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2013年11月の記事

2013年11月21日 (木)

865 哩の追懐 (5/5) : 日常といふ思い込み

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>旅人とは自分の思いこみを家に置いてくる事ができるひと
これは確かKen . Kaikouのエッセイで読んだ文章だった。旅と言えば言葉に始まり、習慣や食べ物などが違っていて戸惑う事も多い。でもこれは自分の生活の中での普段は・・・とか、こうしているから・・・”こうなんだ”という狭い部分の思い込みが大きな部分を占めるのではないのだろうか。

この島に渡った理由は大好きな美術館と水族館があったから。

先ほどまでここで初老の男女が旅についてとてもセンスの良い素敵な会話を交わしていた。しんとした美術館の休息場所では少し離れていても会話は容易に聞き取る事ができるというよりも、自然に耳に入ってくると言ったほうが正確だ。話の内容から夫婦ではなく今日ここで知り合ったのだろうという事は容易に推測できる。きっと二人はお互いに人生という分厚い備忘録の”旅”というインディックスを開き、今日という日の事を書き加えた事だろう。

   
    

  
  
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これは「語らい」という作品でたぶん父親と子供だろうか、二人でなにやら会話をしているようだ。
父親がいなかった(6歳までで、殆ど記憶はない)僕はいまだこの歳になってもこうゆうものがあれば見入ってしまうし、もう高齢となった母親には誰が教えたわけでもないのに父親と同じ事をすると小言をいわれたりしている。そして最近二人の息子たちをみていても自分でもハッとする事があるのは紛れもない事実なのだ。

そういえばこのたび偶然に開催されていた特別展。
ガラスと絵画というのも見応えがあった。緻密に描かれた原画をもとにガラス細工の大きな作品が生まれてゆく過程や、福島の湖の畔の美術館で観ていたダリの作品がガラスで作られていたりと本当に楽しむ事ができた。

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見知らぬ土地の初めて出会うものや人でいつも思い知らされるのは、自分の狭い価値観とケチな思い込み。

 

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人にはきっと脳以外にも感覚的な記憶場所があって、いわゆる体が覚えていると表記されるものはそこに記憶されるのかも知れない。
自転車や水泳、スキーなどはたとえ何年のブランクがあろうとも、最初は少しぎこちないけれどすぐに調子を取り戻せるように。僕の場合は更にそれに鉄の馬の手綱さばきという項目が加わる。それは一般に言う運転が上手いとかそういうものではなくて、4本の足がどの位置にあるか把握できるということで、狭い場所や道路で左側のガードレールとか壁まであと何センチ残っているかとかを把握する感覚。これは20代の頃に繰り返し練習していた、馬の目の前に空き缶を置いたらそれを方向を変えてバックしながら左の後ろ足で踏むというもの。最初から後ろにおいての事なら馬の向きを大きく変えないのでそんなに難しくもないのだけど。2度目の成人式を終えて道半ば、いまもかなり正確に把握できているのはそのせいだろう。
そんな僕でも前と後ろの感覚はとってもアバウトで、駐車場で鼻先を壁ギリギリに停めたつもりが50cmも開いてたりするのはいつもの事。

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ウェーデルン。
最近あまり流行らなくなってきたスキーのターン方式で、大回りするパラレルターンから少しづつターンの間隔を小さくしていって、いよいよ上級者の証となるウェーデルンへと入ってゆく。原語では犬のしっぽ振りという意味があって、小刻みにテール(スキーの後ろ)だけを振り出して滑ってゆく。モーグルのターンはコブをきっかけに曲がるけれどそれを平坦地でやるようなものだ。
これを鉄の馬でやるとなると左右の切り替えでそのきっかけを生むためにハンドルは少し切るのだけど、殆どはアクセルがハンドルになるイメージ。もうだいぶ時間が経っているので出来るかと遊んでみたらその感覚を右足が覚えていた。この時には馬は斜めを向きながら直進するので、カーブを曲がるのとは全く違う間隔でフロントガラスの中を景色が横に流れてゆく。これははまさにサーキットを走っていた時以来の感覚だった。

 

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むかし年に数度は通っていたサーキット。
そこは歩行者も、信号も、制限速度や対向車もなく、皆マナーをキチンとわきまえていて安全に、非日常的なスピードで走れる場所。こんなことをして遊んでいたら焼け木杭に火が付いたというか、再び・・・・・という思いが浮かんだ。
たった60分で燃料タンクのガソリンをすべて燃やしてしまう非日常的なスピードとGの世界。それにつけても重たいヘルメットを被った頭を支える首の筋肉と、高い速度の中で周囲の状況を素早く読み取る動体視力は絶対必須なのだ。まず首の筋肉は鍛えれば良いとして問題は動体視力。数年前頃から新幹線で通過駅名が読めなくなっていた。


あとはこの渚から東(正確には東北東)に向かって一気に500km走れば僕にとっての日常といふ街と生活が待っている。
そして865マイル(1,390km)といふ無謀に近い長旅を終え、あと数時間で家いおいてきた日常といふ思い込みに戻らなければならない。

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2013年11月15日 (金)

865 哩の追懐 (4/5) : 旅先での目覚め

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特に古い歴史がある温泉街の多くがそうであるように、それまで広かった路が急に狭くなり不規則に曲がりだして初めて目的地が間近になったことに気がつく。
この傾向は特に山間部や海岸沿いなど、平地に乏しい地形で顕著に表れるようだ。この温泉街もたぶんいろんな理由があったのだろうけれど、まるで思いつきと気分が交差して作られたような路地が続く。盆地の城下町、その碁盤目のような道路の中で生活している僕の安泰な方向感覚には良い刺激となる。
目的地には明るいうち到着しようといつも思うのだけど、好奇心のせいで途中で道草をしてしまい、いつも遅れるという電話を入れなければならない事となる。そのくせ予約時の到着時間はいつも荒天を想定して、とりあえず到着できるはずもないチェックインの時間を指定するのだから、部屋の掃除をする人にとってはとても気をもませる迷惑な客に違いない。

誰が言ったか忘れたけれど、見知らぬ土地でたった一人目を覚ますのはこの世で最も心地良い感覚の一つであるという俚諺があった。
僕もこの感覚がわりと好きで見慣れぬ天井を少し眺めたあと、カーテンか障子なりを開けて外の天気を確認し、今日の予定を変更の選択肢も含め地図を眺めて考える時間がいい。

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旅先での習慣というか楽しみと言えば、僕の場合ほぼ彷徨いに近いものだろうけれど朝の散歩。
知らない街の知らない通りを歩く気分はエトランゼそのもので、めずらしい光景をさがしながら約1時間程歩く。大通りもいいのだろうけれどやはり路地裏が楽しい。なぜならばそこにはここに住む人たちの生活感があり、いろいろなおもしろい物や人に出会えるから。そして路地裏をまっすぐ進んだり、曲がってみたりとあてもなく続く朝の散歩。そして急に開けたのは温泉街の真ん中にある広場だった。そこにあった飲泉所の湧出温度が約90℃と、とても高く一口飲んでみたけれどやはり温泉は体で味わうもののようだ。

 

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2013年11月10日 (日)

865 哩の追懐 (3/5) : まにあった サンセット

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旅の楽しみかたは人それぞれ違いがあるわけで、それによって目的地とか旅程だとかが自然と決まってくるのだろう。
そのそれぞれ違う楽しみ方の上で共通しているのは『旅先で美味しいものを食べる』ということにたぶん異論はないと思う。そして僕の場合、残りの2/3を占めるのが普段の日常とは異なる景色、それに土地の人々や習慣などを眺めることだ。だから小学校の修学旅行の時からバスでも電車でも窓際を好んだし、車内で皆が夢中になっていたゲームや唄よりも車外の見慣れない過ぎてゆく景色を見ているのが好きだった。そんな事もあって僕にとっての旅行の中で、もう一つの重要なファクターを占めるのが天気なのだ。こればかりはガイドブックから美味しい(そうな)店を選ぶとか、口コミの店を探すとか自らのアクションで対応できるものではなく、運を天に任すしかないのが実情なのだけど。だから僕の旅は宿泊地であるその日の最終目的地以外はザックリと○○方面としか計画は立てず、天気次第でいくらでも変更が利くラフな予定の事が多い。

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この夕日を見ながら思ったことは、今日はなんてドラマチックな一日だったのだろうかという事だった。
こんな体験をするのは若い頃に太平洋で日の出を迎え、そのまま日本海にでて夕日を見送った以来おそらく30年ぶりの事だろう。この日カレとの出会いは乗鞍高原だった。氷点下2度の中で見た光景は寒さすら忘れるそれはそれは美しい光景だった。それまでランプブラックだった山肌がすこしづつマルーンに変わりだし、乗鞍岳の山頂が一瞬輝いたかと思ったら、まるでスポットライトでも浴びせるようにあっと言う間に山全体が照らされていった。むかし山の上でのご来光は何度も見たけれど、カレが乗鞍岳を照らしてゆく様子も感動的なものだった。これで本日の天気次第の曖昧な行動計画は全て決まったようなものだった。それは明日訪れようとしていた渚にてカレを見送る事だ。
行動計画が決まれば実行が早いのだけが僕の取り柄。日本海到着を日没一時間前の3時30分に設定したタイムスケジュールがパッと頭の中で組み上がる。けれども、西穂高口駅の天空の展望台で少し考え事をして約40分、ついでだからと通過するだけの予定でいた高山のさんまちで40分を費やしてしまう。まぁ、昼メシは抜きだなと思っていたのだけど、そこでやっとありつけた3貫の飛騨牛のにぎり、五平餅にみたらし団子はすごくうまかった。

高山の駐車場を出るころはもう日没の時間までは2時間半ほどになってしまっていた。
半分諦めかけたのだけどベストはつくそうと思い直し、可能な限りの早馬を仕立てていた。のと里山海道に入ってからも水平線にどんどん近づいゆくカレを見ていて気がきではなかった。それでもようやく鉄の馬が渚に滑り込んだのはカレが水平線に沈みゆく4~5分前。冒頭の絵も含めて僕には奇跡としか思いようがなかった。
何気に時計を見て”あっ!”とそれに気がついたのはすっかりカレが姿を隠して、オレンジ色の残光の中だった。そうなのだ、この場所は周囲を山に囲まれた僕の街から300kmも西に位置していて、おまけに西側が山ではなくて水平線だ。つまり日没時刻が僕の街よりも30分程も遅い土地柄だったのだ。

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僕はこの朝、この景色の中でカレを渚で見送る事を決めた。
そして翌日再び訪れたこの渚のことは(5/5)にて・・・・・・・・





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2013年11月 6日 (水)

865 哩の追懐 (2/5) : 出せなかった手紙

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実はここ数年少し困っている事があった。
恥ずかしいことだけどそれは漢字が書けなくなってきた事と、簡単な暗算ができなくなってきていることだった。バッタリ会った人の名前が出てこないことや、ちょっとした物忘れもあるだろう。だけどこの二つに関しては同志がけっこう沢山いたりするので、何かの折に話がでて妙に連帯感みたいなものが強まったりするのだけど、漢字が書けない・・・こればかりは僕だけに特化している事のようだった。原因は単純なPCの変換機能の使い過ぎというか、依存しすぎなのだけれど。それが証拠に今では難読漢字という範疇の漢字も日々『変換キー』で見ているので、けっこう読めてしまうのだけど、いざ書くとなると事情が一変してしまう。本当に小学校程度の当用漢字で躓いてしまうのだ。
左側の偏はわりとスムーズに出るのだけど、おもに躓くのは右側の旁の方で、ホワイトボードなどに書いて説明しなければならない
シュチュエーションの時などはほんとうに冷や汗ものだ。

そんな僕が言うのも変な話なのだけど、ここ十数年前からプリンターとか印刷とかで作られた賀状とかDMに辟易していた。
昔SEとしてそんなソフトを作っていたから分るのだけど、宛名のタックラベルの右下あたりに顧客コードと思しき英数字が並んでいるもの。そして担当者の一言の手書き文字もないものは、担当者というよりはその会社のデータベースが顧客データから抽出して送り付けてきたもので、ほどんど開封する価値すらないものだと思っている。

そんな思いもあって僕が一大決心をしたのが10年程前のことだ。
それは大切な手紙やクライアントへの賀状は、文面や宛名、それと添える一言は必ず手書きにしようという事だった。それまで20年間
この類の要件は全てキーボードとプリンターで済ませてきたので、書くことに慣れていない僕の字はかなり見苦しいものだ。
それをたとえお世辞でも、印刷とは違いすごく温かみがあると言われた一言が救いとなり現在に至っている。

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このポストの存在は以前山仲間から聞いていた。
だから僕はこの日書きかけの手紙を携えてこの天空にやってきたのだ。何気にわざわざと自分でも考えたのだけど、この場所ならばきっとここ十日間ほど温めていた文章を完結できる気がしたからだ。その手紙とはたとえば恋文のようなややこしいものではなくて、同じ県内に住む人物宛ての礼状なのだ。その人とは昨年の春頃に知りあい、毎週のように体に沁みわたる食べ物を御馳走になっていた。それに感謝しなくてはならない事は、小学校時代からの嫌いな食べ物をその場所に限り、普通に美味しく食べられるようになったこと。けれども夏のころから僕の都合で何も告げずに無沙汰をしてしまっていて、その事を詫び、忝かったことを伝えたかった。

屋内には手紙を書く専用のスペースがあった。
外の山並みを見ても、碧空をみても、この駅特製である近くの湧き水で淹れた珈琲を飲んでも、その礼状に書くべき最後の一行がどうしても思い浮かばない。僕はこれを生業としていて締め切りがあるわけでもないので、浮かばなければ珈琲のかをりの中で外の景色を眺め、それからゆっくりとまぶたを閉じる事ができる。
描いていたストーリーでは、投函した手紙は一足早く北に戻り、僕は更に西に向かうはずだったのだけどその肝心の手紙はと言えば、いまだシートに放り出したバッグの中で一緒に西に向かって同行中だった。

東海北陸自動車道の約11kmに及ぶ長い長い飛騨トンネル。
まるで日々の流れを遡るように高速で後へと流れてゆく白い照明灯の中で想った事。
書けなかったと言う事は、書かなかったということではないだろうか。出せなかったということは、出さなかったということではないだろうか。

そんな長いトンネルも緩やかに進路が右に振れて間もなく、その先で久しぶりに再会できたのは、山間の郷を照らすだいぶ傾いた晩秋の陽光だった。

 

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2013年11月 1日 (金)

865 哩の追懐 (1/5) : 若き頃の憧憬 

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昔からこのLogに目を通されていたご諸兄方ならきっとご存知だろうけれど、僕は昔山をやっていた。
と言っても前身が山だったわけではなく、これは岳人だけに通じる言廻しの一つで山に登るという事を指すものだ。だから普通の会話では、こんど穂高に登るのはいつですか?”となるのだけど岳人同士の会話では、こんど穂高をやるのはいつですか?という言い方になったりする。

もう30年以上も昔の事。
右手の急峻な槍ヶ岳から始まる北アルプス穂高連峰は、当時僕の心を魅了し続けていた山だった。この尾根の向こう側は長野県の上高地。河童橋や帝国ホテル、そこから真正面に見える涸沢、そして今も噴煙を上げる焼岳などで有名な場所だ。実はこの上高地からの涸沢ルートを実際に2度下見に来ていた。松本からのアプローチ(河童橋まで)に要する移動時間、宿泊場所などを勘案して導き出された結論は、縦走には予備日も含めて一週間が必要な事だった。少し大げさなのだけど。当時の社内事情を鑑みると山登りをするので7日間の休みをくれと会社に言えば、たぶん・・・あぁ・いいよ!と言ってくれるだろうけれど、その後出社して自分の机ある保障など無いに等しいものだった。そんなこともあり、仕事も忙しくなったりしてこの事はずっと忘れかけていた。というよりも現実的に自分で諦めてしまったのだろう。

けれども僕は山が好きだった。
それからも2日程で縦走できる地元の山には随分と登った。いまでも遠くに出かけて見慣れない山容を見るとすごく気になって地図で確認してしまうのはきっと性分なのだろう。
でもその後、普通の人では想像すら出来ない真夏の山で凍死しかかってからは、次第に山からも足が遠のいていた。
このことはもうだいぶ昔(3年前)の記事だけど  雲の高さ 16:9 の光景  に記してあった。

西穂へのアプローチでこのルートも把握していたが、当時はなにせ若気の至り。
”ロープウェイなんざぁ、軟派なルートだ”といきがって検討の余地もなかったけれど、初めてここに立ってみれば直線距離で1,300m程度で標高差もいくらもない。現在ここに立ってみて、むかし想定していた河童橋からの丸一日のルートもこの位置環境では全くちがっていた。もしかしたらあの時このルートで入り、上高地に抜けるか逆でも成立するルートだと気がついた時はさすがに悔しかった。
でも僕は老いて益々盛んをモットーとしているので、もしかしたら来年の初秋あたりに槍の手前、ジャンダルムあたりを歩いている絵がここに載るかもしれない。

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そういえば僕の場合、夏山2~3日の縦走で一番恋しくなったのは人でもなく街でもなく、氷(冷たい物)と炭酸と車やバイクのエンジン音だった。山小屋では毎晩ぬる~い水割りを飲んでいるので、特に冷たい炭酸を渇望する僕の心中にはかなり切実なものがあった。もしも山小屋で500mlのキンキンに冷えた缶ビール売っていたならば、一本2,000円でも迷うことなく買っていただろう。その反動だろうか人里まで下りてくるなり自販機にしがみつき、良く冷えたコーラを2~3本むさぼるように飲んだものだ。その後の打ち上げのビールもご諸兄方の想像に難くない呑み方なのだ。

 

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