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2013年8月の記事

2013年8月28日 (水)

8月最後の晴れ間に

   
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もう週末から9月がはじまる。
関東以西にお住まいのご諸兄方には申し訳ないような気がするけれど、今年の夏は昨年に比べてあまり暑かったような気がしない。梅雨明けは8月のはじめだったし、それから旧盆までは真夏日程度で猛暑日は確か1日だけ。昨年よりずっと過ごしやすい。特にここ2~3日は早朝や夕刻以降は窓を開けていると肌寒ささえ感じる、そんな昔のような夏の気候だった。

今朝ほど天気予報で今日は8月最後の快晴になると言っていた。
最近の予報はいろいろと事情があるようで、いつも一杯食わされていた記憶が強く”ふぅ~ん・・なんだかなぁ~”程度の感覚だった。
仕事場の天井には電気代節約の為のトップライトがあって、空が一年中眺められる。たしか11時頃までは雲の大きなかたまりがたくさん流れていた。ところが昼近くになると雲すら殆どない空になっていた。こんな昼休み(仕事のやりくりがうまくいけば約2時間)は、陽光の下で弁当でも食べてみたいと思う人間なので、途中のコンビニで弁当を調達して公園に向かう。このコンビニの存在がとても重要であり夜桜の見物等、じつに素敵な公園が僕の居住区から歩いて4分のところにある。

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蒼い空を見ながら木陰に寝そべり、2013年8月というものをいろいろと思い返してみる。
1日からつけ始めた絵日記や、そのあさ届いた勘さんの訃報のこと。お盆の頃からか何かを思って、ずっと願っていたこと。新盆で勘さんにお参りに行って聞いた、僕も大好きな勘さんの親友宅に訪れた不幸のことなんだかいろんな事がありすぎて忘れられない夏になった気がする。碧空を見上げて嘘をつける人もいないと思うのは、お人好しなのかも知れないけれど・・・そんな事を思い返していた昼だった。
そんな8月も今週で終わる愛しさを込めて。
   

    
   
   
  

  



決められたリズム  by 井上 陽水 

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2013年8月21日 (水)

デオキシ・リボ核酸と飲み放題の考察

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デオキシ・リボ核酸。
いわゆるDNAの事なのだけど、僕も含めて同年輩以降のご諸兄方には遺伝を司るタンパク質の一種と言われた方がピンとくるのも真実だ。
僕はサラリーマンを辞してから一年ごとに、ごく一般的な健康診断と精密な人間ドックを交互に受診している。何かあれば治療はするけれど、一番は自身の病理的な余命を把握しておきたいからだった。そこには突然のアクシデントで他界というならば諦めもつくけれど、具合が悪くなって病院を訪ねたらいきなり、余命1~2ヶ月と宣告されたというパターンだけは絶対に避けたいという思いがある。
僕は生命の論理に反して長生きしたいとは思わないし、なによりも周囲に迷惑だけはかけたくないと思っている。それに現世でお世話になった環境や人々への返礼など、自分なりにもいろいろと都合があったりするのだ。

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近年の事だけどお泊りドックの内臓エコー検査の時だった。
その時の診察は僕よりも一回り以上も若い女医さんだけど、”胆嚢も正常ですしこれから肝臓の方を見ますねぇ~”と言った直後にカノジョのセンサーを持つ手が止まり、おもむろに”お酒をのまれますか?”と訊かれる。これは問診票にいつも記しているので、訊かれたことのない質問だった。
友人・知人からも僕の飲酒量は晩酌の域を遥かに超えているといわれていたのを思い出し、僕の脳はその返答に対して、ほんの1~2秒程度だけどあのスパコンの”京”を凌ぐ演算を繰り返したような気がする。結果、演算結果は当たり障りのない”まぁ、人並み程度ですかねぇ?”、と責任を逃れようとする疑問符を付けたものだった。そしてこれを見てくださいとモニタをクルッと回された時には僕はもう既に観念していた。

カノジョの着眼点と診断説明はこうだった。
それは肝臓が厚い部分からだんだん薄くなっていっていく先端の尖っている部分の事で、長年アルコールを摂取して肝臓が疲れてくると、こんなにも”ピン”となっていなくてふつうは丸くなってくるのだと言う。それを聞いた途端に深いため息と軽い脱力感の中で医者からの立派なお墨付きをもらったという、至極ご機嫌な気分で検査室を後にしたのは言うまでもない。

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僕の父親方、母親方の家系はものすごい大酒呑みの家系だったと聞いている。
中でも以前記事に記したTokuさんは横綱クラスだろう。ずいぶん昔の事だけど、”Tada坊、俺は酒で命を取られるならば本望だ”と言って旨そうに呑んでいたものだ。それを聞いていた若かりし日の僕は、何を馬鹿げた事を言ってるんだろうと半分軽蔑して聞いていたものだった。
それが恐ろしいことに最近その歳にだんだんと近づいてきて、アルコール飲料の香味を堪能している時”あっ!”と思う事がある。細胞に潜む両家のデオキシ・リボ核酸の存在を感じる瞬間だ。

最近多くなってきた飲み放題プラン。
はじめはいつも節度をもって臨むのだけど、このプランを選択するのは初対面というよりは気ごころの知れた人たちが多く、せっかく持参した節度とやらも何時ぞやグラスの中の氷になってしまっている。もう一人の自分が今日はこれくらいにしよう・・・とペースを落としていると、”ラストオーダーになりまぁ~す”という店員の声が聞こえる時間。皆がこぞって注文するなか聞こえないフリをしていると、おう!オーラスだぞ何にするんだ?とご丁寧に声をかけられる。
もういいわ!・・と答えると、いままで積み重ねてきた実績があるからなのか、どっか具合でも悪いのか?と心配される始末なのだ。

ラストオーダー・・・
明朝の後悔と引き換えに僕がオーダーするのはきまってダブルのハイボール。
   
 
 

alcohol は人類にとって最悪の敵だろうね
だけど聖書は言ってるよ
『汝の敵を愛せよ』・・・ とね

  
< フランク・シナトラ >

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2013年8月14日 (水)

夏休みの自由工作

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子供の頃からそうだった。
美術の授業などで絵を描くことはすごく苦痛だったけれど、物を作ったりすることにはそれを感じたことはない。それには僕にとって非常に苦手なというか、いつも仕上げ(最後)の致命傷となっていた”色”が関わってくるからだろう。何かのデザインなんかを考えるのも好きだけど、最後の着色となるといつも投げ出したくなっていた。

昨年9月に飛島へ一人旅をした時、西海岸で細い流木を探していた。
それは2年程前から少しずつ買い集めてきたエアープランツの処遇が頭の片隅にいつもあったから。手入れが実に簡単というかほとんど放任しておいて構わないので、保護者としていろいろと煩う事もない存在だ。それ故そこいら辺に転がしておくのも実に忍びなくていた。この夏休みに時間があれば作ってみたくていたのだけど、木をいじりながら組み合わせなんかを考えていたらついつい没頭してしまった。
カットと面取り仮組を終えたら、木工用の瞬間接着剤を流し絶対安静30分。この間に彼らの伸びすぎたり茶色くなった部分の手入れ。仮付けしながら吊るした時の左右水平のバランスをみながらくっつけてゆく。

置いて良し吊り下げて良しというのを目指したけれど、仮組の時とは少し角度がズレてしまったようでうまく均衡が取れていない。一番左のでかいヤツをあと15ミリほど右に接着すれば、左右のモーメントバランスは完璧だった。
  

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2013年8月 7日 (水)

good-by Mr.Kangoro

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深夜や早朝の電話は得てしてあまり良くない知らせの事が多い。
それは先週8月1日の朝6時を少し廻った頃だった。17キロ先から電話線を伝ってきた電気信号を耳元の受話器が音声へと変換し始める。
耳に入ってきたのは、大好きな知人である勘さんが他界したという事実を知らせる、奥さんのほんとうに痛々しい声だった。あまりに突然の事で僕のあたまの中では、つい先日この仕事場を訪ねてくれた勘さんの顔とか会話ばかりが渦巻いていていた。奥さんの話の大半はどこか遠くから聞こえてくる、意味が良く聞き取れない街頭演説のように反対側の耳にスルーしていっていた。あまりに唐突な話にお悔みの言葉すら言えずに、殆ど状況を理解しないままにとにかく今夜お邪魔する旨だけを伝えて受話器を置いたのだった。

その夜詳しい経緯を聞くことができたのだけど、病気を患って3年程になることをその時に初めて知った。
その間何度か短い入院を繰り返していたこと。そして先々月には医者から7月頃には・・・と告げられていた事も含め、このことは親戚や親友以外には知らされる事はなかったらしい。ここ10年程は僕もついついご無沙汰してしまって、年に3~4回程しか顔を合わせる事もなくなっていた。その日僕が目にしたのは、その7月もちゃんと31日まで目一杯に生き切った75歳の安らかな寝顔だった。

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僕と勘さんの出会いはもう30年程の昔に遡る。
まだサラリーマンの時代のことで工事現場の技術屋だった僕に、ボスが冬場だけだが現場を手伝ってもらうようにとの事で会わせられたのが始まりだった。最初は2人くらいだったけれどいつも大きな工事ばかりで人手が足りず、知人などに声をかけてくれていつしか10人程の所帯となっていった。そしていつも皆を取りまとめてくれていたほか、これがまた実に面倒見の良い人でそれこそプライベートでは僕の父親のような人だった。以来、冬のから年度末までの一番忙しい時期を20回程彼らと過ごした後(会社ではセットと言っていたらしいけど)、僕はサラリーマンから足を洗った。普通ならばそこで一般的な付き合いは終わるのだけど、その後も勘さんは僕の一番好きな山菜(こしあぶらという木の芽)を毎年どっさり届けてくれたり、さくらんぼ畑や葡萄畑に招待してくれたりしてくれた。また田植えの後とか農作業の方が一段落すると、仲間との呑み会を企画してくれたりしていたものだ。

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僕の地方では火葬と告別式、その後に忌中法要と壇払いを当日中に続けて行う習慣があって、その壇払いの最中に奥さんと二人だけで少し話が出来たシーンがあった。先日仕事場にこしあぶらを届けてくれた時の詳しい事を話した時に、少し体が辛くなってきていた時だったらしく、僕に届けるからと勘さんに言われて奥さん自身が山に入った事を初めて聞いた。
今は気が張っているけれど・・・と言った僕に、皆が知っている公認の事実であった、随分と自分勝手で”我が儘なとうちゃん”だったことを少しだけ嘆いた後、”ちゃんと看きったから、もう悔いはねぇよ。”と涙を浮かべながら笑顔を見せた。それを見た途端にかなり頑丈に補強して臨んだ僕の涙腺の防波堤は、あえなく破堤してしまっていた。

  



ヨイトマケの唄  by 美輪明宏 2012紅白ヴァージョン 

  

    
  

拝啓

勘さん。いままでずっと長い間ありがとうございました・・・・・そしてさよなら。
昔の仲間達と皆で見送った翌々日に、ようやく今年の長い梅雨が明けました。
その蒼い夜明け。勘さんの為に切り取った香華と好きだった曲を捧げます。
昨年の紅白でこの曲を聴き、勘さんの事を思い出していました。
いつも気分がいいときに口ずさんでいたこのフレーズ。
誰になんと言われようと、きっとこれが勘さんの真実なのだったのでしょうね。

敬具

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