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2013年11月 6日 (水)

865 哩の追懐 (2/5) : 出せなかった手紙

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実はここ数年少し困っている事があった。
恥ずかしいことだけどそれは漢字が書けなくなってきた事と、簡単な暗算ができなくなってきていることだった。バッタリ会った人の名前が出てこないことや、ちょっとした物忘れもあるだろう。だけどこの二つに関しては同志がけっこう沢山いたりするので、何かの折に話がでて妙に連帯感みたいなものが強まったりするのだけど、漢字が書けない・・・こればかりは僕だけに特化している事のようだった。原因は単純なPCの変換機能の使い過ぎというか、依存しすぎなのだけれど。それが証拠に今では難読漢字という範疇の漢字も日々『変換キー』で見ているので、けっこう読めてしまうのだけど、いざ書くとなると事情が一変してしまう。本当に小学校程度の当用漢字で躓いてしまうのだ。
左側の偏はわりとスムーズに出るのだけど、おもに躓くのは右側の旁の方で、ホワイトボードなどに書いて説明しなければならない
シュチュエーションの時などはほんとうに冷や汗ものだ。

そんな僕が言うのも変な話なのだけど、ここ十数年前からプリンターとか印刷とかで作られた賀状とかDMに辟易していた。
昔SEとしてそんなソフトを作っていたから分るのだけど、宛名のタックラベルの右下あたりに顧客コードと思しき英数字が並んでいるもの。そして担当者の一言の手書き文字もないものは、担当者というよりはその会社のデータベースが顧客データから抽出して送り付けてきたもので、ほどんど開封する価値すらないものだと思っている。

そんな思いもあって僕が一大決心をしたのが10年程前のことだ。
それは大切な手紙やクライアントへの賀状は、文面や宛名、それと添える一言は必ず手書きにしようという事だった。それまで20年間
この類の要件は全てキーボードとプリンターで済ませてきたので、書くことに慣れていない僕の字はかなり見苦しいものだ。
それをたとえお世辞でも、印刷とは違いすごく温かみがあると言われた一言が救いとなり現在に至っている。

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このポストの存在は以前山仲間から聞いていた。
だから僕はこの日書きかけの手紙を携えてこの天空にやってきたのだ。何気にわざわざと自分でも考えたのだけど、この場所ならばきっとここ十日間ほど温めていた文章を完結できる気がしたからだ。その手紙とはたとえば恋文のようなややこしいものではなくて、同じ県内に住む人物宛ての礼状なのだ。その人とは昨年の春頃に知りあい、毎週のように体に沁みわたる食べ物を御馳走になっていた。それに感謝しなくてはならない事は、小学校時代からの嫌いな食べ物をその場所に限り、普通に美味しく食べられるようになったこと。けれども夏のころから僕の都合で何も告げずに無沙汰をしてしまっていて、その事を詫び、忝かったことを伝えたかった。

屋内には手紙を書く専用のスペースがあった。
外の山並みを見ても、碧空をみても、この駅特製である近くの湧き水で淹れた珈琲を飲んでも、その礼状に書くべき最後の一行がどうしても思い浮かばない。僕はこれを生業としていて締め切りがあるわけでもないので、浮かばなければ珈琲のかをりの中で外の景色を眺め、それからゆっくりとまぶたを閉じる事ができる。
描いていたストーリーでは、投函した手紙は一足早く北に戻り、僕は更に西に向かうはずだったのだけどその肝心の手紙はと言えば、いまだシートに放り出したバッグの中で一緒に西に向かって同行中だった。

東海北陸自動車道の約11kmに及ぶ長い長い飛騨トンネル。
まるで日々の流れを遡るように高速で後へと流れてゆく白い照明灯の中で想った事。
書けなかったと言う事は、書かなかったということではないだろうか。出せなかったということは、出さなかったということではないだろうか。

そんな長いトンネルも緩やかに進路が右に振れて間もなく、その先で久しぶりに再会できたのは、山間の郷を照らすだいぶ傾いた晩秋の陽光だった。

 

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