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2018年3月10日 (土)

七年目という通過点

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この場所に来たのは2011年12月以来約六年来のこと。
確か県道から分岐したこのつづら折りを抜ければ、広い海水浴場が見えてくる。そう思ってステアリングを切ったのだけど、やはり東北地方の殆どの海岸線と同じように地形が大きく変わっていた。(2018-02-26)
僕は日本海側の気候の土地に住んでいるから、冬の穏やかで明るい太平洋側の風景が好きで、真冬には必ず何処へと出かけている。いままで福島の松川浦や宮城の七ヶ浜、石巻、南三陸町、気仙沼や、岩手の陸前高田、大船渡、釜石などを巡ったけれど、以前からの美しい海岸線は、もうほとんど見られなくなっていた。



毎週日曜日の昼、可能な限り見ている番組がある。
NHK東北の”被災地からの声”という番組だ。震災の年の夏頃から始まった番組だけど、各被災地を廻りながら、事前に取材のアポを取ることなくその辺にいる人から話を聞くという形式で進行してゆく。だから突然取材された人は本音を語るし、それがよけいに心に響いてくる。この番組も一昨年あたりから内容を少し変えて、以前取材した人がいまどうしているのかにスポットをあてるようになってきた。取材を通して感じた事を最後に担当キャスターがまとめてくれる。
彼は人の流れがお金を生み、お金の流れは物の流れを生み、復興をより加速させるのだといつも最後に締めくくる。寄付や義援金の時期が過ぎたいま、同じ東北人としてこれからもずっと出来る事は、とにかく機会あるごとに東北太平洋側に足を運ぶことなのだろう。

 

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僕が今回ここに来た理由。
六年前の白いコンクリートの家屋基礎だけが広がるあの茫漠とした風景。それがどんな風に回復を遂げているのか自分で確かめてみたかったから。それにあの時は灯台への道が地震で崩れて通れなかったけれど、三年前に復旧した事ををラヂオが教えてくれた。初めての灯台は元に立つだけでも海面からは相当な高さがあり、フェンスに近づくことすらで出来ない。受付の人に灯塔の中には螺旋階段があって踊り場からの眺めも素晴らしいと勧められた。けれどもあまりの高さと狭さで一周どころか、踊り場にすら踏みだす事も出来ず降りてきてしまった。

 

 

 

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今は防波堤となってしまった新しい海岸線は、こんなにも広々とした海水浴場だった。
この時の事はいまでも鮮明に覚えている。冬至の頃の日暮れは早い。だいぶ傾いてきた陽射しの中で子供に何かを話している父親がいた。彼が身振り手振りを交えながら話していた事は、ここで一体何が起きたのかという事なのだと、遠目で見ていた僕にも容易に察しがついた。あの時ははまだ小さいから内容はあまり分らないのかも知れないけれど、いつかその子が父親になった時にきっと同じ話をしてくれる事を願いながら。
 
 
一昨年は5年の節目だと各局がこぞって特集番組を放送していた。
あの年は石巻の復興屋台村で昼メシを食べていた。定食屋の店主や常連客の話を聞いて、現場(現地)では5年という日は節目でもなんでもなく、ただの通過点なのだという事を教わった。
そして神の火を弄んでしまった愚かさ。火伏せに携わる現場関係者の日々の、命がけの努力に一刻も早いご加護があらん事をただ、ただ祈るばかりだ。

 

 

明日この東北には七度目の祈りの時間が流れる。

 

 

 

 

 

 

 

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