« まるで 昨日のことのやうに (Ⅲ) | トップページ | は く ろ の頃  (2/2) »

2011年9月 7日 (水)

は く ろ の頃  (1/2)

  

この時期、高原を渡る風には真夏のように、纏わりつくような湿気と温度を感じる事はない。
ちょうどベビーパウダーをはたいた皮膚の上を、風(空気)が滑らかに流れていく感覚のようだ。この高原は2年越しの悲恋が昨年5月にようやく叶った、お気に入りの場所の一つなのだ。"書斎"から鉄の馬でほんの2時間程の場所なのだが、この季節に訪れたのは初めての事だった。
  
昨年の狂ったような暑さと違い、ようやく朝露が見られる気候へと、今年は順調に季節が進んでいるようだ。
明け方に宿り、日が射すとたちまち消えてしまうこの時期の朝露は、昔から「儚いもの」のたとえに使われてきたように、注意深く見ないとやはり気がつかないほどに、はかないものだ。

  

11090201

< 高原の旬 >
福島県郡山市湖南町

 
  
標高約1,000mのこの高原に野菜畑があるというのは、昨年の早春(まだ通行止めの時)に地元の人から聞いたのだが、実際に目にするのは初めての事でだった。そういえば、親切にこの高原の事を教えてくれて、高原野菜市にでもまた来てと言ってくれた、その人との再会もまだ果たせていないままなのを思い出した。

***

この冷涼な気候の中、これから旬を迎えるキャベツや大根などの高原野菜がたくさん育っていた。
僕の住む地方の年配の人はキャベツの事を、親しみをこめて「玉菜」と呼ぶ。全く知らない人でもニュアンス的に十分連想できる、実に上手い表現だと僕は思っている。そうなのだ、言いかえればここは、玉菜と大根の畑なのだ。
僕の愛する年配のご諸兄方の会話はたぶん・・・こうなるのだ。
     「ほんがな広いはだげさ、なに植わってだごどや?』  (そんな広い畑に何が植えてあったのか?)
     「なぁに、玉菜とだいごんだ」  (あぁ、キャベツと大根だ)


そしてなによりも、聞きなれているせいなのかキャベツの千切りというよりも、(玉菜を刻んで)の方がしっくりと耳に入ってくるのだった。


11090202

< 白露の候・愛でる季節の花 >

  
  
最近よわいのせいか野菜がすごく美味しく感じるようになったし、好んで食べるようになっていた。
そういえば昨年の夏に、新潟県五泉市で透明感のある、ものすごく美味しい夏野菜(ピーマン)と出逢ったことを思いだした。 詳細は     natu色ベジタブル&ラテ・カフェ debut! に記したとおりである。これから秋が深まると根菜が実に美味しい季節を迎える。今年こそ、その店に行けばきっと美味しい蕪や芋にめぐり合えるのかもしれない。    だだ月曜が定休日だったような・・・


11090203

< 遅咲きのラベンダーと尾花 >

 
小さい秋、ちいさいあき、小さい秋みぃ~つけた。
僕の住む地方ではお盆も過ぎるあたりから、ススキの穂が開きはじめる。子供の頃から僕にとってこの小さい秋とは、他でもないこのススキの事だった。穂が出たばかり、少し赤みがかって陽光にキラキラ輝く時期。少しづつ綿毛に変わり始め、動物の尻尾のようにふゎっと柔らかそうな穂が風になびき。強さを増してきた北風に綿毛がさらわれて、小さな箒だけが残る頃には冷たい雨の中に白いものがまじり始める。



春の七草。
それらは食べて愉しむ野草だった。けれども秋の七草は眺めて愛でるもののようである。考えてみれば、どれも食べられそうにないものばかりなのだから。
  
 

(続く)

  

   
   
     

|

« まるで 昨日のことのやうに (Ⅲ) | トップページ | は く ろ の頃  (2/2) »

seasons (季節)」カテゴリの記事