« は く ろ の頃  (1/2) | トップページ | カヲル 水 (Flavor water) »

2011年9月 9日 (金)

は く ろ の頃  (2/2)

  

最近、日がだいぶ短くなった事に気が付く。
白露と言えば立秋とは違い、現実的な秋の入り口と言うイメージが色濃い。それはちょうど冬から春、春から夏へと、少しずつ上がってきた水銀柱が降下し始める時期なのだ。過ぎてしまった夏と、始まったばかりの秋の狭間で、幾許かのもの悲しさを感じてしまうのはたぶん僕だけではないだろう。そしてうるさいほど鳴いていたセミの声も聞こえなくなり、これから日々日焼けの跡も薄れてゆくことだろう。

腕の間をくぐりぬける乾いた風の中、遠くに山と湖を眺めながら、僕はいろいろな事を思い出していた。
   

11090301

< 初秋の高原 >
福島県郡山市湖南町

  

今年の春ごろからだろうか、青空の好みが変わってきていた。
それは何故なのだろうか、自分でもまだはっきりとは判らないのだけれども、以前は雲ひとつない無垢の青空がたまらなく好きだったのを覚えている。けれどそのあたりからそんな青空を眺めていると、掴みどころのない一種の淋しさみたいな感覚を覚えるようになっていた。

いつか記した、魚の目に水見えず 人の目に空見えず という言葉が沁み込んできたのは、確かその頃だったような記憶がある。
これは僕の心の中(心象風景)の問題なのだが、快晴のそらはただただ蒼く清々しいだけで、とてつもなく遠いのか、それとも意外と近いのか、そこまでの距離感が全く掴めないことに気がついたのかも知れない。
それからの僕が渇望していたのは、きっとそらに対する距離感なのかも知れないと思っている。いまでは青空の中に適度に雲が浮かんでいた方が、今の僕にとってはちょうど良いのだ。

***

これからは一年で空気清澄度の一番高い時期を迎える。
今までの同じ晴れでも空の青さ、雲の白さがのコントラストが際立つようになる。そして遠景の山々までスッキリと見渡せるようになるのだ。
僕にとってはいきなり視力が2段階くらい良くなったのか、それとも遠景の山々がすこし近くに引っ越してきたのかと錯覚する程なのだ。

11090302

< ラヴ・ストーリー's >

   
澄み渡ってきた秋の空気の中、あと3日程で中秋の名月を迎える。
この旧8月15日に月を愛でるというのは古来からの習慣であるのは誰もが知っている通りである。また無機質な天文学的な話になるが、北半球では月と太陽の角度が丁度見上げるのに適当な高さとなり、月が明るく見えるいわば観月の適した日(月)なのだった。それを経験などから導き出し、年中のどの満月も並ぶ事の出来ない名月だと称していた、昔人の感性とはまたすばらしいものだ。
  
  

月月に月見る月は多けれど 月見る月はこの月の月  (詠み人知らず)
  
  
***

   
この道はいったいどこまで続くのだろう。
白い道標が立ち並ぶ細い道を歩いてみる。まるであてのない散歩のように、坂を下った交差点で立ち止まり再び考える。まっすぐ進もうか、
それともどちらかに曲がってしまおうかと。

11090303

< 遠い道程 >

    
    
たぶん、雲ひとつない無垢の青空だったら、距離感が掴めずにきっとどちらかに曲がってしまったような気がする。
けれども、そらにくもが浮かぶこんな日はまっすぐに進む事にしよう。少し上りの道になりそうだけれど、その上り切った先に見えるであろう、
何かを見てみたいが為に。
   
     

開放的でめくるめく行動の季節が過ぎ、これから澄んだ空気の中で、人にとっての”想う季節”の始まりである。
   

< SEPTEMBER SONG を聴きながら >

 

 

 

   

   

|

« は く ろ の頃  (1/2) | トップページ | カヲル 水 (Flavor water) »

seasons (季節)」カテゴリの記事