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2016年1月 8日 (金)

ふゆ 来たりなば・・・

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種類や品目は人それぞれだけど、それを食べただけで季節を感じとる事の出来る食材は、誰しも一つや二つは持っているもの。
僕の場合はともに野菜で、一つ目はここの温泉熱を利用した室で育てられた豆もやし。独特の卵色の葉(豆)とスラリと伸びた白味がかった花葉色の茎を持つ。二つ目は上杉鷹山公が推奨したと言われている雪菜という伝統野菜だ。確か正宗の膝元である仙台にも雪菜はあったけれど、この土地のものは雪の中で成長させるので茎や葉が緑のものではない。茎はこの豆もやしよりもさらに白い卯の花色で、葉の部分は雪の中で遠くの春を夢見ていたような萌木色のグラデーションが美しい。この二つとも冬の三か月程の間だけ食べる事が叶うこの地方のふゆの味覚。豆もやしは生産量が限られている上に観光土産や、冬の贈答用に供されるので売り切れていることも度々だけど。
   

このノスタルジックな店は街の奥座敷と呼ばれる温泉街にあって、市街地よりも三割程多い積雪があるのが普通の光景。けれど今年は店の前に広がっているは一面の冬枯れた川原の景色だった。雪の降らない地域にお住まいのご諸兄方にはごく普通の光景かも知れないけれど、雪国住まいの僕にとっては時期的にもすごく珍しい光景だったりするもの。
普段見慣れた光景(場所)で花見と並ぶ江戸風情である枯れ野見を愉しんでいて気がついたのはその繊細な色彩だった。
目立たないけれどしっとりとした品があって陽の光が射せば華やかさすら感じる。色の名前は分らないけれど、それぞれの組み合わせにそこからハッとするような広がりを感じたりもしていたものだ。
そんな時に何の前ぶれもなくて全くの偶然に手元に届いたのが、『日本の伝統色を愉しむ』というタイトルの素晴らしい”色の絵本”だった。
中でもあっ!と思ったのが本の袴に書かれていた”日本には微妙に違う色合いを見分ける感性と色を表現する美しい言葉がある”というくだりだった。
これをいろいろと繙いていくと、昔はわび・さびの境地として枯れ野の美が歌に詠まれていたことを知った。そしていままであまり経験のなかった身近な枯れ野に身を置いてみて感じたことは、時おり風の中に混じるのはむかし雪に閉ざされた牧場で嗅いだ記憶のある干し草の匂いだったり、何もないからこそ潔くて美しい、かえって温もりを感じたりもするその色彩の諧調に気がついたこと。
  

朽葉というのは確か冬の季語だったはずだけど、それが色の名前になっているたというのはこれも絵本で初めて知ったこと。
平安の貴族も愛した冬枯れの基本色である朽葉色。その絵本に載っているだけでも朽葉・黄朽葉・赤朽葉・青朽葉の四色だけど、そこから派生した朽葉四十八色と言われるほど存在していたことは、昔人の色の感性の素晴らしさに感心するばかりだ。

 

  
こんな思ってもみなかった愉しみを教えてくれた今年の枯れ野の景色。
秋も終わりになって、皆がこれからいよいよふゆが来るのだとため息をつき始めると、僕はそんな人たちにこう言っていた。”季節には順序というものがあって冬を飛び越して春という訳にはいかないのだから、冬にはなるべく早くちゃっちゃと終わらしてもらうしかないの”と。そんな事を言うと相槌をうちながら、少し笑顔になってくれたものだった。
今年の正月は視界にほとんど雪のない三が日を過ごした。
あれから五日が経って少しは白くなったけど気温が高くて、また視界から消えてしまった。僕の拙い記憶では二十年程前にもこんな正月があったような気がするのだけど、ここはれっきとした雪国。しかも二~三年に一度は累計積雪量が10mを平気で越えてしまう程の豪雪地帯という地域性から、冬は雪そのものを生業にしている人も大勢いる訳で、もうすぐ一月も半ばなのだから足元が良いと喜んでばかりもいられない。
雪国でいう本当のふゆという季節はまだ始まったばかりのようだ。経済や雪が積もるという前提の上で成り立つ夏場の水の面から考えると、枯れ野の上に早く白いくて分厚い布団が掛けられる事を願って止まない。

 

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先月、巴里で開かれたCOP二十一関連のドキュメンタリーを偶然に目にした。
体育館のようなとてつもない広い部屋にぎっしりと並んだスーパーコンピュータが映し出され、これから起こるであろう気象変動について、その計算結果を図表と共に解説していた。本州(東北)では林檎が採れなくなってくるとか、関東圏では桜の花が咲かなくなってミカンの産地になるとかで、思わず椅子に掛けて見入ってしまった。台風などの災害に至っては、上陸ルートは今よりもずっと東に移動して東海・関東地方になるとか、台風の発生件数は少なくなるけれどその殆どがスーパー台風になるとも言っていた。そして最近よく言われるようになってきた『かつて経験したことのない・・・・』を頻繁に経験することになるだろうという恐ろしい事を言っていた。
僕がこの星に居るあと少しの時間ではそこまで大変な事にならないにしても、次の世代・またその次の世代と続いていくのだし、どうやらこれは前出の会議同様に自国や目先の事だけではなく、この星全体を運命を共にする一つの宇宙船として一人ひとりが考えなければならない問題のようだ。
   

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