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2015年11月の記事

2015年11月20日 (金)

1,000哩の非日常 (3/4)  東の美術館へ

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宿での朝メシもそこそこに、珍しくわき目も振らずやって来たのが県立美術館のこの部屋だった。
強い傾斜と水平部が何度も訪れる小高い丘の上にあったのは、広々とした階段を裾野に持つスクエアな印象のこの美術館。大方この類の建築物はすぐ傍に広い駐車場が併設されているものだけど、素晴らしい造りだなと思ったのはそれが道路向かいにある森の中に隠してあることだ。バスなりタクシーでやって来た人たちは裾野端のプールで降りると、無粋でカラフルなパッチワークを目にすることなく、途中のモニュメントや四季おりおりの草木を眺めながらエントランスへと吸い込まれて行くことだろう。
2Fのチケット売り場の卓上インフォメーションスタンドに書かれてあったのは”ロダン館のみ撮影可能”という文字。僕は思わず売り場の人にコレ本当ですか?と訊いてしまった。彼女はロダン館だけですがご自由にどうぞと満面の笑みで答えてくれていたのだろうけれど、お釣りを受け取るのももどかしく再び森に向かったのは言うまでもない。
入り口では無料の音声ガイドはどうかと親切に声を掛けられた。なるほど展示室にはとかく付き物の作品の解説パネルはほとんどなくて、台座とか床に書いてある番号を押すだけで作品の解説が聴ける便利なものだ。おそらくそれを聴かなければ、いまだに僕の中で彼の作品における表現の幾つかは誤解したままになっていただろう。途中で至福の昼メシを摂ったりしながらかれこれもう4時間近くが過ぎていた。

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美術館から清水港に向かったのは三保の松原のすぐ近くだし、もしも富士山が見えればフェリーで駿河湾を渡りたかったから。
けれど肝心の富士山も見えないことだし、三保の松原に降り立ったなら東名に乗ろう思っていた時に見つけたフェリーの看板。天気次第と言いつつも出航時間すらメモしていなくて、どんな埠頭だろうと中に入ってみるとクルマが並んでいてこれから出港する様子だった。入り口にいた係の人に予約していないが乗れるだろうか?と尋ねると、出港15分前だから、急いで手続きをと済ませるように言われた。三保の松原は何処かに飛んでしまったけれど何という幸運だろうか。
   
この日の宿は西伊豆の土肥に取ってあって、この場所との位置関係は一言で言えば弦鍋のようなもの。フェリーだとまっすぐ土肥港に行けるのだけど、陸路は鍋の弦のようにぐるっと駿河湾の縁を廻らなければならなかったのだから。美術館での軽い疲れもあって陸路の半分の時間で土肥に着けるフェリーは実にありがたかった。
周囲360度を海原に囲まれるこの感覚は三年前に飛島に渡って以来のもの。もともと客室で過ごす事を好まない僕はデッキで海風にカラダを曝しながら水平線の眺めを愉しんでいた。船が湾の中央にさしかかる頃に、十分いやほんの数分だったかも知れない。やにわに雲が切れて富士山が姿を見せてくれたのはこの日三度目の幸運だった。
   

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海上国道は知っていたけれど、海上県道は初めてだった。
一桁や二桁の国道は重要な道路として国が直轄で維持補修の管理をしているけれど、三桁の国道管理者は都道府県となる。
(※三桁国道でも特に重要なものは例外として国の直轄となるものもあるのだけど)
この223号線も観光地らしい粋な条例で生まれた県道なのだろう。
そう言えばだいぶ前の事になるけれど佐渡に渡る時に埠頭に描かれた国道を見た事があった。標識もちゃんと立っていてセンターラインや外側線も引いてあるのだけど、それが岸壁でプッツリと切れてその先は海だった。
この事を当時はまだ建設省の知り合いに尋ねたところ、国道は必ず国道につながらなければならない決まりらしく、行き止まりの国道は存在しないとの事。その時教わったのが海上国道(一般的にはフェリー航路)だった。佐渡に道路をつくればただの県道か市道になるわけで、こうしておけば国道と認められて建設や補修の予算も十分に付くのだと教えてくれたっけ。


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2015年11月13日 (金)

1,000哩の非日常 (2/4)  南の繁華街へ

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僕は日程さえ許せば国内の移動手段は On the Rail よりも On the Road を好むタイプ。
理由は三つあって、その一つはレールは外れることは出来ないけれど、道路ならばすべてが繋がっているから自由に外れたり戻ることができること。二つ目はダイヤや乗継の待ち合わせがないから、目的地に行き暮れるのは自己責任にしても時間的な自由度が高いこと。
そして若い頃はサーキットも走っていたように昔から運転するのは苦ではないし、運転というよりも両手足を使って操るというあの感覚が好きなのかも知れない。

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僕がこの日の宿に名古屋を選んだ理由は、中京最大都市の繁華街を歩いてみたかったから。
こんな事を書いてしまうと僕が豪い呑兵衛のように聞こえるかも知れないけれど、本当の目的は『夜のオアシス21』だ。金沢からだと名古屋も京都も同じ距離だから、ひょっとしたら今回のタイトルは”南の古都へ”になっていたかも知れない。それも良かったのだろうけれど確保した日程も伸ばせなかったし、翌日の予定を考えればこの日のうちにいくらでもベクトルを東に振っておきたかった、というのも名古屋を選んだ理由だった。
         
名古屋へのルートは世界遺産の白川郷を通る東海北陸自動車道と、もう少し西寄りの北陸自動車道~名神高速道の2つがある。
白川郷には白山白川郷ホワイトロードがあるし、琵琶湖の近くには伊吹山ドライブウェイがあって、両方とも僕の大好きなワインディングロードがもれなく付いてくる好条件だ。どちらを通るかはまさに天気次第の気ままな旅だけど、夜明けの近江市場で初めての挨拶を交わした当日の好天は敦賀湾と琵琶湖をかすめる西寄りのルートを勧めてくれた。

 

  
首都高のあのややこしいランプは別にしても、高速道路は最も安全な道路だと思っている。
当たり前の事だけど対向車がある訳でもなく、交差点や歩行者や信号もない。加速や減速のあまりない定速で走る事ができて、ハンドルの操作もほとんど5度以内で済んでしまう快適性をもっている。反面僕の性分からすれば一番つまらないのがこの道路で、この時ばかりは自動運転は実現すれば素晴らしい技術だなと思ってしまう。右手足だけが僅かに仕事をしているこの時間は、周囲に広く浅く注意を払いながらのんびりと景色を眺められる半休憩の時間だったりもする。
   
左側に伊吹山と思しき山容が見えて来た頃、いきなり右側に姿を現したのが琵琶湖だった。
先ほど山間から見えた敦賀湾とは比較にならないその大きさは、京都側の対岸が見えないほどのもの。この日本最大の湖を目にして是非とも琵琶湖の水に触れてみたいと思うのがいつもの悪い癖。あと数分で米原J・Cから名神に入る予定だったけれどその直前にインターがあったのは幸運だった。
思いがけず琵琶湖の大きさに圧倒されその岸部に立ち湖水に触れてみる。
その水の美しさの秘密と詳細について初めて知ったのは帰ってからのぞいたWebだった。

   
それから伊吹山と二時間ほど過ごし、繁華街の真ん中にある宿に着いたのはまだ日没前のこと。

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2015年11月 2日 (月)

1,000哩の非日常 (1/4)  西の美術館へ

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誰でも自分の好きな場所(風景)というものは大概ふたつや三つはもっているもの。
出会いやきっかけは人それぞれに違っていて例えばその場所にずっと恋焦がれ、ようやくそれが叶った時に必然的に恋に落ちてしまうケース。また偶然に通りかかって一目惚れしてしまった場合もあることだろう。自分の中で持っている”何か”とその場所が発する”何か”一致してしまうと、以降は地図を眺めていても自然とそこに目が行ってしまうようになってしまう。ルートの選定にしてもざっくりと○○方面と思い地図を眺めると、近くを通るのだから寄ってみようという大義名分が出来上がる。

僕は一昨年この金沢の市街地からわずか北に数キロ程の所を通過していた。
それは宿をとっていた七尾へと向かう途中、ほんのちょっと寄り道したかった羽咋市の海岸へ向かう為だった。そこで僕は日本でもここだけ、世界でも三か所しかないその海岸に一目惚れをしてしまった。それは最近経験のないようなもので、宿に着いてからも朝起きてからも頭から離れることはなかったのを覚えている。
翌日は予定していた能登島の美術館に寄ったあとは、一気に500キロの帰路に就く予定だったのだけど、その海岸の魅惑に勝てるはずもないのは自分でも薄々気づいていた。それを後押ししたのは誰が言ったか忘れたけれど”魅惑を振り払う唯一の方法は魅惑に屈することだ”という僕にとっては実に都合の良い言葉だ。本来は東に向かわなければならなかったのに、西の海岸に再びやってくると帰りの時間などとっくに忘れ、十五時過ぎまで過ごす程の入れ込みようだった。

 

僕が金沢に宿をとった理由は兼六園でもなくて、東茶屋街でもなくてこの美術館を見たかったから。
そのきっかけは半年ほど前に見かけたエッセイのような広告文字だった。それにはいきなり『21世紀が近づいた・・・・・』と書かれてあって、いまさら何を言い出すのだろうと思いながら読んでいくと、要するに美術愛好家には北陸新幹線の開通によってこの21世紀美術館がグッと身近になったと言うことらしい。あの時は全く意識の及ばなかった金沢という土地を地図で眺めてみると自然に視野に入ってくるのはあの千里浜だ。距離にしてみれば金沢間は35キロ弱。そこであの大義名分により金沢に行くのだったら近くだし、それに東口の鼓門も朝の散歩で見てみたいし、などと考える間もなく東口から徒歩2分の朝メシ付の格安宿を予約していた。こんど金沢の21世紀美術館に行くのだと友人に話したら、『あぁ、あそこは千里浜のすぐ近くだな』とちゃんと見透かされていて、僕は”まぁなぁ~”としか答えられなかった。  
  

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初めて訪れた21世紀は普段見慣れた美術館とはかなり毛色の違う館。 
常設展や目当ての二つの企画展はもちろん素晴らしかったけど、敷地内や館内にはさまざまな立体芸術が置かれてあって、最初はン!これは一体何だろう?と遊び感覚で引き込まれてフト気が付けば日常を越えた、不思議な感覚にとらわれているとても楽しい場所だ。なかでもタレルの部屋は好きな本でも携えて半日は居たいと思った場所。通路から覘くとあまり意味が解らなくても部屋に入ると感覚が一変する。部屋に差し込む陽射しの角度や雲の模様など飽きることがない。きっとこの部屋の常連さんだろう、連れの人に雨の日の素晴らしさを説明していた。部屋の中に落ちた雨粒が美しい音を響かせるのだと。きっと日本古来の水琴窟のような音がするに違いない。

 

 

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ここ数ヵ月程はフトしたきっかけから食べる物や水には、品目よりも”成分面”でけっこう気を使ってきた。
けれども旅先での非日常感はそんな事すら何処かにフッ飛ばしてしまう。普段の”食べるものはカラダの栄養”が、いつの間にか”旨いもんはココロの栄養”にすり替わってしまう。今回どうしても食べてみたかったものはいつかBSで見た、金沢おでんに加賀野菜の郷土料理とのど黒だった。地元の事は地元でと、その三つを一度に叶えてくれる店をフロントで教えてもらった。定番三品の金沢おでんやのど黒の塩焼き&ごはんも美味しかったけれど、一番ビックリしたのが加賀野菜だ。
今頃の夜明けは大分遅い。まだ夜も明けきらないうちに向かったのは近江町市場。まだ観光客の殆どいない場内は陳列台一面に氷を敷き詰めたり、品物を運び込んだりと規模の大きさも後押ししてこれだけでもかなりの活気を感じる場所だ。そんな中に早朝営業していた八百屋さんがあって、昨夜食べた加賀野菜の話をしたら、旅人でしかも一見客の僕に加賀野菜の目利きのしかたなど親切に教えてくれた。先月から収穫が始まった加賀れんこんにそろそろ終わり気味の金時草、そして昨夜食べて一番ビックリした太キュウリなどの事を教わった。美術館周辺もそうだったけど、駅までの道のりも古いお寺や建物とガラス張りのビルが当たり前のように並ぶ近代的且つ歴史を感じさせる街並み。野菜や金箔を施した羊羹や駅の鼓門などまだほんの一角に触れただけの百万石風情。
西方500光年の所に35光年はなれて輝く二つの伴星。
その加賀の国といふ小宇宙にまた違う季節に訪れるのだろう。

 

 

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僕には何度も訪れたいと思う好きな場所が数多あるといふのは幸せな事だと思っている
 
土地や風景は人と同じく一度会っただけではすべてを知ることなどは出来ないのだから
 
また会いたいというその感覚が湧いてこなければ単なる知り合い程度のこと
 
本当に好きならば何度でも通う

そうすればその度に新しい表情を見せてくれるし

まだまだ知らなかった別の発見を与えてくれる
 
 
 
  (自由人)

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