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2012年6月 8日 (金)

父の日 がある月

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この水あそびをする親子、じつは遥か昔の僕と父親だ。
さらに写真は語りかける。    「これは家の前でトラックに水をかけて遊んでいたdadと君の姿だ。 それは覚えているかい?」 ・・・ と。

***  

たぶん僕だけではないと思うけれど、とかく幼少期に関しては、はっきりとした記憶というものはあまり残っていない。それらしきものと言えば頼りのない断片的で、まるで映画のシーンをキャプチャーしたようなものが、微かに残っている程度なのだ。古い(すぎる)写真はいつもそうなのだけど、よく母親や伯母さん方と一緒に写っている、最初は見慣れぬ子供がいて。それが小さい頃の僕なのだとずっと説明されてきたおかげで、ようやくその事実(記憶)を  ”あぁ、そうだったのだ”  と認識することが出来るのだろう。

僕が小さい頃(6才)に父親をなくした事は、今までの記事の中で何度か書いたとおりなのだけどちょうど7年前、あの6月の事故以来いまの時期になると、思いをめぐらせるようになったのは父の日の事だ。(父の日といっても、息子らと僕の関係ではなくて、dadとの事)
今ごろになってそんな事を思うなんて、おかしいと思うのだけれど、水無月のかぜは不思議とそんな想いを運んでくる。それはたぶん、僕自身に父親が亡くなったという事実はあるのだが、記憶はないからなのだろう。

葬式の時でさえ、父親がいない事など気にも留めずに、なんだか判らないけれども大勢のお客さんが来て、すごくにぎやかだと思っていた。そしていろんな人から頭を撫ぜられたりして、お菓子やおもちゃをもらったことが、すごく嬉しかったのをよく覚えている。それからしばらくして物心がつく頃になってようやく父親がいないことに気付く。そんな子供時代だった。

だから写真の中にしか存在しない父の日とは、自分が体験することが出来なかった、特別な日だったのかもしれないし、いまとなっては一種の憧れのようなものだ。きっと男同士なので普段は、やれ家を出て行けだの、俺の方がが出て行くだのと、しょっちゅう喧嘩ばかりしてたに違いない。けれども父の日ともなれば、僕が敬意を表して八方あてを尽くして見つけてきた極上の酒を、大酒飲みの二人で酌み交わしていただろう。

あの 6月5日(日曜日)
単に偶然という言葉では片づけられない、一瞬の中で繋がった僕の命。
それからだった。これらの写真に懐かしさみたいなものをつい感じてしまって、いつも6月になると、引き出しの奥からこの写真をとり出して、アイラを片手に眺める習慣がついてしまったのは。
 

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< 父と子 Ⅱ >
山形県米沢市 (撮影者不詳)

  

右端の草むらで寝ころぶ父親の奥に写っている橋は、欄干部分だけが近代的なものに交換されただけで今も現存している。僕の家はちょうどこの橋の右手たもとすぐの所にあって、橋を左手側へ渡ると繁華街へと路が続いていた。

この静止した時間から、干支が一周するほど年月を早送りしてみよう。
たしか学校を卒業するころに行われた法事の席で、少しフライングだったけど親戚や、父親の仕事仲間と酒を飲みながらこんな話を聞いた。
”お前の親父は、毎日橋を渡らないで寝たためしがなかったものだった”・・・と。
それを聞いた僕は、微かに残る当時の母親とのやりとりや、当時自分で会社を営んでいた、少しヤクザな彼の背中の記憶を想い出して、なるほどと少しだけ納得した。皆が口を揃えていうのだから、それはきっと間違いない事実なのだろう。たぶん自分の中で、いずこかに眠っているその父親のDNAが、僕の呼吸が止む時まで覚醒しければいいなと密かに思っている自分がいた。

***
    
    
  
数多い写真の中で、父親と写っている写真はあとにも先にも、この3枚だけだ。
そしていま僕は父親が他界した年齢よりも10年も長く生きている。
   
  

Danny Boy    <Andy Williams>

 
 

  
  
  
  

  
  

   


   

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