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2016年10月20日 (木)

676海里の非日常 (1/5) 海風の記憶

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ことし海の日の辺りから心に沸々と湧いていた海への憧憬は、こんな形で実現することが叶った。
船路という移動手段を初めて体験したのは昨年、偶然に乗船することが出来た駿河湾フェリーでの事。洋上から富士山や陸地に沈む夕日を目にして以来、その光景は僕の心の何処かに、船底のフジツボのように付いてしまっていた気がする。駿河湾では僅か1時間程の船旅で周囲にずっと陸地も見えていたけれど、内陸に暮らす僕にとってこの360度海に囲まれるこの感覚は三年ぶりとはいえ実に新鮮なものだった。暫しの間だけど両手足をクルマの運転という作業から解放し、港に着けばまるで自宅の車庫から出かけるように船倉を抜け出し、再び陸路の旅を続ける感覚も気に入ってしまった。
そんな事を思い返してみると今回北の大地を選んだのは、それぞれのフェリー航路の北終点の地だったからなのかも知れない。
陸路でも常々往復おなじ道を通る事を好まない僕の性格。運が良ければ日本海と太平洋ルートの運行時間から、日本海では日の入りを太平洋では満天の星空と日の出を水平線と共に堪能できるという皮算用を踏んでいた。

 

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自宅から新潟港までは2時間と少しの陸路。
乗船手続きを済ませて気がついたのは、船倉の指定位置にクルマを停めてドアをロックすれば、本日の能動的業務はすべて終了という事だ。トリップメーター見ればまだ130キロ程、時計を見ればまだ午前10時。これまで体験したことのないこのシュチュエーションへの期待感が半分と、なんだか物足りない気持ち半分を抱えてフロントへのエレベータのボタンを押した。
当たり前の事だけど船とは一旦出航してしまえば、全長200mもある大きな閉塞された空間となってしまう。それはレストランやグリル、大浴場やショップや映画館などのアミューズメント施設など生活に必要なすべての備えた小さな町のようなもの。もともと知らない街の裏路地を歩きまわるのが好きな僕はくまなくパブリックスペースを歩き回り、お気に入りの眺めや場所を次々とストックしていった。
部屋に戻るとテラスに椅子を持ち出して海風を浴びると、小樽までの692㎞・18時間の船旅が始まった事を実感した。
こんなに長い時間ステアリングを握らないなら、きっと相棒が必要になるに違いないとバックに忍ばせてきたのが、明日訪れるであろう蒸留所のシングルモルト。それも今ではもう手に入らない旧ヴァージョン。テレビの影響は恐ろしいもので、一つのドラマがこのウヰスキーの品切れとWeb上では4~5倍の価格で取引される狂った事態を生み出した。それから二年程で発売された新ヴァージョンは価格も以前の倍以上だったけど僕同様、期待に満ちて試したのだけど、落胆されたご諸兄方も少なくはないと思う。他の酒類とは違いウヰスキーは五年とか六年で出来るものではないのだから、十年単位で待たねばならないだろう。
そういえば昼酒はなぜ美味しいのだろう、こんな対談をラヂオで聴いたのを思い出した。
出演していた人がおしなべて言っていたのは、”えっ、こんな時間からいいの?”という日常の行動パターンから生じる背徳感が美味しさを増幅させるらしい。僕の場合これに水平線と時おり聞こえるフェリーがかき分ける波の音、全身に感じる海風が加わり至福の時間だったことは言うまでもない。

 

ゆったりと流れる船上の時間。
海域や陽射しの加減だろうか、海というものも随分と頻繁に色の表情を変える事を初めて知った。気が向けば船内の散策に出かけ、船尾から水平線にまで伸びる航跡をボンヤリと眺める。デッキでは追い風でもないかぎり船の速度と同じ風が常に吹いているから、少し冷えてきたかと思えばカフェに行って軽食とビールを仕入れて、プロムナードから午後の光る海を眺めるというそれはそれは気ままな船旅なのだ。それでも日没1時間前ぐらいから急に雲が広がって、水平線に沈む太陽を見る事は叶わなかぅったけれど、波も静かで夕方まで好天に恵まれた事は幸運だった。

 

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午後七時近くだっただろうか。
船内アナウンスがあって30分程すると左舷側を新潟港に向かう船が通りすぎると言っていた。間際に船長からのアナウンスがあって、皆こぞって左舷デッキに繰り出すと漆黒の闇の中、11時の方向に船灯りが見える。星の灯りすら見えず空と海の区別もつかない真っ暗な中で船がどんどん近づいてくると、その船だけが不規則に揺れているような、眩暈ともつかないような奇妙な錯覚にとらわれる。じっと見つめているとその船の存在自体がこの世界のものではないような気さえしてくるのだ。
すれ違い間際にお互い挨拶のように鳴らした長い汽笛だけが唯一、現実世界の出来事のように思えた。

 

 

 

 

 

 

 

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