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2012年7月 7日 (土)

色彩感覚 と 描画 のこと

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そのいずれもきっと、個人が生まれつき持ち合わせたセンスのようなものにちがいないと、頑なに思っていた部分があった。
最近一つはカラーIQなどと言われたりしていて、まぁ両方ともある程度は訓練によって高める事が出来ることを知ったけれども、未だ僕にとってこの二つほど、悩ましげで不得手な存在はない。

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とかく物(Webや印刷物も含めて)を創作するにあたっては、最初は形状などのデザインから入って行くのが普通だろう。
そして、それ(デザインとレイアウト)が決まれば、次は色彩という具合に作業は順調に(タンタンと)進んでゆく。だけど昔プログラマをやっていた時は、そこが僕にとっての一つの関所だった。
ユーザーとマシンのインターフェイスとして、画面上に入出力部分を作ってゆく(定義する)画面定義体というものがあった。プログラム側からはそのアドレスにアクセスして入出力の処理を行う、いわゆる看板ともいえる見栄えが重要な部分だ。そして当時はそれを適宜着色して納品するのが一般的な時代だった。
手前みそな昔話だけど、僕の作る定義体のレイアウトは常に見やすくいつも完璧だった。けれどそれに僕自身が着色という作業を施した途端に、小学生が作ったの?と思うくらいに台無しになってしまう。色(色彩)を決めるという作業はそのぐらい嫌な作業だった。当時社内には僕が色を決めるのと同じくらいの感情を、画面定義体に持っている奴がいた。しかし彼のカラーセンスは抜群で、なんとなくシックリこないものも、彼の手にかかると素晴らしい見栄えとなる。斯くして彼の定義体を僕が作り、僕の作った定義体を彼が着色するという、分担制ができたのもごくごく自然な事だったのだろう。

かくして描画(デッサン)にしても同じだった。
子供の頃からそうだったのだけれど、デッサンほど苦手な事もいま想えばなかったような気がする。小学校の写生大会は、画面の大半が青空で下の方に申し訳程度に、形を問われない緑の木々や山などをこちゃこちゃ描くという、いま想えば誰が見ても僕が描いたと言わんばかりの、バレバレ技法で切り抜けていた。それにくわえて当時はデッサン大会というのもあって、これだけは本当に仮病を使ってでも休みたい程だった。
対象物の形状は理解出来ていても、手(指)がそうは動いてくれないものだなぁ~、というのがその頃からの想いだった。かくして静物画や風景画は”色の心配”はないのだけれど、正確なその形の模写という点において、僕の中では大きなハードルとして現在もしっかりと残っている。

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ところがこんな僕でも、美術全般が嫌いだったわけではない。
つまり色彩感覚と描写感性の必要のない部分。要するに粘土細工みたいなものや、夏休みの課題として出された工作みたいなものは、わりと得意としていたし好きだったのだろう。物を創る部分においては、苦になったとか嫌だったとかの記憶がない。
だからだろうか、好き嫌いが極端に分かれるダリ(Salvador Dalí)の彫刻や絵を見ても、別に違和感などは感じないし、解説を読みながらそれなりに楽しむ事が出来る。一昨年から特別展に惹かれて訪ねている諸橋美術館も好きな場所の一つだ。

この巨匠が普通に出来ていて、僕(具象界の住人)ができなかったことはなんなのだろうと考えてみた。(比べる事自体に無理があるのだけど)
それはきっと巨匠においては、色も対象もきまっていない空想(広義的抽象の世界)を描ける能力に、鋭く長けていた人物だったのだと感じたことだった。
  
  

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< 色彩 >
福島県福島市

   
いわゆる世間一般に”写真”という、自分の目前の光景を切り取る(現在はデータ化する)作業。
それは美術的な感性を問われることもないし、僕にとっては容易く楽しい作業だ。なぜならば自分で色彩を決めなければならないものでもなく、描画のセンスが云々というものでもないからなのだけれど。それにRAWデータからの現像作業も、色を直接いじることもほとんどなく、その時の色温度を思い出す程度の調整でなんの苦痛も感じない。それどころか、時には時間も忘れる程に楽しかったりしてしまうのだ。
それに常々思っている右手だけをマウスで働かせるという不公平感。それをを改善すべく、左手にもキチンとグラスを持つという仕事を割り当てられる、至福の時間だったりするのだけど。

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このLogのテンプレートにしても、極力カラーセンスがないことがバレないように作ったら、こんな退屈な配色(デザイン)になってしまっていた。
それまではサイトから無償で提供される、スキンというかテンプレートを使っていたのだけれど、季節性があったり、絵柄があったりと提供されるそれは僕にとって、しっくり来ないしものばかりだった(記事欄の広さと配色、それにシンプルさとの兼ね合いのこと)。
だから僕の場合リッチテンプレートのCSSを好みにいじった方が早かった。こんなデザインにした罰なのだろうか。掲載した絵の大きさやの背景との兼ね合いもあり、もはやそれ変更することは不可能なことになった。

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今夜の七夕までに、どうやら僕の地方は雨が上がらないようだ。
その日に星空を見られるかどうかは、梅雨という日本の気候事情もあり、短冊に願いをぶら下げた子供達にとっても実に気をもむことだろう。おりひめとひこぼしの年に一度のデートの日。その日に雨が降ってしまったら、一年ぶりにひこぼしと再会できたおりひめのうれし涙なのだと、子供達に説明している地方があることを偶然ラヂオで知った。それを聴いてなんという positive thinking で、心やさしい大人たちなのだろうと思った。
そんな中で育った子供達はおりひめによかったねと言いながら、来年は姿を見せてくれる事を祈りながら眠りにつくことだろうと番組を閉じていた。

2度目の成人式を過ぎたこんな僕でも願いがないわけではない・・・(自身のウィシュリストにはちゃん載っているのだけど)
なるほど、ヨカッタネおりひめ。
そんな事を思うと雨の七夕もいいものだろう。また来年にでも願いをかけるとしよう。でもそれまでに遠くにある僕の願いがかなっていたのならば、それが一番なのだけれど。
  
 

When You Wish Upon a Star  < Billy Joel > 

 


  


  

  
  
   

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