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2011年12月30日 (金)

冬のうみ (1/3)

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もうふた月程前の事になるのだが、僕の嫌いな歯医者の待合室で順番を待っていて、、と書き始めてこれはまずいと思った。
この表現はかならずしも適当ではない。嫌いなのは歯医者に行く事であって、僕は姉と同級生の(弟だというのはたぶん彼は知らない)この歯医者さんがとても好きだからである。もし彼でなければ僕は年2回ほどのメンテナンスをとっくの昔にやめていただろう。

その待合室で手持無沙汰に手に取った雑誌に、宮城で開催されるフェルメール展の記事があった。
なんでも今春に修復を終え、オランダ本国に先駆けて世界初となる公開は、6月の京都よりスタートし宮城を経て東京は来春で終了と記されていた。なかでも僕の心を掴んだのは日本初公開となる”手紙を読む青衣の女”だ。2度目の成人式を過ぎてからなぜか、あお色に魅かれるようになっていた。なかでも青~蒼~藍のグラデーションなどは特に好きな色だ。その絵画展は初めて本物のフェルメール・ブルーにふれる事が出来るまたとない機会だった。
  

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このみずうみは季節によって通れる道が変わるので、いま時分だと書斎から鉄の馬で約1時間と少しだろうか。
この季節はあまり訪れる事はないのだがあの時以来、僕の頭から離れない美しいブルーが恋しくて仕方なかったのかも知れない。フトその湖水の美しさを思い出し馬の手綱が向いていた。

観光施設や飲食店・土産物屋などが点在している、国道に面した東~北西にかけては、春から秋の観光シーズンや夏ともなれば湖水浴の客などでごった返するのだが、今の時期は殆どがシャッターを閉めてひっそりとしている。
けれどもせっかくなので国道沿いにある白鳥飛来地に馬を止めて、僕はしばしの間白鳥たちの戯れを眺めていた。平日の午前中、餌付けをしている人はほんの少ししかいなくて、そこから少し離れてしまえばシャッターを閉ざした、真冬の寒々とした風景が広がっていた。あたりまえの事なのだけれど鳥たちには面倒な領空や国境などあるはずもなく、途方もない距離を自分の力だけで飛んできたその翼には、ある種の美しさすら感じるのだった。
    

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猪苗代湖
< 福島県郡山市・耶麻郡猪苗代町 >

僕はいつものとおり国道を東進し上戸交差点より南にむかう。
この地元の人間ぐらいしか通らないマイナーな路と場所がお気に入りだ。途中2か所程湖水浴場があるが、今の時期ここは観光客は訪れることは殆どのないだろう。この辺は比較的遠浅な部分が多、く美しい湖水のグラデーションが楽しめるのだ。真冬の水際には人っ子ひとり居なく、周りにあるのはただ吹き付ける北西からの冷たい風切り音と、たぶん凍ることのないであろう湖面の波音だけだった。

そんな光景の中で僕はあの絵たちの事をふたたび思い出していた。
19世紀になってようやく時代が天才画家に追いついたと言われるように、当時としては時代を先取りしてしまったのかもしれない。まるで写真のように精緻に描かれた”手紙”をテーマとした絵たち。
その天才が遺した作品は350年後の現代において、どんなに素晴らしいレンズとカメラそれにphoto-shopをもってしても、あの完全に計算しつくされた光の描写とディティールの足元にも及ばないという事だ。

すぐにメールで簡単に済ませてしまうというのがあたりまえと言うか、一般的な感覚になってしまった現代。
けれども手紙をテーマとした今回の絵画展は、僕にいつか誰かに長い手紙を書いてみたいという想いを抱かせてくれた。
     

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フェルメール・Blue
< 宮城県仙台市 >

  
僕の中でブルーの湖水と真っ白な羽根というタグがついてしまったこの曲。  
原曲の伴奏は確かピアノの指定なのだが、僕はチェロの独奏につかず離れず寄り添うように柔らかい音色でピアノパートを奏でている、同じ弦楽器のギターの音色が好きだ。

< THE SWAN / Camile Saint-Saëns を聴きながら >

   

    

   

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