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2012年12月10日 (月)

男の顔について

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彼は付き合いが出来てまだ3、4年程しか経っていないけれど、大好きで尊敬する人物のひとりだ。
コミュニティセンターの館長を務める傍ら、僕と同じように好奇心旺盛というか、何事にも興味を持ち一生懸命取り組む人だ。年の功だからだと簡単に一言では言い切れない、滲み出てくるような深みを持ちしかも実に博学なのだ。こうして呑みながら僕の知らない世界の話を聞くのは、本当に興味深くて楽しい時間だ。8月に温泉につかりながら、昨年僕がプレゼントしたアーモンドの種子の発芽に失敗したという話を聞いた。4月に会った時にはなかなか芽が出ないと言っていたけれど、その理由もすでに彼なりに分析済みで、来年の春に再び挑戦することだろう。でもアーモンドの花の美しさを少しだけ大げさに言い過ぎたかな?という、罪悪感みたいなものもないわけではない。

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もう1年近く前にお互い酔っぱらいながら、切り取った彼のポートレート。
僕自身こんな風に歳をとりたいなぁ、と眺めていて思い出した事がある。それは藤本儀一の著書”男の顔は領収書”というもので、読んだのは随分と昔(若い頃)の事だった。

普通”領収書”とは支払ったものに対する証、相手方の受け取り証明だけど。まだ若かった僕はおそらく著者の真意を理解してはいなかっただろう。その時頭に浮かんだのは、二十歳までのめりこんでいた麻雀の師匠の話で、強くなるためにはそれなりの授業料(負け)を払わなければならないのだと言っていた、そんな他愛もない事だけだった。
この歳になってみて領収書という意味を広義で考えると(ようやく考えられるようになった)、世間という場所で生きるてくるために、それなりに支払ってきた対価の証。良く言えば授業料というか失敗代はもちろんのこと、時価という値段しかない恥や外聞、また人の心を傷つけた治療費なども当然あることだろう。そんな諸々がすべて顔に出るという事だったのだと言うことに気がついた。
確か20代の頃、もう入手ソースは忘れてしまったけれど、船底に付くフジツボのように心にこびりついている言葉があった。
それは”男のツラ構え・・・仕事の自信”というもので、当時エンジニアだった僕はいつもそのことを考えて憧れていたのだけど、自分の顔の事など考える余裕もないままにいつの間にか歳をとっていた。

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彼の顔つきをしばらく眺めて気が付いたこと。
それは少し距離を置いたこのポートレートが、まだまだ請求書以外なにものでもない事だ。


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< やぁ!  (20m先のポートレート)    sub title:  人ごみの中のに立つ男 >
宮城県仙台市(ペデストリアンデッキにて)

  photo by my eldest son:

ときどき鏡に映る自分の顔を見て”えっ!”と思うことがある。
それは何の疑いもなく自分の顔だと思っていたものと、幾許かの誤差が生じている時があることだ。顔立ちは変わらないけれど、顔つきはやはり変化してゆくというのは本当のようだ。
ちょうど1年半前に、とんでもない事が身に降りかかってきた時の記事 shadow warrior (影武者)  の絵とは明らかに僕の顔つきが変わっている。(髪の色は同じだけど)

今回の僕が写っている2枚の絵は、二人の息子達それぞれの手で撮影されたものだということを記しておかなければならないだろう。
  



  

  

  


  

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