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2012年4月の記事

2012年4月27日 (金)

Sakura の頃 (1/3)

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雪国の春は、高い山の夏とよく似ている。
なぜかと言えば、高山植物の花畑によく例えられる”いっせいに・・・”という表現がピッタリする季節は他にないような気がするからだ。標高の高い山は春と夏という季節の区別がなく、いわば二つが同時にやってくる感覚なのだ。遅い雪融けと共にわずか2ヵ月程の短い夏の時間に、芽吹き・開花・それに次世代の為に種子なりを遺さなければならないし、そんな大忙しの季節が過ぎれば8月も半ば。間もなく標高の高い所から再び白いものが混じる季節がやってくる。

僕の住む地方でも一昨日あたりからSakuraのつぼみが、紅くほころびはじめた。今年はここ近年(20年程)記憶にない程開花が遅れた。昨年も大雪だったけれど、全体的に気温はさほど低くなかった。しかし今年は少し事情が違っていたようだ。
  

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雪の降らない地方は実質的な冬が短いというか、比較的春の訪れも穏やかなのだろう。
草木たちはDNAに刻まれた時期(順番)を辿りながら、芽を出したり花を咲かせたりするのだろうけれど、雪という物理的な冬布団がある地方ではそんな悠長な事は言っていられないのかも知れない。冬布団がなくなった時こそ植物にとっては誰が何と言おうと、暦が何と言おうと事実上の"春"なのだから。もちろん地面にはつくしと水仙なども同居したりする。そして北関東以西のご諸兄方は信じられないかも知れないけれど、桜の他にまんさく・こぶし・梅が同時に咲いたりするのがいわゆる雪国の春だ。それに今年は堤防のヤナギやアカシアがSakuraよりも早く芽吹いたりしていて、色彩あざやかな春となった。
  

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< 旧家と生垣 >
山形県米沢市

  
Sakuraと同時に芽吹くこの新芽はこの地方独特の食用と防犯も兼ねた”うこぎ棚”と呼ばれる生垣だ。枝には鋭いトゲが無数にあって、これを分け入ろうとした曲者はひどい後悔をすることになる。なんでもこの歴史をひも解けば、直江兼続あたりからのことらしが僕がこの新芽を大好きになったのはつい最近(4~5年前)の事である。そして煮もの同様にいつもそうなのだけれど、”もっと早く食べてみれば良かった”と後悔したのは忖度された通りである。いつも思うのだがこればかりは齢(よわい)を重ねなければ判らない味覚だってあるのだ。
最近はいろいろとうこぎについての研究されていて、体によい成分(下記考察参照)がたくさん入っているとの理由で食べている人も多いと聞く。

独特の香味をもつこの新芽は色合いも美しく、炊き込みご飯などでも美しい緑色を失うことはない。この白い米と緑の鮮やかなコントラストをほんのりとした塩味と共に味わうも良し。また軽く湯に通してタタキにし、少しの味噌とゴマとかクルミを混ぜ込むと、絶好の季節を愛しむ日本酒の肴となる。そういえば初夏の頃、少し茎を伸ばしての天ぷらも外せない。

  

米沢のうこぎ についての考察

   

  
   

食事とは愉しむもので、クスリではない

どんなにか体に良いものでも、口に入れた時に美味しいという感動を伴わなければ

すでにそれは単なるクスリでしかないのだ



<  詠み人不詳 > 

   

   

  
 


 
 
 
  

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2012年4月18日 (水)

春は じてんしゃ に乗って

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今年は4月には入っての一週目は気温も低く、少しまとまった降雪もあったりして冬の名残りが色濃く残っていた。
けれどもここ一週間程だろうか、どうにか春らしい気温になってきたようだった。それまで雪は日中の暖かい時間帯にしか融ける事はなかったけれど、さすが晩春の陽光ともなると一段と力強さを増したようだ。以来24時間体制に切り替わった雪融けは、誰もが連休頃までは残ると思っていた今年の大雪を、穀雨の前に視界からほとんど消してしまっていた。

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僕の書斎からすぐの橋を渡ると”置賜自転車道”の起点がある。
それは河川の堤防と廃線になった鉄道路線を利用した路で、サイクリングやマラソン、また散策にと自由に利用できる全長約23㎞の自転車と歩行者の専用道だ。これからの天気の良い日にはのんびりとペダルを漕ぐのもいいものだ。車の騒音や排気ガスから完全に隔てられたこの道は、とかく忙殺されそうな日常で忘れかけていた五感の感覚を教えてくれる。
春(土)の匂いやせせらぎの音。遙か上空で点となって囁き合うひばりの声。頬をなぜる柔らかな風のおまけまでついてくる。途中にはワイナリーがあったりして、そこで試飲もやっているのでじてんしゃは実に都合がいい。

そのワイナリーから少し先、山形新幹線の(現)高畠駅あたりから、旧鉄道路線へと風景が変わる。現在は”まほろば緑道”として整備され、桜が植えられたのどかな田園風景の中をしばらく走るとこの旧高畠駅の建物がある。
テラコッタのような独特の柔らかい色彩を持つこの石は、この地方特産の高畠石という石材だ。もう40年近く前に営業を終了したこの鉄道は、以降バスの発着所として営業していたが、それも確か10年後ぐらいに終了してしまった。僕は幼少期に何度かこの高畠線に乗った記憶があったが、鮮明に覚えているのは車内の黒く光る油臭い床だった。どうして僕がこんなにこの駅の歴史に詳しいかと言えば、僕の母親の実家がこの高畠町だった事からだろう。

以前何度かこの事は記したが父親は僕の幼少期に他界した。
その後僕は一番上の姉と3人で、母親の実家のあるこの街で暮らしていたことがあった。当時オトナの世界で何があったのかは知る術もなく、週末の度に二番目の姉と父の母親である祖母の住むこの米沢に帰るという生活と続けていた。その頃はすでに電車は走ってなくて、この建物の右手手前にあるちっちゃな売店でガムを買って、この駅でバスを待っていた。

   

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< 時代のうつろひ  Ⅱ  >
山形県高畠町

  

そんな訳で・・・・・。書斎からじてんしゃで40分程のこの高畠町は、僕の第二に故郷というべき土地柄なのだ。町内の懐かしい散策も小回りが利いて駐車場の心配もいらないし、昼メシの時にはグラスビールなら許してくれる愛すべき ESCAPE R3.1 と一緒だ。真夏は日差しが強くて乗る事はなくなるので初夏が過ぎれば、秋めいてくるまでのあいだ暫しのお別れの季節をむかえる。

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今も残る”山形交通株式会社 高畠営業所”という表札。
営業所の”営”のつかんむりが、旧字体の”火”がふたつだったことに・・・昨年気がついた。









 

   

   

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2012年4月 6日 (金)

南の街にて

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この街に初めて迷い込んだのはちょうど去年の今ごろだった。
4月に入ったばかりのこの路地は昨年となんら変わらない、まだ早春特有の単調な色彩と良い天気。そしてまだ冷たい少し強めの風が吹いていた。あれから僕はこの路地が気に入ってしまい、季節の折々(今回でたぶん4回目)には時期ごとの、着替えのアートフラワーを求めがてらの散歩を楽しんでいた。僕なりにはやはりこの街に来ると、ハヤシライスかソースかつ丼のどちらかは外せない。結局この日、蕎麦屋のソースかつ丼をチョイスした。かつ丼と言えばだしと卵と玉葱でとじてどんぶりにのっているものだ・・・というご諸兄方も機会があればぜひ一度試されてはどうだろうか。
会津のかつ丼(地元の人間は冒頭に”ソース”という文言は普通つけないほどスタンダードらしい)は、ほかほかのごはんの上にたっぷりとキャベツを敷き詰めて、その上にソースをからめたとんかつがどんと乗る。そのどんぶりの中に創られた三層構造の小宇宙をどのように攻略するかは、その時々の楽しみでもあるのだけれど。

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何度かこの路地を通っていて気になっていた建物があった。
それは一軒の喫茶店で、周囲とは明らかに血統が違っている建物だった。ひとことで言えば腰壁は石積みでなのだが、外壁はタイル張りの瀟洒な建物だ。少しのどが渇いていた僕はドアを引いて店に入ってみる。店内は低くクラシックが流れていて、落ち着いた感じの良い店だった。ホールのような高い天井にびっくりしていると、店の主はこの建物は大正時代に建てられた銀行なのだと説明してくれた。店内には5つ程テーブルが置かれた中二階の席があり、訊ねるとそこは喫煙席なのだという。僕はタバコは吸わないのだけれど、北側にあるひとつの窓に惹かれて二階に上がる。
   
視界の中で動くもの(話し相手)はテーブルの上に置かれた、ちいさな砂時計だけだった。
じっと眺めていると砂が落ちる時の音が聞こえるような気になる。そんな中で浮かんできたのはもう随分と遠い昔の話になるのだが、当時僕は男と女の友情などあり得ないと思っていた時期があった事だった。何度か交わしていた会話の中でその友人(女友達)の中に感じていたのは、コスモポリタン的な知性と行動力だった。当時僕と友人とのあいだには確かに友情のようなものが存在していたように思うのだけれど、その時僕はすでに流行病を罹ってしまっていた。いろいろと気遣ってくれたその友人に対して、いま想えばその思いやりの心も考えずに、ただ自分の苦しい心中だけをぶつけていたような気がする。いまでも相変わらずそうなのだけれど、僕は人の心を推し量るのが実に不得手な人間のようだ。

そんな事を考えながら砂をボンヤリと眺めていると、流れが突然途切れてお茶の飲みごろを告げられる。今度は話し相手がカップから立ち昇る湯気へと変わっていた。僕はコートの右ポケットからカメラを取り出し、一枚の写真を撮ってみる。
その時突然に、(自分にとって大切な友人と友情をいちどに失ってしまった、あの季節とはいったい何だったのだろうか)という、どこか悔悟に似た思いが湧いてきたのは、なぜだろうか。
    

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メンデルスゾーンの無言歌集全8巻48曲より  作品62-6 「春の歌」 
この曲は弾き手によってゆったりと春の陽だまりを感じさせる人や、春の嵐の中早く雨宿りの場所をさがすように急いた感じの人もある。技巧的には難しくはないのだろうか、ピアノを習い始めた子供がよく弾いている。その子供の弾くテンポでこそ僕が好きな春の歌だ。

Spring Song (Lieder ohne Worte in A major, op.62, no.6)  < Mendelssohn >

  

  

    
    

   

   

  

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2012年4月 1日 (日)

あさきゆめみし ゑひもせす

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ふと気が付くと季節は進み、3月から4月へと時間がながれていた。
前回このログを更新したのは2月末と表示されているから、かれこれひと月も僕は気を失っていたようだ。このひらがなで書いてしまったタイトルは、おそらくご諸兄方にはなじみの深い誦文だと思うが、”浅き夢見じ  酔ひもせず” と漢字交じりで書いた方が現代では一般的なのかも知れない。
この卯月は一番好きな月と以前記したが、それは単に僕が生まれたつきだからだし、なによりも一日には世界的な年中行事もある。

  
  

* at April Fool's Day *

  
僕はタイムマシンなるものに初めて乗った。
その外観は外側には小さなイボイボが無数についたまんまるのカプセルのようなもので、横には小さな三角形の羽根のようなものが付いていた。係員に促されて乗り込んでみると以外に中は狭く、座席を調節してシートベルトをしめるともうほとんど身動きがとれない程だ。

それにジェット機の操縦席のように視界一面に計器やら、ボタンやらスイッチがあると思っていたけれど、目の前にはアイパッドほどのタッチ表示パネルに、あとはいくつかのボタンとダイヤルがあるだけの簡素な内部だ。これで途中トイレに行きたくなったらどうするんだろう? 案内してくれた若い係員に訊ねると、やれやれというような顔をして「乗り込む前に済ませておけば、白亜紀にでも遡らない限り、お客様の生まれた以後でしたら、どんなに遠くまで行ってもほんの2、3分で到着してしまいますから」 ・・・・そうか、それなら安心だ、と納得する。
 
「お客様。あとは先ほどの受付で説明しましたように、ナビゲータに年月日と時刻を入力したあとは<Enter>のボタンを押すだけです。大切なのは帰還の時に年月日を入力しないで必ず<Home>のボタンだけを押してください。そうしないと『現在』に帰れなくなることがあります。そうやって永久に帰って来れなくなってしまう方が2ヵ月に一人はあるんですよ」
そんな話を聞いて僕は、永久に帰れなくなったら何か不都合な事でもあるかなぁ、と一瞬考えてみる。
もう子供たちもある程度大きくなっているし、家族も僕の生命保険が入れば、皆で今よりもっと好きな事ができるだろう。借金もいちおう片がついているし、家に一番最後まで残る二男にはメンテナンスのしかたなど細々とした事も教えてあるし・・・。

そこまで考えて・・・・・    あっ、でもダメだ。  と突然思い出す。
仕事上のスケジュールの一部をすでに7月末までロックしているクライアントが一人いた。ひと月程の問題ならばば本人が消えてしまったでもいいのだけれど、これではその人を裏切る事になってしまう。それだけじゃない。先週留守の時に頼んでおいたアイラを届けてくれたS君にまだ代金を支払っていないし、それにいろいろとお世話になっているG氏に約束したポートレートもまだ途中までだ。このログの更新もしなきゃいけない。それに下着の替えもなければ、いま毎日つけている目薬も持参していない。これではどうも帰って来ない訳にはいかないようだ。

タイムトラベラーのルールでは、いま現在の感情(記憶)は過去に持ち込む事は許されていない。これは結果的に過去を変えない為の国際ルールなのだ。けれどもその時(過去)の感情(思い出とでも言うのだろうか)は未来(現在)へと自由に持ちかえる事は許されていた。

僕はタイムマシンの扉を閉じるとナビゲーターに入力を始める。
【2001年4月22日11時00分】と打ちこんでブルーの<Enter>のボタンをゆっくりと押し込んだ。
  

********************

   
低いうなるようなノイズのあと少しだけ視界がぼやけたような気がしたが、キッチリとその時間に僕は乗換の為に下車した余目駅のホームに立っていた。その日は幼い息子たちと初めて男3人冒険旅行に出かけた日だった。新幹線と在来線3路線を乗り継いで、山形県をほぼ一周するものでいろいろな電車を乗り継いで、駅弁食べるのをずいぶん前から楽しみにしていた。

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< at 2001-04-22 >
山形県村山地方・庄内地方

   
けれども僕には父親とのこんな記憶がない。ちょうど長男が今ごろの年代に他界したからだ。だから長男がその齢になるのに合わせて、3人で出かけたいという想いをずっと持っていた。その日はものすごく天気が良い暖かな日だった。待ち合わせの長い時間を3人で駅前にあった遊園地で遊んで、その日2度目の弁当も食べた。遊具であそぶ息子たちの写真を何枚か撮ると、(上の写真)空腹で飲んだビールが利いたのか滑り台によりかかるとついウトウトしてしまった。

* at April Fool's Day *

  
誰かにゆりおこされてハッと眼が覚める。
目の前に二男がいて、そろそろ出かけようと催促された。そうだ、今日は僕の休日で息子たちも春休みなので、二男の合格祝いに男3人のスペシャルランチを企画していたのだった。
僕はその催促には答えないで、『お前たちも随分大きくなったものだ』と言った。二男には目や口を動かしたりして寝ていたが、なにかおもしろい夢でも見ていたのかと訊かれたが、僕は『あぁ、とっても懐かしい、いい夢だった』とだけ答えてこの話はクローズした。

 
   

目に入れて痛くない子が目にあまる
<詠み人不詳>

なるほど・・・成長の証だろうか、最近の奴らを見てて確かにそう思う。
 

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昨年の今日にはペアのカップが、夜中にデートにでかけるという楽しげな会話をしていた
                                話を書いていたのを思い出した。 春 色 の 会 話  

  
  
  
   
   
  
  

 

 

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