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2014年1月 6日 (月)

天体と紙の月

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月は昔から好きな天体の一つ。
遠き少年時代の天文学を学習していた頃は、たとえ月を眺めても心に浮かぶものと言えば、月齢・距離・直径・質量・公転周期や海の干満の具合など数値的なものでしかなかった。けれどもそれ以降の長い歳月やさまざまな見聞は、そんな科学少年に月に対する全く別物の感覚を植え付けたようだ。

もう十数年程前からだろうか。
月を見るとそれまで条件反射的にうかんでいたものが浮かぶことはあまりなくなってきていて、いつしかそこには豊かな情景(抒情)が広がるようになっていた。それまでは単なる”観測”の対象でしかなかった無機質の天体が、日本人にとって花鳥風月に重要な意味をもつ”風流”というメンバーの一員だと知りようやく、昔人の”月を愛でる”という意味が理解できたのだろう。けれども僕はまだ月と言えば”観月”という、いわば月の出から天頂あたりの頃までしか楽しむすべは知らなかった。
何故ならば明け方とか明るい西の空に浮かぶ、空の青さにいまにも溶け入りそうなこのはかない月の表現や記述は、それまで見かけた事がなかったから。ましてや”紙の月”という表現を知らなかったし、その意味も含めて理解したのはそんなに遠い昔の事ではなかった。

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それは昨年、霜月の早朝だった。
いままでの見なれた、ただのブロンズ像が生気を得たように、いや・・・正確には一人の生身の女性のように輝きだした。ちょうど足をとめて西のそらに沈みかけた月を眺めていた時に、今まで真っ白に霜が付いていた裸婦のブロンズ像に陽があたりはじめ、さも彼女自身が檜の手桶で上がり湯を掛けて、濡れた洗い髪の水気をきっているかのように濡れてきた。腕・乳房・背中・腰のあたりを曲線を描くように滴る水滴の軌跡は、見ていて本当にハッとするほど美しかった。

この光景を見ながら心に浮かんできたのは二年前に桜吹雪の下で読んだ、谷崎潤一郎の陰影礼賛という本の事だった。
同書の恋愛及び色情の中で氏は、「東洋の婦人は、容態の美、骨格の美において西洋に劣るけれども、皮膚の美しさ、肌理(きめ)の細かさにおいては彼らにまさっている」  と前置きした後で、
「西洋の婦人の肉体は、色つやと云い、釣合いと云い、遠く眺める時は甚だ魅惑的であるけれども、近くよると、肌理が荒く、うぶ毛がぼうぼうと生えていたりして・・・」  と少しの不満をもらした後、氏はさらに呟く。
「つまり男の側から云うと、西洋の婦人は抱擁するよりも、より多く見るに適したものであり、東洋の婦人はその反対であると云える。
・・・・・・・・・・・これは畢竟、源氏物語の古えから徳川時代にいたるまでの習慣として、日本の男子は婦人の全身の姿を明るみでまざまざと眺める機会を与えられたことがなく、いつも蘭燈ほのぐらき閨のうちに、ほんの一部ばかりを手ざわりで愛撫したことから、自然に発達した結果であると考えられる」  と結び。
最後に日本女性の美も白日の光ではなくて、陰影の中でほの白く生きてくるのだと自信をもって述べている。
   

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僕にとっての日本女性の美しさとは。
氏の云うような肌の滑らかさや肌理のこまかさだとか、体を掴んだ時にぎゅっと引き締まった充実感とかの肉体的なことだけではなく、何よりもその心の肌理の細かさだと思う。そしてそれは白日の眩しい光の中で人を魅了する種類の美しさではなくて、たとえば・・・・・・
西の空に淡くうかぶ紙の月のように、ひっそりと僕の心に沁みこんでくる美しさのことだった。

 

Paper Moon     by   由紀さおり
  
 
 
物理的には腰かけた裸婦までは約38メートル、紙の月までは約38万キロメートル
この二つまでには約一千万倍の距離があるけれど
僕の感覚的にはあまり違わないのかも知れない

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