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2012年8月15日 (水)

”ネット”という細い糸

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この扉の向こう・・・昔そこは閉塞された薄暗い空間だった。
けれども現代では天井近くの壁から入ってきている一本の細い光ファイバーケーブルで全世界とつながっている空間となっている。インターネットや携帯電話、それはつい20年程まえには考えられない世界だったけれど、現実に当たり前となった今ではそれがなくては業務上、または生活自体が成り立たない人も数多いことだろう。今や依存症ともいえる僕の子供たちにしてもそのネットワークがなければ、不便というか不安というか相当なストレスに曝されることは間違いない。
なぜそれが言えるかと言えば、僕は彼らとは違い"なくても一向にかまわない派"だったりするのだった。

***

最近ふと思ったのだけど。
このLogに目を通してくれているご諸兄の中で、僕の業務用HPがあることをおそらく4/5の人は知らない気がするし、そのまた3/4のひとたちは僕が参加しているブログサイトの事も知らない気がするのだ。HPからここに来た人や、会ってからここに来た人は僕の顔をちゃんと知っている訳だし、ブログサイトからの人はアバターとかいう自分に一番似ている(僕は少しだけ脚色?しているけれど)絵が表示される事が多いので、おおかたの想像(見当)はつくことだろう。けれど残り(12/20≒)の3/5のご諸兄方は僕の顔どころか、年齢・性別すらたぶん知らないはずなのだ。
このあたりで”僕という人間は実は♀だったのだよ”、などと告白すればそれこそ人間不信に陥るか、まぁこんなワケのわからない変な人もいるのだなぁ、と認識を新たにするかのどっちかだと思う。こんなことも秘匿性が高く、性別や年齢詐称が比較的可能だというネットという世界ならではの事なのだけど。

なぜこんなことを書いたかと言えば3年ほど前の事だけど、僕にしてみれば考えられないアクセス数を誇るブロガーとひょんなことで知り合いになったことだった。お互い今は慣れてしまったけれど彼は僕と初めて会った時、このLogと僕とが結びつかないと言っていたし、また僕も彼に対して同じ印象を持っていたものだった。きっとブログとはそんなものなのだろう。だけど彼は僕のようなものぐさではなく精力的に毎日の更新を欠かさない人で、どうやらそれも人気の秘密のようだった。(僕には到底不可能なことだけど)
次の年あたりからメールで要請をうけると、時間を見つけて彼のマシンのメンテナンスなどを行うようになり、そんな折彼は何度か僕のLogの事を自身の感想も含めて記事として紹介してくれた。その記事が実に有難いきっかけとなり、それこそ様々な地域のご諸兄が時々この拙いLogに目を通してくれるようになったのだった。けれども彼と3/5のご諸兄方は、HPの存在=僕の職業を今も知らないままだ。(別に関係のないどうでもいいことだけど)

***

話は前後するのだけど、僕がその業務上のHPを見よう見まねで作ったのはもう7~8年前になる。
なぜそんな事になったかと言えば「人気商品を通販で扱う会社でもなければユーザーは最初の一回だけで、あとのアクセスはほとんどないし、仕事上の紹介程度ならば金銭的にもブログ程度でやめた方がいいよ」 と、当時新しい船出の希望に満ちた僕にあまりに現実的で親切な忠告をしてくれたのは、市内大手企業の営業マンだった。そして彼の話が現実(本当のこと)だといろんな人の話を聞いて、僕自身が理解するのにそう時間はかからなかった。
制作の為の初期費用とか更新の為の維持費とかを考えると自分で作った方がリーズナブルだと思って作ったのだけど、それはまさにいつかの記事 色彩感覚と描画のこと に記した通りの出来栄えだったことはいうまでもない。
そんな陳腐なHPでも1~2年に一度は小さな修正を加える事があって、最近の改築工事は前記のライターである僕とこのLogとのイメージギャップを緩和する工事だった。以前は堂々と直リンクをはっていたのだけど、それは”あぁ、あれはたぶんどこかのリンクだね”と半分言い逃れが可能となるささやかな小細工だった。

一本の細いケーブルなりファイバーを通して世界中とつながっている今のネット社会。
それは何百キロという物理的な距離を、モニタまでのほんの30cmに縮めてくれる魔法のラインだけど、それはガラス越しの光景のようにしか記憶にしか残らない。そのバーチャルという記憶からだいぶ時間が通り過ぎて、それが目の前の光景となる事だってあったりする。
それはもう・・・、例えば音だったり、匂いだったり、味覚だったり触覚だったり、僕にとって視覚以外のすべての感覚にふれた、何か懐かしいような記憶に包まれたすばらしい時間だった。
 


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< セルフポートレート  >
書斎にて


 

インターネットの世界では
たとえ君が猫だったとしても

誰にもわからない。

  
< ピーター・スティンナー >

   
   

 
   
 
 
 
 
 
 

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