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2013年8月 7日 (水)

good-by Mr.Kangoro

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深夜や早朝の電話は得てしてあまり良くない知らせの事が多い。
それは先週8月1日の朝6時を少し廻った頃だった。17キロ先から電話線を伝ってきた電気信号を耳元の受話器が音声へと変換し始める。
耳に入ってきたのは、大好きな知人である勘さんが他界したという事実を知らせる、奥さんのほんとうに痛々しい声だった。あまりに突然の事で僕のあたまの中では、つい先日この仕事場を訪ねてくれた勘さんの顔とか会話ばかりが渦巻いていていた。奥さんの話の大半はどこか遠くから聞こえてくる、意味が良く聞き取れない街頭演説のように反対側の耳にスルーしていっていた。あまりに唐突な話にお悔みの言葉すら言えずに、殆ど状況を理解しないままにとにかく今夜お邪魔する旨だけを伝えて受話器を置いたのだった。

その夜詳しい経緯を聞くことができたのだけど、病気を患って3年程になることをその時に初めて知った。
その間何度か短い入院を繰り返していたこと。そして先々月には医者から7月頃には・・・と告げられていた事も含め、このことは親戚や親友以外には知らされる事はなかったらしい。ここ10年程は僕もついついご無沙汰してしまって、年に3~4回程しか顔を合わせる事もなくなっていた。その日僕が目にしたのは、その7月もちゃんと31日まで目一杯に生き切った75歳の安らかな寝顔だった。

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僕と勘さんの出会いはもう30年程の昔に遡る。
まだサラリーマンの時代のことで工事現場の技術屋だった僕に、ボスが冬場だけだが現場を手伝ってもらうようにとの事で会わせられたのが始まりだった。最初は2人くらいだったけれどいつも大きな工事ばかりで人手が足りず、知人などに声をかけてくれていつしか10人程の所帯となっていった。そしていつも皆を取りまとめてくれていたほか、これがまた実に面倒見の良い人でそれこそプライベートでは僕の父親のような人だった。以来、冬のから年度末までの一番忙しい時期を20回程彼らと過ごした後(会社ではセットと言っていたらしいけど)、僕はサラリーマンから足を洗った。普通ならばそこで一般的な付き合いは終わるのだけど、その後も勘さんは僕の一番好きな山菜(こしあぶらという木の芽)を毎年どっさり届けてくれたり、さくらんぼ畑や葡萄畑に招待してくれたりしてくれた。また田植えの後とか農作業の方が一段落すると、仲間との呑み会を企画してくれたりしていたものだ。

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僕の地方では火葬と告別式、その後に忌中法要と壇払いを当日中に続けて行う習慣があって、その壇払いの最中に奥さんと二人だけで少し話が出来たシーンがあった。先日仕事場にこしあぶらを届けてくれた時の詳しい事を話した時に、少し体が辛くなってきていた時だったらしく、僕に届けるからと勘さんに言われて奥さん自身が山に入った事を初めて聞いた。
今は気が張っているけれど・・・と言った僕に、皆が知っている公認の事実であった、随分と自分勝手で”我が儘なとうちゃん”だったことを少しだけ嘆いた後、”ちゃんと看きったから、もう悔いはねぇよ。”と涙を浮かべながら笑顔を見せた。それを見た途端にかなり頑丈に補強して臨んだ僕の涙腺の防波堤は、あえなく破堤してしまっていた。

  



ヨイトマケの唄  by 美輪明宏 2012紅白ヴァージョン 

  

    
  

拝啓

勘さん。いままでずっと長い間ありがとうございました・・・・・そしてさよなら。
昔の仲間達と皆で見送った翌々日に、ようやく今年の長い梅雨が明けました。
その蒼い夜明け。勘さんの為に切り取った香華と好きだった曲を捧げます。
昨年の紅白でこの曲を聴き、勘さんの事を思い出していました。
いつも気分がいいときに口ずさんでいたこのフレーズ。
誰になんと言われようと、きっとこれが勘さんの真実なのだったのでしょうね。

敬具

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