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2012年7月の記事

2012年7月29日 (日)

大正の かをり

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屋根上の時計塔それにさりげなく随所に盛り込まれた美しい曲線が印象的なこの建物は、南北へと続く通りのつきあたりにあった。
近代的なビルの立ち並ぶこのアベニューには例えば老舗のデパートやホテルがあり、その間に昔からの商店も軒を連ねていて更に若者の集まるような商業施設も点在している。たぶんこの街なかでも Best three に入るくらいに歴史のある繁華街なのだろう。

通りの延長上の正面にどっしりと構えるこのイギリス・ルネサンス様式を基調としたこの建物は、通りとの位置関係から以前記事に書いた兼続が僕の住む街の都市計画構想を描いた兜山のイメージと重なる。
この建物の先代が明治初期に建設されてその後の大火で焼失。そして大正初期に現在のように再建されたということは、実に70年近くも県庁舎としてその機能を担ってきたという事だ。その後重文に指定されて10年に及ぶ修復工事が終わったのは、平成7年の事だと案内に記されていた。だとすれはこの建物はもう100年近くもここに佇み、時代と共に変遷を遂げてきたこの通りを見つめてきたということなのだ。
 

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< 中央階段 >
山形県山形市

  
この建物のように齢を重ねてくると(僕はまだ半分程度の若造だけど) ”忘れられないもの” が何かといっぱい増えていく。
僕の場合それはクローゼットの中でいつも目に付く古着のように、身近で何かしらの意識があるものともうひとつは、物置の中に忘れ去られたように埋もれている大きなトランクがあって、その中に残りの雑多なものがいっぱいにつまっているようなものに大分している気がする。
普段の煩雑な日常生活の中ではそんなトランクの存在すら忘れているのに、何かの拍子に心にある事が浮かんだりきっとそれに近い連想があった時には、パンドラの箱のようなものではないので時折ふたを開けてみたりする事があったりするのだけど。するとその中からゴソゴソと出てくるのは、ぶ厚い束になった古い記憶の数々だった。一つの束は忘れられない音楽であったり、また別の束は映画の1シーンだったりするし、そのまたとなりの束は僕自身にとっての忘れられない人々だったりする。
音楽や映画はインターネットの発達した(あたりまえになった)現代では、もう一度再会したいと思えばかなり容易に実現できるのに比べると、
”人”という場合にはそうは簡単にはいかない。なぜならばその束に入っている人たちの大部分はもうこの世に存在していなかったり、たとえ何処かで元気にしていても、様々な仕事関係や交友関係も途絶えてしまって、もうたぶん会う事はないだろうと思われる人たちだった。

そのなかでも僕にとって一番ボリュームがあって、大切なものは自分で目にした”風景(光景・シーン)”という記憶の束だ。
それはブログのようにキチンとカテゴリ別には分類される事はなくて、10年区切りの大まかな年代とそれとは別に様々な印象を記したタグが付いている。それは結局外部からの検索にヒットする心配ないので、僕しか知り得ないその時の感情などを憚らないで織り込んだ結構大胆なものだったりするのだった。
  

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< 光りの先へと続く廊下 >
山形県山形市

   
   
この廊下の床面は当時と同じリノリウムという材質で色調や紋様まで正確に復元されたと案内に記されていた。
復元当時は製造上の時間的なウエイトやコストの面で塩ビの床材に取って代わられていて、結局はドイツからの輸入品で復元されたのと、最近になって再び亜麻仁油由来の抗菌性や、環境汚染、シックハウス症候群対策などで注目され現在では、医療教育施設から住宅まで幅広く世界中で利用されていると説明されていた。
この手入れのよく行き届いた廊下は歩いているだけで実に気持ちが良いものだ。きっとこれを維持する為に相応の人手をかけて大切に管理している結果なのだろう。僕はこの時普通のデッキシューズを履いていたのだけど、床面保護の為に見学者の履物を制限していると知ったのはそこを出るの事だった。
この人気のないうつくしい廊下は不思議なことに、最近なにかと軽い筋肉痛を感じる気持ちをずいぶんと素直にしてくれるのかもしれない。
 

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たとえばこの廊下を僕が歩いている。
そして扉が開いている入口にさしかかろうとする時に、次の扉がスッと開いてそいつが出てきた。僕もそいつもお互いいろんな事情があり、出来ることならばニアミスを避けたい時だってある。だけどもこんな光る廊下というシュチュエーションなら僕の方から ”よっ!” と声をかけ、普通に話が出来そうな気がしてならなかった。
僕はこの廊下を歩きながら夏休みの学校を想い出していた。
それは日ごろの喧騒や人影などはまったくなくて、ただ寂しくて広い空間だったのを覚えている。そこで偶然バッタリ出会ったのがすごくキライな先生でも、その異次元のような空間に一人取り残されたような環境から逃れたくて、自分からすすんで挨拶したいような気分にさせてくれる不思議な夏の一瞬だった。

  
そいつはいつの間にか僕の心に棲みついていた。
それがいつの頃だったのか、思いだせる限りではいつでもそこに居たような気がする。僕らの関係はいつも友好的とは言えないけれど、かといってお互いに嫌っているわけでもないようなのだ。その同居人は僕が何かをやろうとするといつも口をだしてくる。言い合いになるとしてもそれはいつも議論に近かったけれど、そいつの言うことが大体筋が通っていて結局は僕の方が負ける事が多かったのだけど。
そいつが特にうるさくなるのは僕が何かを創ろうとする時だ。
それは絵を切り取る時の構図を考えている時だったり、そのデータのRaw現像の時だったり、このログを書いている時だってそうだ。あぁでもない、こぅでもないといちいち口を出してくる。今回の記事に貼りつける廊下の絵を選んでいる時も結構もめた。僕は別の絵が好きだったのだけどやはり負けてしまった。僕なりにその声に素直に従う事もあれば、意地もあって抵抗を試みる事もあったけれど結局最後はそいつの言いなりになってしまうのが普通なのだった。
どこかに行ってくれないかなぁと思った事は何度もあるのだけど、もしもそいつがいなくなればきっと一番困るのは僕自身なのだは薄々わかっていた・・・・・

風景(光景・シーン)に付けられた僕なりのタグと廊下で会ったそいつの話は、またいつか詳しくすることにしよう。







  

 

 

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2012年7月21日 (土)

月曜日の美術館

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ここも含めてほとんどの美術館がそうであるように、たいていは月曜日が休館日でその日が祝祭日の場合は、その翌日が休館日と決まっている。16日は今年2回目の happy Monday 。そして僕が見たかった企画展の最終日でもあったのだけど、わずか40日ほどの短い展示期間の中でのそれは実に幸運なめぐりあわせだった。

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その企画展はベン・シャーンというクロスメディア・アーティストのもので、日本では約20年ぶりの回顧展だと紹介されていた。
彼は最初画家として活動を始めたが、版画や写真、ポスターやイラストまで手掛けていた。それが彼をクロスメディア・アーティストと言わしめる所以なのだろう。特に興味を持ったのが今回日本初公開となる数多くの絵画へと変遷を遂げた写真たちだ。その中には一枚一枚の写真が絵のイメージソースとなり、それがまたポスターなどのグラフィックアート(僕の一番苦手なもの)へ変容していく過程が良くわかるように展示が工夫されていて、実物の”創造の神秘、シャーンの芸術”に見とれてしまった。
期間中5回の講演会(すべて聴講無料)とワークショップが2回ほど開催されたようだったが、いずれも開催日が日曜日だった。特に2回目に開催された『ベン・シャーンの声が聞こえる-LPレコードのデザインをめぐって』、は写真から絵を起こし、グラフィックアートに作り上げてゆくシャーンの長けた才能を知る上で、是非とも聞きたかった講演だったが本当に実に残念だった。またいつかの再会を期待することにしよう。

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冒頭の絵はこの美術館の中でも僕の好きな場所の一つだ。
この休息室は企画展が行われる1Fの大きく4つに分かれた展示スペースの2つ目と3つ目の間にあって、展示作品に夢中になっているとつい通り過ぎてしまうほどの入口が狭くて目立たない部屋だ。僕は丸椅子が4つしかないこのちいさな部屋からの眺めが好きで、季節と天気で表情を変える大きなカンバスだと思っている。
僕がこのカンバスを初めて目にしたのは確か一昨年のエジプト展の時で、忘れもしない  漱石と英世の阡円札 の記事を書いた頃だった。
それはもう2年近くも前のことだけど初めて訪れたこの美術館で、あの奇妙な体験をするとは夢にも思わなかったし、今でも中庭の池とCaféを見るとその時のシーンが頭をよぎってしまう。
そう言えばあの時の弐阡円の行方に関して、当時の記事だけを読まれたご諸兄は知る術もない訳で、鍵コメをくれた人の一部と僕とそれについての会話を交わした人しかその結末は知らないのだ。時効が成立しているので、懺悔の意味もふくめて正直に告白すれば・・・
”いやぁ~、呑んでしまった!” というのが真実だ。確かにあの時(最初の漱石の時点)に赤い羽根募金と思っていたが、英世と会った時点でもう動揺してしまってそんな気分じゃなかったし、それに仮にでも自分の財布に入れるべきものでもなく、途中まちなかの偶然に期待した募金箱も見つからなくて結局はそんな結末になってしまった。
そんなすごい偶然が重なったお金だったら、それで宝くじでも買えば良かったのにと言ってくれる人もいたのだけど、そうすれば抽選日までそのお金がただ物理的に形を変えただけで、手元に残るという事実は変わらないのでそれも嫌だった。 (そのいずれにしても拾得物横領罪。 ”いわゆるねこばば”という罪状は変わらない)

今月末からは  ”ルーヴル美術館からのメッセージ:出会い”  (7/28~9/17)という新しい企画展が始まる。
期間中の happy Monday はといえば、これも一気に夏を飛び越して開催最終日の17日だ。季節的には白露を過ぎてもう秋分の日に近い時期になってしまう。こんど次回にはこの窓から雨の光景も眺めてみたいものだ。昨年の諸橋美術館のような土砂降りでも困ってしまうけれど、できれば秋めいた風情のあるおだやかな雨降りを期待することにしよう。
そう言えば諸橋近代美術館は冬季休業なので、4月から11月までの開館期間は無休だ。
けれども企画展に付随する学芸員のギャラリートークは、やはり土日だけだけど。

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ルーヴル美術館からのメッセージ:出会い について    (関連ページより引用) 


「 2011年3月11日の震災以後、ルーヴル美術館は、日本の皆様、特に被災者の皆様に向けて連帯の気持ちを伝えたいという思いを強くもちました。芸術と芸術に触れる機会こそが、非常に厳しい状況である今こそ必要であると考え、また、ルーヴルの作品を通して、連帯の気持ちを伝えることが、私たちにできる最良の方法だと信じ、東北三県を巡回する展覧会の開催を企画しました。
コミッショナージャン=リュック・マルチネズ(ルーヴル美術館古代ギリシア・エトルリア・ローマ美術部長)
主催:ルーヴル美術館、岩手県立美術館、宮城県美術館、福島県立美術館

後援:在日フランス大使館 」


企画展の右手にあるエントランスホールでは、昨年の震災で被災した東北に対してそれこそ世界中から寄せられたメッセージがアートとして展示されていて、最後にご婦人が読んでいた解説には確かこんなふうに記されていた。

インターネットのある現代では、世界中へ瞬時にメッセージ(文字)を送る事ができる。
でも画面上に並んだ文字だけでは、人の心(温かみ)を完全に伝えきる事が難しのかも知れない・・・・と。

展示されているメッセージは日本ものはあまりなく、書かれている内容も英語だけでなくて、外国語が苦手な僕にはよくわからないものばかりだ。けれど例えば色使いや、いくつかの知っている単語、そして描かれている絵などから、いたわりの心だったり、励ましや希望、協力、”連帯”などの気持が容易に伝わってくるあたたかいものばかりだった。

どんな人がコーディネイトしたのだろうか。フロアに落ちた暖かな翳がさらにメッセージを強く浮き立たせる演出が印象的な展示だった。

   

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< message art 1/3 >

 

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< message art 2/3 >

 

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< message art 3/3 >
いずれも福島県福島市

  

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明日は大暑。 「暑気いたりまつたるゆえんなれば也」 便覧より)
これから梅雨明けを迎え、ジリジリと身も心も焦がす暑い夏の土用がやってくる。そして暑い、暑いと、そんなこんなしているうちに、ほんの一瞬涼やかな風を感じたならば、もうそこには小さな秋がいて”ほら、季節はもうすぐ秋なんだよ”と控えめなサインを送っているのかもしれない。
立秋まではもう二十日足らずだ。
この東北地方は”
やませ”の影響で、昨日から急に気温が下がり初秋のような気候になっている。その直撃を受ける太平洋側では僕にも経験があるのだけど、涼しいを通り越してきっと寒いと感じていることだろう。
僕はといえば週半ばくらいからいままで見たくても絶対に叶わなかった、ファンタスティックな夢を連夜観賞することが出来たのだけど。その理由はよくわからないが夜中や明け方早くに何気に目が覚めてしまっていた。そして夢のストーリーを現の中で検証しようとすると、もういか様にも眠ることさえ難しくなってしまって、いつも朝まで夢現の時間を過ごす羽目となっていた。きっと睡眠不足気味のせいだろう、好きなはずの青いそらを見上げるとかえって淋しさを感じてしまう妙な感覚の一週間だった。因果応報、この感覚もあの二人
(漱石と英世か二人の落とし主)の拾得物横領に対する弐年越しのバチに違いないのだった。


  



  

  

    

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2012年7月14日 (土)

The Days of Wine and Roses

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この絵の表題。
今回の記事タイトルに引用してしまいたかった、古い映画の日本版作品名だ。けれどもこれではあまりにも有名すぎる。きっとすぐに検索エンジンロボットからタグを貼られてしまうに違いないと思い、結局は原作ヴァージョンに戻してしまったのだった。
たぶんこの絵にしてみれば、はじめから不本意な表題だと思っていることだろう。僕なりに新しい別のタイトルをつけ直すとすれば、この時の印象から < ガーデンの先住居人 > といったところはどうだろう。

***

斯くして今年も酒と薔薇の日がやってきた。
連休明けにこの庭の主(本当は細君らしい)である友人と、銀行の駐車場でばったり会った。実はその時まで、昨年の酒と薔薇の日のことはほとんど忘れていた。短い立ち話の中で、今年の大雪とエントランスを改築して、壁に這わせていた薔薇もだいぶ少なくなったことをその時に聞いた。でも細君が懸命に復旧にあたっているらしく、新品種も仲間入りしたとかで、再びカメラ持参での”オトナ昼宴”のお誘いを受けた。

一年ぶりのこのローズガーデン。
その日は、このところの月曜日の天気に関する悪しき習慣も途絶えて、天気も上々で絶好の麦酒日和だった。
   

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< 夏の予感 >
山形県米沢市

   
  
去年もそうだったのだけど、この庭を歩きまわると宝探しのような楽しい気分になり、半面なぜだかほっとするのはなぜだろう。
昨年出会った片羽の天使。今年の大雪で心配だったけれど、ちゃんと健在だったし、昨年は薔薇の名前や特徴を片っぱしから説明してくれた細君は、台所で昼食のご自慢のパスタとおつまみを調理中のようだ。キッチンの前を通りかかると、いい匂いがただよってくるのは、たぶんそのせいなのだろう。
先ほど彼から声がかかった。僕は15分後に迫った至福の時間への邪心?を振り払うように、気に入った光景の絵を切りとっていた。本日の麦酒の種類はモルトだ。最高の一杯目と出会うために、あたらしいアクセサリが増えた花々の間を、故意にのどの渇きを増幅させるように彷徨っていた。

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< ゴールドとグリーンの透過光 >
山形県米沢市

ここにお邪魔したのは確かお昼すこし前だった。
日差の角度は、それからずいぶんと時間が経った事を教えてくれる。レースのカーテン越しにツークッションした初夏の陽光は美しい透過光となって二つの色を僕の目に届けてくれた。僕は一時間ほど前からバーボンのハイボールにスイッチしていたので、それこそ位置と時間の偶然が生み出した光彩だったのだ。

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彼との話のなかで、昼酒は(特に今日)どうしてこんなに美味いのだろうという話題になった。
明るい戸外で飲む、花見・いも煮会(特に平日)などにしてもそうだ。夜の室内でも、もちろん美味いのだけれど、やはり太陽の光のせいだろうか。もっと掘り下げると花見・いも煮会は、単なる呑む理由づけなのかも知れないのではないか、という事になった。
そういえばそれらの名目で宴を開催するのは花やいも煮などどこにもない、夜の料理屋というのもけっこうあったりする。
結局はひるひなか、ほとんどの人が仕事中な訳で。我々だけが・・・・・という ”背徳感がアルコールの flavor_spice になっているのだ”
と言うことで僕らの意見はひとまず一致した。

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< 晴れの日の水場  3:00.PM >
山形県米沢市

  
  
この絵はだいぶ酔っぱらっている時に切り取ったもの。
お開きの乾杯前にもう一度薔薇たちに逢いたくて、僕一人でフラフラと庭に出た時に偶然目にした光景だ。
きっと雑貨屋が好きだと言っていた細君が、そっちこっち回って(たぶん彼が運転させられて)求めてきたものだろう。可愛げな蛇口にプレート、それとホース掛けだった。この日4~5回はこの場所を通ったし、2枚ほどここの絵をきりとっていた。けれどこの時は全然ちがう水場の表情に酔っていながらもハッとしてしまった。
  

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< 桟敷席とコントラスト >
山形県米沢市

    
僕は庭からこの桟敷席に上がりこみ、彼もバーボンにスイッチして、お開きの乾杯はそれからこの席で1時間は続いた。

嗚呼、今年も酔うて候。

   
  

<The Days of Wine and Roses   Henry Mancini >

 
数多くのジャズのスタンダードナンバーの中でも、特に好きなこの曲。
あまりにスタンダード過ぎて、この曲とヴォーカルや演奏なりで関わった事のない、プロのジャズミュージシャンはおそらくいないだろう。

ずいぶん前から好きで聴いていていたけれど、原文がこのたったの2行
”The Days Of Wine And Roses”
”Laugh and run away like a child at play”
だったことを知ったのは、そんなに遠い昔の事ではなかった。

Johnney Mercerという人物が詩をつけたらしいのだけど、実に凝っていると思う。
何を失ったか認めたくない気持ちを、最後まで引っ張っておきながら、
『 and you 』 と添え、何かを置き去りにフェードアウト。

  

    

    

     
  

   

  
    

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2012年7月 7日 (土)

色彩感覚 と 描画 のこと

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そのいずれもきっと、個人が生まれつき持ち合わせたセンスのようなものにちがいないと、頑なに思っていた部分があった。
最近一つはカラーIQなどと言われたりしていて、まぁ両方ともある程度は訓練によって高める事が出来ることを知ったけれども、未だ僕にとってこの二つほど、悩ましげで不得手な存在はない。

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とかく物(Webや印刷物も含めて)を創作するにあたっては、最初は形状などのデザインから入って行くのが普通だろう。
そして、それ(デザインとレイアウト)が決まれば、次は色彩という具合に作業は順調に(タンタンと)進んでゆく。だけど昔プログラマをやっていた時は、そこが僕にとっての一つの関所だった。
ユーザーとマシンのインターフェイスとして、画面上に入出力部分を作ってゆく(定義する)画面定義体というものがあった。プログラム側からはそのアドレスにアクセスして入出力の処理を行う、いわゆる看板ともいえる見栄えが重要な部分だ。そして当時はそれを適宜着色して納品するのが一般的な時代だった。
手前みそな昔話だけど、僕の作る定義体のレイアウトは常に見やすくいつも完璧だった。けれどそれに僕自身が着色という作業を施した途端に、小学生が作ったの?と思うくらいに台無しになってしまう。色(色彩)を決めるという作業はそのぐらい嫌な作業だった。当時社内には僕が色を決めるのと同じくらいの感情を、画面定義体に持っている奴がいた。しかし彼のカラーセンスは抜群で、なんとなくシックリこないものも、彼の手にかかると素晴らしい見栄えとなる。斯くして彼の定義体を僕が作り、僕の作った定義体を彼が着色するという、分担制ができたのもごくごく自然な事だったのだろう。

かくして描画(デッサン)にしても同じだった。
子供の頃からそうだったのだけれど、デッサンほど苦手な事もいま想えばなかったような気がする。小学校の写生大会は、画面の大半が青空で下の方に申し訳程度に、形を問われない緑の木々や山などをこちゃこちゃ描くという、いま想えば誰が見ても僕が描いたと言わんばかりの、バレバレ技法で切り抜けていた。それにくわえて当時はデッサン大会というのもあって、これだけは本当に仮病を使ってでも休みたい程だった。
対象物の形状は理解出来ていても、手(指)がそうは動いてくれないものだなぁ~、というのがその頃からの想いだった。かくして静物画や風景画は”色の心配”はないのだけれど、正確なその形の模写という点において、僕の中では大きなハードルとして現在もしっかりと残っている。

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ところがこんな僕でも、美術全般が嫌いだったわけではない。
つまり色彩感覚と描写感性の必要のない部分。要するに粘土細工みたいなものや、夏休みの課題として出された工作みたいなものは、わりと得意としていたし好きだったのだろう。物を創る部分においては、苦になったとか嫌だったとかの記憶がない。
だからだろうか、好き嫌いが極端に分かれるダリ(Salvador Dalí)の彫刻や絵を見ても、別に違和感などは感じないし、解説を読みながらそれなりに楽しむ事が出来る。一昨年から特別展に惹かれて訪ねている諸橋美術館も好きな場所の一つだ。

この巨匠が普通に出来ていて、僕(具象界の住人)ができなかったことはなんなのだろうと考えてみた。(比べる事自体に無理があるのだけど)
それはきっと巨匠においては、色も対象もきまっていない空想(広義的抽象の世界)を描ける能力に、鋭く長けていた人物だったのだと感じたことだった。
  
  

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< 色彩 >
福島県福島市

   
いわゆる世間一般に”写真”という、自分の目前の光景を切り取る(現在はデータ化する)作業。
それは美術的な感性を問われることもないし、僕にとっては容易く楽しい作業だ。なぜならば自分で色彩を決めなければならないものでもなく、描画のセンスが云々というものでもないからなのだけれど。それにRAWデータからの現像作業も、色を直接いじることもほとんどなく、その時の色温度を思い出す程度の調整でなんの苦痛も感じない。それどころか、時には時間も忘れる程に楽しかったりしてしまうのだ。
それに常々思っている右手だけをマウスで働かせるという不公平感。それをを改善すべく、左手にもキチンとグラスを持つという仕事を割り当てられる、至福の時間だったりするのだけど。

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このLogのテンプレートにしても、極力カラーセンスがないことがバレないように作ったら、こんな退屈な配色(デザイン)になってしまっていた。
それまではサイトから無償で提供される、スキンというかテンプレートを使っていたのだけれど、季節性があったり、絵柄があったりと提供されるそれは僕にとって、しっくり来ないしものばかりだった(記事欄の広さと配色、それにシンプルさとの兼ね合いのこと)。
だから僕の場合リッチテンプレートのCSSを好みにいじった方が早かった。こんなデザインにした罰なのだろうか。掲載した絵の大きさやの背景との兼ね合いもあり、もはやそれ変更することは不可能なことになった。

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今夜の七夕までに、どうやら僕の地方は雨が上がらないようだ。
その日に星空を見られるかどうかは、梅雨という日本の気候事情もあり、短冊に願いをぶら下げた子供達にとっても実に気をもむことだろう。おりひめとひこぼしの年に一度のデートの日。その日に雨が降ってしまったら、一年ぶりにひこぼしと再会できたおりひめのうれし涙なのだと、子供達に説明している地方があることを偶然ラヂオで知った。それを聴いてなんという positive thinking で、心やさしい大人たちなのだろうと思った。
そんな中で育った子供達はおりひめによかったねと言いながら、来年は姿を見せてくれる事を祈りながら眠りにつくことだろうと番組を閉じていた。

2度目の成人式を過ぎたこんな僕でも願いがないわけではない・・・(自身のウィシュリストにはちゃん載っているのだけど)
なるほど、ヨカッタネおりひめ。
そんな事を思うと雨の七夕もいいものだろう。また来年にでも願いをかけるとしよう。でもそれまでに遠くにある僕の願いがかなっていたのならば、それが一番なのだけれど。
  
 

When You Wish Upon a Star  < Billy Joel > 

 


  


  

  
  
   

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