« オヤジさんのこと | トップページ | 標高1199m 兼続の見た光景 »

2011年11月 7日 (月)

音楽といふ記憶について

   

世の中の歌というものは形はさまざまではあるけれど、なんらかの愛を詠ったものがほとんどだ。(クラシックはまた別なのだが)
あのオペラ座の怪人ですらそうである。その根底にあるものは人間愛なのだと思うし、もっと広義に言えば人類愛とでもいえるのだろうか。そこからいろいろな形の愛が派生し、その物語の数だけ抒情的に歌われ続けてゆくのだろう。常々からそう思っている僕の偏見からかも知れないけれど、たとえば料理の美味しさを讃える歌や、株で大損をした事を嘆く歌などは本当はあるのかも知れないが、いままで聞いたことがない。
やはり根底は愛なのだ。
  

***

  
たとえば本を読むという行為は、目で活字を拾ってゆくという作業を強要されるものだ。
絵や写真、テレビや映画を鑑賞するのでも、それなりの環境に自分をおいてやらなくてはならない。それに比べると音楽は、聴く側で何の努力もなしに自然と耳から入ってくるのだ。少しおおげさな表現かもしれないけれど、自分の何かが渇望していた曲や、何かしら感傷のタグが付いている曲などは僕の場合、耳から入るというよりも鳥肌のたった皮膚の毛穴からいきなり体内に沁みこんでくるような感覚がある。
 

***

 
以前 "Reunion (再会)"  で記した(義)従兄自慢のリスニングルームで聴いていた、これは確か70年代のアルバムだったと思う。冒頭のなんとも物悲しいピアノの旋律。背後からは闇のように微かに響くチェロかバスの低い音色は、半地下に造られたリスニングルームの薄暗さを、
少年だった僕の心に余計に強く印象付けていた。
当時僕はスペインという国がどこにあるのかも知る事もなく、この宙に浮く半分だけ赤い羽根のジャケットを不思議な感覚でながめていたものだ。今になって聴き返してみるとそれはきっと夜明け前の情景であり、その後の旋律ではアンダルシア地方のそう、蒼い地中海のイメージが湧いてくるのだった。

< Spain を聴きながら >

***

  
僕は写真や絵を見て泪を流した覚えはないし、本を読んで泣いたのは子供の頃だけだった。それなのに、この齢になって一人音楽を聴いていると、切なくて目がしらがうるんで来る事がよくある。それが若い時はあまりなかったということは、どうもそれなりの歳を経てくるとしょうもないメロドラマに涙腺が少し弛んだりする事と同じなのかも知れない。その原因的なソースは、僕自身それは情景だと信じてやまないヴォーカルが歌った一遍の歌詞だったり、ひと小節の楽曲の旋律だったりするのだ。

少なくとも僕の場合は歌詞とはメロディーと共に。楽曲の旋律は何かしらの情景とともに心に刻まれるもののようだ。
そしてその旋律と共に保存されている情景はいつも無意識のうちにヴァージョンアップされていくものが多い。
1回目の成人式の頃などは、ほとんどクラッシックなどの楽曲を聴くことがなかったし、たまに耳にしても浮かんでくるのは学校の音楽室で、それこそ手の届かない程の高い場所にズラッと貼ってあった、有名な作曲家たちの肖像画だけだった。
それが2度目の成人式のあたりからだろうか、目の前に豊かな情景が浮かぶようになってきていた。これが気の遠くなる長い年月を経ても人々に聴き継がれ、弾(演)き継がれてゆくクラシックの実力なのだろう。

 

11110101

< 立冬 ・ 51.6m先からの反射光 >
山形県 山形市

   

音楽の記憶とは実におもしろいものだと思う。
それは僕にとっては実体(表しようのない)のない感覚的な記憶なのだ。きっと誰にでもある事なのだろうけれども、ある歌(楽曲)が毛穴から沁み込んできた時に、それがあたかもマウスでクリックするかのように僕の脳内奥深くにある関連付けられた記憶を起動する。それは単なる情景であったり、匂い(かをり)だったり、その両方の時もあるし、気温や味覚、もっと言えば感触のようなものすら伴っている時もある。
ただ起動されたもの自体が、現実の絵や香水といった鮮明なものではなく、僕にとってはこの反射光のように、やもするとこのまま永久に消えてしまいそうなほど希薄で頼りないものなのだ。

***

< Ave Maria   Hayley version を聴きながら >

  

僕はクリスチャンでもないし、Hayley のファンでもない。ましてやソプラノが特に好きな訳でもない。
けれどもラヂオなどからこの透きとおるような Ave Maria が、不用意に流れてくると動作が止まってしまう。その時僕の中では必死にこの曲のタグについての定義を検索するのだが、いつも辿りつく前に曲が終わってしまう。薄くフェイドアウトされたその先にあるのはたぶん、ずっと以前の旧い感傷のようなものなのだろうけれど。
 

***

 

   

   

   

    

|

« オヤジさんのこと | トップページ | 標高1199m 兼続の見た光景 »

記憶のFilm」カテゴリの記事