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2013年3月25日 (月)

日常といふ 原 風 景

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誰のこころの中にもある原風景がそうであるように、そこにはかならず自分にとって特別意味のある光景が含まれている。
それは海であったり、里山や傍に広がる田園風景であったり、幼少期に見た絵本や紙芝居のワンシーンや、育ったところの旧い街並みと人々だったりすることだろう。僕の場合はと言えば・・・・・ 河口からはだいぶ距離がある源流のほど近く。
上流部の終わり近くという表現が相応しい、流れが穏やかな川がある光景だ。

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そこは初めて見る光景なのに、なにかしら懐かしいような感覚をおぼえる場所だった。
流るるものたちの力強さと儚さが同居する中を、日常が走りぬけてゆく。人によっては何の変哲もない、穏やかなありふれた光景だけれども、
飽きることなく10分以上も眺めていただろうか。雪解けでだいぶ増水した流れは、真夏のように水量が1/3ほどの澄んだ穏やかなものではなく、ようやく訪れた遅い春を少しでも、推し進めようとしているような力強さがあった。僕の性質上この(高い)場所から水面をじっと見ていると、
そのまま自分が湧きかえるみなもに引き込まれそうな、眩暈に似た感覚を感じていた。

僕自身は生まれた時から、川の傍らで育ってきた。
昔も今も日常の生活圏から30mのところにこの川が流れていて、子供のころから天気や季節によって、いろいろと表情を変えるみなもを見ながら育ってきた。当時はニセアカシアが鬱蒼と茂っていてその中に秘密基地などを作ったりと、そこが最高の遊びのフィールドだったのだ。

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この光景との邂逅も本当に偶然の事だった。
自称。 どころか周囲もちゃんと公認してくれている偏屈者である僕は、皆が便利に行き交うバイパスがあまり好きではない。理由はそれが作られた過程にあった。だから時間が許せば旧道のサインである、○○市街地という案内板を目ざとく見つけては、いにしえの街へと鉄の馬の手綱をすすめてしまう。それは退屈な移動の時間を、自分が今まで知らなかった何かに出会えるのかも知れないという、ワクワクした時間に変えてくれる魔法の看板なのだ。そして、そんな楽しい彷徨いの中で出くわしたのがこの橋だった。

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僕の原風景はこの流れを68㎞ほど上流に遡った場所にあたる

僅か700mの間に橋が3本も架かる僕の生活圏は
おそらくこの川いちばんの橋の密集地域にちがいない
あの頃からそして今も日常の中にあるその光景は
みなもに映る源流の山々や木々の息吹を通して
季節のうつろひをいつも教えてくれる
愛してやまない僕の原風景なのだ

 
  
  
   

  

  

  

  

  

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