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2011年7月の記事

2011年7月30日 (土)

7月の夕立・美術館・そしてヨウスイ

 

それは夕立特有の短時間なのだけれども、激しい雨だった。
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< 夕立の借景 >
福島県北塩原村

 

 
水無月最後の休日、僕はお目当てのコレクション展が開催されている、とある美術館の中にいた。  
そろそろ戻ろうかと思い、特別展示室を出ると外はすごい雨だった。けれども突風の類は吹くことがなく、周囲の景色も煙る事はなかった。
この美術館は一般駐車場までは150メートル程歩かなければならない。駐車場までの貸し傘はあるのだが、なんとなく戻しに来るのも面倒のような気がした。その時僕は珈琲のかをりの中、池のみなもにおちる雨粒を眺める事の出来る、このMuseum・Caféで晴れ間を待とうと決めた。
比較的人が混んでいない平日の地方美術館ならでは選択肢なのだ。

カップには Dalí の『うちゅうぞう』がプリントされて、美術館の雰囲気に十分浸ることが出来る。残念ながらその時間は裏磐梯こそ見えなかったが、大きな四角いソファにゆったりと包まれながら、まさに雨の借景を堪能できた時間だった。

   

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この美術館を訪れるのは2度目になる。
Café も新しくリニューアルされたようだ。前回は時間があまりなく、半分駆け足で出入りした記憶があった。そのとき思ったのはやはり美術館とは、何かの娯楽場のように時間の隙間に訪れる場所ではないと言う事だった。自分の中でもその環境に入ってゆくそれなりの準備が必要なのだ。当時流行りの印象派とは全く違うカテゴリで作品を作ったこの巨匠は、あえて僕なりに言えば抽象派とでも言うのだろうか。その辺の評価は美術評論家にでも任せておくとして。

今回も作品を見ていて、ふとヨウスイの曲が浮かんだ。
巨匠とヨウスイ。
僕の中での共通点・・・・・それは [最初は奇妙] とでもいうのだろうか。初めは意味が良く解からないのだが、見て (聴いて) いるうちにスッと心 (それもかなり深い部分) に入ってきて、それぞれが意図した印象を残していくことだった。
  
  
  

< リバーサイドホテルを聴きながら >

  
歳を重ねる事によって醸される味も、実にいいものだと最近思う。
若い頃の彼もいいのだが、ことさら還暦を過ぎて深さというか、奥行きが出てきたように思える。僕の第二の人生の期限はいつまでなのだか分からないけれども、彼のように味(風味)のある齢(よわひ)を重ねていけたらと思うのだった。
   

***

   
ここには音声ガイドが備えられていた。
台数に限りがあると案内には記されているが、確か15台程はあったような気がする。イヤホンを右耳に掛ければ、自分専属の学芸員が付いてくれたような気分で、作品の解説を聴くことができる。ご諸兄方も何かの折に来館された時は、無料なので是非とも活用頂きたい。

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< 2011-07 の追想 >

  
なんでもこの水連は今年初めて花をつけたらしい。
雨粒で少しとりみだしているみなもをボンヤリ眺めていた。珈琲のかをりの中で何故か心の中に浮かんで来たのは、陽炎の中で永遠に続くような、少年の頃の夏休みだった。



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< 遠い夏休みの小川 >

  
  
朝から真夏の空が広がり、真っ黒日焼けして遊びに興じたものだった。
河での水浴びや、カブトムシやクワガタを捕まえたり。そういえばあの頃いわゆる『秘密基地』を作るのにも夢中だった。ムッとした草いきれの中で見上げた空に、大きな入道雲がもくもくと湧き上がり、それが近づいてくるときまったように訪れるのは夕立なのだった。
  
  

singing after the rain!

< 少年時代を聴きながら >

その夕立があがり、遠雷のなか涼しさの訪れる頃には、こんどは夜祭りが始まる。 子供なりに忙しかった懐かしい夏の記憶である。
 

***

  
この記事を編集していて、違う季節(たぶん紅葉の頃か、葉が全部落ちた閉館の頃)に再び、このコレクションと借景を眺めたいと思った。
  
自分の ”書斎” 以外にお気に入りの場所がたくさんあるということは、実に幸せな事だ。   そして
いつの日か・・・けれども訪れることは叶わないであろう 場所 を、いつも心の中に秘めていられることは、もっと幸せな事だ。

 
 
 
 
 
 

 

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2011年7月24日 (日)

知らない街を歩いてみたい

  

僕は初めて訪れた街の路地を歩いてみるのが大好きだ。
それを単に好奇心というのかは、よく解からないないけれども。通り(Street)と言うステージには、もちろん普段見慣れたものが沢山あるのだが、その中でも僕との邂逅を待っていてくれた光景やモノ、人にめぐり合うのがすごく楽しいのだった。

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< かをりたつ昭和の匂い >
福島県会津若松市

  
 
こんな視点の変化に気付いたのは、もう10年以上も前の事だったのだろうか。
それは社用車の突然なるトラブルで、歩いて(25分程度だが)出社する事態が生じたときだった。車ではほんの5~6分程の距離だったのだが、そこを歩いてみる事によって、五感から入ってくる情報は数倍、いや数十倍を超えているのかもしれないことに気がついたのだった。いままではとうてい気付く事すらなかった通り過ぎる家々の小さな花々、空の雲のうつろひなど実に新鮮に感じたものだった。
それから僕は車での通勤をやめてしまった。四季おりおりの変化を風の匂いで感じながら、さらにいろんな考え事も出来るおまけすらもついていた。当然出社後の社用は全て車での移動であり、当時”書斎”などもっていなかった僕にとっては実に良い時間なのだった。
  

***

  
いつもの事だが、知らない街を歩いていて角にくるたび、そこを曲がるかまっすぐ進むか迷う。
十字路だったなら、直進のフィーリングは当然そこに至る途中の掴んでいる訳で、後は左右の選択肢を加えるだけなのだけれど。角を曲がってみようと決めたときは、もしその先に何もなければ(興味を惹くものが)またここへ帰ってくればいいと思って曲がるのだった。そして二度と戻らないこともあったし、またそこに戻ってくることもあった。なんとなく人の人生に似ているような気がするのだった。
  

***

春に訪れた街をしばらく歩いていると、カフェの中にバスがいた。
僕の住む街では見たこともない、それはとても不思議な空間だった。遠目には大きな硝子引戸の、小ジャレた車庫かなんかだと思って歩いていたのだが、なんとそこはCaféだった。その店の名前はまったくそのままで、このようななんとも素敵な店を作ってしまったオーナーの洒落?のセンスには、はなはだ感心した。

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< バスと相席のCafé >

  
平成に入って、PCの普及が進むとめっきり見かけなくなったタイプライターと偶然出逢った。
ボタンの配列はキーボードと同じというか、キーボードの方がタイプの配列を踏襲したと言うのが正確な表現だろう。スペルさえ判ればなんとか使えそうな気がするのだった。今はワープロで整えられたフォントがプリンターで高速に印字される時代である。 

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< 偶然の出逢い Ⅰ タイプライター >

こんな時代だからこそ、あちこち少しだけ版が欠けた部分のある文字が、味があって再び見直されていると知人から聞いた事がある。
近年顧客コードと思しき数列と、住所氏名がプリントされたラベルが張りつけられただけの年賀状が届いたりする。そんなハガキの裏面は、見るまでもなく大かた想像がつくので今ではほとんど見ることもなくなってしまった。けれどもこの手のハガキは結構お年玉が当たっていることが多いので、侮れない存在ではあるのだが。

英語はアルファベット26文字の所在さえ把握すれば何とか使えるのだが、以前たまに自分で打たなければならない事態が起きたりする和文タイプには、さすがの僕も閉口した。四角いカーソルの下には約2,200文字を優に超える漢字や記号が音読みだか訓読みだか忘れてしまったが、その何れかの順序で並んでいた。それは単漢字自体の規定の読み方を知らなければ、その文字を探す事すらお手上げなのである。
それを四角いカーソル(照準器)で『ガチャッ・ガチャッ・ガチャッ』と文字を絶え間なく狙い撃ちをする、本日お休みの経理担当の女の子には敬意を表さねばならないと思っていたのだった。
そうしてみるとMacやLinaxのオーナーであるご諸兄には恐縮であるが、今のIMEパットなどは素晴らしい発想なのだとつくづく感心してしまう。
  

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< 偶然の出逢い Ⅱ チェックライター >

となりのチェックライターもずいぶん旧式だが、永く使い込まれ、それ自体が放つ渋さ(美しさ)があった。
遠い昔に見た古い映画のワンシーンで、買い物や食事の決済に小切手にペンでサラサラと金額とサインをしてチェックを済せる、実にスマートなシーンに憧れた事がある。でも当座預金口座が日本では個人の開設が難しい事を知ったのは会社員になってからの事だった。
そう言えば手形割引の看板もあまり見かけなくなってしまった昨今、小切手は今も決済手段として健在なのだろうかとフト想う。現在は振り込みや、口座自動引き落としなどの仕組みが充実しているので、それほど活躍の場は多くはないような気がするのだが。

 
また少し歩くと、こんな風景と出合った。
自分の住んでいる街で同じような光景を見ても、きっと見過ごしてしまうのだろう。けれども知らない街のひとり彷徨人になると、僕は妙にセンチメンタリティーな目で風景を見るらしく、このような何気ない光景にふと心が留ったりするのだった。

それはまさに大正を彷彿とさせる重厚な造りの建物だった。そしてはめ込まれていたのは時間を逆転して開く二つの扉なのだった。それらをずっと眺めている信号機と電線が、ごくごく、ありふれたこの辺りの日常生活(平和)の様に見えた。


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< 二つの扉とごくありふれた日常 >
  
  
     
  
  
  
< 遠くへ行きたい > を聴きながら

こんな街には昔の抒情歌もよく似合う。





  
  
  

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2011年7月18日 (月)

期せずしておとずれた神隠しと 仕事の姿勢

 

どんな店、道路、交差点でも人通りが途切れる瞬間は必ずあるものらしい。
以前、浅草浅草寺の人っ子一人居ない(けれども、出店には普通に店の人がいる)白昼の光景を切り取った写真家の手記を読んだことがあった。待ってさえいれば、街中で人や車が途切れる瞬間は必ず訪れるものだと・・・
そう言われてみればそれに近いシュチュエーションは何度かお目にかかった事がある。
まるで早朝のような繁華街の大通りとか、商店街とかだった。けれどもすぐにそれらは、偶然の神隠しから解放された人々や車によって、ごくごく普通の街並みが戻るのだった。 
 

***

 
この美術館はエジプト展という特別企画展の最中だった。
駐車場も空き待ちの行列が出来るほどの盛況な混雑の中、ロビーもエントランスも人でごったがえしていた。僕はまぁ、時間があれば程度の感覚で緩やかなスロープを上って2Fの常設展示室へと向かった。
外に出て下をのぞくと、先ほどよりは少し人が少なくなっているような気がしたが、本当に偶然の神隠しとは起こるのだろうかと考えていた。

  

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< ワーキングシーン Ⅰ >
福島県福島市

 

日曜日のお昼前の企画展。この混雑のなか人が途切れる事などは、とうていないだろうと思っていた。でも15分ぐらいなら人間観察の時間としてもいいのだろうと、老若男女いろんな人が出入りする1階を眺めていた。

幸運にもそれは9分後に訪れた。ほんの10秒程度だろうか、人が視界から消えたのだ。
あっと 思ってシャッターを押し込んだのだが、その時エントランスの外にも、特別展の会場にも人はたくさん居た。けれども、その出入りが完全に途絶える僅かな時間というものは、実際に存在したのだ。例えはあまり良くないけれど、白昼繁華街での犯罪目撃者がいなかったりするのは、こんな事と人々の視線の注意が生み出した偶然なのだろうか。
  

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< ワーキングシーン Ⅱ >

 
 
RAW現像の時にこの学芸員の女性に気がついた。
僕も出入りする人々にしか、注意が向いていなかったのだろう。ほんの少しの隙にも仕事に対するスタンスがおのずと現れるものである。

人が途切れたほんの僅かなこの時間にも、きちんと姿勢を正した彼女の注意は、右手前方のエントランスに向いていた。
これが仕事というものに対する本来のスタンスなのだが、いわゆる『いまどき』は全てがそうでもないことを何度か見てきた。彼女は昔はごく普通なのだっただろけれど、いまでは間違いなくとびきり優秀な学芸員なのである。


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< Green grassのオブジェ >
福島県立美術館 蔵

 
 
まったく関係のない話であるが、学生時代は国語が実に嫌いだった。
何故かと言えば、日本語独特の美しさと言おうか、言い廻し(正解)がたくさんあるからだった。要するに『ものは言いよう』のようである。その点大好きな理数系は、全て数式で表せるので単純明快、答えは一つしか存在しない。それが潔く好きだったのだがそれ故に、僕は人間関係で苦労する事が多い宿命なのかも知れない。 

***

何故こんな事を書いたかと言えば、ふと近年足を運ぶ事のなくなったファミレスでのやり取りを思い出したのだった。
店内に足を踏み入れると、まるで5chサラウンドのようにあらゆる方向から飛んでくる『いらっしゃいませ、お客様』の声。そして発生源の視線も同じようにあらゆる方向を向いていて、妙に滑稽に思えたものだった。
それはもはや客を歓迎する挨拶の域ではなく、単なるチームの来客合図の掛け声にしか聞こえなかったのは僕だけかもしれないのだけれど。

中年になってから、嫌いな筈だった国語(日本語)に対して、妙に違和感を覚える時期があった。オーダーの確認時
『・・・と・・・と・・・ですね、以上でご注文はよろしかったでしょうか?』と言われると、僕は『はい、よろしかったです』と答えた事がある。
少し嫌みなこの返事は、マニュアル通りの応対をした彼女にも、変な日本語を使う客と映ってくれたのかは解からないけれど・・・
そして、料理を運んできた別のスタッフからでる言葉も『失礼します。こちらが御注文の・・・になります』だった。


嗚呼、こと最近は美しい大和言葉(日本語)にはめったに会えなくなってしまったようだ。

  
  
  

  
    
 

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2011年7月11日 (月)

だいぶ早い つゆ明け

 

今日7月11日、僕の住む東北地方につゆ明けの発表があった。
つゆ入りの日もろくに覚えてもいないくせに、この日は小学生の夏休みのような、わくわくする解放感のような感覚はいまでもあるのだった。暑いのはあまり得意ではないというのは、以前記した通りなのだが、季節が進むと言う意味合いでは、メリハリがあっていいものなのだろう。見上げた太陽の周りにハレーションを感じる程、真夏のような日差しの中だった。蝉が鳴いていてもおかしくない気温の中、その報道があったころ僕はゆり小路の中に居た。

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< 夏 初日 ゆりの小路 >
山形県飯豊町

 
 

ここのところ休日は雑用に追われて、どこにも出かけられないでいた。
そんな僕をこの場所へ誘ってくれたのは、何気なく耳に入ってきたFMラヂオだった。春に隣町の公園を訪ねてから、自分でもその理由は良く分からないのだけれど、花という言葉や絵に反応するようになっていた。
このゆり園は”書斎”から30~40分程の所だろうか、以外と近いのに初めて訪れる場所だった。何かのついでになら別だが、わざわざゆりを見に行ったと言えば、僕をよく知る人はきっと大笑いすることだろう。
ゆりと言えばカサブランカのような芳香が漂い、優雅なイメージがあったのだった。けれども、ここのはかをりよりも、様々な色彩のゆり達が夏の日に美しく揺れていた。



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< 陽光の中にて >

  
  
そこにはゆりと紫陽花が同時に咲いていた。確かに紫陽花は雨の中もしくは曇天が似合う花なのだろう、しかし一方のゆりは確か種類によってかなり開花時期が異なり、6月から9月頃まで咲いていると以前知人に聞いた記憶がある。

涼しい木陰に紫陽花が咲いていた。奥には水路の小滝があり、夏の光がキラキラと輝いていて爽やかな場所だった。雨がよく似合う紫陽花の肩をもてば、突然のにわか雨あがり、日差しが息を吹き返した夏の日の光景としよう。

 
 

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< ゆりと紫陽花 >

 
ふと見上げた空には入道雲があった。
まだつゆが明けたのを知らない僕はこの空を見て、もう夏かも知れないと思っていた。けれども何気に見上げたこの空こそが、太平洋高気圧の運んできた、2011-初めての夏ぞらなのだった。

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< blue++ 2011 >
 
 

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奇しくもつゆ明けの今日で震災から4ヵ月が過ぎた。
今でもあの悪夢の光景を思い出すと、締め付けられるような強い心の傷みを感じる。けれども悠久に流れる時間は、すべての人々を包み込むように、確実に季節を二つ進めた。皆に記憶となった時間からの歩みを促すように。

当時仙台のDate-FMでは、視聴者からの家族や友人知人の安否に関するメッセージをずっと流していた。個人の名前や、連絡先の電話番号など悲痛なメッセージがずっと流れる中、いまでも時々思い出す印象深いメッセージがあった。
それは 『被災されなかった方々はどうか普通の生活を続けてください』 というものだった。それを聞いた時は僕にはその意味がよく解からなかった。でも彼は知っていたのだった、自粛というものがもたらす、復興を妨げる経済の停滞を。

いまはただ、被害を受けた地域の一日も早い日常生活の回復と、神の火を弄んでしまった愚かな人たち、そしてその火伏せに携わる現場関係者の、命がけの努力に
一刻も早い、ご加護があらん事をただ、ただ祈るばかりである。

これからもこのつゆ明けの青いそらを眺め続ける、子供たちの為に・・・・・                               筆者(記)
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2011年7月 5日 (火)

魅かれる うつわ

 

連休に読んだJ.Tanizaki氏著の『inei_raisan』
僕にとってはよほど印象に残ってしまったのだろう、あれから翳というものをずいぶんと注意深く眺めるようになっていた。ほぼモノクロに近い翳の諧調は、墨を一滴コップに落としたような極々薄いものから、漆黒の直前の暗さまで、ものすごい幅があるものだと気が付いた。著のなかで
”明暗。暗は明るいの反対であるが、闇ではない” と述べているように、まさに闇の直前まで翳の諧調が続いているのだ。
   

***

    
そんな事があって、僕の頭の中には『翳』というキーワードが出来ていたのかもしれない。
先の休日も”書斎”にてアイラモルトを片手に、絵の倉庫で探し物をしていた。いままで何度となく通り過ぎていた小さなサムネールの上でマウスが止り、次の瞬間はっと胸が騒ぐ事がある。クリックしてモニターに大きく映し出された絵を眺める。泥濘の中に小さな宝石を見つけだしたような、幸せな気分になるのはそんな時だ。
  
   

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< ワイルド・ストロベリー Ⅰ >
山形県米沢市

  
  
少し見やすいように翳と思しき部分をほんの少し強調して仕上げたが、実際にはもっと淡く繊細な紋様なのである。
この淡く描かれた翳がなければごく普通の華やかな皿なのだろうし、魅かれる事もなかったのだろう。人間というのは感情の動物と言われるだけあって、ものを見た印象はその時の気分で大きく左右されるのかもしれない。

楽しい時や、また誰かと過ごす時にこの皿は、華やいだ中にもけっしてそれらを邪魔しない薄い色合いで、大人らしい落ちつきのある悦びの時間を、演出してくれるのだろう。

華やかだけのうつわならば気分が滅入っている時や、寂しい時、悲しい時はあまり顔を合わせたくないものである。
でもこれならばそんな時も、ちゃんと付き合ってくれそうな気がした。この翳が気持ちを共有すべく語りかけてくるのは、そんな時に必要な落ちつきであったり・薄氷のような寂しさを分かち合ったり・それとなく遠い過去から持ち出された、寂寥のほのかなかをりもしそうな気がするのだった。


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< ワイルド・ストロベリー Ⅱ >
  
 
   
   
この絵皿とペアのカップも、持つ人だけに見えるように施された淡い翳という計算された美しさを持っていた。
注がれたコーヒーから最初は半分ほど顔を覗かせて、
存在をさりげなく伝えるこの演出もいいものだろう。

そんな演出と一緒に愉しむ、この皿にお誂え向きな一品は果たして何だろう・・・・・と考えていた。
   
   
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< ペアのカップ >

 
最近ペアのお客さんが増えたからだろうか、棚にはこんなカップが多くなったような気がする。”春色の会話”のカップもステキだったが、これも実に良い雰囲気だと思う。これを供されるお二人にはあまり関係ない事かも知れないのだけれど。
   
以前友人に、  こういう小品の切り撮り方はいわずもがな、遠目でみてもすぐ判る。   といったニュアンスの事を言われた事があった。
良いにしろ、悪いにしろ、個性とは大事なものである・・・・・・と嘯いてはみたものの
  
 
それらはいつも個性とは程遠い、単なる思いつきなのだった。

 

 

 

    

   

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