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2014年8月の記事

2014年8月18日 (月)

夜半の夏 (よはのなつ) の夢 (番外編)

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幼い子供にとって両親や兄弟・いとこの他、つまり親戚以外の”友人”としての親しい関係を築きあげる時期はいつだったのだろうか。
そんな事を考えてみるとごく一般的には幼稚園か、それよりも少し後の小学校に入ってのことなのだろう。でも僕の場合は家で犬を飼っていたから、物心がついてから幼稚園にあがるまでふだんの一日の大半を一緒に過ごしてくれて、遊んでくれるカレが僕にとってきっと生涯で最初の”親友”という存在だったのかも知れない。

   

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たとえばしっぽを引っ張ったり背中に乗ったりして、意地悪をする事は幼い子供にとってはよくあるイタズラ。
でもカレはキャンと啼くだけで、このちっちゃな暴君の無邪気なイタズラを許してくれる。そうやって子供は自分が愛する者と自分を愛する者との間の信頼と忠誠を学んでいくのだろう。でもカレだって機嫌の悪いときだってあるから、時には吠えついたり、つい力が余って自分より小さな主人を押し倒してしまう事だってあるだろう。そして子供は泣き出してひと時その親友を恨む事もあるかもしれないけれど、その後はちゃんともとの仲良しに戻ってしまう。その繰り返しできっと子供は人を許すということの大切さを学んでゆく。
利害を無視した、駆け引きのない、見返りを求めない純粋な愛。それがどんなに稀なものかをこの子供たちが身をもって自覚するには、もっともっと長い年月を待たなければならないだろう。

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幼少期の記憶とは不思議なものだ・・・、歳をとればとるほどに甘さを増してゆく。

"いつも何度でも" - 木村 弓

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2014年8月 8日 (金)

夜半の夏 (よはのなつ) の夢 (3/3)

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夏とは誰もが少しだけ開放的になるちょっぴり不思議な季節。
その季節をどういう愉しみ方をするかと言えば、それぞれ自らの中に持っている風物詩のマップによって決まってくるのだけど、必ず共通して入っているものは『コレ』だという事にはたぶん異論はないだろう。

この目の前の光景を物理的言ってしまえば、2700m先にある直径90cm程で重さが300kgもある火薬の玉。それが15~20㎏の火薬の力で上空600mの場所まで運ばれて、一番真ん中にあるこれからのストーリーを握る割薬という火薬が仕事を終えただけ。それが同包された子玉なり星に伝わりこの光景に至る。ただ、それだけの事。何も知らない観客は歓声を上げるけれど、その可否についてはそれを作った職人にしか分らない。

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なぜそこまで言えるのかと言えば、僕はその昔に花火師にもなってみたかったから知っているだけのこと。
それも花火を打ち上げる方ではなくて、もちろん玉を作る方だったのだけど僕を良く知るご諸兄方はやれやれ天文学者にレーサーに今度は
花火師かよ・・・と呆れられるかも知れない。もともと自分の手元を離れたもの(手の届かな場所で)が意図した通りの動作(結果を生む)するという事に興味を示すのは男の子の性(サガ)なのだろう。

昔プログラマをやってたからかも知れないけれど、自分の思い通りにコンピュータを制御するプログラムはもちろんのこと野球だってそうだ。
スライダーやフォークでも通常の回転力の他に、その時の風向きや湿度などを加味して投げなければならない。ドミノだって大仕掛けになればなるほど重力と物のバランスの計算が必要だし、ビリヤードだって意図した通りに球体の力を反射、伝達しなければならない。そこは直感を伴う読みと、経験値から導き出される演算のない計算を繰り返さなければならないシーンだろう。
それらが複雑に絡まり合って思い通りの結末を招いた時には、してやったりと最高の気分に浸れるに違いない。そんな昔から物理、化学が大好き少年が花火の色(発色)のメカニズムを知ってしまったのが運のつきだった。
それは当時(中学校)の理科の実験で感動していた金属の炎色反応だった。それは金属化合物を炎にかざすと元素特有の色で燃えるといった単純だけど僕にとっては摩訶不思議な理屈。当時は技術的に難しかったのか、途中で色が変わる星などはなくて単色だけだったけど、その時に変わり玉のように何層もかさねれば可能だと考えた事は覚えていて、何年か後にそれを実際に見た時はうれしかった。

   
花火師は玉を打ち上げの筒にセットしたなら、あとは結末まで automatic 。
一瞬の美しさの為に膨大な計算を繰り返すのだろう。

これまでも、これからも。

 

もしも燃え尽きない花火があったなら
美しくもなんともないし・・・
それに危なくてしょうがないだろう。
 
-自由人-
 

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これは1962年に発表された曲。
歳の離れた従姉の影響で小学校から聴いていた、僕にとっての夏の風物詩。
   

   
Blowin' in the Wind(風に吹かれて)    Peter, Paul and Mary

 

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2014年8月 1日 (金)

夜半の夏 (よはのなつ) の夢 (2/3)

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梅雨明けが近づく頃になると楽しみだったのが夏祭り。
市内そちこちで開催されるその情報は何故だかLINEなどなかった当時でも子供達同志で共有していて、今日は東、明日は西へと忙しくとびまわっていた。ましてやそれが同じ町内の祭礼ともなれば朝から神輿に参加して、褒美のお菓子をもらったりと充実した一日を過ごしたものだ。

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それから齢を重ね別の見かたで祭礼を眺めるようになったのもずいぶんと前の事。
きっかけは先輩から強引に誘われて隣の町内の祭礼運営に一度だけ関わった時からだった。見物しては楽しい祭りだけど運営する側はなかなか大変なもので、企業からの寄付集めやイベントの企画・交渉。ステージと照明の設営は業者に任せるにしても、境内の清掃や草むしりなどその雑用たるや、毎日ではないにしてもひと月は優に費やすボリュームがあった。いろんな人が様々な分担をこなしながら一つの祭りを作り上げてゆく。とかく近所付き合いも薄れているように感じるこの頃だからこそ、それは地域の連携、繋がり=祭礼の成功と斯くも一つの小宇宙のように。その先輩も人生並木道のような人で、隣の県に(これがけっこう不便な場所)越してしまってから随分と時間が経ってしまった。

    
先週の日曜日は神社から随分と離れたこの仕事場にも、寄付を募る子供神輿と獅子舞の一団がやってくる日だった。
日曜日のこの時間はたいてい仕事をしているので、獅子舞の披露を遠慮して(悪い意味ではなくて)のし袋に『祝 祭礼』と記した、ほんの気持ちばかりの祝儀をドアに磁石でくっつけておくのが習慣となっていた。遠くから近づいてくる太鼓の音に今年も夏が来たかと思っていたら、今回は若い衆が大半で子供が一人もいなかった。ブラインドの間から眺めていた子供のいない獅子舞というのはなんとも味気ないもので、(最初が聴き取れなかったけど)『○×△□、ざぁ~~んす』と今時の若者ならではの礼をいうと賑やかに去って行った。こんな事を嘆いていると僕もついにやきが回ったかといわれそうだけど、そんな事は時代の流れでどうでも良いにしても一番気に留ったのは、広範囲に散らばるからそれは仕方ない事にしても子供がいなかった事。

子供が多かった時は必ずガキ大将というのが居て、遊びでもなんでも采配を揮っていた。
そして戦国時代の旗印のようにきまって”棒”を持っていたのはなぜだったのか未だに分からない。皆で走り回って遊んだ中から学んだ事もすごく多くて、それは虫や魚などでけっこう残酷な遊びを通過点として学んだ命というものだったり、最初は警告から始まり禁じ手は決して使わず最後は仁義を通すというケンカのルールなどはその最たるものだったような気がする。
   



あの頃はラムネだったけど、あれから半世紀近い年月が流れて。今宵麦酒を嗜みながら


"Danny Boy" - Naoko Terai

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