を・・・と思いながら、予定が取れたので取りあえずは引き受けてはみたものの、少し気落ちしたのはその前夜はずっと楽しみにしていた、知人達との飲み会の予定があった事だ。
それに聴衆の中には当然長男もいる訳で、普段から言っている事とはだいぶかけ離れた評論家みたいな理想論もなかなか言えない・・・。
そんな足枷にずっと悩みつつも、ただただ日にちだけが過ぎて行った。案の定、当日は軽い二日酔いの中何を話すか、ほとんど思いつかないままに、口から出たのは・・・
今は学業、それがいずれ生業(なりわい)へ変わる二つの決定的な違い。
将来、働いてお金を得るという事はどういう事なのか。これから先経験するであろう事柄で、自分にとって無駄な事は何一つないという事。そして社長という、究極の職業も常に肌身離さず意識の中に持っていること。この4つはだけはコアとして話した記憶がある。
本当はもっと実務的な話をしたかったのだけど、入口付近でメモをとっていた学年主任の先生の視線が気になってそこまで言及できなかった。
いろいろ脱線話もあったけれど、生徒達も笑ったり頷いたりして聞いてくれたし、なによりも僕自身もなぜだか楽しめた貴重な20分間だった。
  

僕も経験してしまっているからもちろん分かるのだけど、若さというものは実にいいものだ。
金もなかったけれど、俗世の変なプライドなどもなくて、目の前にはただ洋々とした時間の海だけが広がっていた。
それにまだ仕事で気をもむ時代ではなかったけれど、なにかと別の事でいろいろと気をもんでいた楽しい時期の記憶だ。
   



青春時代 森田公一とトップギャラン

  
  
  
  
  
  
  

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2013年3月18日 (月)

電話と 時計と 電話帳

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電話機という便利なものが発明されて、いったいどれぐらいの時間が経つのだろうか。
百年・・・いやそれ以上かもしれないけれど、それが一人一台(一回線)レベルの携帯電話機までの普及を果たすということは、発明者自身もきっと予想だにしていなかったことだろう。

先々月の睦月の事。その日は午後三時からという、実に中途半端な時間から始まる会合&宴席に、出席しなければならない日だった。最初はタクシーで向かうつもりだったのだけど、午前中のラヂオが言っていた”日ごろの運動不足”というトークンがずっと頭の片すみに残っていて、結局ギリギリになって40分程の久しぶりの雪道散歩を楽しむ時間、という使い方を選択した。
10分ほど歩いたところでペース確認のためにポッケをまさぐり、初めてケイタイを仕事場に置き忘れた事に気がついた。
いつもこんな徒歩移動の時は、途中で時間を見ながら歩くペースを調整するのだけど、肝心の規矩準縄となるその時間がさっぱりわからない。出がけには手袋とのかくれんぼを楽しんだりしてから、仕事場を後にしたのでハッキリとしたその時間の記憶もない。運が悪い時は重なるもので、久しぶりだし近道なのでと歩いていたのはコンビニどころか、商店すらもない大通りから2ブロック程入った住宅街の通りだった。
時間に遅れるのは最悪だけど雪道で走る訳にもいかず、僕は半分競歩のような歩き方になってしまった。それで結果的に予定よりも結構早く到着できたのだけど、そのあとの乾杯。それはもう・・・体に沁みわたる至福の一杯だったことは、ご諸兄方にとっても想像に難くないことだと思う。

でも次に抱えている僕の問題は夕方仕事を終えた友人が、僕に電話をしてくる事になっていたことだ。
彼の話では呑んだ僕を拾って(ピックアップして)、たしか先々週に届いたとメールをしておいた”南蛮渡来の抜荷の品”をその日に受け取りたいとの事だった。
そんな事情もあってさて、どうしようかと困っていた時に入口にポツンと置かれてあった久しぶり見かける、緑色の公衆電話を見つけた時は嬉しかった。けれども僕にしてみればあの呪文のような番号などは、記憶のハードディスクに入っている訳もなく、ケイタイの電話帳がなければ電話を目の前にしても、かける事も叶わない事実を突き付けられただけだった。隣に貼ってあるタクシーと代行社の番号のリストを恨めしそうに眺めながら、あの四角に並んだ3列×4列プッシュボタンをみていたらケイタイなどなかった時代の記憶なのだろう。むかし何百回とかけた彼の自宅の電話番号が、僕が白プレーヤーになった時のオセロゲームの盤面のように浮かんできたのは、自分でもビックリしたのだけど・・・そんな話を車中でしたら、ウチの番号は三角形に並んで覚えやすいからなぁ~、と一笑に附されてしまった。

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僕のケイタイ音痴は周囲の人たちが周知の事で、そのアドレスと言えばPCアドレスに特急のサインである”exp_”を付けた、緊急の受信用専用だし、通話とメール以外は何も機能がついていない。 写メにしてもそうだ。年に1~2度使うかどうかで、方法も良く覚えていない。そういえば一昨年に地元の名峰 ” 兜山 ” に登ったときに、その山頂からの光景を知人に写メで送ったら、いま機上の人ですか?と返信が来た。アングルはそこそこ普通だったので、何らかの設定がマズかったのに違いなかった。
確か一昨年の事だった。
自分のケイタイ番号も満足に言えなかった僕をよほど気の毒に思ったのか、表示方法を教えてくれた人がいて、いまでは訊かれてもちゃんと答えられるようになった。これはある意味自分でも凄いと思っている進化であり、現段階ではその可能性は皆無に等しいのだけれど、きっと来年あたりはスマホでこのログを更新しているのかもしれない・・・。

   

< Winelight  Grover Washington Jr >




この曲との出会いはもう30年も前の事になる
  
これを聴きながら皆でのんで騒いだものだ
そのころは若気の至りという言葉を隠れ蓑に
実に血気盛んな青春時代だった
  
  
もちろん
その中に彼がいたのは言うまでもないし
この曲を仲間内に持ち込んだのも
やはり彼だった
   

   
    
  

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