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2011年10月24日 (月)

スピリット アンセム spirit anthem (2/2) 

    

自分の考えていなかった環境へ足を踏み入れるには、ほとんどの場合誰か媒体が必要なものだ。
けれども僕の場合はそうではなかった。転職と言えば聞こえがいいが、会社のマネジメントという組織からしっぽを巻いて逃げだしたのだから。半分現実逃避というのが真実だったのだろうし、サラリーマンという職種に戻るつもりはもうとうなかった。

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単なる思いつきで選んだのが、現在と類似した仕事だった。
例えば同じ一つの物事でも、人が違えば仕上がりが違うように、どんな世界にでもランクのようなものは必ず存在する。同じカテゴリの中での
まぎれもないその事実を、ある出来事で体感した僕は、思いつきで自ら選び学んできたものを、何の躊躇もなく捨ててしまった。レベルの違いをまざまざと見せつけたその人物こそ、現在のBossである。
2~3年程経った時だっただろうか、その事について想う機会があった。
それは僕自身にとっては今までのこれらの出来事が、”それ”と出逢うための単なるプロセスであったような気がしていた。
   

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1110041

< Road 2/2 成長・・・越して行く時 >
福島県北塩原村

   
  
自分の環境を変える。
それはものすごいエネルギー(体力)が必要な事だ。ある意味ギリギリまで自分を追い込む、ストイックな精神状態を要求されるシーンだってきっとあったことだろう。そんな中でいろいろ模索したり悩んだりとしている中、時間だけがその葛藤などに引っかかる事なく、ただ、唯、サラサラと流れていくのだ。
人生・・・ムダな事はないと、良く聞はなしである。
若い頃はその歯がゆさばかりが記憶に残ったものだが、最近少しオトナになれたのだろうか、その意味が少しずつであるが理解の範疇に入って来たような気がする。それはきっとそのために何かに費やす時間だったり(たとえ徒労に終わったとしても)、人やモノとの新たな出会いも、もちろん含まれることだろう。僕自身、今の仕事に就くまでは随分と遠まわりしたように感じるのだけれども、けっしてそうではなかったのだと今しみじみと想っている。
昔、我を忘れるぐらいに夢中になったもの。
けれども今は遠ざかったものの数々。それはきっと自分が変わった事も確かにいがめないのだが、なによりも自身の生活環境(様式)が変わったのも大きな要因の一つのような気がするのだ。けれどそれに費やした時間や、そこから得たスピリッツはけっして遠くの大河に流れ去ったものではなく、自分の中に脈々と息づいている。そとからは見えない自分の幅(広さ)となって。
   
   

1110043

好きな言葉に 『一意専心』 というのがある。
僕自身がそれを実践できているのか、否かという問題は別なのだが。すごく遠くに住む知人にそれをきちんと実践している人がいる。それがどれだけ素晴らしい事であるか、そして尊い事であるかを僕は知っている。風見鶏のように時節の風に惑わされず、初心一徹、一心に一つの道を極めている人だ。それも自分の為ではなく客人の為にである。
時のニーズを常に感じながら、一つの基本軸を曲げる事なく、常にベストなサービスを提供し続けてくれることだろう。


1110042

< 光る湖面 動と静 >
福島県北塩原村

   
   
サラリーマンという生活を辞して、それからこのLogを書き始め、最近気が付いた事があった。
人の周りというものは、その人と同じ種類の人間が集まるようになっているのではないのだろうかという事だ。上手く表現できないのだけれども、ちょうど嗅覚みたいなもで互いに引き寄せられるようにして寄ってくるような感覚なのだろうか。
そして付き合っていた(関わっていた)期間の長さとかには全く関係なく、その人達は ”密度の濃い何か” を僕に残して去っていった。
その数は自分で考えているよりもずっと多いのだろうと思うし、日常では思い出す事はあまりないのだけれど、彼らが残して行った密度の蓄積がきっと、今の自分なのかもしれないとこの頃思うのだった。

  

< ジムノペティー 第一番 を聴きながら >
  
     

昨日まで持っていた夢と
明日から持つであろう思い出を
足したものの総計が
今日という日なのだよ

ウィリアム・シュービン

  

  

  

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