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2012年8月 7日 (火)

大正の かをり (2/1)

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前記事の”そいつ”についてはアイデンティティの強い僕だけの事だろうと思っていた。
そしていつもの事ながら話もだいぶ逸れてしまったことだし  「........廊下で会ったそいつの話は、またいつか詳しくすることにしよう。」 などと僕なりに訪れることのない未来形を添えて、その話題には体よく幕を引いたつもりだった・・・。
けれども僕以外にも”そいつ”或いは”あいつ”が同居しているご諸兄方がいた事を初めて知ったのは、水銀柱が35°のあたりを行き来するようになった次の週の事だった。そいつ話はいつもの事ながら心のどっかにあったことで、そんなに思慮深く書いた話ではなかったのだけど、”そいつ”に関してご諸兄方も実ににさまざまな想いをもっていられのだなぁ、と感じさせられた。前記事の時はこんな展開になるとは予想だにしていなかったけど、なんとか連載の記事だったように見た目だけはつじつまを合わせることができた。
ご諸兄方にとってのさまざまなそいつ・・・。   でもその前に僕なりのちっぽけなそいつの話を完結させよう

***

たとえばある時に絵の倉庫を彷徨っていて一枚の絵が目にとまり、そこから連鎖的に記憶がよみがえることもあるし。その時こころの片隅に貝のようにこびりついていた何かのキーワードみたいなものがあって、偶然目にした光景といきなりリンクしてしまったりする。そんな風にして出来上がっていくこのLogを書いている時こそ、常にそいつとの鬩ぎ合いの時間だったのかも知れない。
そいつはいつも否定的な言葉しか言わない。
僕がなんとなく気に入っている絵でも「う~ん、これは没だなぁ~」 とあっけなく言ってのける残酷な批評家なのだった。結局その一言で現像すらしないで放置してしまっている絵のなんと多いことか。それでも気になって何度か眺めていたりするのだけど、ある時などは「それほどまで気になる理由を説明してほしいね」とまで言われたのだ。けれど僕にしてみればただ何となく引っかかるものがあって忘れられないだけで、その理由をうまく言葉に表せる種類のものではない事がほとんどだった。たぶんそんな曖昧な理由でデジタル的感覚(0か1で動く)をもったそいつを納得させる事はできなかった。



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< convention room of rococo >
山形県山形市

  

春頃になっての事だろうか、いろいろと一昨年あたりの旧い絵を現像していじっている時にそいつが出てきて口を出す前に僕は言った。「これからは俺の思うと通りにさせてもらうよ・・・」と。彼は僕を見て肩を竦めただけで何も言わずに消えてしまった。

それから僕は不必要な時にはそいつを無視して、自分の素直な感覚に従うことが少しづつ出来るようになってきた気がする。そうした目で見る旧い倉庫には彼のせいで長い間気が付かなかった(現像されずに放置された。例えばTokuさんの椅子のように)数々の絵を見つける事が出来た。それはまるでずっと失っていた自分を見つけるような喜びだった。このことは絵の選択やこのLogだけではなくて、僕の行動全般の全てにおいても言えることなのだろう。
最近めっきり静かになったそいつのお陰で僕も少しは気が楽なのだ。でも彼はいつもそこにいるのという事実は変わらないのだけど、この頃は僕が訊いた時だけ控えめに答えてくれるようになった。

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< Fickle wind >
山形県山形市

  
  

<Tea fo two   Doris Day >


たまにはそいつと友好的にお茶にでかけてみるのもいいかもしれない。
  
  
この "Tea of two" も大好きなジャズスタンダードだ。
映画「ふたりでお茶を」はドリス・デイが主役を演じ、
サウンドラックに収められているこのタイトル曲も彼女自身が歌っている。

  

  

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早いものであれやこれやしているうちに立秋を迎えてしまった。

僕の住む地方は本当に今朝から風の表情が一変して、湿度が一気に30%も下がったような爽やかな西風が吹いていた。今日は空も遠くの山もすっきりと見渡せてこれからは一年中で一番、空気清澄度の高いさわやかな時期に入ってゆく。
西から吹く心地よい涼風は確か”極楽の余り風”と言われていたと言うのを昔聞いた事がある。この西方,十万億土のはるか彼方から吹いて来るこのそよ風を昔人達はいち早く敏感に感じとってきたのだろう。  
(まだ2時間程早いのだけど)

 

 

残暑お見舞い申し上げます。
夏の疲れが出るのはこれからと申します。
ご諸兄方におかれましてもどうかご自愛の上、お過ごしくださいませ。

  

  

  

  

     

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