« となり街で過ごした初冬のこと | トップページ | 初雪のあと »

2012年11月26日 (月)

さよなら Tame さん

12110301
ちょうど一週間前の休日に買い物の途中で鳴ったケイタイ。
それは僕自身でも心づもりをしていた訃報だった。その日は近々くるなとは思っていたけれど、あまりにも晴れた青空の下での悲しい知らせだった。その夜再び従弟から電話があって、斎場の都合で通夜が22日・翌23日が告別式との事だった。

ためさん。
いつも為治(ためじ)叔父さんの事をそう呼んでいた。僕の父親の妹(叔母)の夫で僕の家は叔母(妻)の実家にあたる。
叔父さんはお祭り命の生粋の下町人で、自分の住む街をこよなく愛していた。僕は写真でしか見たことはないけれど、祭りと神輿担ぎにかける為さんの熱意は尋常ではなかったこと。そして長年町会長を務めて本当にこの町が好きだったことが、通夜参列者の周囲の話からよく聞き取ることができる。

手狭な自宅ではと、叔母さんは僕のために部屋を用意してくれていた。
そのホテルは自宅から隅田川を挟んで川向の、新大橋を渡り歩いても10分もかからない場所だった。その部屋はスカイツリーや隅田川沿いを流れる首都高の両国J・C、また眼下に浜町公園を見下ろす12階の部屋だった。僕は疲れていたのでテレビを点ける事もなく、夜景を少し眺めながらalcoholを口にしただけで眠ってしまった。
夜中に目が覚めた時に水を飲んで、僕は部屋のカーテンを開け放った。普段はカーテンを開けて眠るというのは習慣がないのだけど、為さんの生きてきたこの下町の明るさで目覚めるのも悪くないと思ったからだった。

フト目が覚めて暗闇の中、時計を見るとまだ6時前。
外に目をやると昨夜と同じ量で日常が流れている。さすが東京だなぁ~と思いながら為さんに会いに来た4ヵ月前の季節を思い出していた。そういえばあの頃は午前3時を回ればとうに今頃の明るさになっていた時期だった。
ただ普通に流れてゆく光の日常をボンヤリと眺めながら子供の頃からいろいろと面倒を見てくれた為さんの事を思い出していた。

***

昔から僕の家のことを気さくに”田舎”と呼んで遊びにきてくれていた。今でも思い出しても可笑しいのは、手土産は必ず浅草の人形焼きときまっていて、田舎を訪れてくれた間変わることはなかった。だいたいこういうものは自分の好きなものを選ぶことが多いので、よほど好きだったのだろう。でも僕らにしてみれば飽きるというのも事実だった。

だからだろうか食べるものには非常にこだわるカテゴリがあってそれが漬物だった。
大分むかしに僕が牛肉を手土産に遊びに行ったことがあって、それでチゲ鍋をろうということになったのはいいのだけど、アメ横のキムチ屋さんを5・6軒廻る羽目となった。普段食べる漬物もかなり特徴のある香味を持つ、埼玉産の古漬けと決まっていた。叔母さんも食べられるようになるまで1年かかったそうだ。

***

僕の父親は7人兄妹でただ唯一の♂だったから、姉妹の数からしても僕の従兄弟や従姉妹の数は少なくない。中にはずいぶんと長い間会う機会に恵まれなかった人もいて皆それぞれの歳のとり様にびっくりするやら懐かしいやらで、叔母さんの言っていた”叔父さんはお祭りが好きな人だったからみんな楽しくやってね”、さながら初のいとこ会のようになっていた。僕が”こんな機会でもないと集まれないね”と言うと、すぐ上の従兄が”親もみんな歳だし、これから顔を合わせる機会も多くなるのかもな”といって皆でうなずいた。
こんな機会を作ってくれて・・・為さん、本当にありがとう。
   

さよなら 為さん・・・また会える日まで。

   

  

  

|

« となり街で過ごした初冬のこと | トップページ | 初雪のあと »

記憶のFilm」カテゴリの記事