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2012年1月の記事

2012年1月30日 (月)

8年前の過去からやってきた男

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ちょうど半年前の
同じアングルの絵にはこんなことを書いていた。
”誰でも知っているこのさそり座は、夏を代表する星座だ”
と。その時は芝生の上に寝そべってビールを飲みながらその絵を切り取った記憶がある。こんど僕はその芝生から1m程上空でこの絵を切り取っていた。その高さこそ言わずもがな、今ごろの雪の深さなのだ。

冬の星座の代表格であるオリオン座は、東の空や西の空で斜めになったのはどうもいただけない。
やはり南中にさしかかったこの角度でなければならないと、常々思っているのは僕だけかもしれないけれど。最初はコンパクトデジカメを持って出たのだが、どうしても両端のシリウスとプレアデス(すばる星)を1枚に収めたくて結局書斎に戻り今度は15ミリを取ってきた。

以前の記事に記した通り少年時代、僕は天文学者をめざして図書館に通って独学でいろいろと調べていた。だから星座や星の名前はいまでも関心があって機会があるごとにながめている。右上端にある小さなひしゃく星のようなプレアデス星団は、オリオン座よりだいぶ早く東の空に顔を出す。その星が見え始めると、いよいよ冬の訪れとなる。
オリオン座の左下に青白く輝くシリウスという星は天空に輝くもっとも明るい恒星で距離も8.6光年と比較的ちかい星だ。日本では昔から青星と呼ばれていると言えば解かりやすいのかも知れない。

  

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僕はマグカップボトルのホットウヰスキーを楽しみながら、またたく蒼白い光を見つめていた。ふと気が付くと近くに一人の男が立っている。薄暗い中でよく目を凝らして見てると、どこか見覚えのあるような髪型にメガネをかけていたのだが、何よりもびっくりしたのはこの寒空に相応しくない真夏の服装で、おまけに手に持っているのは缶ビールだった。
僕はその見覚えのある男に矢継ぎ早に、住んでいる場所やその目的、今日の日付けの質問を浴びせてみた。彼の答えは仙台市、模索中(現在はほぼ不明)、そして日付けはなんと2003年7月なのだという。
どこかで見覚えのある男。
それは8.6年前の僕に違いなく。それは当時のシリウスから放たれた光が旅をようやく終えて、目の前に結んだ幻日のようなものだったのかも知れない。真冬の星の下で暖かい飲み物を楽しみながら、光速と時間の概念の中で描く、こんな妄想じみた回想も時には楽しいものである。
    

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< 真冬のさくら Ⅰ >
山形県米沢市

   
  
僕の住む地方には真冬に咲く啓翁桜(けいおうざくら)というがある。
お正月に桜を楽しむのも一興で、この辺ではわりとポピュラーな新年の花である。知人が開催を知らせてくれた啓翁桜フェアはブライダル会場にて、県の農業振興課が主催したものだったが、お堅いイメージは少しもなくて市内の花店による結婚式をイメージしたアレンジも見事なものだった。さわやかなかをりの中、雪深い今ごろの慶事もすばらしいものだろう。

寒い山形だからこそ楽しめる真冬の桜。
もうすぐ暦の上では立春だけども、僕の住む地方ではこれから底冷えの時期を迎える。


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< 真冬のさくら Ⅱ >
山形県米沢市

   
   

  

  

   

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2012年1月21日 (土)

冬のうみ (2/3)

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内陸に住んでいると時々海を見たいという気持ちに駆られる。
その感情は懐かしい場所に帰りたいという気持ちにも似ているし、幼なじみの友に逢いたいという懐かしさのようなものに近い。ふだん日常の生活の中でいつもそんな事を考えている訳ではないのだけれど、偶然ラヂオから流れた曲がきっかけで時折フッと胸をかすめるそんな感情は、すこしづつ自分の中で蓄積されてゆく感覚がある。ちょうど満ち潮が遠くからゆっくりと時間をかけて海岸を満たすように。

今頃の日本海は内陸部とは比較にならないものすごい季節風と共に、とにかくしける日が多い。
海岸線を走る国道も西北西の強い風が運ぶ波しぶきで少し離れた先から霞んで見える。特定の条件がそろった波が集まる磯場からは、この地方では”波の華”と呼ばれるフワフワした泡のようなものが強風に吹かれて舞いあがり、それは遠くから見るとちょうど白い枯葉が風に舞っているようにも見えるのだった。

若い頃はよく晴れた夏の海が大好きだった・・・というよりも冬の海など見たこともなかった。
眩しい太陽や白い雲と青いそらのコントラスト。ジリジリした日差しやそれに焼かれた岩肌の強い磯のかをりや、やけどしそうに熱い砂浜、今思い出してもワクワクするよう時代だった。
けれども最近はどうも強い日差しが少しだけ苦手になったせいなのかもしれないけれど、真夏を避けて秋とか春の海に出掛けるようになってきた。なかでも冬のうみは真夏の海特有の輝くような鮮やかな色彩など微塵もないモノトーンの世界である。

僕はいつものように今ではバイパスとなった国道から逸れて、旧道の集落へと鉄の馬を進める。
ごく弱い霧雨のように飛んでくる波しぶきと身を切るような冷たさをもった汐のかをりの中で、人っ子一人いない細い路地を彷徨う。冬という殻に閉じこもった小さな集落は季節風に煽られる店の看板がカタカタと音をたてていて、強風が運んだ潮で白くよごれたガラス窓には人気 の無いまわりの風景が、寒々と映っているだけだった。こういう一種のうらぶれたような風景に、かえって老いた芸人のような魅力を感じるようになったのも、米俵を重ねたせいなのだろうか・・・。そんな事を考えながら鉄の馬に戻る頃には、メガネに付いた潮が乾き目すぐ目の前の風景すら白くかすんでいた。



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< 西北西の季節風 Ⅱ >
山形県鶴岡市
 
   

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僕はこの仕事場兼書斎でいつでも(仕事柄)自分の聴きたい曲や、ラヂオを自由に聴ける環境にある。
だから耳から音楽が途切れるのはここを離れる時、つまり眠る時や外出する時くらいなものだ。テレビにしてもニュースや自分の興味のあるドキュメンタリー番組などしか見ることがないので、一週間の総計は7~8時間ほどだろうか。それに比べてここで音楽に触れている時間といえば
100時間はゆうに超える。そんな時間の中で今まで知らなかった曲(アーティスト)に触れるのには、近くのCDレンタルショップのおこなっている
5枚で千円のレンタルはけっこうありがたい。僕自身無造作に選んでも最低1枚は当たるものだと思っているからか、ぜんぶ外れた時のショックはけっこう大きかったりするのだけれど。

最近は結構古いアーティストばかりレンタルしていた。
少しは若い人の曲を知ろうと昨年(先月)レンタルした中の一枚に”noon”というジャズボーカリストのアルバムがあった。

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If...という語りかけるような歌い出しで始まるこの曲。
500マイルというとてつもない遠い距離をあえて、”a”という不定冠詞をつけた a hundered miles を重ねていって自分から何かが少しずつ離れてゆくのを確かめるように、せつなく歌い込んでいる。またピアノとコントラバスの間奏も100マイルずつという積み重ねを自分に言い聞かせるようにもの悲しくきこえる。 

500miles.    <noon version>

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< a one milie away >
新潟県岩船郡山北町



If you miss the train I'm on,
you will know that I am gone,
you can hear the whistle blow a hundred miles.
A hundred miles, a hundred miles,
a hundred miles, a hundred miles,
you can hear the whistle blow a hundred miles.

Lord, I'm one, Lord, I'm two, Lord,
I'm three, Lord, I'm four, Lord,
I'm five hundred miles a way from home.
Away from home, away from home,
away from home, away from home,
Lord, I'm five hundred miles away from home.




***

500milesと言えば約800Km。
ここから南西に向かえば四国足摺岬、
北に向かえば日本最北端の宗谷岬のあたりだ。 

   

   

   

   

   

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2012年1月16日 (月)

三が日という日常

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今年の正月もごたぶんにもれず寝正月だった。 と書き出してしまえば、僕の日常を良く知るご諸兄方はきっとこう思うにちがいない。
”さては大脳皮質がマヒしする感覚をずっと堪能し続けていたな・・・”と。  けれども今年の場合は少し事情がちがっていた。
結論を先に言えば元日の晩飯が松の内までの、いわば正月最後の晩餐となってしまった。だから寝正月といっても、酔っぱらっていい気分とは程遠い病の床に就いていたのだ。

原因はいまでもよくわからない。最初はアイラモルトをふりかけて、汐のかをりをブーストして楽しんだ殻付き牡蠣かと思ったが、食中毒固有の症状ではなくどうも様子がおかしいのだ。それはまるで僕の消化器官がストライキを起こして機能を停止したような、特に二日の夜などはどういう体位でかわせば楽なのかすら見いだせない悶絶した苦しい夜だった。
  

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翌三日は息子たちとの約束があった。
鉄の馬で1時間もかからないショッピングモールへの買い物(僕は単なるイエローキャブのドライバー)なのだが、昨夜の具合もだいぶ落ち着いたことだし、熱があるわけでもないので結局は彼らの要求どおりにでかける事にした。

とりあえず一週間や二週間は食べ物がなくても、水さえあれば人間は生きていける。その生命線の水なのだが、今朝ほどから二口も飲めば、胃の透視検査で使う炭酸剤を飲んだようなひどい胃の膨脹感に苛まれていた。そんな時に目についたのが、”極上フルーツ、搾りたて”の電灯だった。普段からほとんどくだものを食べる習慣のない僕にとって、あまり足の向く店ではないのだが、なぜだか常夜灯に引き寄せられる虫のようにメニューをおっていた。
チョイスしたのは”ベリベリミックス”というイチゴとラズベリー、ブルーベリー、リンゴにパインをミックスしたもので、恐るおそる二口程飲んで胃の反応をうかがったのだが、僕の覚えた感覚というのはまるで乾いた砂に水を注いだようなものだった。

    

   

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< TAKOYAKI >
山形県山形市

    
    
カラダが渇望していた飲み物に今まさに出逢ったような気分だ。
一も二もなく同じものをもう一つ注文し今度は腰をおろしてゆっくりと楽しんでいると、少し離れたテーブルの経木で出来た舟形の懐かしい容器が目につく。楽しく語らいながら二人が食べているのは中身がトロっとしたたこ焼きだった。食べ物が目につくという事は、先ほどのフレッシュジュースは忘れかけていた、食欲も少し取り戻してくれたようだった。
僕は息子たちを電話で呼び戻して、たこ焼きとジュースのおやつ休憩の提案をした。
たこを取り除いてもらったたこ焼き二個と2杯のジュース。それが二日・三日の両日で口にした唯一の食べ物だった。

四日から仕事だけは何とか再開できたのは、あのジュースとたこ焼きのお陰なのだといまでも思っている。

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僕自身信じられない事なのだけれど、”こころの魂”がアルコールを要求しだしたのは松の内もとっくに過ぎた、それから十日後。
つい先週半ばのことである。こんなに長い間口にしなかったのはきっと事故で入院した時以来かもしれない。

   

   

    

    

    

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2012年1月 7日 (土)

昔より狭く見える通学路 (1/2)

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新酒の仕込みが最盛期を迎えるちょうど今頃、フト思いだす光景と匂いがある。
もうかなり昔の話になるが僕が小学生のころ、通学路の途中に造り酒屋があった。当時紅顔の美少年であった僕には、造り酒屋(又は日本酒)とは何かなど知る由もなかったのだが、不思議な光景と匂いだったのをよく覚えている。

それは通学路に面した壁に小さな窓が3つ程しかなく、子供心にまるで何かの要塞のように思えた大きな大きな建物だった。色は薄いベージュだったような記憶がある。そのシーズンのトップバッターは、その壁面から等間隔で5つ程突き出たダクトから多量に吐き出されていた湯気だった。それはもち米を蒸したような匂いで、それがなぜ判ったかと言えば僕は餅自体よりも、餅になる前の(つくまえの蒸した)もち米を食べるのが何よりも好きだったからだ。
そして1週間か10日もすぎると子供ごころながらに、その湯気の中にえも言われぬ馨しい匂いが混じりだし、日々その大気中におけるppm濃度が増してゆくのを感じていた。

僕はいつもその前を通る時には、なぜか歩くのが少し遅くなり集団登校の列に少し遅れをとってしまっていていた事もあったし、一番高濃度のダクトの前では少し立ち止まって匂いを堪能してしまい、なんどか班長に注意された。きっと大酒飲みだった父親のDNAが僕にも刻まれていたであろうというのは、これを思い出してもまちがいない。いま想えばたぶん、盛り塩に足を止める牛車のようでもあったと思っている。
その匂いこそが日本酒の発酵臭である事を知ったのは、自らどぶろくを仕込んでみた20年後の事だった。



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< 造り酒屋-Ⅱ >
山形県米沢市

  
  
初めて試すもの。
それは恐るおそる且つ慎重に物事を運ぶからなのかわからないけれども、今までの事を思い返してみても、案外成功する事例が多いような気がする。僕の場合どぶろくのときもそうだった。
簡単に言えば蒸した米と麹を混ぜて、定量の水と混ぜるだけなのだが、発酵が始まるとこれが実に感動ものなのだ。表面が盛り上がりフツフツと泡が立ちはじめると、遠い昔の通学路の記憶が甦る。毎日のいわゆる塩梅見で日々アルコール度数が上がっていくのが実感できるのだ。当時はもちろん違法なわけでその背徳感を感じながらも、この”微生物の研究”をもう少し重ねようと思って、次はいきなり一斗(10升)に挑みいきなり失敗。結構高かった一斗分の麹や酒造米もわずか三晩で酢に帰してしまった。

敗因はたぶん雑菌の繁殖が原因だ。器具やポリ桶のアルコール消毒が不十分だったというかそれしか考えれれないのだけれど。
何事も小さな勝利に奢らず、常に初心を以て事にあたらなければならないものだと教えられた出来事だった。
   

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当時造り酒屋とは知らなかったその工場が、駅前再開発都市計画道路の計画で、どぶろく密造の頃と前後して郊外に移転した。







     

    
  

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