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2014年8月 1日 (金)

夜半の夏 (よはのなつ) の夢 (2/3)

140704

梅雨明けが近づく頃になると楽しみだったのが夏祭り。
市内そちこちで開催されるその情報は何故だかLINEなどなかった当時でも子供達同志で共有していて、今日は東、明日は西へと忙しくとびまわっていた。ましてやそれが同じ町内の祭礼ともなれば朝から神輿に参加して、褒美のお菓子をもらったりと充実した一日を過ごしたものだ。

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それから齢を重ね別の見かたで祭礼を眺めるようになったのもずいぶんと前の事。
きっかけは先輩から強引に誘われて隣の町内の祭礼運営に一度だけ関わった時からだった。見物しては楽しい祭りだけど運営する側はなかなか大変なもので、企業からの寄付集めやイベントの企画・交渉。ステージと照明の設営は業者に任せるにしても、境内の清掃や草むしりなどその雑用たるや、毎日ではないにしてもひと月は優に費やすボリュームがあった。いろんな人が様々な分担をこなしながら一つの祭りを作り上げてゆく。とかく近所付き合いも薄れているように感じるこの頃だからこそ、それは地域の連携、繋がり=祭礼の成功と斯くも一つの小宇宙のように。その先輩も人生並木道のような人で、隣の県に(これがけっこう不便な場所)越してしまってから随分と時間が経ってしまった。

    
先週の日曜日は神社から随分と離れたこの仕事場にも、寄付を募る子供神輿と獅子舞の一団がやってくる日だった。
日曜日のこの時間はたいてい仕事をしているので、獅子舞の披露を遠慮して(悪い意味ではなくて)のし袋に『祝 祭礼』と記した、ほんの気持ちばかりの祝儀をドアに磁石でくっつけておくのが習慣となっていた。遠くから近づいてくる太鼓の音に今年も夏が来たかと思っていたら、今回は若い衆が大半で子供が一人もいなかった。ブラインドの間から眺めていた子供のいない獅子舞というのはなんとも味気ないもので、(最初が聴き取れなかったけど)『○×△□、ざぁ~~んす』と今時の若者ならではの礼をいうと賑やかに去って行った。こんな事を嘆いていると僕もついにやきが回ったかといわれそうだけど、そんな事は時代の流れでどうでも良いにしても一番気に留ったのは、広範囲に散らばるからそれは仕方ない事にしても子供がいなかった事。

子供が多かった時は必ずガキ大将というのが居て、遊びでもなんでも采配を揮っていた。
そして戦国時代の旗印のようにきまって”棒”を持っていたのはなぜだったのか未だに分からない。皆で走り回って遊んだ中から学んだ事もすごく多くて、それは虫や魚などでけっこう残酷な遊びを通過点として学んだ命というものだったり、最初は警告から始まり禁じ手は決して使わず最後は仁義を通すというケンカのルールなどはその最たるものだったような気がする。
   



あの頃はラムネだったけど、あれから半世紀近い年月が流れて。今宵麦酒を嗜みながら


"Danny Boy" - Naoko Terai

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