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2012年4月 6日 (金)

南の街にて

12040201   
この街に初めて迷い込んだのはちょうど去年の今ごろだった。
4月に入ったばかりのこの路地は昨年となんら変わらない、まだ早春特有の単調な色彩と良い天気。そしてまだ冷たい少し強めの風が吹いていた。あれから僕はこの路地が気に入ってしまい、季節の折々(今回でたぶん4回目)には時期ごとの、着替えのアートフラワーを求めがてらの散歩を楽しんでいた。僕なりにはやはりこの街に来ると、ハヤシライスかソースかつ丼のどちらかは外せない。結局この日、蕎麦屋のソースかつ丼をチョイスした。かつ丼と言えばだしと卵と玉葱でとじてどんぶりにのっているものだ・・・というご諸兄方も機会があればぜひ一度試されてはどうだろうか。
会津のかつ丼(地元の人間は冒頭に”ソース”という文言は普通つけないほどスタンダードらしい)は、ほかほかのごはんの上にたっぷりとキャベツを敷き詰めて、その上にソースをからめたとんかつがどんと乗る。そのどんぶりの中に創られた三層構造の小宇宙をどのように攻略するかは、その時々の楽しみでもあるのだけれど。

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何度かこの路地を通っていて気になっていた建物があった。
それは一軒の喫茶店で、周囲とは明らかに血統が違っている建物だった。ひとことで言えば腰壁は石積みでなのだが、外壁はタイル張りの瀟洒な建物だ。少しのどが渇いていた僕はドアを引いて店に入ってみる。店内は低くクラシックが流れていて、落ち着いた感じの良い店だった。ホールのような高い天井にびっくりしていると、店の主はこの建物は大正時代に建てられた銀行なのだと説明してくれた。店内には5つ程テーブルが置かれた中二階の席があり、訊ねるとそこは喫煙席なのだという。僕はタバコは吸わないのだけれど、北側にあるひとつの窓に惹かれて二階に上がる。
   
視界の中で動くもの(話し相手)はテーブルの上に置かれた、ちいさな砂時計だけだった。
じっと眺めていると砂が落ちる時の音が聞こえるような気になる。そんな中で浮かんできたのはもう随分と遠い昔の話になるのだが、当時僕は男と女の友情などあり得ないと思っていた時期があった事だった。何度か交わしていた会話の中でその友人(女友達)の中に感じていたのは、コスモポリタン的な知性と行動力だった。当時僕と友人とのあいだには確かに友情のようなものが存在していたように思うのだけれど、その時僕はすでに流行病を罹ってしまっていた。いろいろと気遣ってくれたその友人に対して、いま想えばその思いやりの心も考えずに、ただ自分の苦しい心中だけをぶつけていたような気がする。いまでも相変わらずそうなのだけれど、僕は人の心を推し量るのが実に不得手な人間のようだ。

そんな事を考えながら砂をボンヤリと眺めていると、流れが突然途切れてお茶の飲みごろを告げられる。今度は話し相手がカップから立ち昇る湯気へと変わっていた。僕はコートの右ポケットからカメラを取り出し、一枚の写真を撮ってみる。
その時突然に、(自分にとって大切な友人と友情をいちどに失ってしまった、あの季節とはいったい何だったのだろうか)という、どこか悔悟に似た思いが湧いてきたのは、なぜだろうか。
    

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メンデルスゾーンの無言歌集全8巻48曲より  作品62-6 「春の歌」 
この曲は弾き手によってゆったりと春の陽だまりを感じさせる人や、春の嵐の中早く雨宿りの場所をさがすように急いた感じの人もある。技巧的には難しくはないのだろうか、ピアノを習い始めた子供がよく弾いている。その子供の弾くテンポでこそ僕が好きな春の歌だ。

Spring Song (Lieder ohne Worte in A major, op.62, no.6)  < Mendelssohn >

  

  

    
    

   

   

  

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