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2013年4月の記事

2013年4月29日 (月)

休日ノ過ゴシカタ Vol.3 (廻り道の ススメ)

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この回廊と出会ってからもう7~8年になる。
交通量が極端に少ない(マイナーな)見通しの良い道路なので、天気の良い日には路肩にくるまを停めてゆっくりと鑑賞出来る。また空模様がすぐれない時や、時間に追われている時などは、子供の頃ノートや教科書の角隅を使って作った、パラパラ漫画のようコマ送りで景色を映し出してくれるサービスも忘れない。この時ばかりはコマを送る調整役は、親指ではなく右足となるのは仕方がないことだけど。
春・夏・秋・冬と、このカンバスに描かれる色彩はそれぞれ違うけれど、共通しているのはどう言う訳だかいつも風が吹いている場所だということ。

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例えばA地点からB地点への移動を考えた場合、僕は時間的な余裕と地理的な条件が適えばまず同じ道は通らない。
どういう事なのかと言えば、二つに地点でショートカットのように近道を見つけてみたり、距離が1.5倍になってしまうような鍋弦線を見つけたりと、実は楽しい時間だったりする。これは昔から習慣としてきた事だし、たぶんこれからも変わる事はないだろう。
そんな新しい道との邂逅を繰り返すうちに、仏教でいうさまざまな”小世界”に出合ってきた。大雑把にいえばその殆どが、光景とか風景とかで表現できるカテゴリだけど、それらは建物だったり、食べ物だったり、とびきりの地酒などもあったし、中には4人の忘れられない人物も含まれる。

ご諸兄方もいつの間にか、ブラウザで使っているお気に入りが増えているように、僕もお気に入りの小世界が増えてくる。
こんどはそれ同士が新しいネットワークを構築するように、別の廻り道のリストが出来てくる。そしてそこにかなりの確率で含まれるのは、海や水辺のみなもが波立つ光景にそれと流れる雲だ。それは静物画と言ってもいい程に静止した、風景カンバスの中で唯一うごく事を許された特別なキャスト達なのだった。

時おり何の前触れもなく、それらの小世界をふたつ三つ、廻ってみたいなぁ~という感情が芽生えてくる。
それは懐かしい場所に帰りたいという気持ちにも似ているし、幼なじみの友に逢いたいという懐かしさのようなものに近い。ふだん日常の生活の中でいつもそんな事を考えている訳ではないのだけれど、偶然ラヂオから流れた曲がきっかけで時折フッと胸をかすめるそんな感情は、すこしづつ自分の中で蓄積されてゆく感覚がある。ちょうど満ち潮が遠くからゆっくりと時間をかけて海岸を満たすように。

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たぶん何かのコマーシャルだと思ったが、どこか外国の諺で”路に迷う事は路を知ることだ”と言っていた。
なるほどと頷きながら、僕自身が見知らぬ土地で、知らない通りに手綱を進めるのが何の苦でもないのは、好奇心という感覚の全面的な支援の他に、いつも二つのことが気持ちの奥底にあるからかも知れない。
それは道は全部つながっている、という道がみちたる揺るぎのない事実。それと迷ったり間違えたりしても、鉄の馬はガソリンさえ与えておけば、人間と違って疲れたなどと不平を言わないということだった。
これらは実に当たり前の事かも知れないけれど、僕にはこれがあるのでまた知らない土地で、知らない通りの小世界をカレイドスコープで覗き込むことだろう。  
  
  
  
  
  
  
  
      

  

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2013年4月22日 (月)

桜の頃 (1/3)

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先日、ふと昔人の俗諺を思い出すことがあった。
それは”融けない雪と、止まない雨は降ったためしがない”というのだけれど。そんなことは当たり前じゃないかと単純に言えないのは、やはり冬から春になってゆくプロセスを間近に見続けているからなのかも知れない。
  
この冬の積雪量は大雪と言われ、毎日つづく雪かきで辟易としていた昨シーズンの積雪深を、やすやすと乗り越えてしまった。
三月の二週目頃までは、この雪は本当に春までに融けるのだろうか・・・、という思いの他に、きっと今年は連休の頃まで残るのかも知れないな。という春を待ち焦がれる僕にとっては、少し沈んだ気持ちになっていたものだ。ひと冬という長い時間を費やして、降り積もった多量の雪も見応えがあったけれど、それが僅か3週間程で視界から消える事の方が、僕にしてみればずっと凄い事のように感じる。遅い冬のエピローグから初夏のプロローグという、決められた季節のリズム。この月に四季のある”この國”に生まれた偶然に、感謝しなければならない。

この公園は好きな場所の一つで、近くを通れば必ず手綱の向く場所だ。
まだ春早い平日には人影もなく、穏やかな春の光の中・・・”どうぞ!”とウインクしてくれたベンチに腰掛けて、また弁当を食べてみたくなった。
昨年の晩秋、インディアンサマーの日にそうしたように。たぶん5ヶ月前と変わらない気温のベンチで、今度は春色の炊き込みご飯を食べながら、長かったふゆの始まりからの事を思い出していた。
  
  

日が短くなったこと
冷たい雨が降ったこと
虹を見かける機会が増えた時雨時。

強い風が吹いたこと
雨音が途中で消えたこと
白い優しさに覆われた翌朝の景色。

あるくと音がしたこと
窓の外が明るくなったこと
耳鳴りのようなシンとした夜の静寂。

気温が下がったこと
水道が凍って困ったこと
嵐の様に吹雪いた朝はいつも窓雪。

南の風がふいたこと
融けはじめた深雪のこと
水嵩が増えた川の水面で想った事。
  
  
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いつ・・何時・・いつ?

いつもSDカードから流れている、フロントグラス越しの青空が似合うこのメロディー。

この曲はもともとイタリアンポップスで
quando 以外の部分は英訳されたものだったこと
そしてタイトルの和訳すらも、先週のラヂオで知ったことだった。



Quando Quando Quando  マイケル・ブーブレ & ネリー・ファタード
 
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Appendix:桜の頃 (1/3)




最近ずいぶんと陽が長くなってきたこと


せっかく咲き始めた桜が、そらの気まぐれで凍えてしまったこと


窓辺の固かったサクラの蕾がわずか一週間で

満開になっていたこと。

 

  

  

   
   
   
   
   
   

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2013年4月15日 (月)

休日ノ過ゴシカタ Vol.2 (この男・・・そば好きである)

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ここの器はそば猪口をはじめとし、地元の成島焼で統一されて、いかにも米澤・・・という風情を感じさせてくれる店だ。
主の話では地元産の実を粗めに挽いてもらっていて、一番・二番粉だけの完全なる更科ではなく、『星』と呼ばれる黒い斑点を出すために三番粉も少しだけ混ぜているという、手打ち機械切りの二八そばとの事だ。ここのを食べてからもう4年程になるけれど、豪快に音を立てて手繰った時に感じる、鼻に抜ける香りとのど越しは相変わらずバツグンだ。

とかく人には何事にも好みという垣根が存在するけれど、それが顕著に表れるのは同じものでも選択肢(店)が数多ある、そばやラーメンにうどんといった麺類のジャンルだろう。
周囲の蕎麦通のご諸兄方は一様に口をそろえる。  ”なんと言ってもそばは、たれとのバランスだろう” と・・・。
最初はあまりピンとは来なかったけれど、たれひとつにしてもそうだった。個人的には鰹くさいたれはどうも苦手なのだけれど、全粉を使ったいわゆる田舎そばは、繊細な昆布の出汁のたれだけではどうにも頼りない。やはりあの鰹出汁のパンチ力が加わり、初めて完成する事を知ったのは、そんなに昔の事ではなかった。

そばというものにはたれとのバランスの他に、日本酒とのバランスを愉しむ空間が存在するのも事実だと思う。日本酒との相性はたぶん僕ら
日本人にしかわからないかもしれないけれど、先人の知恵と云うか発見というか実に素晴らしい組み合わせだ。
以前は呑んでから手繰るか・・・、手繰ってから呑むか・・・、まるでハムレットのような選択を楽しんだものだ。けれども近年は何かにこだわる
頑固オヤジのように、自分なりのスタイルが決まってきていた。

僕自身、もり又はざるは時間をかけて手繰るものではないと思っている。
ごく短い時間で、のど越しも含めた香りすらも玩味しなければならない、ある意味難しい食べ物だとすら感じている。例えばおひとり様はなく、会話を楽しみながらというならば、それはゆっくりと蕎麦湯を飲む時という事になるだろう。主が絶妙なタイミングで盛りつけたそばは、やはり洗いたての鮮度が重要で、モタモタしているとぬるくはなるし、そば自身の吸水と乾燥とで、折角の喉越しと風味が失われてしまう。だから僕にとって時間が経ってしまったそばは、冷めたピザやパスタとの線引きが難しい。
年に3~4回の天候に恵まれたオフの日。それも遅い午後の楽しみは、何か少しあてを出してもらってゆっくりと冷酒を堪能し、残りが少なくなってきた頃合いを見計らってさっと手繰る。残り少ない酒と新鮮なそばがリンクする、この短い時間がいい。

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それからひどく癖のある食べ物には注意が必要な事が多い。
最初は”うぇ~っ!”と構えてしまうが、在庫があるので仕方なく(もったいないから)何度か口にしていると、味覚野への新しい回路が出来てしまうのか、その味が習慣の一部と化してしまう事がある。そしてその在庫が切れた時の淋しさといったら、好みの飲み物が入荷未定の品切れになったようなものだ。それが僕の場合は叔父さんが送ってくれたくさやだった。

-P.S- 実はこの男・・・・・ うまい酒にも目がない。

  
  
  
  

    
  

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2013年4月 8日 (月)

boys be ambitious

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ずっと昔、”歳をとると言う事は夢を一つずつ失くして行く事”だという、随想みたいなものを読んだ事がある。
いったい誰が書いたのすらも覚えてない程に過去の事だけど、以来その文章がずっと心の奥にあって、何なしらの折に心に浮かんできていた。40年という時間を遡ると僕の夢は、天文学者に花火師、それからレーシングドライバー。また定番とも言える社長という職業にも憧れたのだけど、いずれも(まだ・・)実現していない。

暇があれば図書室で、天文学の本を読み漁っていたのは小学校の頃だった。
コピー機など便利なものがない時代のことだったから、内容をノートの書き写していたものだ。夜はよるで星空(あの頃はきれいだった)を眺めてながら、地表から大気圏そしてその先の宇宙という真空の空間へと思いを馳せていた。中学校になって小遣いやお年玉なんかを貯めて、ようやく屈折式の望遠鏡を手に入れた時は本当にうれしくて、夜になるのを待ちかねては肉眼では到底見る事の叶わない、遙か何万光年という星々の世界に入り浸っていた。

花火師への夢は毎年目の前の河川敷で開かれる、自宅で間近に見ていた花火大会が始まりだった。
従兄弟から火花になぜいろいろな色が作れるのかを教わったのが、そもそものきっかけだった気がする。もともと化学や物理大好き人間の僕は、その原理を知った途端、妄想の世界で自分の作った花火を打ち上げていた。
なぜ花火が好きかと言えば、自分の手を離れてしまえば(打ち上げてしまえば)全て自動的に実行される”automatic”なプロセスだからだ。想いを込めたストーリーを詰め込まれた玉の運命は、極々客観的い言ってしまえば点火と同時に遙か上空まで運ばれて、そこで何の感情も持たない割薬が事務的に星を辺りの空間にまき散らすだけの事だ。そして観客はその星の発色具合や広がり方を見て、歓喜するか落胆するかのどちらかだろう。それはすべてに対して言い訳の利かない評価の瞬間だ。
花火師にとっての打ち上げの瞬間。それはドミノ倒しの最初の一つを倒す時の気持ちに似ているのかもしれない。何故ならば自らの手を離れた瞬間から成功も失敗も含め、それを作った自分すら介入できない、結果しか持たない世界(story)が動きだすのだから。
おそらく現在世界一のレベルであろう日本の花火師たち。その精緻な技と芸を競う大曲の花火大会、きっと来年には見ておかなければならないのだろう。

それからだいぶ後になってから、レーシングドライバーを夢見たきっかけは、なんと昔のスポーツタイプの自転車だった。
昨今ではハンドルに変速装置がついているのが当たり前だけど、僕が初めて乗ったころのはサドルからハンドルまでまっすぐなフレームがあって、その真ん中あたりに変速レバーがついているタイプが主流だった。当時は物の軽量化などと言う事はお構いなしに、それこそ仮面ライダーのサイクロン号のような、加飾あふれたコンビネーションランプとウインカーまでついていた。前後のブレーキを使い分けて自転車の挙動をコントロールしながら、シフトを変える。そんな乗り方をしていた昔の記憶。それが初めてサーキットのコースを非日常的なスピードで駆け抜けた時のドーパミンの根源だったのは間違いない。
   

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昨年の連休明けの頃、高校のPTAから一本の電話があった。
三学年の男子生徒に4か月後に迫った進路の選択について、何か参考になるような話を喋ってくれないかという事だった。当時、なぜ僕のようなアウトローにこんな依頼を・・・と思いながら、予定が取れたので取りあえずは引き受けてはみたものの、少し気落ちしたのはその前夜はずっと楽しみにしていた、知人達との飲み会の予定があった事だ。
それに聴衆の中には当然長男もいる訳で、普段から言っている事とはだいぶかけ離れた評論家みたいな理想論もなかなか言えない・・・。
そんな足枷にずっと悩みつつも、ただただ日にちだけが過ぎて行った。案の定、当日は軽い二日酔いの中何を話すか、ほとんど思いつかないままに、口から出たのは・・・
今は学業、それがいずれ生業(なりわい)へ変わる二つの決定的な違い。
将来、働いてお金を得るという事はどういう事なのか。これから先経験するであろう事柄で、自分にとって無駄な事は何一つないという事。そして社長という、究極の職業も常に肌身離さず意識の中に持っていること。この4つはだけはコアとして話した記憶がある。
本当はもっと実務的な話をしたかったのだけど、入口付近でメモをとっていた学年主任の先生の視線が気になってそこまで言及できなかった。
いろいろ脱線話もあったけれど、生徒達も笑ったり頷いたりして聞いてくれたし、なによりも僕自身もなぜだか楽しめた貴重な20分間だった。
  

僕も経験してしまっているからもちろん分かるのだけど、若さというものは実にいいものだ。
金もなかったけれど、俗世の変なプライドなどもなくて、目の前にはただ洋々とした時間の海だけが広がっていた。
それにまだ仕事で気をもむ時代ではなかったけれど、なにかと別の事でいろいろと気をもんでいた楽しい時期の記憶だ。
   



青春時代 森田公一とトップギャラン

  
  
  
  
  
  
  

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2013年4月 1日 (月)

青春通りの店のこと

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4月という月は昔から好きだ。
自分が生まれたという理由の他にも、永かった冬が桜という日本人の機微に触れる特別な色彩を経て、初夏の少し手前である新緑まで劇的に遷り変るひと月だから。まちがいなくめぐる季節と、植物のパワフルさは凄いもだといつも思う月なのだ。
それに一日には世界的な年中行事もあるのだけど、ここ久しく(たぶん20年程)この日に罪のない嘘をついた記憶がない。もうそんな齢ではないと言えばそれまでなのだが、嘘が下手というか、とかくこの日に普段と違う事を言えば最後まで語ることなく、オチがばれていたものだ。
それで話の途中で誰からも横口をはさまれる事のないこのログに、二年ほどとんでもない法螺話を書いていた。それは昨年と言えばタイムマシンに乗った話だったし、一昨年はペアのコーヒーカップが会話を始めるという、罪のない嘘とは少しニュアンスが違いそれはもう、寓話としか言いようがない話ばかりだった。

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ちょうど一昨年の今頃こと、偶然に僕は南の街にあるこの通りに迷い込んでいた。
その時からこの店の存在は気にはなっていたのだけど、その年には扉を開く事はなかった。理由を手短に言えば、前身は銀行というタイル張りの瀟洒な建物に、メニューの内容からして”男がお一人様でというのもなぁ~”という気恥ずかしい気持ちがあった。
ここ最近の陽気は、いつも気候や時節とリンクしている僕の記憶の扉を、少しだけ開けたようで妙にノスタルジックな気分にさせる。
つい先週のこと、僕はある事を確かめたくてこの通りを歩いていた。今回あれが7月のエイプリルフールだったと、笑い飛ばせる記事が書けるかもしれない事を少しだけ期待して・・・

僕の大好きなこの通りは、坂の途中のフラワーショップも、バスカフェも、ソースかつ丼の蕎麦屋も、そしてアンティークなCaféも変わっていないけれど、やはりただひとつだけ違っていた。それは去年お茶を飲んだその店が、やはりなくなっていたこと。
それは昨年の7月、確か3度目に訪ねた時の事だった。レジで店の人から今月でここを閉店することを聞かされた。びっくりしてその理由を尋ねると、なんでもこの建物のオーナーと地縁のある人物が、ここでレストランを開くのだということをその時に聞いた。

初めてこの店の扉を開けたのは、ちょうど去年の一日遅れの日の事だ。
入口すぐの右手には最近はあまり見かけなくなった二階の席があった。そこで心にポッカリと浮かんできたのは、ずっと心の奥深くに懐抱していた止まったままの、とある光景の記憶だった。そしてその続編を一つだけ手に入れるように背中を押してくれたこの店(二階の席)は、僕にとってずっと忘れられない存在だ。

  

   

  

  

  

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