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2011年7月 5日 (火)

魅かれる うつわ

 

連休に読んだJ.Tanizaki氏著の『inei_raisan』
僕にとってはよほど印象に残ってしまったのだろう、あれから翳というものをずいぶんと注意深く眺めるようになっていた。ほぼモノクロに近い翳の諧調は、墨を一滴コップに落としたような極々薄いものから、漆黒の直前の暗さまで、ものすごい幅があるものだと気が付いた。著のなかで
”明暗。暗は明るいの反対であるが、闇ではない” と述べているように、まさに闇の直前まで翳の諧調が続いているのだ。
   

***

    
そんな事があって、僕の頭の中には『翳』というキーワードが出来ていたのかもしれない。
先の休日も”書斎”にてアイラモルトを片手に、絵の倉庫で探し物をしていた。いままで何度となく通り過ぎていた小さなサムネールの上でマウスが止り、次の瞬間はっと胸が騒ぐ事がある。クリックしてモニターに大きく映し出された絵を眺める。泥濘の中に小さな宝石を見つけだしたような、幸せな気分になるのはそんな時だ。
  
   

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< ワイルド・ストロベリー Ⅰ >
山形県米沢市

  
  
少し見やすいように翳と思しき部分をほんの少し強調して仕上げたが、実際にはもっと淡く繊細な紋様なのである。
この淡く描かれた翳がなければごく普通の華やかな皿なのだろうし、魅かれる事もなかったのだろう。人間というのは感情の動物と言われるだけあって、ものを見た印象はその時の気分で大きく左右されるのかもしれない。

楽しい時や、また誰かと過ごす時にこの皿は、華やいだ中にもけっしてそれらを邪魔しない薄い色合いで、大人らしい落ちつきのある悦びの時間を、演出してくれるのだろう。

華やかだけのうつわならば気分が滅入っている時や、寂しい時、悲しい時はあまり顔を合わせたくないものである。
でもこれならばそんな時も、ちゃんと付き合ってくれそうな気がした。この翳が気持ちを共有すべく語りかけてくるのは、そんな時に必要な落ちつきであったり・薄氷のような寂しさを分かち合ったり・それとなく遠い過去から持ち出された、寂寥のほのかなかをりもしそうな気がするのだった。


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< ワイルド・ストロベリー Ⅱ >
  
 
   
   
この絵皿とペアのカップも、持つ人だけに見えるように施された淡い翳という計算された美しさを持っていた。
注がれたコーヒーから最初は半分ほど顔を覗かせて、
存在をさりげなく伝えるこの演出もいいものだろう。

そんな演出と一緒に愉しむ、この皿にお誂え向きな一品は果たして何だろう・・・・・と考えていた。
   
   
***
   
  

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< ペアのカップ >

 
最近ペアのお客さんが増えたからだろうか、棚にはこんなカップが多くなったような気がする。”春色の会話”のカップもステキだったが、これも実に良い雰囲気だと思う。これを供されるお二人にはあまり関係ない事かも知れないのだけれど。
   
以前友人に、  こういう小品の切り撮り方はいわずもがな、遠目でみてもすぐ判る。   といったニュアンスの事を言われた事があった。
良いにしろ、悪いにしろ、個性とは大事なものである・・・・・・と嘯いてはみたものの
  
 
それらはいつも個性とは程遠い、単なる思いつきなのだった。

 

 

 

    

   

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