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2014年5月 3日 (土)

祭りのあとに吹く風のこと

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つい一週間ほど前までさくら・サクラとうかれていたら八十八夜も過ぎてしまい、いつの間にか随分と日脚が長くなっていた事に気がつく。
今日は僕の住む街の一大イベントである春祭りもフィナーレを迎えた。この祭りはここに暮らす人たちにとっては長い冬を忘れる特別な季節の区切りであり、またこれを合図に本格的に農作業が始まる頃合いでもある。日に日に気温も上がり桜の花びらが綻びだして、まさに春の息吹という節気の訪れを実感させてくれたとっても大すきな季節の最後を飾るもの。

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子供の頃は親から恒例の”お祭り小遣い”という特別な祝儀をもらって出店に入りびたったものだ。
なかでも夢中になったのは、落雁のような薄っぺらなお菓子にキャラクターが描いてあって、それを針で削り取るゲームだった。難易度によって景品が決まっていて、難しいのを引き当てた時はすごく嬉しかったし闘志も湧いたものだ。でも最後のさいごに腕を落としてしまったりして何度も何度も挑戦したけれど、運よく景品をせしめたためしはなかったものだ。一週間まいにち日中は出店に通い詰め、夜店には大人にねだって薄荷パイプをくわえてのヨーヨー釣りや金魚すくい、それに綿あめの土産付きといった具合。そのころは僕にとって夢のようなゴールデンウィークだったから、この祭りが終わりを告げる寂しさと言ったら夏祭りや秋祭りの比ではなかった。
温暖化の影響だろうか最近はいつも葉桜だけど、昔はこのフィナーレとちらほらと散り始める満開の桜がちゃんとシンクロしていた。だから子供心にもいろいろな思い入れがあって、特に小学校の頃まではひどく感傷的になる時期でもあった。次の祭りの都合だろうか、当時はフィナーレの合戦が終わっても出店は一斉に店じまいすることはなかった。それまででびっちりと並んでいた出店の列に隙間が出来はじめ、そこからのぞく本丸内堀のみなもに浮かぶ桜の花びらを眺めながらそれでも通っていた。それでもピンクのみなもがどんどん広くなっていって、少し大人びた郷愁のような感覚を覚えたのを思い出す。やはり”時”というものはいつも、荷物をまとめて去ってゆくサーカスみたいなものだった。

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2ヶ月ごとのカレンダーも新しい頁となって、あとひと月半もすれば夏至を迎え、それから10日ほどで今年も半分が終わってしまう。
なんとなくうかうかしていられないという焦りのようなものを感じつつ、子供の頃のあの永遠に続くような夏休みの感覚や、学校から帰ってから眠るまでのほんの数時間の充実ぶりがまた一段と懐かしく思えるのは、また一つ歳を重ねたからかもしれない。
ようやく寒さから解放されたと思っていても、爽やかな季節だと思えるのはたぶん今月の末くらいまでだろう。そこからは新緑の緑が日に日に濃くなるように、半そでの腕を撫ぜる風にもしだいに夏の気配が色濃くなってゆく。

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