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2011年11月の記事

2011年11月24日 (木)

雨ふりと 虹の情景

  

「 雨音の耳鳴りの中で目が覚めた月曜日の朝。
カーテンを引いて窓を開けると、通勤の車が轢いてゆく路面の水たまりの音や灰色のどんよりとした空に、気持が反射的に少しだけ沈んでしまう。けれども昔(若い頃)とは違いそのまま憂鬱な気分に陥ることはなくなっていた。
そんな休日は少しだけ沈んだ気持ちを乗せて、海底に向かって出発するガラスのエレベーターに乗るように・・・
目のさめるような明るいブルーから藍色へ、そして紺色から濃紺色へと美しいグラデーションの中をゆっくりと下りてゆくような感覚の中で、過去に起こったいろいろな事を思い出している事が多い。それらは必ずしも”後悔”とか”感傷”とかいうようなネガティブな感情ではない。
ずっと長い間取り出すこともなかった、忘れ去られていたような古いアルバムを開く時のようにとても穏やかで、静かな時間なのだ  」
  

< 雨の訪問者を聴きながら >

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雨の日の博物館。
ましてやこんな小さな街で、平日の来訪者はそれほど多くはない。以前から雨の日にと思っていたここのCaféで、僕はぶ厚いガラスにさえぎられた音のない雨粒の軌跡を眺めながら、この雨の日の文章を考えていた。帰りの道すがらこの傘にあたる雨音すらも、やがては愛おしくなってしまうであろう季節のうつろひの中にて。

     

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  < 雨の月曜日 伝国の杜にて >
山形県米沢市
   
   
 
 


< 雨濡れても  Andy Williams-ヴァージョン を聴きながら >

  

初冬の虹。
虹とは見た者を幸せにすると言う。この絵を見られた御諸兄にも素晴らしい幸せが訪れることを願いながら。

いつもの事なのだが、虹への距離感がどうしてもつかめない。
中央のベージュの建物は病院なのだが、そこから手前なのか、奥なのかすらも判らない。子供の頃ずっと虹を追いかけていた。虹は遠くから見るといつもきれいなのだけど、近づくと虹そのものは見えないし、その下は必ずひどい土砂降りと決まっていたのを覚えている。
     

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< 初冬の虹 >
山形県米沢市

 
これから僕の住む地方はときおり時雨れる時期を迎える。
晩秋の名残の冷たい雨と冬の使者である雪(みぞれ)とのせめぎ合いの季節だ。先ほどまでの暴風のような雨音の耳鳴りがふと途切れた事に気が付き、雨が止んだのかと窓を開けると北極圏にでも引っ越したような冷気が室内に流れ込み、あたりは一面の雪景色となっていたりする。
   

***

いつか見た海に降る雪・・・降り積もれない哀しさと、消え入る直前の一瞬のまばゆさをふと思いだしていた。

***

  
  

恐らく
ある種の不健全な心の持ち主でなければ
詩人にはなれないし
詩を楽しむことさえできない。


トーマス・マーキュリー


    

    

     

    

 

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2011年11月16日 (水)

標高1199m 兼続の見た光景

僕の住む小さな街には”兜山”と呼ばれている山がある。
この山はよく戦国時代に出てくる”兜”のような形をしていて、名前の由来にもなるほどと納得はしていた。けれどもこの山が僕の興味を惹いていた理由は他にあった。

その理由とは城下町であるこの街の都市構造だった。当時の城址大手門前通りとも言えるメインストリート(南北線なのでアベニューが正しいのだろうけれど)の延長上にこの山があることだった。ちょうどまっすぐな道路と街並みが続く約3,000mの直線道路の正面に、僕らを見下ろすようにどっしりと構えている独立峰なのである。

この事に気が付いたのは’80年のあたりだったように思う。この道路と山の位置関係について、とかく偶然と言うよりもなにか人為的な意図を感じていたのだった。よく見てみると山の中心線と、道路の中心線が少しズレているようにも見えていたのだが、実際に登ってみてこの山と道路の事実関係に驚く事になる。
それは山頂の木の高さにごまかされていたが、この山のピーク(一番高い頂上)は尾根の中心ではなく、向かって右側の急峻な尾根を登りきってすぐの場所、つまりこの道路のセンターラインの延長上にあったのだ。
 
    

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< 兜山という 原風景 since 1980頃 >
山形県米沢市

 
10年程前の事だっただろうか。
たまたま知人と山の話になった時に、”兜山”は直江兼続がこの上杉藩城下町の都市計画において、この盆地を一望できる場所として登った山だと聞いた。この盆地を一望できる山は他にも数多あるのだが、何故に?と疑問がわいた時に、この原風景が脳裏をよぎった。その日からだったような気がするのだ、僕がこの山に一度は登ってみたいという思いが湧いたのは。


ずっと昔のことになるが、僕は山をやっていた(山に登っていた)ころがあった。
そのころ身に付いたことなのだが、今でも山容をよく気に留めるのだ。それは山をやる者の必然的な機能(能力)として身に付けなければならないもので、特に目標物のない尾根の縦走などでは、その辺の手近なピークの山容を記憶しておき、その見え方がどう変わるかで自分の進路や位置、概ねの高度を知ることが出来るのだ。かくしてこの山容も僕の記憶の奥底のリストに眠っていた。

何日もかけて山路を縦走する北アルプスや、それでも最低2~3日を必要とする地元の飯豊・吾妻・朝日の各連峰などにくらべれば、登るのは造作もないことだろうと思いつつ、忙しさにかまけて(休日の天気もだが)山を下りてから20年、話を聞いてから10年と言う歳月が流れ、兜山を見てもそのピークに立ってみたいという思いすら薄れかけていた。


それが今年の春頃からだろうか、動機(理由)は僕自身よく解からないのだけれど、あの山からの景色をどうしても眺めてみたいという思いが再びフツフツと湧いてきたのだ。けれども春・夏共に空気の清澄度があまり良くなく、大気の澱みがちな眼下の街並みを見下ろすというシュチュエーションには相応しくない。
必然的にあの山をやるのは秋しかないという、僕の中での勝手なストーリーが出来上がっていた。

  

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< 400年前・兼続の見た風景 >

    
空間的に言えば、
通りの中心地点から南南西よりも少しだけ南寄りに約13kmの地点。標高差は市街地より約950メートル程高い所で、湿度が同じならば気温は約6℃程低い場所で・・・
地の利的に言えば、
同じ場所から鉄の馬を走らせること約30分、そこで馬を乗り捨てひたすら山を登る事1時間40分程の場所なのだ。

ようするに市街地からこの山を見上げて、その気があればジャスト130分でこの場所に立つことが出来る、現代ではそれほど遠い場所ではないということだった。(但し登山道は夏山という条件に限るのだが)
  

***

夏山と言えば・・・・・
左端遠方に見える、ロクに木も生えていな茶色の連峰が”朝日連峰”と呼ばれる山で、山頂までのアプローチが実に遠いので、東北のアルプスと言われる連山である。
さすがに今の時期は少し寒く感じる6℃低い風に吹かれながら、僕はそこを縦走中に凍死しかけた事を思い出していた。それは冬や春・秋の季節などではなく、夏も盛りの8月1日の暑い日の事だった。

山はその過酷な環境の中へ訪れる者達を、時にはその命と引き換えにと言う条件付きで、温かく迎え入れるのである。
(この場所は、凍死しかけた場所の標高よりもわずか600m程低いだけなのだ)

***

 

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< 兼続 アベニュー >

  
  
現在の米沢城址は本丸の部分しか現存してはいないが、城址を中心として防衛上の配置も勘案しながら、一番のメインストリートとなる大手門の前通りを彼はここから構想したのだろう。

新町名移行後もそのまま残っているこの大町通りは、米沢城大手門の前通りという意味と、代表的町という2つの意味を持っていたと聞いている。なんでも上杉時代は城下随一の問屋街としてにぎわい、豪商が店を構えていたらしい。 旧町名の、鍛冶町や銅屋町、木挽町や粡町(粡とは籾のこと)など、生活や武器の製造に密着していた町名が残っている僕の愛してやまない街なのだ。

この場所から眺めたアベニューは昼過ぎのいつもの日常光景、行きかう車で賑わっていた。
   

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山頂から約50分をかけて下りてきた僕は、もう一年分のエクササイズをやり終えたような気分だった。肉体的には最近体験したことのない充足感すらあった。予定になかったことだが、帰りは山頂から見えた温泉街に鉄の馬の手綱が向いていた。その温泉は小野小町が開湯したと伝説が残る、この街の奥座敷を言われる温泉街である。
1,200年の長い伝統があり、全国トップクラスのラジューム含有量を誇っているのだが、僕は連休明けの頃から10月頃まで足が遠のいてしまう。その訳は泉質がひどく温まる泉質なのだ。特に真夏などにのんびりと浴ってしまえば、30分以上も汗が引かなくて後悔してしまう程に。
   

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登山道を下りながら僕はある事を思っていた。
むかし山をやっていたころはそれなりに体を鍛えていたものだが、それが今では特に運動という習慣がなくなっていた。たまに岳人となるのもいつも鉄の馬を従えてのことで、そこから歩いてもせいぜい10~20分のハイキング程度なのだ。それがいきなり標高差約1,500メートルの急峻な山を登り下って、どの程度のダメージが襲ってくるのだろうかと言う事だった。

次の日は疲労感は少し残るが、その翌日もわりと平気で、気分的に若返ったと錯覚する中で、きっと50%はあの温泉の有難い御利益に違いない・・・と油断した僕を3日後の午後に襲ったのはかなりのタイムラグをもったあのまぎれもない筋肉痛だった。
階段を後ろ向きに降りなければならないひどい筋肉痛はその後、3日程続いたのだった。

   
    
    
    

   
   
   
  

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2011年11月 7日 (月)

音楽といふ記憶について

   

世の中の歌というものは形はさまざまではあるけれど、なんらかの愛を詠ったものがほとんどだ。(クラシックはまた別なのだが)
あのオペラ座の怪人ですらそうである。その根底にあるものは人間愛なのだと思うし、もっと広義に言えば人類愛とでもいえるのだろうか。そこからいろいろな形の愛が派生し、その物語の数だけ抒情的に歌われ続けてゆくのだろう。常々からそう思っている僕の偏見からかも知れないけれど、たとえば料理の美味しさを讃える歌や、株で大損をした事を嘆く歌などは本当はあるのかも知れないが、いままで聞いたことがない。
やはり根底は愛なのだ。
  

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たとえば本を読むという行為は、目で活字を拾ってゆくという作業を強要されるものだ。
絵や写真、テレビや映画を鑑賞するのでも、それなりの環境に自分をおいてやらなくてはならない。それに比べると音楽は、聴く側で何の努力もなしに自然と耳から入ってくるのだ。少しおおげさな表現かもしれないけれど、自分の何かが渇望していた曲や、何かしら感傷のタグが付いている曲などは僕の場合、耳から入るというよりも鳥肌のたった皮膚の毛穴からいきなり体内に沁みこんでくるような感覚がある。
 

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以前 "Reunion (再会)"  で記した(義)従兄自慢のリスニングルームで聴いていた、これは確か70年代のアルバムだったと思う。冒頭のなんとも物悲しいピアノの旋律。背後からは闇のように微かに響くチェロかバスの低い音色は、半地下に造られたリスニングルームの薄暗さを、
少年だった僕の心に余計に強く印象付けていた。
当時僕はスペインという国がどこにあるのかも知る事もなく、この宙に浮く半分だけ赤い羽根のジャケットを不思議な感覚でながめていたものだ。今になって聴き返してみるとそれはきっと夜明け前の情景であり、その後の旋律ではアンダルシア地方のそう、蒼い地中海のイメージが湧いてくるのだった。

< Spain を聴きながら >

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僕は写真や絵を見て泪を流した覚えはないし、本を読んで泣いたのは子供の頃だけだった。それなのに、この齢になって一人音楽を聴いていると、切なくて目がしらがうるんで来る事がよくある。それが若い時はあまりなかったということは、どうもそれなりの歳を経てくるとしょうもないメロドラマに涙腺が少し弛んだりする事と同じなのかも知れない。その原因的なソースは、僕自身それは情景だと信じてやまないヴォーカルが歌った一遍の歌詞だったり、ひと小節の楽曲の旋律だったりするのだ。

少なくとも僕の場合は歌詞とはメロディーと共に。楽曲の旋律は何かしらの情景とともに心に刻まれるもののようだ。
そしてその旋律と共に保存されている情景はいつも無意識のうちにヴァージョンアップされていくものが多い。
1回目の成人式の頃などは、ほとんどクラッシックなどの楽曲を聴くことがなかったし、たまに耳にしても浮かんでくるのは学校の音楽室で、それこそ手の届かない程の高い場所にズラッと貼ってあった、有名な作曲家たちの肖像画だけだった。
それが2度目の成人式のあたりからだろうか、目の前に豊かな情景が浮かぶようになってきていた。これが気の遠くなる長い年月を経ても人々に聴き継がれ、弾(演)き継がれてゆくクラシックの実力なのだろう。

 

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< 立冬 ・ 51.6m先からの反射光 >
山形県 山形市

   

音楽の記憶とは実におもしろいものだと思う。
それは僕にとっては実体(表しようのない)のない感覚的な記憶なのだ。きっと誰にでもある事なのだろうけれども、ある歌(楽曲)が毛穴から沁み込んできた時に、それがあたかもマウスでクリックするかのように僕の脳内奥深くにある関連付けられた記憶を起動する。それは単なる情景であったり、匂い(かをり)だったり、その両方の時もあるし、気温や味覚、もっと言えば感触のようなものすら伴っている時もある。
ただ起動されたもの自体が、現実の絵や香水といった鮮明なものではなく、僕にとってはこの反射光のように、やもするとこのまま永久に消えてしまいそうなほど希薄で頼りないものなのだ。

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< Ave Maria   Hayley version を聴きながら >

  

僕はクリスチャンでもないし、Hayley のファンでもない。ましてやソプラノが特に好きな訳でもない。
けれどもラヂオなどからこの透きとおるような Ave Maria が、不用意に流れてくると動作が止まってしまう。その時僕の中では必死にこの曲のタグについての定義を検索するのだが、いつも辿りつく前に曲が終わってしまう。薄くフェイドアウトされたその先にあるのはたぶん、ずっと以前の旧い感傷のようなものなのだろうけれど。
 

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