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2016年10月の記事

2016年10月31日 (月)

676海里の非日常 (3/5) 旅の好奇心といふ事

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公共交通機関と違ってクルマという移動手段は、時間的にせよ途中の道草にせよ実に自由度が高いものだと思っている。
僕の場合は到着地点をザックリと頭の中にイメージしたのなら、どのルートを通るかはその日の天候や気分、それに直前に見聞きした事に大きく左右される。それに興味と時間があれば鍋づるのような遠回りもいとわない好奇心探求タイプなのだ。
チェックアウトの後は坂のある港街と暫らく戯れた後、好奇心レーダーの感度を最大にしてその日の宿がある旭川方面へと向かった。河口近くの石狩川と会う為に札幌市街地を抜けた頃に、この石狩平野にはそぐわないような山が視界に入ってきた。どこか人口的なかをりのするその山容は、むかし見た宮崎アニメの1シーンのような、もっと言えば幼少期に遊んだ砂場の陽だまりのような、何となく懐かしい感覚を胸の中に湧き上がらせた。
 
程なく見つけた案内標識から中に入ってみると、そこは人口の林と広大な芝地でキチンと整備された公園だった。
人工的なモニュメントはあまりなくて、なだらかな丘やサッカーコートのような四角い芝広場や、林の際と芝生の境が織りなす美しい曲線が織りなす先には、また別の山があったりして何もないけれど飽きない場所。 遠くに見える光るパイプのようなものはなんだろう?と思って芝生の上を歩き出し、気が付けば3~400m程も平気で歩いていて、僕にとっては広さという感覚を贅沢に楽しむ公園だった。

 

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クルマで移動する者にとっても駅という施設は、とかくその土地のランドマーク的な存在なのかも知れない。
僕も旭川に入って一番最初に目指したのは駅で、それは偶然に駅の真ん前のホテルを予約していたからだった。僕はこの駅舎を遠目に見て、あっ!と思った。なぜならばその趣きはどう見ても新幹線仕様だったから。この春開業した新函館駅から400km以上も離れているこの都市に何故?という疑問が湧いた。それが大雪地ビールを飲みながらエゾ鹿ジンギスカンを食べているうちに、駅構内へ入って確かめたいという好奇心に変わっていった。

 

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僕の定番である朝メシ前に出かける散歩は、駅で入場券を購入する事から始まった。
この寒さの厳しい土地柄だろうか、木をふんだんに使った内装は温かみをかんじさせる素晴らしいものだ。改札を入ってエスカレーター手前の壁面に近づくと、何やらルーバードアのように板がはめ込んであり、おびただしい人の名前が彫ってある。僕はこれは一体何なのかを知りたくなり、改札にもどって窓口の年配の駅員に尋ねると、この駅を作るために寄付をしてくれた人たちの名前なのだと教えてくれた。それも一万人分もあるという。

この名簿の中には仕事などの事情で、もうこの土地を離れてしまった人も大勢いることだろう。
そんな人達や市民が故郷の発展を願い、街の顔である駅の建設のためにお金を出す。なんと素晴らしい郷土愛なのだろうか。そんな話を聞いたら僕はなんだかこの街に親近感を覚えたし、住んでいる人たちも好きになってしまった。

 

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僕が確かめたかったのはもちろん線路の幅だった。
新幹線と在来線ではそれが40㎝程違うことを知っていたから、エスカレータを駆け上がるとすぐにホームの下をのぞき込んでホッとした。何故ならば現在のレールの外側に新幹線用のレールを固定するためのボルトがちゃんと埋め込まれていたから。これならば新幹線の乗り入れ工事のレールの敷替えも簡単な事だろう。

 

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改札口を出ようとすると、先ほどの年配の駅員のが居たので少し詳しくこの駅について訊いてみた。
彼はこの駅が函館本線の終点であり、ここから最北端の稚内と南の富良野市を結ぶ路線の起点でもあることを教えてくれた。鉄道にまったく疎い僕でもこれを聞いてようやく納得した。200m近いホームに一両とか二両編成のローカル線が止まっていることも、この駅にとってはごく普通の日常風景でだったのだ。この駅まで新幹線が乗り入れると北や南からやってきた人々が札幌とか、もっと遠い本州へのアクセスがすごく楽になることだろう。
僕の街は福島駅から続く山形新幹線の一番最初の駅がある街。
そしてその利便性と恩恵は計り知れないものがある事は、誰もが認めるところだろう。そんな事情も知っているから、僕もこの街の人たちと同じく一日も早くレールの敷替え工事が行われる日が来ることを願って止まないのだった。

 

 

 

 

 

 

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2016年10月27日 (木)

676海里の非日常 (2/5) 坂のある港町へ

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山を控えた港町の多くがそうであるように、この街にも地元の生活にとけ込んだ坂道があった。
ようやくその事に気がついたのは翌日の朝の事。何故ならば早朝のまだ薄暗い時に一旦この街を後にして、夕方戻って来た時もすで暗くなっていたからだ。小樽埠頭で動きだしたのは午前四時半過ぎ。真夏ならばすでに太陽も出ていて、すぐさま行動開始といけるのだけど夏至を過ぎて三か月半もすれば、辺りはまだ真っ暗なままだ。ましてや知らない街では夜目が利くはずもなく、空が少し白んで来るというスタートのきっかけを慣れたコンビニの、慣れたコーヒーを飲みながら誰もいない駐車場の隅っこで待っていた。
その後はそのまま太平洋をめざして南下を続け、会いたかった湖と山を掠め、最後に辿りついたのがこの余市という町だった。

平日の午後という時間にも拘らず大型観光バスが並び、観光客でごったがえする様は宮城にあるもう一つの蒸留所とは随分と様子が違っていた。
それまではウヰスキー党の聖地でしかなかったと思われるこの蒸留所も、二年程前に放送されたドラマをきっかけに一大観光地となったことは、この町にとっても実に嬉しいことだろう。
僕が日本のウヰスキー蒸留所を訪ねるのはここで三か所目となる。
まずは御殿場蒸留所に、僕のほぼ地元と言える宮城峡蒸留所、そしてこの余市蒸留所だ。前出の二つはいずれも豊かな深い森の中にあったのだけど、この蒸留所は余市川沿いの込み合う市街地の中に入り口があった。歴史の古さから考えれば、きっと創業当時はうっそうとした森の中だったに違いない。ウヰスキーの作り方はそれほど大きく変わらないからそれは置いといて、僕がこの場所へ来た大きな理由とは創業者の人となりを確かめたかったからだ。やはりここを訪れて初めて知った事がたくさんあって、リタ・ハウスを初め幾つかの建物が国の登録有形文化財に指定された事は、ウヰスキー党の僕ならずともこの町の人々にとっても実に喜ばしい事だっただろう。
そんな事を思いながらポットスチルの下で赤く燃える石炭の火を眺めながら、ゆっくりと過ごした午後の時間だった。

 

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今朝ほど、この街を出発する前に歩いてみたまだ薄暗い運河。
道路を挟んだ街の灯りにボンヤリと照らされた倉庫群と運河の水面。人影どころか動くものすらないモノクロの世界は、現代というタイムラインからフェイドアウトされて、そこだけ明治の時代に戻ってしまったかのような景色だった。
その夜、晩メシを食べながらそんな事を思い返していた僕は、店が呼んでくれたタクシーにホテルではなく、この場所へ再び連れて行ってくれるように頼んだ。

 

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この街には名前のついた坂がたくさんあって、それそれの生活に密着しているのが窺える。
見晴らし坂とか、十間坂とか、職人坂とかいろいろあるけれど一番頷けたのは励ましの坂だった。その最大勾配はなんと24%もあり、その急峻さはクルマ2台分の約10mで実に2.4mも登る計算となる。その200m程も続く坂道を昔の人たちはきっと励まし合いならが登っていたことだろう。

冒頭の坂の絵もどこかで見たような、なぜか懐かしいような感じを受けたのは、テレビドラマや映画のロケ地になった事があるからなのかも知れない。

 

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僕は今時の電話は持っていない。
だからWebで細かく調べながら旅をすると言う事が出来ず、出発まえにザックリと外せない場所や店だけは見ておいて、あとは現地で地元の人に訊くという事が多い。これは僕のスタイルというか性格と言った方が正確かも知れない。この街にこんなステキ坂がある事を教えてくれたのは、Webで検索した観光ガイドなどではなくて、坂下にある宿のフロント係のご婦人だった。

 

 

 

 

 

 

 

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2016年10月20日 (木)

676海里の非日常 (1/5) 海風の記憶

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ことし海の日の辺りから心に沸々と湧いていた海への憧憬は、こんな形で実現することが叶った。
船路という移動手段を初めて体験したのは昨年、偶然に乗船することが出来た駿河湾フェリーでの事。洋上から富士山や陸地に沈む夕日を目にして以来、その光景は僕の心の何処かに、船底のフジツボのように付いてしまっていた気がする。駿河湾では僅か1時間程の船旅で周囲にずっと陸地も見えていたけれど、内陸に暮らす僕にとってこの360度海に囲まれるこの感覚は三年ぶりとはいえ実に新鮮なものだった。暫しの間だけど両手足をクルマの運転という作業から解放し、港に着けばまるで自宅の車庫から出かけるように船倉を抜け出し、再び陸路の旅を続ける感覚も気に入ってしまった。
そんな事を思い返してみると今回北の大地を選んだのは、それぞれのフェリー航路の北終点の地だったからなのかも知れない。
陸路でも常々往復おなじ道を通る事を好まない僕の性格。運が良ければ日本海と太平洋ルートの運行時間から、日本海では日の入りを太平洋では満天の星空と日の出を水平線と共に堪能できるという皮算用を踏んでいた。

 

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自宅から新潟港までは2時間と少しの陸路。
乗船手続きを済ませて気がついたのは、船倉の指定位置にクルマを停めてドアをロックすれば、本日の能動的業務はすべて終了という事だ。トリップメーター見ればまだ130キロ程、時計を見ればまだ午前10時。これまで体験したことのないこのシュチュエーションへの期待感が半分と、なんだか物足りない気持ち半分を抱えてフロントへのエレベータのボタンを押した。
当たり前の事だけど船とは一旦出航してしまえば、全長200mもある大きな閉塞された空間となってしまう。それはレストランやグリル、大浴場やショップや映画館などのアミューズメント施設など生活に必要なすべての備えた小さな町のようなもの。もともと知らない街の裏路地を歩きまわるのが好きな僕はくまなくパブリックスペースを歩き回り、お気に入りの眺めや場所を次々とストックしていった。
部屋に戻るとテラスに椅子を持ち出して海風を浴びると、小樽までの692㎞・18時間の船旅が始まった事を実感した。
こんなに長い時間ステアリングを握らないなら、きっと相棒が必要になるに違いないとバックに忍ばせてきたのが、明日訪れるであろう蒸留所のシングルモルト。それも今ではもう手に入らない旧ヴァージョン。テレビの影響は恐ろしいもので、一つのドラマがこのウヰスキーの品切れとWeb上では4~5倍の価格で取引される狂った事態を生み出した。それから二年程で発売された新ヴァージョンは価格も以前の倍以上だったけど僕同様、期待に満ちて試したのだけど、落胆されたご諸兄方も少なくはないと思う。他の酒類とは違いウヰスキーは五年とか六年で出来るものではないのだから、十年単位で待たねばならないだろう。
そういえば昼酒はなぜ美味しいのだろう、こんな対談をラヂオで聴いたのを思い出した。
出演していた人がおしなべて言っていたのは、”えっ、こんな時間からいいの?”という日常の行動パターンから生じる背徳感が美味しさを増幅させるらしい。僕の場合これに水平線と時おり聞こえるフェリーがかき分ける波の音、全身に感じる海風が加わり至福の時間だったことは言うまでもない。

 

ゆったりと流れる船上の時間。
海域や陽射しの加減だろうか、海というものも随分と頻繁に色の表情を変える事を初めて知った。気が向けば船内の散策に出かけ、船尾から水平線にまで伸びる航跡をボンヤリと眺める。デッキでは追い風でもないかぎり船の速度と同じ風が常に吹いているから、少し冷えてきたかと思えばカフェに行って軽食とビールを仕入れて、プロムナードから午後の光る海を眺めるというそれはそれは気ままな船旅なのだ。それでも日没1時間前ぐらいから急に雲が広がって、水平線に沈む太陽を見る事は叶わなかぅったけれど、波も静かで夕方まで好天に恵まれた事は幸運だった。

 

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午後七時近くだっただろうか。
船内アナウンスがあって30分程すると左舷側を新潟港に向かう船が通りすぎると言っていた。間際に船長からのアナウンスがあって、皆こぞって左舷デッキに繰り出すと漆黒の闇の中、11時の方向に船灯りが見える。星の灯りすら見えず空と海の区別もつかない真っ暗な中で船がどんどん近づいてくると、その船だけが不規則に揺れているような、眩暈ともつかないような奇妙な錯覚にとらわれる。じっと見つめているとその船の存在自体がこの世界のものではないような気さえしてくるのだ。
すれ違い間際にお互い挨拶のように鳴らした長い汽笛だけが唯一、現実世界の出来事のように思えた。

 

 

 

 

 

 

 

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