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2011年7月11日 (月)

だいぶ早い つゆ明け

 

今日7月11日、僕の住む東北地方につゆ明けの発表があった。
つゆ入りの日もろくに覚えてもいないくせに、この日は小学生の夏休みのような、わくわくする解放感のような感覚はいまでもあるのだった。暑いのはあまり得意ではないというのは、以前記した通りなのだが、季節が進むと言う意味合いでは、メリハリがあっていいものなのだろう。見上げた太陽の周りにハレーションを感じる程、真夏のような日差しの中だった。蝉が鳴いていてもおかしくない気温の中、その報道があったころ僕はゆり小路の中に居た。

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< 夏 初日 ゆりの小路 >
山形県飯豊町

 
 

ここのところ休日は雑用に追われて、どこにも出かけられないでいた。
そんな僕をこの場所へ誘ってくれたのは、何気なく耳に入ってきたFMラヂオだった。春に隣町の公園を訪ねてから、自分でもその理由は良く分からないのだけれど、花という言葉や絵に反応するようになっていた。
このゆり園は”書斎”から30~40分程の所だろうか、以外と近いのに初めて訪れる場所だった。何かのついでになら別だが、わざわざゆりを見に行ったと言えば、僕をよく知る人はきっと大笑いすることだろう。
ゆりと言えばカサブランカのような芳香が漂い、優雅なイメージがあったのだった。けれども、ここのはかをりよりも、様々な色彩のゆり達が夏の日に美しく揺れていた。



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< 陽光の中にて >

  
  
そこにはゆりと紫陽花が同時に咲いていた。確かに紫陽花は雨の中もしくは曇天が似合う花なのだろう、しかし一方のゆりは確か種類によってかなり開花時期が異なり、6月から9月頃まで咲いていると以前知人に聞いた記憶がある。

涼しい木陰に紫陽花が咲いていた。奥には水路の小滝があり、夏の光がキラキラと輝いていて爽やかな場所だった。雨がよく似合う紫陽花の肩をもてば、突然のにわか雨あがり、日差しが息を吹き返した夏の日の光景としよう。

 
 

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< ゆりと紫陽花 >

 
ふと見上げた空には入道雲があった。
まだつゆが明けたのを知らない僕はこの空を見て、もう夏かも知れないと思っていた。けれども何気に見上げたこの空こそが、太平洋高気圧の運んできた、2011-初めての夏ぞらなのだった。

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< blue++ 2011 >
 
 

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奇しくもつゆ明けの今日で震災から4ヵ月が過ぎた。
今でもあの悪夢の光景を思い出すと、締め付けられるような強い心の傷みを感じる。けれども悠久に流れる時間は、すべての人々を包み込むように、確実に季節を二つ進めた。皆に記憶となった時間からの歩みを促すように。

当時仙台のDate-FMでは、視聴者からの家族や友人知人の安否に関するメッセージをずっと流していた。個人の名前や、連絡先の電話番号など悲痛なメッセージがずっと流れる中、いまでも時々思い出す印象深いメッセージがあった。
それは 『被災されなかった方々はどうか普通の生活を続けてください』 というものだった。それを聞いた時は僕にはその意味がよく解からなかった。でも彼は知っていたのだった、自粛というものがもたらす、復興を妨げる経済の停滞を。

いまはただ、被害を受けた地域の一日も早い日常生活の回復と、神の火を弄んでしまった愚かな人たち、そしてその火伏せに携わる現場関係者の、命がけの努力に
一刻も早い、ご加護があらん事をただ、ただ祈るばかりである。

これからもこのつゆ明けの青いそらを眺め続ける、子供たちの為に・・・・・                               筆者(記)
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