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2015年7月の記事

2015年7月27日 (月)

Wind from the North 3/3  ( W to SSE  夏に吹いた北風の通り道 )

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宿泊を伴う旅において、その日一番最初の愉しみは早朝の街を歩いてみること。
持ち物はといえば地図とわずかな小銭が入った小振りのバック。それから興味を惹かれれば、地元の人ぐらいしか通らない路地裏にどんどん入り込んでいくので、あまり怪しいいでたちでないほうが都合がいい。残念ながら開運橋は塗装工事中で見ることは叶わなかったけれど、そこでこの北上川と岩手山には会うことが出来た。僕の街にも同じように川と山があって好きな景色の一つなのだけど、この街に長く暮らす人たちにとってもきっと、原風景といえる眺めのひとつなのだろう。この場所に着いた時は下の遊歩道には散歩やジョギングの人たちしかいなかったけれど、大きなバックを抱えたサラリーマンと思しき人たちが急に増えだしてきた。そうなのだ、ここは盛岡駅のすぐ前で、しかも週明け月曜日の朝だった。

 

この盛岡は僕にとって二度目だけど、”旅”という事においては初めての街というケースがほとんどだろう。
そしてこんな愉しみを見出したきっかけは四・五年前に、フトしたことですっかり味をしめてしまった一人旅に出はじめてからで、以来ずっと続いている早寝の習慣がある。晩メシから戻っても特にテレビを見たりすることもなく、その日の移動ルートを思い返しているうちに眠りに落ちてしまう。その時間帯のほとんどが21時台前半で、いままで時計の針が22時を指すのを見たことがない。
”見知らぬ街でひとり目を覚ますのは、もっとも心地良い感覚のひとつである”という言葉がある。それでなくても旅先では早く目が覚めがちなもので、その感覚を十分に堪能してもいつも朝メシまでの時間を持て余していた。三度目ぐらいの時だっただろうか、好奇心の誘うままの寄り道をしすぎて、宿に着いた時にはすっかり日が暮れていた時があった。晩メシを食べに出た繁華街の印象だけで眠りに就き、翌朝窓を開けてみるとそこには昨夜とはまるでイメージが違う穏やかな街並みが広がっていた。この場所はまたやって来るかも知れないし、もう二度と訪れる事がないのかも知れない。そんな旅先であるという主情的な気分もあってか、僕にとっては旅先で一夜を共に過ごしたAmantのようなものにさえ思えたものだった。目覚めてからその土地を出発するまでは長くても3時間ほど。ノーメイクの素顔を少しでも知りたいという好奇心が半分で残りは愛着(愛情)だったりする。

 

一人旅と言えば好んで出かける人と、絶対に嫌がる人にと好みがキッパリと二分されるようだ。
僕の場合はもちろん前者で自分の都合の良い日程で、臨機応変に行動できることが一番の理由だろう。同行者に気を使う必要もないから、昼メシの場所や・時間も自由だし、興味のあるところではじっくりと時間をかけられる。それに一人だとおのずと地元の人とかに話しかける事が多くなって、普段の僕ではまず考えられないこの積極性が、見知らぬ人や風景との出会いをもたらしてくれているような気がしている。割りにおひとり様を好む僕の原点は元来、平日が休みなのでそれに起因している部分が大きいようだ。平日は何処に出かけてもあまり込み合う事はなくてゆっくり出来るという利点もあるが、大好きな美術館はハッピーマンデーに縋るしかない。

 

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僕の旅のモットーは基本的には往路と復路は同じ道を通らないこと。
国道から小岩井農場までの道のりもそうだった。まずは地元の人しか通らないような狭い道の先で待っていたのは、きっとガイドブックにも載っていない北海道のような広大な草原の先に聳える岩手山だった。

話はまた変わるけれど。
長いにしろ短いにしろ時間というものは対象が同じでも、見る者の視点を変えるもののようだ。以前は小首をかしげた斜め正面のアングルが一番美しいと思っていたけれど、今回の僕は少し愁いがあるような姫の横顔にすごく惹かれてしまったのは何故かしらん?。
  

 



Swing Out Sister   ' Now You're Not Here '   
(Summer ran through)


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2015年7月20日 (月)

Wind from the North 2/3  ( into は イーハトーヴ )

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「万障お繰り合わせの上・・・・・」というのはあくまでも能動的な事なのだけど、稀にそれが受動的に実現してしまう事がある。
最初に描いていた出発日の構成はといえば、仕事を終えて出発したら少し急いで20時前にはなんとかチェックインしよう。そしたらまずは汗を流しゆっくり晩メシでも食べに出ようというものだった。それが仕事の都合で昼には出発できるようになったのが前々日の事。その時真っ先に心に浮かんだのは、春先にラヂオから流れてきた花巻の宮沢賢治記念館のことだった。確か30年振りぐらいのリニューアルオープンが4月だと言っていたのを思い出した。
花巻から盛岡までは30分程。
まぁ遠野までは無理にしても記念館をゆっくり見ても、けっこう日差しが高いうちに盛岡に入る事ができると踏んだ僕は、わずかな昼メシの時間すら移動のために充てる事などなんとも思わない性格だったりする。最寄りのETCレーンをくぐった時にチラッと時計を見て浮かんで来たのは100分という数字。この感覚は若い頃からのもので、ちゃんとスケールの載っている地図の2地点を見ただけで所要時間が見えてしまう
ヘンなクセのようなもの。この動物的とも言える根拠のない直感が以外と正確で、誰かと出かけた時など到着推定時刻が大した誤差もなく当たるのでよくビックリされる。これには後方からロックオンされる事がない暗黙的な巡航速度を維持する、という前提で出てくる数字なのだけど。

 

たまたま居合わせた団体客に何気なくくっついて、ガイドの話を聞くことが出来たのはラッキーな事だった。
そんな中で素敵な土地柄だなぁと思ったのは、ボランティアガイド然り、館内設置のビデオガイド然り、職員の人たちすべてが、まるで親戚か近所のオジさんのような親しみを込めて”賢治さん”と呼んでいたこと。そして記念館を見て歩いて知った事は、僕は賢治さんの何も知らなかったのだという事実だった。彼の文学しか知らなかった僕にとっては本当にカルチャーショックを受けた世界だったし、宇宙、音楽、農業(土質・肥料)、少年期の鉱物収集など彼が興味を惹かれた事も僕と重なるので実に楽しい時間だった。そして展示を見終えて目にした『人生は総合芸術』という賢治さんの言葉。それはまさに彼の人生そのもので素晴らしい表現だと思った。

 

銀河鉄道の夜が書かれた背景にあったのは夜の北上川だった事を知り、地図で探したら偶然にもインターに戻る途中にあった。
真夏の午後、強い日差しの中を流れる川面をボンヤリ眺めていると、なぜか少年時代の夏休みが想い出されてくる。その時すごい金属音でハッ!と我にかえると車輪を出して着陸態勢に入ったジェット機が、風圧を感じそうな高さで頭上を通りすぎて行く。僕は記念館の事ばかり考えていて、ここが花巻空港のすぐそばなのだという事をすっかり忘れていた。イギリス海岸の真上を超低空で飛ぶ旅客機。もしも賢治さんがこれを目にしたのなら、好奇心旺盛だったようなのですぐにでも乘ってみたいと言い出したに違いない。

 

 

 

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材木町の通りには昔なかった賢治さんとセロのブロンズがあった。
市内に入って真っ先に向かったこのセンスが良いクラフト店だ。盛岡と言えばこの店が思い浮かぶ程に僕の中ではイメージの繋がりが強い店。仙台店の外観も趣きがあって良いのだけど、なんといってもこの本店の中庭が好きだ。店舗に隣接した数メートル程の煉瓦張りの路地には以前と同じ小洒落たベンチが置いてあり、奥へと続くこの雰囲気がまた良いのだ。この場所は、ある意味おもての通りと時間から隔離されたような雰囲気があって、店側もここをどれだけ大切にしているかが窺える。それは出発前に眺めてみた当時と全く同じアングルであるこの絵の中で、違っていたのは中央の大きな甕だけだったから。

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2015年7月 6日 (月)

Wind from the North 1/3  (ずっと待っていた夏)

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この町は松尾芭蕉が奥の細道で辿った北限の地であり、いままで隣県の山形在住である僕にとっても北限の町だった。

この大きな道の駅(愛称ねむの丘)に来る理由は単純に二つあって、一つはこれから向かう鳥海ブルーラインの秋田側の入口がこの町にあること。そしてもうひとつはこの景色を眺めながら、これもお気に入りの眺海丼という至福の昼メシのためなのだ。
今年この場所に立ったのはいつもとは季節が違う五月の連休明けの頃。
いつもなら昼メシを食べ終えるとやにわに出発するのだけど、今回はすこし場内を散策してみたくなった。それはまだ少しだけ若いというか、真夏の磯場特有の濃厚さをわずかに含んだような海風が心地良かったから。
  

山形の最南端の街に住む僕は、先ほど最北端の町を通過してすぐのこの場所は、秋田の最南端なのだということをずっと忘れていた。道の駅にだったらどこにでもある観光案内板をよくよく眺めて”あっ!”っと思った。
ここから田沢湖が近くだったことにそのとき初めて気が付いた。天気予報の全国地図には猪苗代湖と十和田湖がいつも見えるのでその位置関係は把握できているけど、それには描かれないちっちゃな田沢湖の近くまでいつも来ていたのだ。今日はブルーラインを止めにして田沢湖に向かおうかと一瞬まよったけれど湖の標高を考えればやはり夏まで待とうと思いとどまったのだ。

 

同じ県内だという錯覚からか、さほど遠い場所とは思っていなかったこのねむの丘。
改めてトリップメーターを見てみると最南端である僕の街からここまでは200km弱の距離。それを南に振れば福島県を通り越して、栃木県の宇都宮市だったり、茨城県の水戸市だったりする。僕が苦痛に感じない一日あたりの最大移動距離は500km程だからいままで何も感じなかったのだろう。それはさておき田沢湖への道は行きと帰り、同じ道を通らない条件でざっと計算すると550~600km程。一日で廻れない距離ではないけれど、せっかくみずうみを一周する道路もあることだし、時間をもう少し欲しいと考えた僕の選択は、休日を二日に分けること。つまり休前日の仕事が終わったならばすぐに盛岡入りして、ビジネスホテルに泊まれば翌日の移動距離は半分になるし、滞在時間も十分に取れる算段なのだった。

 

三十年ぶりの盛岡。
下旬には連休があるから込み合うその前に出かけよう。ここから3時間ほどの道のりは曜日の関係で通行料金もだいぶ安くなるから、そのぶん晩メシは少し豪勢にいけるかも知れない。開運橋と天気次第だけど山容の美しい岩手山にも会えるだろうか。そうだ仙台にも支店があったあのクラフト店ものぞいてみたいし、せっかくだから途中の小岩井農場ではあの懐かしい牛乳も飲んでみたい。そんな事を考えていると小学生の夏休みのようなワクワクする一週間となるのだろう。
田沢湖の姫に会ったならそのまま西に向かってこの日本海の姫とも再会して戻ってこよう。なんのことはない夏限定のふっくらプリプリ、ビックリするほど大きな岩牡蠣にありつきたいという下心が丸見えだったりする。
どうやら秋田の姫は水辺がお好きなようだ。

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鳥海山は海岸線からごく自然つづく稜線が美しい独立峰で両県、それも特に海岸沿いに住む人たちにとってはまさにランドマーク的な存在に違いないだろう。そこは地球が球体であることを感じさせる水平線と、わずか30kmほのの沖合にポツンと浮かぶ飛島を俯瞰で眺められる好きな場所。三年前、飛島から見た夕日に染まる鳥海山の美しさをいつも思い出す。山全体が赤く染まり、しばらくの時間をおいて海岸線から
舞台緞帳を下から引くように紅色が引いてゆくさまは時間を忘れるほど美しかった。

 

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