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2012年8月30日 (木)

百日紅の咲く頃

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もう2ヵ月程も前の話になってしまうのだけれど。
梅雨のさなかにこの紅い花を目にすると、もうすぐやってくる真夏の暑さを連想してしまうのはたぶん僕だけではないだろうと思う。この花(木)は名前のごとく、真夏の訪れが間もない事を告げるように咲き始め、それが過ぎてからも忘れられない特別な季節を愛しむように秋彼岸の頃まで咲き続ける。

僕の母親の実家にもこの大きな木があって、子供の頃の夏休みはずっと一緒だった。
あの永遠に続くような楽しい夏休みも終わり、学校が始まって秋の運動会の頃まで咲いていたような気がしていたのは、子供心の思い違いでもなんでもなく、めくるめくような楽しい夏休みの思い出をずっと分かち合ってくれたからだった。
今でもそうなのだけど、夏とは違ってめっきり涼しくなった秋風の中で眺めるこの花は、相変わらず鮮やかな色の中にも、百日の期限が近いのだという寄る辺のなさを感じる。それは人もいなくなって、喧騒と水しぶきも上がることのなくなった、夏の過ぎ去ったプールの寂しさに良く似ているかも知れない。本当にサルが滑ったという話は聞いたことがないけれど、僕は子供の頃からこの木肌のスベスベした感触が好きで、いまでも見かけるとつい白い部分を撫ぜてしまう。

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その日は元気いっぱいの真夏の日差しが眩しく降り注ぐ日だった。
いくら太平洋高気圧の真っただ中とはいえ35度超えともなると、暑いというよりも”熱い”と表現したほうが適当なのだろう。その強烈な日差しは強大な上昇気流を生み出し、それに伴って派生した大きな積乱雲が突然に、こんな雨をもたらす事があるのだけど、これも夏の光景のひとコマだ。

まだ午後1時を少し廻ったあたりなのだけど、突然夕方のように暗くなり、なかなか普通では体験できるものではない時間50㎜を優に超えるような猛烈な雨は、まるで瀑布の裏にいるような息苦しささえ覚えるものだった。
  

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< 百日紅 >
宮城県川崎町

  
これも夏の儀式のようなもので、ほんの一時間後にはふたたび真夏の日差しが戻って来た。多量の打ち水を浴びた地面は、その日差しに射られてたちまち乾燥してしまう。その蒸発した雨が夏の緑にまた普段とは違う表情を与える事に気が付いた。

それは青々とした木々が、纏わりつく湿気の中で艶めかしく耀く、”夏の雨上がり”という光景だった。

   
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< 驟雨のあと >
宮城県川崎町
  
  
  
  

< カナリア諸島にて   大瀧詠一 >

夏の終わりに夏の曲を・・・・・
   
これは先週偶然ラヂオでそれこそ何十年ぶりで耳にした曲だけど
このメロディーで仲間と騒いだ遠い夏の日が甦るご諸兄も多いのでは・・・・・

  
  
  
  
  
  
    
  

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