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2015年3月18日 (水)

移動手段と荷物のこと

15030201

 



















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萩原 浩
 

このところ普段の移動は時間と目的地(経由地)の自由度からクルマで出掛ける事がほとんどとなっていた。
今回もそのつもりだったのだけど一本の電話から急きょ移動手段を新幹線に変更することになってしまった。ローカルな電車なら
年に2~3回隣町に呑みに行く交通手段として利用するのだけど新幹線に乗るのはおそらく数年振りだろう。これが乗ってみると外観はもちろんの事インテリアも相当の改良が加えられ、実に快適な移動空間となっていてビックリしてしまった。

今回は次男と二人の移動だったのだけど、昔はなかった窓下のコンセントからiPhoneとiPadに電源が供給できるので、彼はイヤホンをしたまま完全に自分の世界へと入っていた。僕はといえばいつものクルマとはまるで勝手の違う、この完全なる automatic な移動空間の中で行きつく事はただ一つ。時速300キロの中で流れる街の灯りを眺めながらチビチビと呑ることだけで。そんな手持ち無沙汰(活字が恋しい)な時に目に入ってきたのが荻原氏のエッセイだった。
  

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冒頭のものがそのタイトルでこれだけを見ると随分とシリアスなエッセイかと思いきや。

「旅の荷物は少ない方が恰好いい。
旅慣れている感じがする。
人生の上級者とも言うべき余裕がうかがえる。
対して荷物の多い人は世間なれておらずにどんくさく、バッグの大きさとは裏腹の小者感がいがめない・・・
と考えてしまうのはいつも旅の荷物が多い僕のひがみでしょうか」    と。

こんな件から始まる氏のエッセイは仕事がらみの旅行で関係者の人たちと出かける時、に網棚に載せたバックの大きさの違いに驚く事があるのだと書いていた。「なぜ僕は荷物が多いのだろう」との自問から始まり、荷物の多さを挙げる理由がまた多岐にわたっていて、
嗚呼・・・それってあるあると共感し、ニヤリとさせられそして納得させられた。
そうなのだ、あくまでも荷物とは自分で担いでゆくもので、人にもってもらうものではないのだから自分でその大きさなり、重さなりを納得できればそれで良いのだ。

 

そして氏は最後にエッセイをこんな文章で結んでいた。
「まっいいじゃないですか、小者で結構。
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し、ちゅうてな。関係ないか。というわけで重い荷物を抱えて、今日も旅に出るのだ。」

タイトルからして少し身構えて読み始めたこのエッセイ。こんな粋な終わり方をしていてなんとなくホッとさせられたし、サブタイトルである
「いまどこを走っている?」の意味や、氏のユーモアとセンスが詰まった読み応えのあるものだった。

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いままではクルマの移動が殆どだったので、荷物は詰め放題だったというか自分の生活をそのまま移動させる感覚だった。
極論を言えばトランク一つが全部旅行バックとなる。それも自分ではとうてい担げない重さだし、クルマは疲れたとか重いの文句は言わないから今回のような事は考えもしたことはなかった。今回のたった一泊二日の移動でも荷物が重いと感じたのは事実な訳で、なぜそうなるかは「一泊でも三泊でも同じバック。たくさん入るからつい入れてしまう。」という文章に集約されている気がする。そういえば今回スキマ時間で寄ったいろんな施設でも、なにかにつけてコインロッカーを探していた気がするのはそんな事だったのだ。

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