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2016年3月の記事

2016年3月25日 (金)

隣街で見た景色

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光は それがどこから来るかを考えない人をも照らす
 モーリス・ブロンデル    .

 

 

 

これは虹と同じようなもので見ようとして見られるものではない。
天空の神の気まぐれと、たまたまそこに居合わせた人達が共有できる幸運の証。
この光景を眺めていて心に浮かんできたのは、この穏やで印象的な旋律だった。

 

 
J.S.バッハ - ゴルトベルク変奏曲 アリア  

<2/6>

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2016年3月18日 (金)

まるで 昨日のことのやうに (Ⅸ) 1827 days ago ( epilogue )

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一昨年から続いている”牡蠣小屋”ならぬ師走の牡蠣パーティー。
会場を提供してくれた知人からは早々と11月には催促にも似た電話があった。牡蠣の調達は僕の担当だから仕入れ先に聞いてみると、12月初旬頃になれば身入りがぐっと良くなるとの話だった。

 
めずらしく雪の全くない昨年の師走。
仙台に行けば必ず顔を出す馴染みの店から牡鹿産の牡蠣をごっそりと仕入れると、その足で僕は北へと向かった。三陸自動車道の現在終点である登米東和からまず向かったのは南三陸町、そこから45号線を北上して最終目的地は陸前高田市だ。
途中の気仙沼横丁に寄って遅い昼メシ。
師走それも平日の昼過ぎなので混雑はしていないけれど、さまざまな店があって気になる店をマークしながら1往復半ほど彷徨っていた。いま思い返せばその時はきっと”孤独の具留目”の語郎さんのような目つきをして歩いていたような気もする。
中ほどにある定食屋の黒板が再々目に留まっというよりも、僕の摂食中枢がロックオンしていたのは蛍光ペンで書かれた-メカジキ-という文字だった。その時不用意に店の扉が開き、人懐こい笑で”良かったらどうぞ”と声をかけられてハッとした。それは以前遠くの街に越した知人に輪郭がとても良く似ていたから。吸い込まれるように店に入ると続くように入って来たのは、僕と同じように先ほどから店を物色していたカップルだ。少し遅れて大きなバックを肩にかけて入って来たのは女性客は、地元の常連客だというのは二人の会話からも想像がつく。こんな時に限って三人とも全部違うものを頼むものだから、奥の調理場で忙しくしている彼女に代わって、お茶や盛り付けの終わった小鉢を運んでくれたのはその常連女性客だった。
”これは山形のつや姫だから美味しいよ”と、かなり盛りの良いご飯を運んで来てくれた。話の中でこの横丁も来年9月で終わってなくなるのだという事も聞いて、ここに来る途中も解体している建物が沢山あった事を思い出した。”ところでお客さんはどちらから?”と訊かれ、”うん? つや姫の地元の山形だけど、一番南の端で雪の多い街”と答えると”もしかして、米沢?”と言われてビックリした。なんでも彼女の親父さんは中山でこの米を作っていて、何度か上杉祭りや雪灯籠祭りで米沢をおとずれた事があるらしい。世の中なんとも狭いものだ。

夕方からこの店は居酒屋に変わる。
9時閉店という営業時間というのも中学生の門限のようで、長居は無用の大人の嗜みを要求しているようなこの時間。駐車場までブラブラ歩く道すがら青空を見上げて、あの店で女将の隠し玉とやらを食べながら酔ってみたいという、当てのない晩メシの妄想をしていた。

この横丁の解体が9月から延長されたことを知ったのは、それからふた月程過ぎた日の東北版ニュースでのことだった。

 

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陸前高田市。
仙台から一時間程の太平洋沿岸で一番好きな街だ。初めてこの街を訪れたのはもう20年以上も前になるだろうか、目の前には広々とした湾が広がりその一番奥まった高田松原と呼ばれる海岸に多くの松が生い茂っていて、まるで東北の三保の松原のようだと思った記憶がある。

この街の復興シンボルとも言われていた、嵩上げ工事の土砂を運んだベルトコンベヤーが役目を終えて解体されるということを知ったのは、昨年秋口のニュースだった。
幸いな事に希望のかけ橋は今春からの解体の予定らしく、あの気仙川を跨ぐ姿を見る事が出来るかもしれない。そして間もなく五年を迎えようとしている高田松原の今の姿を自分の目で確かめたいという思いもあった。

 

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あの日以来NHK仙台から毎週放送している”被災地からの声”という番組がある。
これは現地で偶然に会った津波や原発で被災した人たちに、事前の打ち合わせやリハーサルなど全くなしに直接話を聞いていくという構成の番組だ。普段着の人たちが自然に口に出すのは、感謝であったり本音であったり、当たり前の事だけど行政への不満だってある。僕は放送開始からずっとこの番組を見続けているけれど、直後に比べて語られる内容が少しずつ変わってきていることに気がついた。それは一昨年あたりからその中に希望であったり、また決意であったりする内容が少しづつ多くなって来たことだ。初回からずっと石巻出身の津田キャスターが司会を務め、最後にまとめのコメントを語ってくれる。その中でいつも語られるのは、とにかく全国の人たちに東北に来てほしいということだ。そうなのだ、観光であれビジネスであれ、東北に来てどんな形でもいいからお金を落としてくれば、それが巡り巡ってこれからの真の復興につながるということなのだろう。

  
  

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以前この橋のから先には松林が生い茂り、右手の水門からは気仙川の河口が見えた。
いまはその松林も巨大な防潮堤になってしまっていた。今回の教訓は、それこそ千年先の人を守る為の賢い選択としてこんな形で生かされたのだろう。そしてこの松の子孫が再び高田松原を形成してくれるに違いない。

 

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先週末は5年の節目と言う事で各局がこぞって特集番組を放送していたけれど、あの定食屋の店主や常連客の話を聞いて、現場(現地)では5年という日は節目でもなんでもなく、ただの通過点なのだという事を教わった。
寄付や義援金の時期が過ぎた今、同じ東北人としてこれからずっと出来る事は、とにかく機会あるごとに東北の太平洋側に足を運ぶことなのだと思った。

 

<3/6>

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2016年3月11日 (金)

まるで 昨日のことのやうに (Ⅷ) 1827 days ago ( chapter ) 

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これらの絵はPC内の倉庫で四年以上もの間ずっと眠っていたものたち。
何度かビュアーで眺めていたのだけど、この穏やかな光景の背後に広がっていたあの光景を思い出すと、現像する気にもならずにRAWデータのままでひっそりと存在し続けていた。
この海岸は近くの水族館からの帰りには必ずこの海水浴場に降りて、海の水に触れて帰るというお気に入りの場所だった。高台を走る県道から脇道に入るとどこにでもあるような海沿いの集落が広がり、その中を通り抜けるとこの海岸に出ることが出来る。僕がこの絵を切り取ったのは2011年も暮れようとした頃で、大地と海が荒れ狂ってからもう九ヶ月という時間が過ぎていた。

  
県道から脇道にそれてすぐに気がついたのは、この辺りからはまだまだ海は見えなかったはずだったということ。
けれどもその先はあたかも田んぼや畑であるように見通しが利くようになっていて、遠くにはうみが見えていた。くるまを進めるとそこにあったのは夥しい数の家屋の痕跡だった。道路の両側にはかつての建屋の形を連想させる白い基礎コンクリート累々と並び、ここがかつて広い集落であったことを語っていた。途中の空き地にくるまを停めてしばらく辺りを歩いてみる。生活感のあるゴミの一つでも落ちていてくれるとそこに人々の生活を感じられるのだけど、それすらも見つける事は出来なかった。いやそのこと自体がもはや何百年も経った遺跡のようにすら思えてきたものだ。
その日はめずらしく風のない日で、動くものは遠くに見える波だけだった。
風の音すら聞こえない茫漠と広がる無音の世界。見渡す限り人影のないこの場所に一人で立っていると、家の基礎たちが幻灯機のように、かつての風景を映しだすようなおかしな感覚に襲われる。半分その場を離れたいような気持ちで、そのまま水際までの200m程を歩き始める。

水辺に降りて改めて実感した。
遥か沖合いの海底が放った水の壁はあたかも自らの行く手に何もなかったかのように、この5m程もある防波堤を易々と乗り越えていったのだろう。

冬至の頃の日暮れは早い。
だいぶ傾いてきた陽射しの中に子供に何かを話している父親がいた。彼が身振り手振りを交えながら話していた事は、きっとここで一体何が起きたのかという事なのだと遠目で見ていた僕にも容易に察しがついた。あの時ははまだ小さいから内容はあまり分らないのかも知れないけれど、いつかその子が父親になった時にきっと同じ話をしてくれる事を願いながら。

 

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あれから時がすぎ何事もなかったように、いつもの澄み切った冬のそらと海が広がっていた。
これはきっとこの水の惑星で悠久の太古から続いてきた日常の光景なのだろう。今回の事はきっと地球という閉鎖された星の中での出来事と考えれば、台風の上陸と同じように今まで何度となく繰り返されてきた、自然現象の一つに過ぎなかったのかも知れない。けれども、今回は予測という文明の知恵も及ばずに失われたものは、あまりにも、あまりにも大きすぎた。

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もう日がとっぷりと暮れて、ヘッドライトの中をセンターラインがナトリューム灯のように流れてゆく帰りの道すがら。
僕は先ほどの光景を一つひとつ思い浮かべながら、ある思いを事実なのだと信じようとしていた。
それはあの集落の地形だった。
海岸と山に挟まれた細長い土地でそこに住んでいた人達は、すぐ裏手の山に避難して全員が無事だったのだということを。

 

  
  

 

讃美歌第2偏167番   < 白鳥 恵美子 >
   

 

この美しい歌声を
  
五年前のあの日
西の十万億土へと旅立った
多くの御霊と
  
昔からそうだったように
これからも何ら変わらない
穏やかな東北のうみとそらに捧ぐ

 

 

<4/6>

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2016年3月 4日 (金)

まるで 昨日のことのやうに (Ⅶ) 1827 days ago ( prologue ) 

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○ ○ ○ ○
 
 

<5/6>

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