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2014年5月の記事

2014年5月22日 (木)

ロンリーといふ愉しみ

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サラリーマンを辞してから休日はごく当たり前に平日というパターンの生活となった。
最初はすごくぎこちなかったその感覚はきっと心の奥底にしまい込んだ、会社員という職種への未練心みたいなものだったのかも知れない。僕には平日が休日の友人はいないから、出掛けたり昼飯を食べるのも必然的にお一人さまとなる訳で、最初は少し寂しかったものだけど、いつしかその中に自分だけの愉しみも見出すようになった。それは”知らない・・・”とか”初めて・・・”とかが好きになってきたこと。
好奇心のレーダー感度を最大限に上げて鉄の馬を走らせていると、その場所で偶然に目にしたほんの些細な光景やなんかが心に引っかかったりする。そしてその街なりに降り立ち、路地を歩いてみると初めての場所なのに、なぜだか奥へ奥へとグイグイ引き込まれていったりする時がある。一人旅とまではいかないけれど、僕は普段からこんな自由気ままな行動をとることが多いから、やはり人に付き合わせるよりは一人で行動する事が好きだ。知らない場所で知らない人と出会い、自分では想像もつかなかった見聞をするとこれまで思い悩んでいたいろいろな事が、ほんのちっちゃな事に思えてきたりするときがある。だから今までも、これからも、初めて訪れた街の知らない路地を歩いてみるというのは一番好きな遊び。

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ネットインフラが整備された現在では、その地に実際に足を運んでみるという事が蔑(ないがしろ)にされているような気がする。
新聞なりTVの記者が仕事として現地に足を運んで、そこに寝泊まりして記事を書くのとは訳がちがい、HPを見ただけで現地を実際に訪れた感覚になり、そこを丸ごと理解したつもりになっているだけならまだ無害だけど。それを人に勧めるのはどうかな?と思うシーンに出くわした事がある。HPだってWebデザイナーの腕次第でいくらでも見栄え良くつくれるものだから。

冬の海岸線を北に向かっていた時のこと、遠目に見えたのはひと気のない船場から立ち上るひとすじの煙だった。
いつもの好奇心で傍にあった駐車帯に馬を休ませ、海岸に降りてみると流木などのゴミをもやしていたようだ。やはり冷たい海風の中では焚火の暖はいいものだ。しばらくして火の塩梅を見に来たこの親父さんからいろいろな話を聞くことができた。ここは笹川の流れといって日本百景にも選定され、名勝天然記念物の指定区域となっている海岸だ。
そして親父さんが流木と共に一生懸命に燃やしているのは、この季節特有の強い西風で運ばれてきたハングル文字の入った異国のゴミだった。これもHPにはけっして載ることのない、現地に足を下ろした人間しか知りえない事実だった。そんな地元の人たちの苦労を知った上で実際に眺める”美しい笹川の流れ”と、HPの情報を眺めるのには大きな差がありそうな気がするのは僕だけだろうか。


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ボビー・ヴィントン  Mr.Lonely

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2014年5月15日 (木)

「毒・薬」礼賛 (2/2)  毒の蠱惑(こわく)

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僕の伯父である . 徳さん  . が他界してもう二十年という時間が経つ。
彼もalcoholが大好きで・・・いや、それはもはや大好きと言う範疇を通り越していて、”酒で命を取られるならば本望だ”といいながらいつも上機嫌で呑んでいたものだった。そしてそれを横目で見ながら”何をバカな事を言ってんだか・・・”と思っていた若き日の僕もいた。画して DNAというものは争えないもので僕の祖父と親父は大酒呑み、母親の兄にあたる徳さんもその通り。だからこのごろ徳さんの歳に近づいてきて、alcoholによる大脳皮質のマヒ感に陶酔しているときにこの言葉を思い出すと、『あっ!この事ねぇ~』と思う時がある。僕はもう親父の歳を10歳以上も通り越てしまったけれど、もし生きていたなら彼もきっとそう思ったに違いない。

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酒は”百薬の長といわれているけれど、適度にたしなむ程度ならストレスを発散し気分をリフレッシュしてくれるから、それこそ健康に良いのかもしれない。されども・・・それがそううまく”たしなむ程度”で終われないのが人間(特に僕のような人種)なのだろう。それが故に体をこわしたり、人間関係で失敗したり、思わぬ事故をまねいたりもするのだから。

僕はタバコを休んで10年近くになるけれどいまだ止めたとは宣言していない。何故ならばまたいつ吸い始めるか分らないから。それまでは3年吸って3年休むパターンを繰り返してきたから、今回は休んでいる期間が少し長引いているだけだと思っている。10(3)年も吸わなければもう止めたも同然だろう?と言われるけれど、決してそうではない事を僕自身が良く知っている。そのきっかけのストーリーはいつも酒場。吸わない時はただ煙たいだけのタバコが、ある日何の前ぶれもなく気になってきて、口と灰皿を行き来するタバコの火を目で追うようになる。そして”悪いけど、一本くれないか?”と。そこから先は中学時代に初めてタバコを吸ったあのクラクラ感覚を味わい、帰り際にもう一本と言って・・・・・いまはタスポとかの制度があって出来ないけれど、自販機にコインを入れたらもう終わりだった。

ギャンブルは才能であると僕はいつも言っているけれども、あながち間違いではないと自分では思っている。だからパチンコもマージャンも二十歳でそれに気づいてやめてしまった。僕に才能がないから言うわけではないのだけど、これに関してはさっぱり良い事がないと自分で気が付いたから。もちろん胴元にとっては利益はあるだろうけれど、賭ける側が常に利益があるのであれば、それはもうギャンブルと呼べるものではないのだろう。だから”賭け”というものは原則的に損をすることが宿命であり、それ故の賭けなのだと思っている。それに何事も同じだけど、上達するまでに相応の授業料を払わねばならない。

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これらの毒は健康やお金や時間や、体力までも無駄に消費しているのかも知れない。
ではそれを百も承知でこんな割に合わない不健康な事をするのかと言えば、人間の持っている本当の一面という解釈もできるような気がするのだ。『酒もタバコもバクチもせずに、それで百まで生きた馬鹿』・・・と昔人も言っている。
これはむかし何かの本で読んだ件なのだけど、いまでもこれを目にしたりするとつい笑ってしまうのは、このこと自体が人間の本質をついているからかもしれない。いっさい体の為にならない事や毒になることをせずに、いつもキチンと心身を保ち健康・健全に生きる・・・・これも結構なこと・・・。
それで・・・百歳まで生きて何が面白い?というこれも毒気の発想だけど、僕は絶対こっちを支持するのだ。

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こんなことを書いていたら僕自身が初めて”毒”とであったのはいつ頃なのだろう?と考えてみた。
それはたぶん小学校の低学年の頃、大人たちが美味しそうに食べていたお菓子のようなものを”食べてみたい”と言った時に、それを毒とは言わなかったけれど、”苦いから”とか”辛いから”とか言われたのと同じ事を、自分が親になってから言っていたのを思い出した。
だとすれば毒そのものの中に美味や甘美なものがあって、だからその存在に引き付けられ、近寄ってしまうのかも知れない。
表が薬と書いてある何気ない絵柄のカード。
それをひっくり返した時に何があるか、なにが起こるのかなど、もとよりリスクは承知しているから。是非とも裏の毒にも触れてみたいと思うのは僕だけなのかもしれないけれど、せっかく生きているのだから、毒というのも体験してみたいものだ。


   魅力的・・・人を魅く力がある
    魅惑的・・・人を魅き、かつ幻惑させる
     蠱惑的・・・色香によって人をたぶらかす (例えばルパンと峰不二子のように、その魅力には到底逆らえないし・・・騙されてもいいと思ってしまう・・・)

やはり”毒”とは人にとって本来、蠱惑的(こわくてき)であるべきものかもしれない・・・・・・・・・・
 
 
 カノンという解毒剤

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2014年5月 3日 (土)

祭りのあとに吹く風のこと

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つい一週間ほど前までさくら・サクラとうかれていたら八十八夜も過ぎてしまい、いつの間にか随分と日脚が長くなっていた事に気がつく。
今日は僕の住む街の一大イベントである春祭りもフィナーレを迎えた。この祭りはここに暮らす人たちにとっては長い冬を忘れる特別な季節の区切りであり、またこれを合図に本格的に農作業が始まる頃合いでもある。日に日に気温も上がり桜の花びらが綻びだして、まさに春の息吹という節気の訪れを実感させてくれたとっても大すきな季節の最後を飾るもの。

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子供の頃は親から恒例の”お祭り小遣い”という特別な祝儀をもらって出店に入りびたったものだ。
なかでも夢中になったのは、落雁のような薄っぺらなお菓子にキャラクターが描いてあって、それを針で削り取るゲームだった。難易度によって景品が決まっていて、難しいのを引き当てた時はすごく嬉しかったし闘志も湧いたものだ。でも最後のさいごに腕を落としてしまったりして何度も何度も挑戦したけれど、運よく景品をせしめたためしはなかったものだ。一週間まいにち日中は出店に通い詰め、夜店には大人にねだって薄荷パイプをくわえてのヨーヨー釣りや金魚すくい、それに綿あめの土産付きといった具合。そのころは僕にとって夢のようなゴールデンウィークだったから、この祭りが終わりを告げる寂しさと言ったら夏祭りや秋祭りの比ではなかった。
温暖化の影響だろうか最近はいつも葉桜だけど、昔はこのフィナーレとちらほらと散り始める満開の桜がちゃんとシンクロしていた。だから子供心にもいろいろな思い入れがあって、特に小学校の頃まではひどく感傷的になる時期でもあった。次の祭りの都合だろうか、当時はフィナーレの合戦が終わっても出店は一斉に店じまいすることはなかった。それまででびっちりと並んでいた出店の列に隙間が出来はじめ、そこからのぞく本丸内堀のみなもに浮かぶ桜の花びらを眺めながらそれでも通っていた。それでもピンクのみなもがどんどん広くなっていって、少し大人びた郷愁のような感覚を覚えたのを思い出す。やはり”時”というものはいつも、荷物をまとめて去ってゆくサーカスみたいなものだった。

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2ヶ月ごとのカレンダーも新しい頁となって、あとひと月半もすれば夏至を迎え、それから10日ほどで今年も半分が終わってしまう。
なんとなくうかうかしていられないという焦りのようなものを感じつつ、子供の頃のあの永遠に続くような夏休みの感覚や、学校から帰ってから眠るまでのほんの数時間の充実ぶりがまた一段と懐かしく思えるのは、また一つ歳を重ねたからかもしれない。
ようやく寒さから解放されたと思っていても、爽やかな季節だと思えるのはたぶん今月の末くらいまでだろう。そこからは新緑の緑が日に日に濃くなるように、半そでの腕を撫ぜる風にもしだいに夏の気配が色濃くなってゆく。

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