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2013年6月の記事

2013年6月24日 (月)

汐風とウミネコが運んで来た音の記憶

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先週、夜明け前の暗闇の中で芽生えてしまった海への恋心。
その置き場所に思い病みながら一日千秋・・・、こんな思いをするのは少年時代以来のような気がするけど、とにかくこの週末は待ち遠しかった。鞍に身をゆだねると早朝からの眠けも気にならず、遠くで待つ恋人にでも逢いに行くようにそそくさと手綱を西へ向けた。

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先月も見た明るい陽光と潮の匂は本番の夏に向けて、確実に力強さを増していた。真夏のギラギラした海辺がもうだいぶ前から苦手になってしまった僕は、上半期最後の汐風にからだを曝したくて適当な駐車場に鉄の馬を滑り込ませた時だった。そこの防波堤に一羽のうみねこが居るのが見えた。近くであまり見る機会はないので、いつもの好奇心が首をもたげ5メートル程まで近づいてみる。でも彼は飛び立つ気配さえなく、さらにゆっくりと近づいてもやはり逃げない。
一羽と一人・・・それはブロックの限界まで寄せたわずか1.5mでの対峙となり、そこで初めて彼の左足に気が付いた。
しばらく続いたウンドー越しのにらみ合い。ガラスを下げて直接顔を見せれば飛び立つだろうと思いきやそれでも動かない。こんどはレンズを向けてみる。すると彼は何度か首を振っただけでこんな目で相変わらず僕を睨みつけていた。
彼の左足。
自然界でこんな怪我をすることはあまり考えにくいから、きっと放置された釣り糸にでもよる事故なのだろう。只ただ無言で向き合う彼の目には、人間に対する恨みのような感情も感じていたし、それに僕がなぜここに来たのかというのさえも見透かしているような目光だった。近くを賑やかな車が通り過ぎると、彼は初めて翼を広げて奥の岩まで滑空していった。僕はといえばようやく鞍から降りて、彼のいた防波堤へ腰を下ろし全身で汐風の匂いを嗅いでいた。

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彼がまだこっちを見ていた20m程先の岩場の少し先。
空と海とがふれあう彷徨から、汐風が運んで来たのは遥か昔の映画の記憶だった。それは白鯨(Moby-Dick)という映画で、主人公であるエイハブ船長は巨大なモービーディックに片足を食いちぎられ、復讐心に燃える彼は鯨骨製の義足を付けていた。そして夜な夜な階下の乗組員の部屋に響くのは、船長室を歩き回る剥き出しの固い義足が放つ、不気味な音だったのを鮮明に覚えている。偶然彼と出会った事によって30年の時を経て、再生された海の音の記憶だった。



 
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2013年6月17日 (月)

短夜(みじかや) 礼賛

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          夏至:

陽熱至極し
また日の長きの
いたりなるを以て也

 
季節便覧より               

     

40代も終わりの頃からだろうか・・・それまであまり気にも留めることのなかった、花鳥風月にすごく敏感になって来た。
恰好良く言えば四季の中に風流を見いだし、そこに季節のうつろひがほの見える歳になったと言う事なのだろうか。むかし、”夏の夜は短夜と言われその儚さが惜しまれたのだ”というのを聞いた事がある。そんなことを考えてみれば、こんな題目に上がるのは夜だけなのかもしれない。秋の夜長とはいうけれど、活動(仕事が)できる時間が断然長い夏の日中は昼長とはだれも言わないし、なにより歌に詠まれて愛しまれたためしがない。今頃の時節だと午前3時半を過ぎると空が白み始め、4時を廻ると太陽が顔を出す。日没の時間もそれなりにシフトする訳で、朝7時頃にならないと日が昇らない冬至の頃と比べると、実に昼が6時間も長い。短い夜を長く楽しむサマータイムは比較的緯度が高く、昔からその制度を導入していた欧米ならではの習慣なのだろう。

僕の地方だけかも知れないけれど、日の出からの早い作業には特別な呼び名があった。
それはいわゆる”朝仕事”と総称されるもので、サマータイムのように一時間とは限らないけれど、起床から朝食あるいは出勤時間までのひと仕事の事を指す。それは以前農家の人から聞いた話で、彼らの朝仕事とは田んぼの除草などの一般的な農作業を指すらしいけれど、僕の場合は”朝仕事”という隠れ蓑を着た遊びが大半だったりする。
いずれにしても明るい時間が長いのは外で活動できる時間が長くて良いものだ。そんな訳でこの時期のひと月を、白夜の国で時計だけのリズムで暮らしてみたい・・・という願望をいまだに捨てきれない男がここにいる。

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2013年、スーパームーン・・・今年はいみじくも夏至と2日しか違わない。
この日付は遥か太古のビックバンの時から、セットされていた天地(宇宙)の節理。そして最近の僕にとっては実に運が悪く、トラウマになりそうな休日前夜にあたる。それは昔と言っても小学生時代のこと・・・
今は学校も土日が休みというのが当たり前だけど当時は、土曜日は半ドンと言って午前中だけ授業があった。一日休みというのとは違って朝は普通に見慣れた通学路を登校するのだけど、授業が終りその日の帰り道は見え方が一変していた。おそらく時間帯がちがうからだろう、帰りはなんとなく解放感に満ちたいつもとは風景が違う通学路だった。家に帰って昼飯を食べ、夜の早い眠りにつくまでの時間が最高に楽しかったものだ。

今でも早くに眠ってしまう事が多い休日とその前夜だけど。
先週も・・・そして今朝方もそうだった。
なぜだか午前3時(恐ろしいことに ±5分)に目が覚めてしまい、その後は暗闇の中で煩悶とした時間を過ごしていた。別に体調も悪いわけではないし、心配事がある訳でもない。Alcという睡眠薬も眠るまでは十分に薬効を感じている訳で、いまだにその理由はさっぱり判らないのだ。そして空が白みはじめて陽ざしを感じると再び眠りに落ちるのだけど、こんな事が2週も続けば何かにでも憑かれているのかも知れない・・・という気分になってくる。”暗闇で待ち続ける者だけに『日の出』という奇跡がわかるのだ”という文章を2週連続して得心していた。

ここまで来たら休日の朝でもあることだし、もう西の空に低くなった珍しいスーパームーンが、紙の月に変わってゆく様をちゃんと見てやるのもいいかも知れない。前夜祭にあたる22日は気象協会がどんな絶望的な予報をだそうとも、入念且つ盛大にお天気祭りを執り行わなければならないだろう。僕自身もしかしたら3度目となるかも知れない、3:00.amの呪縛から逃れるためにも・・・

    

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It's only a paper moon
  Natalie Cole
   
 
  
ナタリーも好きだけど
やはり父親は偉大だ

   
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2013年6月10日 (月)

森の中・Warm_color との再会

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今年の季節感(気候)はなんだか例年とはずいぶんと違うような気がするのは、僕だけではないようだった。
ようやくさくらの頃の低温が解消されたと思えば、今度は梅雨を飛び越して一気に夏のような陽気が続くし、おまけに極端に雨が少ない。
肝心の予報はと言えば・・・”天気は必ず帳尻を合わせるので、梅雨末期の大雨に注意が必要です”。        と・・・・・・
気象協会に昔からある伝話みたいな事を言っていた。

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山形県は全ての市町村に最低一つは天然温泉がある、おそらく全国的にも珍しい県だろう。
僕の住む米沢市でも9を超える天然の温泉があり、TPOに応じての選択は可能なのだけどやはり泉質の思慮は外せない要素の一つだろう。書斎からそんなに時間が違わない距離(約20分程度)に全く違う泉質をもつ温泉がある。それらは標高差で500m、直線距離で10km程しか違わないけれど、いわゆる”温まり湯”と”冷え湯”と呼ばれる泉質だ。
かなりの長湯派である僕は、時期を間違えてしまうと湯上りにいつまでも汗が引かなくて大変な思いをしたり、風邪を引きそうな寒い思いをしたりするので注意が必要なのだ。自分なりの感覚では温まりの湯は、赤ワインが恋しくなる長袖の季節から5月の連休頃まで。それ以外は標高900mにある汗をスッとひかせる実力を持った、冷え湯の方に通うこととなる。それが白布森の館という公共の日帰り温泉施設で、その
ロビーの奥。休憩所と浴室の入り口にこの Warm_color が燈っている。
  

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13060203この Kumiko という伝統工芸品。
直線だけで構成された模様で作られたものだけど、その素晴らしい組み付け精度で引き出された計算ずくの幾何学的な空隙。それに素材が木
(青森ヒバ)ゆえの柔らかさとマッチしたオブジェであり、そのすきまから漏れる白熱電球のなんともいえぬ温かい光色が見る者に安らぎを与える。

”光と影の魔術師”・・・僕はこの作者を親愛を込めてそう呼んでいる。
その人が創り出すのは僕のような凡人が想像すらできない、計算しつくされた光と影が織りなす世界だ。市内に工房とギャラリーを構える作者を僕がそんなに気安く呼べるのは、実は彼と親戚関係にあるからだった。

もう随分と以前のことになるけれど、上のスパイアという作品は工房を開いて間もない頃のだいぶ昔の作品だと聞いていた。
久しぶりに昨年彼のギャラリーを訪ねてた時も、また新しい発想を沢山発見したし、法事の席で一献交えながらいろいろと話を聞くことが出来た。相変わらずだいぶ忙しいようで、大都市のデパートや展示会などで、一年で二~三ヶ月程は工房を留守にしているそうだ。それでも作品の注文や新しい発想を形にしなくてはならず、特に受賞後は時間のやりくりが大変らしい。
  

 

最近の陽気でいつもよりひと月近くも早かったけれど。

ガラス張りの湯船から眺める、新緑から少しだけ大人びた森の緑たちとこのWarm_color は・・・・・
今年も緑の中で斯くして健在だった。

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2013年6月 3日 (月)

なくて七癖

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自分にでもあるであろう七癖を、立て板に水のようにスラスラと列挙できる人は、はたして何人いるのだろうか。
先月の事だったけど、知人とDeepに呑んでいるときにそんな話になった。癖と言えば一般的に個人の動作などを伴う行動を指すのだろうけど、”酒”などの接頭語がついてしまえば、誰かしら相手があることになりその評価はあまり良くない事が多い。

面白いもので他人の癖というものは、見ていてけっこうわかるものだけど、当の本人はなかなか気づいていないことがほとんどだ。
ましてやそれを七つ言えと言われると、一つ、二つ、あるいは三つ位まではなんとか言えるような気がするけれど、その先は目が宙を追ってしまう。友人達と呑んでいる時などは互いにそれ自体が、生体認証にでもなっているようなものだろう。
例えば次に彼はきっとアレをするにちがいない・・・・・ほぅらやった。と必ず当たる評判の予言者にでもなった気分の中で安心するように。
以前気づいたのだけど、癖というものも嗜好と同じように年月とともに変化するもののようだ。僕が随分昔にやっていた食べ物のにおいを嗅ぐこと。今はもうすることはないけれど、この頃次男がそれを時々やっているのを見て、妙な懐かしさを覚えた。もちろん止めるように注意したけれど、たぶんその時期が来なければやめる事はない。

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そんな僕も気づいているけれど、もう30年もなかなかやめられない癖が三つある。
一つ目はわりとノーマルにしても二つ目と三つ目は、子供の指しゃぶりと唐突的な行動のようなもので、僕の歳からすればおそらく奇癖という範疇に入ることだと思う。

一つ目は、考え事をすると手のひらでグーを作り、その穴とキッスをしたり息を吹き込んだりすること。

二つ目は、これからの半袖の時期に車内(鉄の馬)で起こる密か事。
こんなふうに書いてしまうとなんだか女性週刊誌や三面記事のようだけど、この行為はやはり人には見られたくないものだ。それは簡単に言えば手首から15cm程の前腕にある長い体毛を、唇で挟んで軽く引っ張ったりすることだけど、これがことのほか両者(唇と体毛)にとって気持ちが良かったりする。さらに距離が伸びてくれば、汗などの体臭が混じってくる訳で、長月までの情熱的な4か月間。誰もいない鉄の馬で繰り返される僕だけの密かな情事といっていいのだろう。

三つ目は、ところ構わず窓から外を覘くこと。
この件に関しては、なぜだか一階の窓にはあまり興味を示すことはなくて、高い建物ほど顕著に表れる。初めての店やオフィスビルなどでも、いきなり窓に寄っていって外を眺めたりしてしまう。そしてたぶん変な人だと思われただろうといつも後悔するのだった。

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後悔しながらその必要性を考えてみるのだけど、癖というものに理由はないのだといつもの結論で閉じてしまう。
外を見て何をしているのかと言えば、いつも自身の位置を見ているのだ。自分の街ならば既知の建物や山並みを見ると、まるで”Google earth”の衛星写真にマップピンが打たれたようなものが浮かんでくる。
知らない街の初めての建物だと、太陽の位置からその建物のエントランスと、その窓の位置関係を3Dの立体モデルが浮かんだりする。なぜそんなことをしてしまうのかはさっぱり判らなかったけれど、最近この歳になってひとつの仮説に辿りついた。
それは少年時代のボーイスカウト隊員の頃まで遡り、週末いつもやっていた方向と距離の感覚を養う訓練だった。
隊長のいるベースキャンからしょっちゅう飛んでくる、”現在位置を報告”というトランシーバーの音声に、班長だった僕は磁石と大まかな歩数から、真北とベースと自分の三角形を思い浮かべ、”2時の方向・距離250”などと答えなければならない。5つあった班の中で精度がバツグンに高いと、隊長から皆の前で褒められて子供心にすごく嬉しかったのをはっきりと覚えている。

やはり子供は褒めて育てろというのは素晴らしい教育だなと思った・・・僕の場合もう時、既に遅しだけど。



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