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2013年10月 7日 (月)

4:30.pmを少し回った頃

131002
盛夏の頃からだろうか、毎日が異常な速さで過ぎてゆく感覚を再び覚えるようになっていた。
それほど忙しくしている訳ではないのに一日があっという間に終わってしまい、ふと気がつくと一週間が過ぎている。そしてうかうかしているうちにいつの間にか月が変わっているという具合に。そんな事をあと2回も繰り返せば年がかわり、そして知らない間に歳をとってしまう。
この時間感覚のことは有名な心理学者が論文で発表した、年齢の逆数に比例するという数式で説明がつくらしいけれどこの時間の魔力に年々、いや月々というか毎日のように苛まれているのも僕だけではないらしい。

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子供の頃の永遠に続くように感じた夏休み。
朝起きてから寝るまでの一日という時間が果てしなく長くて、その中には新しい知識や初めての経験がぎゅうぎゅうに詰まっていた。特に学校が引けてから寝るまでのほんの数時間はきっと普通に遊んでいたのだろうけれど、今考えると毎日たいそうな充実感をかみしめて眠りについていたのだろう。

そして幼き少年が若き青年となった頃には、時間という海が目の前には洋々と広がっていた。
あの頃はあまり金はなかったけれどたっぷりとした時間だけはあった。暇をもてあそび漫然と過ぎていったあの頃の24時間を、先ほどの数式にあてはめれば現在の感覚的には、恐ろしいことにたったの9時間で過ぎてしまっている事になる。勉強や仕事の他にやりたい遊びを全てこなせた若き日々。日々やり残してしまった事を指折り数えなければならない今の日々。その頃との環境や立場=仕事量などを考えると
一概にも言えないけれど、何時頃からだろう、速さと便利さを求めて時間を金で買うようになったのは。

人の一生を一日に換算すると今はきっとこんな時間帯を過ごしているはずだろう。
そこで頭を過るのはいままで務めてきた家長としての自分ではなく、一人の人間としての生き方という事だった。つまり僕の人生の約65%以上が既に終わってしまったという動かせない事実。そんな中できっとこの時間の感覚はどんどん加速してゆくのだろうという恐怖感と、うかうかしてはいられないというような焦燥感。それと同時に何か新しい事を見つけてそれに取り組んでみたいというような、漠然とした希望とか夢みたいなものを常に抱えている。
今頃は日あしがぐんぐん短くなってゆく時期で、そんな事を考えているとずいぶんと気が滅入ってしまうのだけど、そんな夕刻にラヂオから流れた懐かしい曲。その一節にだいぶ救われた。盛夏から続くこのヘンな感覚は”それは誰にでもあるようなただの季節の変わり目の頃”だったようだ。そんなふうに考えれば全てがプラス思考へとはたらく単純なこの性格。
夏至の頃ならばこれから日没までに十分にひと仕事ができる、まんざらでもない時間帯なのだった。

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昔、天文学者を夢見た僕の大好きな相対性理論では、重力は時間を遅らせるという。
これは地球のコア(核)に近ければ近いほど時間の進み方が遅くなる訳で、理論上は1階の時計よりも2階の時計の方が早く進むことになる。海抜0mの東京湾よりも250m程高いこの街は時間の進み方がすこしだけ早いらしく、なんとなく損をしている気分だ。

 

若さとは素晴らしいものである
ガキども無駄遣いさせるには
あまりにも惜しい

  
< ジョージ・バナード・ショー >

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