桜の頃 (3/3)
今年の”桜の頃”は3年ぶりの立夏の早朝に再会が叶った、この純真無垢な深山桜の絵で閉じたい。
”さくら色”という色表現。桃色よりも薄くて、ピンクよりもさらにうすく、やはりさくら色としか表現できないこの微妙な色彩。これは日本人にとって昔から、春特有の特別な色域に分類されているのは間違いない。冬というモノクロームの厳しい季節が通り過ぎ、地面に咲く草花とは違い立体感と遠近感を持った木々が、その色に染まるさまはそれこそ、日本人の機微に触れる光景なのだろう。それを遠目に眺めても、樹の下に立って見上げても、その色彩に触れると人(僕)はいつも何かを想い、そして感じる。
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子供の頃からそうだった。
休日の朝は、いつもよりずっと早く目が覚めるという、おかしな習慣でそれから随分と時間を経た今でも細々と続いている。ましてや天気が良ければなおさらのこと、小学校の遠足の朝のようなワクワク感で起きる時に似ているのかも知れない。
休日であり、しかも早朝のR-113は殺風景なほどに動くものも少ない。
たまにすれ違うのはたぶん帰郷の土産品などを運ぶ長距離便が殆どだろう。ひた走る早馬の鞍に身を委ねて、普段よりずっと早い速度で流れる景色の中でボンヤリと思い出していたのは、そこを初めて訪れた日の事だった。
鉄の馬を操るお墨付きをもらってから、ずっと通り慣れていた日本海へと続くこの国道。
確かある春の日のこと。いつも通り過ぎているだけのキツイ交差点を、初めて曲がったのには訳があった。それは”夏の海”しか見えていなかった若き青年が、初めて”山”というものに目を向けた年のことだった。
そして道の奥にあったのは、初めて間近でみる飯豊連峰という万年雪のある荒々しい山容。それに季節の流れ方が普段住んでる盆地とは全く違う、深山という厳しくも美しい環境だった。
ゲルトナー・ライアの音色を初めて知ったのも
この曲だったし・・・
それまで大好きだった無垢の青空の悲しさを知ったのも
いつも何度でも 木村 弓
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Appendix:桜の頃 (3/3)
例年より残雪の量が実に3尺程も少なかったこと
代わりに初めて靄(もや)のかかる美しい表情を見せてくれたこと
近くの湧き水でいれてみたお茶が沸点が低いにもかかわらず
思いのほか美味しかったこと
さくら色の透過光に会えたこと
そして教えられたこと・・・
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