« 2014年5月 | トップページ | 2014年7月 »

2014年6月の記事

2014年6月27日 (金)

方言といふ language

160603

山の都と書いて”やまと”と讀む。
これは15年程前のことだけどこの地を初めて訪れた時に知った事で、日本語ならではの様々な読ませ方のあるなかでも、実に美しい地名だと思った事を良く覚えている。読んで字のごとくそこは山と川面が美しくて、そして蕎麦が有名な静かな山あいの町。
また5年後には同じ福島県内で仕事で14か月程通った場所が”佐倉”(さくら)という地名だった。
その現場に赴任したのはちょうど桜が咲くころの事で実に粋な地名だと思ったものだ。そういえば長野県にも僕の好きな(美しい)地名がいくつかあって、それは安曇野や小諸、それに蓼科とかの事なのだけど。これは僕だけの解釈かも知れないけれど、その土地の名前を見聞きしただけで、音楽と同様に浮かんでくるシーンがある。

***

連休を過ぎた頃から . できるだけ見ている番組で耳にした .   ”方言”というキーワードが頭から離れなくなっていた。それは避難生活という特異的な環境の中での地域の結びつきに果たす大きな役割の話だった。
この土地にも同様に方言という言葉が存在しているのだけど、最近は若い人がほとんどそれを使わなくなってきているのはたぶん他の土地と同じ現象だろう。最近はその方言を”標準語で言うとこうなる”との解説書も出ているようだけど、方言だけでの会話だけが持つ
標準語には翻訳(コンパイル)しきれない、細かなニュアンスなどが失われてゆくのは仕方がない事なのかも知れない。

この地方の代表格は(おしょうしな)=”ありがとう”だろう。
それに(し)を付けて(おしょうしなっし)となればより丁寧な感謝を込めた表現になる。そんな事はもちろん解説書には書いてないし、会話を交わした当人同士だけが感じ取る微妙な解釈のニュアンスの問題なのだ。
(ぶちょうほう)は方言と言えるか分らないけれど、”ごめんなさい”とか”失礼します”とかで使うのだけど、それに(な)をつけて(ぶちょうほな)となれば、丁寧+いきなり過去形に変身したりする。例えば『このあいだは留守にして、ぶちょうほな』と言った具合だ。
それから方言が持つ大切なもの。
空気読めよなぁと同じように標準語ではニュアンスが表現しきれないものも多い。この地方でいう(さすけね)は標準語で言えば”大丈夫”と書かれているけれど、使われる意味はそれとは少し違い・・・日本語では適当な言葉が見つからない。しいて言えば英語でいう、ノープロブレム が一番近いような気がする。
これは聞いた話だけど、上京した人が都内の電車の中で他人の靴を踏んでしまい・・・思わず口からでたのは『あっ!いや、ぶじょうほう』・・・・踏まれた方も反射的に『いや、さすけね』と答えて二人で大笑いしたという微笑ましい方言の架け橋。

これと同じように僕も暮らした宮城県にも、標準語でのニュアンス表現が難しい、(いずい)という言葉がある。標準語では”しっくりこない”と訳されているらしいけれど、方言を使う人たち同士で交わされる『いずいなぁ~』とか『いずいずぅ~』の持つニュアンスはさすけね同様、会話している人たちにしか分らないものなのだ。

***

***

***

***

|

2014年6月15日 (日)

明治のかをり

140602_2

広大な敷地に江戸中期から明治までの古民家が移築されたこの公園は、好きな場所のひとつ。
茅葺の屋根や人がよく歩く部分が少しヘ凹んでいる土間にむき出しの束石など、いまではまずお目にかかれない懐かしい光景に会える場所。それに母屋に隣接した馬小屋や車井戸なども配置されていて家の内部には鍋釜や竈、農耕器具に、今時は時代劇でしかお目にかかれない絣のうすっぺらな布団など、当時の質素な生活を窺わせるものが展示品として置いてある。面白いのはそれらがたったいままで使っていたかのように展示されていて、この園の素晴らしいところは入口や縁側から中をのぞいて見学するのではなく(もちろんそれもできるけど)、土間にはいったならそこで靴をぬいで家の中に上がって、実際にそのノスタルジアな空間に身を置くことができること。

***

いちばん道路から遠く隔離された奥まった場所に建っている芝居小屋。
平日、それも早い時間なのでここまでの道のりで人に会うこともなかった。入り口の土間で靴をぬぎ、備え付けのスリッパへと履き替えるとチケット(木戸札と席札)を買う窓口を通り劇場内へ。普段は上席である左右の高い桟敷席への立ち入りは出来ないので、枡席の一番後ろに腰を下ろしてみる。そこで僕を待っていたのはそれこそ”しん”という言葉すらそぐわない静寂。そんな中で右手人差指で押し込んだボタンの発する音はReverb(残響)も感じる程の大きなものだった。入り口の解説板によるとこの芝居小屋・・・侮るなかれで、回り舞台でその床下には奈落があり、花道・ぶどう棚・ちょぼ席など芝居小屋として必要なものはひと通り備えているらしい。この芝居小屋では同県で有名な桧枝岐歌舞伎や、近隣の街の神楽や獅子舞などの無形文化財も上演していると書かれていた。
そんな事を思いながらひとり、静寂の中でこの松羽目をながめていると、この小屋が繁華を誇ったころの観衆の拍手・喝采が聞こえてきそうだ。

***

***

***

***

|

2014年6月 5日 (木)

若かったと いふ事

140601

 

このスキー場をはじめとした多くのゲレンデがそうであるように、スキーヤーやボーダーの輸送には普通リフトが使われる。
けれどもここだけは事情が別で真冬の積雪は10mを超える、つまりリフト自体が雪に埋もれてしまう珍しい冬季休業のスキー場なのだ。滑走可能な期間は11月~12月半ばと、今年の春夏スキーのオープンは4月12日からだった。夏スキーと言えば芝の上を無限軌道のローラーを履いて滑るグラススキーが一般的だけど、ここでは7月末位まで雪上のスキーやボードを愉しむ事ができる。

先日庄内からの帰り道にひょんなきっかけで、随分と久しぶり振りにここまでやってきた。
今では高速道路が出来てその存在すら忘れかけていたこのスキー場。山道の国道からさらに十キロ以上も山深くに入りこんだこの場所に立った時、ついさっきまで潮風に晒されていた皮膚の記憶と雪の白さ、それにこの気温が”時のアーカイブス”から引き揚げてきたもの。
それは遠いむかし仲間たちとのアイアンレースならぬ、若いから可能だったアイアンツアーの記憶だった。

***

それは30年も昔の事、言い出しっぺはこの僕だった。
みなで呑みながら海に行く相談をしていた時に、どうせなら月山で夏スキーをしてそのまま庄内浜に出ようというアイディアが浮かんだ。
そこは若気の至り、みな大賛成で話はすぐにまとまった。6人は2台のクルマに分乗してまだ暗いうちに出発、お昼近くまでスキーを楽しんでそのまま庄内平野経由でいつもの笹川の流れにある海水浴場へ。夏の陽は長いからそのまま日没まで砂浜であそんだ。
その頃の男の子はとかく目立ちたがりなもので、ルーフキャリアにスキーを満載した2台のクルマが海水浴客の沢山いる真夏の海岸を走るとこうなる・・・・僕の狙いはバッチリだった事は言うまでもない。
家に戻ったのは確か21時を回っていて、実に17時間の夏の遊び。
スキーと海水浴を同時に楽しめたのはきっと”若さ”という体力と気力があったからだろう。30代頃前半までは仕事で徹夜をしても、一晩眠ればなんともなかったものだけど、40代になるとそれが三日も尾を引くようになり、このごろはそんな事をすれば寝込んでしまいそうな気がする。

***

その狂気の遊びから10年後、仲間のKが突然僕らの前から姿を消して十万億土の彷徨へと旅立ってしまった。
彼は学生時代は山岳部に所属していて、僕に山の楽しさを教えてくれたのも彼だったしスキーの腕前もピカイチで、あのキレのいいウェーデルンのターンは誰もかなわなかったものだ。以来それぞれの仕事も忙しくなって、顔を合わせたのは半年程まえの事だ。両親も同居していてまだ健在なのに本当に気の毒な事だった。夕方知らせを聞いてかけつけると奥さんが話してくれたのは、彼が持病を持っている心臓が原因で、よる床についてそのまま目覚める事がなかったそうだ。いつもの穏やかな顔をながめていると涙が止まらなかった。

なぁ和広、、、あん時は楽しかったなぁ~。
それに見てみろや、あのターン。
お前の方がずっとキレがあるぞ。

***

***

***

***

|

« 2014年5月 | トップページ | 2014年7月 »