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2017年11月の記事

2017年11月 8日 (水)

2000kmの非日常(4/4) 東へと向かう 道すがら

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気がつくと周囲を走るクルマのナンバーが、大阪・なにわから京都へと変わり、目的の蒸留所が近い事を教えてくれる。
日常的にウヰスキーという飲み物を愛してやまない僕は、通過経路の近くにそれがあると必ず引力の影響を被ってしまうのは言わば仕方のない事なのだろう。これまでにほぼ地元とも言える宮城峡、富士山麓の広大な森の中にある御殿場、フェリーから陸揚げされた小樽の隣に位置する余市の各蒸留所を巡ってきた。あと一般見学できる蒸留所といえば山梨の白州、明石の江井ヶ嶋酒造、長野の信州マルスぐらいだろう。ウヰスキーの製造過程はどこもそんなに大きくは変わらない事を知って以来、工場の見学ツアーには参加することはなくなってしまった。それよりも蒸留所自体の風体、立地条件や沿革、また創業者のひととなりの方に興味が湧いてくる。

 

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創業者の選んだこの地は桂川、宇治川、木津川が合流して淀川となる場所だった。
海に近いわけでもなく、深い森が辺りを取り囲むわけでもない。まさに市街地の端っこに建っているようなこの場所は、水温の異なる河川が合流するので、きっと霧の出やすい湿潤な気候をもたらしてくれているのだろう。
 
施設には必ずと言っていいほど付属している有料試飲コーナー。
いつもの事ながらメニューを見てため息が出てしまう。あの憧れのラベルがワンショットずつ格安で飲み比べができるのだから。きっと僕ならずともクルマで旅するウヰスキー党にとっては、ここは間違いなく拷問場に違いないだろう。
数ある試飲テーブルの中に一つだけ細く外光が差し込む場所を見つけた。
僕は割と日差しの中でウヰスキーを愉しむ機会が多いので、それがもたらすこの琥珀色の透過光の美しさを知っている。そんな訳で飲めもしないのについ購入してしまったワンショット。記念として絵に収めた後は・・・と、最初は思案していたけれどその必要はなかった。きっと僕の奇行の一部始終を見ていたであろう隣の夫妻と目が合い、遠慮がちにこのショットの行く末を託してみると、グラス持参で快くこの光のテーブルに引っ越してきてくれたのだった。

 

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僕は若い頃からベクトルという概念を自分の移動に使ってきた。
ナビなんてない大昔の頃からだから、地図をパッと見て直線の方角と実距離を大まかに把握するだけなのだけど、これが理数系の悪癖だと知るのはずっと後の事になる。この目的地までの方向と実距離を一度掴んででしまえば途中の寄り道は可能か、不可能かをも含めて自由に扱える。この日の目的地は伊豆の温泉宿にある富士山の見える部屋で、真東に400kmというベクトルを持って大阪を後にした。
 
 
クルマで気ままに移動する者にとっては、天気というファクターは小さくはないものだろう。
大阪は昨日来の雨が止まず、早朝の近畿地方の予報でもルートの変更を余儀なくされた。それと言うのも本来は亀山市から伊勢湾沿いに伊勢市に入り、伊勢志摩スカイラインというワインディングロードを堪能後、フェリーで愛知県に入る予定だったから。ガスで視界の利かないワインディング程つまらないものはない。しかしモノは考えようで、本来の東へのベクトルとは関係ないこの南の要素分が、時間的余裕として組み込まれたきたのだった。

 

今回の二ヶ所はまた関西圏にまた来るのだという、根拠のない自信みたいなものがあって、実は”また今度!”と封をしてしまった場所だった。
もう半世紀近く前にテレビで見た太陽の塔。実物をようやく目にする事が出来たし、三波春夫のテーマソングもメロディーが鮮明に浮かんでくる。公園内も綺麗に整備されていたし、幼稚園の遠足だろうか子供たちがたくさん遊んでいた。当時の英知を集めて開催された大阪万博。以来ずっとそこに立っていた太陽の塔。そこにこれからの日本を担う子供たちの歓声が聞こえてくる、というのも実に気持ちの良い光景なのだ。

 

 

***

 

大津での遅い昼メシの時は見たこともない琵琶湖の姿と会う事ができた。
レストランでそれも偶然に空いた窓際角の特等席にて、湖を眺めながら到着は五時だなと思ったけれど、伊豆の宿へは午後四時到着と連絡していたのをすっかり忘れていた。伊豆縦貫道で何度か鳴った電話は、宿が心配して掛けてきてくれたのだ。
肝心の富士山側の部屋は翌朝からの雨を知ってか知らずか、頂上まで雲で覆われる事なく待っていてくれたようだった。

 

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