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2011年7月24日 (日)

知らない街を歩いてみたい

  

僕は初めて訪れた街の路地を歩いてみるのが大好きだ。
それを単に好奇心というのかは、よく解からないないけれども。通り(Street)と言うステージには、もちろん普段見慣れたものが沢山あるのだが、その中でも僕との邂逅を待っていてくれた光景やモノ、人にめぐり合うのがすごく楽しいのだった。

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< かをりたつ昭和の匂い >
福島県会津若松市

  
 
こんな視点の変化に気付いたのは、もう10年以上も前の事だったのだろうか。
それは社用車の突然なるトラブルで、歩いて(25分程度だが)出社する事態が生じたときだった。車ではほんの5~6分程の距離だったのだが、そこを歩いてみる事によって、五感から入ってくる情報は数倍、いや数十倍を超えているのかもしれないことに気がついたのだった。いままではとうてい気付く事すらなかった通り過ぎる家々の小さな花々、空の雲のうつろひなど実に新鮮に感じたものだった。
それから僕は車での通勤をやめてしまった。四季おりおりの変化を風の匂いで感じながら、さらにいろんな考え事も出来るおまけすらもついていた。当然出社後の社用は全て車での移動であり、当時”書斎”などもっていなかった僕にとっては実に良い時間なのだった。
  

***

  
いつもの事だが、知らない街を歩いていて角にくるたび、そこを曲がるかまっすぐ進むか迷う。
十字路だったなら、直進のフィーリングは当然そこに至る途中の掴んでいる訳で、後は左右の選択肢を加えるだけなのだけれど。角を曲がってみようと決めたときは、もしその先に何もなければ(興味を惹くものが)またここへ帰ってくればいいと思って曲がるのだった。そして二度と戻らないこともあったし、またそこに戻ってくることもあった。なんとなく人の人生に似ているような気がするのだった。
  

***

春に訪れた街をしばらく歩いていると、カフェの中にバスがいた。
僕の住む街では見たこともない、それはとても不思議な空間だった。遠目には大きな硝子引戸の、小ジャレた車庫かなんかだと思って歩いていたのだが、なんとそこはCaféだった。その店の名前はまったくそのままで、このようななんとも素敵な店を作ってしまったオーナーの洒落?のセンスには、はなはだ感心した。

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< バスと相席のCafé >

  
平成に入って、PCの普及が進むとめっきり見かけなくなったタイプライターと偶然出逢った。
ボタンの配列はキーボードと同じというか、キーボードの方がタイプの配列を踏襲したと言うのが正確な表現だろう。スペルさえ判ればなんとか使えそうな気がするのだった。今はワープロで整えられたフォントがプリンターで高速に印字される時代である。 

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< 偶然の出逢い Ⅰ タイプライター >

こんな時代だからこそ、あちこち少しだけ版が欠けた部分のある文字が、味があって再び見直されていると知人から聞いた事がある。
近年顧客コードと思しき数列と、住所氏名がプリントされたラベルが張りつけられただけの年賀状が届いたりする。そんなハガキの裏面は、見るまでもなく大かた想像がつくので今ではほとんど見ることもなくなってしまった。けれどもこの手のハガキは結構お年玉が当たっていることが多いので、侮れない存在ではあるのだが。

英語はアルファベット26文字の所在さえ把握すれば何とか使えるのだが、以前たまに自分で打たなければならない事態が起きたりする和文タイプには、さすがの僕も閉口した。四角いカーソルの下には約2,200文字を優に超える漢字や記号が音読みだか訓読みだか忘れてしまったが、その何れかの順序で並んでいた。それは単漢字自体の規定の読み方を知らなければ、その文字を探す事すらお手上げなのである。
それを四角いカーソル(照準器)で『ガチャッ・ガチャッ・ガチャッ』と文字を絶え間なく狙い撃ちをする、本日お休みの経理担当の女の子には敬意を表さねばならないと思っていたのだった。
そうしてみるとMacやLinaxのオーナーであるご諸兄には恐縮であるが、今のIMEパットなどは素晴らしい発想なのだとつくづく感心してしまう。
  

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< 偶然の出逢い Ⅱ チェックライター >

となりのチェックライターもずいぶん旧式だが、永く使い込まれ、それ自体が放つ渋さ(美しさ)があった。
遠い昔に見た古い映画のワンシーンで、買い物や食事の決済に小切手にペンでサラサラと金額とサインをしてチェックを済せる、実にスマートなシーンに憧れた事がある。でも当座預金口座が日本では個人の開設が難しい事を知ったのは会社員になってからの事だった。
そう言えば手形割引の看板もあまり見かけなくなってしまった昨今、小切手は今も決済手段として健在なのだろうかとフト想う。現在は振り込みや、口座自動引き落としなどの仕組みが充実しているので、それほど活躍の場は多くはないような気がするのだが。

 
また少し歩くと、こんな風景と出合った。
自分の住んでいる街で同じような光景を見ても、きっと見過ごしてしまうのだろう。けれども知らない街のひとり彷徨人になると、僕は妙にセンチメンタリティーな目で風景を見るらしく、このような何気ない光景にふと心が留ったりするのだった。

それはまさに大正を彷彿とさせる重厚な造りの建物だった。そしてはめ込まれていたのは時間を逆転して開く二つの扉なのだった。それらをずっと眺めている信号機と電線が、ごくごく、ありふれたこの辺りの日常生活(平和)の様に見えた。


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< 二つの扉とごくありふれた日常 >
  
  
     
  
  
  
< 遠くへ行きたい > を聴きながら

こんな街には昔の抒情歌もよく似合う。





  
  
  

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