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2011年7月18日 (月)

期せずしておとずれた神隠しと 仕事の姿勢

 

どんな店、道路、交差点でも人通りが途切れる瞬間は必ずあるものらしい。
以前、浅草浅草寺の人っ子一人居ない(けれども、出店には普通に店の人がいる)白昼の光景を切り取った写真家の手記を読んだことがあった。待ってさえいれば、街中で人や車が途切れる瞬間は必ず訪れるものだと・・・
そう言われてみればそれに近いシュチュエーションは何度かお目にかかった事がある。
まるで早朝のような繁華街の大通りとか、商店街とかだった。けれどもすぐにそれらは、偶然の神隠しから解放された人々や車によって、ごくごく普通の街並みが戻るのだった。 
 

***

 
この美術館はエジプト展という特別企画展の最中だった。
駐車場も空き待ちの行列が出来るほどの盛況な混雑の中、ロビーもエントランスも人でごったがえしていた。僕はまぁ、時間があれば程度の感覚で緩やかなスロープを上って2Fの常設展示室へと向かった。
外に出て下をのぞくと、先ほどよりは少し人が少なくなっているような気がしたが、本当に偶然の神隠しとは起こるのだろうかと考えていた。

  

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< ワーキングシーン Ⅰ >
福島県福島市

 

日曜日のお昼前の企画展。この混雑のなか人が途切れる事などは、とうていないだろうと思っていた。でも15分ぐらいなら人間観察の時間としてもいいのだろうと、老若男女いろんな人が出入りする1階を眺めていた。

幸運にもそれは9分後に訪れた。ほんの10秒程度だろうか、人が視界から消えたのだ。
あっと 思ってシャッターを押し込んだのだが、その時エントランスの外にも、特別展の会場にも人はたくさん居た。けれども、その出入りが完全に途絶える僅かな時間というものは、実際に存在したのだ。例えはあまり良くないけれど、白昼繁華街での犯罪目撃者がいなかったりするのは、こんな事と人々の視線の注意が生み出した偶然なのだろうか。
  

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< ワーキングシーン Ⅱ >

 
 
RAW現像の時にこの学芸員の女性に気がついた。
僕も出入りする人々にしか、注意が向いていなかったのだろう。ほんの少しの隙にも仕事に対するスタンスがおのずと現れるものである。

人が途切れたほんの僅かなこの時間にも、きちんと姿勢を正した彼女の注意は、右手前方のエントランスに向いていた。
これが仕事というものに対する本来のスタンスなのだが、いわゆる『いまどき』は全てがそうでもないことを何度か見てきた。彼女は昔はごく普通なのだっただろけれど、いまでは間違いなくとびきり優秀な学芸員なのである。


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< Green grassのオブジェ >
福島県立美術館 蔵

 
 
まったく関係のない話であるが、学生時代は国語が実に嫌いだった。
何故かと言えば、日本語独特の美しさと言おうか、言い廻し(正解)がたくさんあるからだった。要するに『ものは言いよう』のようである。その点大好きな理数系は、全て数式で表せるので単純明快、答えは一つしか存在しない。それが潔く好きだったのだがそれ故に、僕は人間関係で苦労する事が多い宿命なのかも知れない。 

***

何故こんな事を書いたかと言えば、ふと近年足を運ぶ事のなくなったファミレスでのやり取りを思い出したのだった。
店内に足を踏み入れると、まるで5chサラウンドのようにあらゆる方向から飛んでくる『いらっしゃいませ、お客様』の声。そして発生源の視線も同じようにあらゆる方向を向いていて、妙に滑稽に思えたものだった。
それはもはや客を歓迎する挨拶の域ではなく、単なるチームの来客合図の掛け声にしか聞こえなかったのは僕だけかもしれないのだけれど。

中年になってから、嫌いな筈だった国語(日本語)に対して、妙に違和感を覚える時期があった。オーダーの確認時
『・・・と・・・と・・・ですね、以上でご注文はよろしかったでしょうか?』と言われると、僕は『はい、よろしかったです』と答えた事がある。
少し嫌みなこの返事は、マニュアル通りの応対をした彼女にも、変な日本語を使う客と映ってくれたのかは解からないけれど・・・
そして、料理を運んできた別のスタッフからでる言葉も『失礼します。こちらが御注文の・・・になります』だった。


嗚呼、こと最近は美しい大和言葉(日本語)にはめったに会えなくなってしまったようだ。

  
  
  

  
    
 

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