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2012年6月23日 (土)

午前 8時59分60秒 という時刻

12060300
あと一週間もすれば一日の時間が1秒だけ長い日がやってくる。
今回は3年半ぶりのことだ。そのわずかな時間が日々の生活の中で、大きなウエイトをしめているとかは、きっとないのだろうけれど。
天文学が好きな僕にとっては正確無比な原子時計と、地球の自転速度と差異を埋め合わせるする、このわずか1秒という時間の修正は、ちょうど何かの儀式のようなもので金環食や、金星の太陽面通過を待つ時の気持ちに似ている。

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このうるう秒というやつは、うるう年のように4年に一度と決まっていない。
6年間も実施される事のない時もあれば、5年連続で毎年という時もあった。それが混乱する理由だったのかは解らないけれども、今年の正月あたりから、廃止か存続かの是非をめぐっての記事を、新聞やWebで目にするようになっていた。理由はコンピュータが誤作動するおそれがあるからだ。ファイル(データ)は、作成や更新された時間のデータも必ず持っているので、そのデータのトランザクション処理などに起きるのだろう。PC上のファイルにしても、タイムスタンプは”分”までしか表示されることはないけれど、ちゃんと秒までのデータも持っているのだから。2012年7月1日AM-08:59:60という、予期しない時刻データをどう処理するかは、そのシステムの開発品質にかかっている。いまやコンピュータなしでは実現不可能な、株の売買やCDのオンラインシステムにおいて、この誤作動などの問題が起きれば、一体どんな事態になるかは誰でも想像に難くない。だからヨーロッパでは取引終了後の夕方、アメリカでは深夜、しかも日本とヨーロッパ圏は休日に実施されるのだろう。(ちなみに前回は元日だった)

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昔の記事に書いたように、僕は以前システム・エンジニアというか、プログラマを生業(なりわい)としていた時があった。
もう12年も前の事だから時効(僕なりに)だろうが、うるう年で大騒ぎしたいわゆる2000年問題もそうだった。いまや全世界で使われているグレゴリオ暦。4で割り切れる年(オリンピック年)は、うるう年と定義があるのだが、但し書きが二つあった。
”西暦年が4で割り切れる年はうるう年”  というきまりは誰もが知っている通りだけど、
但し書き1: ”西暦年が100で割り切れる年は平年” と  但し書き2: ”西暦年が400で割り切れる年はうるう年 ”というのがある。  もちろん一般の人は知らなくてもいいのだけど、プログラマが一番注意を払わなければならないのは、この但し書き2:の方だったのだ。
つまり西暦2000年は400年に一度の稀なるうるう年だった。
それこそ500年も前からコンピュータが使われていれば、こんな問題は起きなかったのだろうけれど、本格的に普及しだしたのは1980年代に入ってからだ。ましてや自分が開発したシステムが企業に納品されて、いったいそれが何年使われるのかなど、誰も考えなかったのが僕をも含めた当時の感覚のようだった気がする。

そしてかくなる2000年問題は業界に特需をもたらしたのだろう。
すべてのシステムのプログラム(ソース)を調べて検証し、もし但し書き2:がなければを書き加えるという作業だった。案の定おおかたのソースには誰でも知っている”年を4で割って余りが0の年はうるう年で、かつ100で割り切れれば平年”という記述しかなかった。僕も然り日付けを扱うルーチンに対し、先輩から聞いていたそれしか記述することはなかったのだけど。

当時コンピュータは企業においても神器扱いされていたので、そのプログラムを作る(検証・修正も含めて)作業はまさに神職のように見られていたのかもしれない。いま想えば一般の人にはワケの判らないものだったし、実際に見えないものなので会社側にしてみれば実に美味しい仕事だったに違いない。

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話はもとに戻るけど、今年はその増えた一秒を”公に”どう処理するのだろうというひそかな楽しみがある。
3年前のときはひかり電話の時報サービス117ではピ・ピ・ピ・ポーン、ポーンと時報を2回鳴らしたと聞いたし、通常のADSL回線の時報サービスでは直前の100秒を1/100ずつ遅らせる事によって合計で時刻を1秒遅らせるという、実に手の込んだ事をやったらしい。

それでも”午前8時59分60秒”を実際に見てみたいというご諸兄方には、やはり 日本標準時 意外にないのかも知れない。





  
   
    

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